「世界と人間の矛盾について」爆弾 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
世界と人間の矛盾について
映画「爆弾」を語る上で佐藤二朗の怪演について避けて通るわけにはいかない。
それくらい、「スズキタゴサク」のキャラクターは強烈で、沼のように対峙する人間を飲み込んでいく不気味な魅力が鈍く輝いていた。
映画を振り返って考えてみると、酒屋で暴れていたタゴサクの調書を取った倖田巡査の台詞で、すでに警察が「タゴサク沼」に足を踏み入れていることがわかる。
「舐められないように気合入れてたら、思ったより下手に出られて拍子抜けした」
他社と対峙する時、大なり小なり身構える最初の心理的ブロックを自分を下に見せることで取り払い、あたかも主導権を握っているのは自分だと勘違いさせるような誘導を行うことで、実際はタゴサクのペースに乗せられていく。
この後の取調室での対話も、タゴサクは似たような手法で相対する人間を巧妙に絡め取ろうと画策し、警察はタゴサクの思惑に引きずり込まれていく。
催眠と霊感を盾に、爆弾のヒントを出しながら、タゴサクが本当に突きつけている問題は常に「矛盾」である。
タゴサクの言葉を借りるなら、学校で会社で社会で、常に命は選別され格差をつけられ、誰の命に最も価値があるのかを競い合う。そしてその基準は結局のところ、「誰が自分に利益をもたらしてくれるのか」つまり「その人がわたしに10万円貸してくれるわけじゃないし、どうでもよくないですか?」で決まっている事を突きつけてくるのだ。
どうやらホームレスをしていたらしいタゴサクだが、タゴサクがホームレスになった理由は明かされない。
想像に過ぎないが、多分彼は全てに絶望し、全てを諦め、全てを手放すことにしたのだと思う。
人が人を判断する。神のいない世界で、仕方なく神を代行するシステムを人が運用する限り、どうしても利害や価値観がその判断を鈍らせる。
多分、「昔から人の顔色をうかがって生きてきましたから」というのは本心なのだと思う。タゴサクの考えていることと世間の常識に齟齬が生まれる度、タゴサクはどちらが「正しいとされているか」を合理性ではなく観察によって知る。
警察や政府でなくとも、我々人間一人一人が常に善悪と真実のジャッジを行い、偏った判断を多数決の御旗の元に「正義」と呼称している世界。
その世界で生きていくのに、タゴサクは少し賢すぎたのだ。そして少し不器用すぎた。タゴサクの感じた絶望は、不完全を許容するしかない世界への絶望である。
ここまで考えてみると、さらに興味深いことにも気づく。
不完全世界に絶望し、全てを捨てたタゴサクが、それでもやはり「求められること」にに尊さを感じているらしいことだ。
タゴサクが明日香と接触したのは、明日香を気にかけたからであり、明日香に頼られた時、タゴサクは再び世界と関わることを決心した。
明日香がタゴサクに求めたことが、タゴサクが行った一連の行動と合致しているのかは正直わからない。もっと単純なことだったかもしれないし、もっと精神的なものだったのかもしれない。
ただ、求められそれに応えようとしたという事実だけが、人間の持つ善なる力であることだけは間違いない。
タゴサクというキャラクターが「鈍く輝いていた」と感じたのは、不気味な言動の数々の中に、どうしようもなく美しい高潔さが確かに存在していたから、なのかもしれない。
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