長崎 閃光の影でのレビュー・感想・評価
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時の権力者達はどんな映画を観て育ってきたのか
一瞬の光ですべてが一転。
被災者は戦争による攻撃か、天変地異かすらもわからず、、、。
あと一週間早く負けていれば。そもそも戦争しなければ。
今だにいたる所で紛争、戦争、強奪が行われているが勝っても負けても被害は必ず出る。時の権力者は想像力が乏しいのだろうか?
こういう作品を政治家、軍人にはぜひ観て想像力を養って欲しい。
神ではないので赦すことはできないが、これまでのことは不問にして報復はしないから侵攻はやめて欲しいと願ったらどうなるのだろうか?
終戦記念日のすいとん
バブル時代に生まれた被爆3世の若い人に「昔はこんなものじゃなかった!」って憤るのはナンセンス。その時代のリアルな事はその時代に体験した人でしか語れないんです。無理にリアルに描く必要は自分はないと思います。従軍看護師が休養をしている場面はまるで白鳥が羽を休めているようで実に美しい。その当時のリアルな姿はそれにはほど遠いでしょう。でも彼女たちは、被爆者たちのために献身的につくした天使なんです。監督はそれを映像的に表現したかったのではないかな?この映画に批判的な人はこの監督の過去の作品見てほしい。この監督は絶望的な立場の人々に対する優しい視点を持った方です。終戦記念日の料理番組で再現したすいとんを見て、当時はそんなものではない!なんて言うのはやめましょうよ。それはその時代の真実を知るきっかけだと思って下さい。
さすがの南果穂さん
水が飲める。水がおいしい。
映像はいまいち、女性の演技はとてもよかった。
こういう戦争体験記は、それがほんの一面に過ぎないとしても繰り返し語り続けられなければならない。
赤十字看護婦たちの手記が原案。
日本人にしか語れない、日本が作るべき映画なのだろう。
劇映画としては、もう少し何とかできなかったかと思う部分はあった。犠牲者の描写も緩い気がする。
しかし、後世に語り継ぐべき長崎の被爆体験をかたちにした点において、この映画の意義は高い。
3人の看護学生が、赦せるか赦さないかの議論を戦わせる場面が最も印象深かった。
人間には人を憎んだり恨んだりする回路が埋め込まれている。そうでなくても鬼畜米英のプロパガンダの下、家族や親しい人たちが米軍の無慈悲な殺戮の犠牲になるのを目の当たりにした少女たちだ。
それでも赦すべきだと説くクリスチャンの少女に対して、家族を亡くした少女は赦せないと言い、両親が無事だったもう一人の少女に八つ当たりをするが、そんな自分も赦せないと泣く。
大阪の看護学校が空襲によって休校となり、郷里の長崎に戻った少女3人。そこで原爆投下に見舞われたものの辛くも助かっていた。
固い友情で結ばれ、ともに過酷な救護活動に従事していたのだ。
田中スミ=菊池日菜子
大野アツ子=小野花梨
岩永ミサヲ=川床明日香
モデル出身の菊池日菜子と川床明日香が見事に演じていて、この二人を演技派の小野花梨が牽引している。
現在の田中スミだと思われる老婆の語りで映画は始まり、また彼女の語りで終幕する。この語りの声にキャスティングされた美輪明宏は長崎の被爆者だそうで、終幕に姿が映し出されるその老婆は手記を描いた看護婦の一人だという。
監督兼共同脚本の松本准平は、長崎の被爆三世だとのこと。
原爆が無差別殺戮であることは、東京大空襲も同じだ。だが、強烈な爆発で粉々になり、熱射によって黒焦げになるだけでなく、即死を免れたとしても放射能被爆が人間を破壊するのだから恐ろしい。
この映画では描かれていないが、被爆者とその家族への差別という市民同士の恐ろしい二次加害まで生みだした。
献身的に治療と救護を行う医療従事者は、長崎の被爆地にもいたのだ。薬もない、水もない、設備もない状況での懸命な救護活動が展開する。
悲惨な救護現場から離れようとする看護婦や、疲弊して患者を投げ出しそうになる医師の姿もあった。みんな人間なのだ。
一方、この惨状においても高圧的な言動の軍人はいたようだ。
当時の世相として人種差別があったことも描かれている。
これらの細かいエピソードには、リアリティがある。
毎年8月になると戦争を振り返る企画があちこちであり、テレビは各局が競って特番を組む。
今の若者たちは、そんなテレビからは離れてしまって、ブラウザやアプリの向こうに戦争とは無関係のコンテンツを求めているのだろうか。
日本の核保有をとなえる政治家が一部で支持を得るという現象に愕然とする。
核保有論の基盤には抑止力説があるのだと思うが、たまたま今は均衡が保てているだけなのだ。
いつ何時、過信しすぎた武力主義の元首が現れるか分からない。圧倒的な軍事力の差があるアメリカに戦争を仕掛けた80余年前の日本の指導者のように。
今だから価値のある映画
核武装するのが安上がりでコスパがいいなどと軽々しく口にする政治家が登場する時代だからこそ、多くの人に見てほしい。(ちなみに核武装は開発コストから維持管理まで含めると膨大な経費がかかるものであり、安上がりでも何でもない。それを安上がりと言うのは無知・無教養以外の何ものでもない)
現実の長崎の現場は、この映画の何倍も壮絶なものだったと思う。まだ10代の看護師の資格も得ていない若者が、治療らしい治療もできない中で次々と人が亡くなっていく環境に身を置く辛さはいかほどだっただろう。
ラストに登場する、この経験をされた生存者の女性の目には、平和な日々を生きる我々がどんな風に映るのだろうか?と考えさせられた。
もっと多くの映画館で、もっと沢山上映して、もっと沢山の方に見てほしい。私が見た回は、小さいスクリーンながらもほぼ満席だったのだから、時間と機会さえあれば見たいと思ってる人は、多いはずだ。
看護師を通して知る原爆の悲惨さ非道さ
自分の原爆の知識をさらに上書きされた作品。
原爆投下後の長崎の様子も垣間見ることができるが、
それ以上に診療所へ運び込まれる人たちを襲う
痛みや苦しみ、数々の死を目の当たりにし、
その度に火葬場へ見送るしかない看護師のやるせなさ、
これは観ていて本当に辛かった。
特に小野花梨演じるアツ子の溢れんばかりの怒りは
凄まじく、スクリーンからビシビシと伝わるほど。
小野花梨さんのイメージを変える演技だと思うし、
間違いなく菊池日菜子の代表作になったと思う。
私は「はだしのゲン」や『ピカドン』という原爆を
扱った作品に小学生の頃に出会い、
その惨たらしさに衝撃を受けるとともに
トラウマにもなったが、
本作はそれ以来の衝撃であり、
トラウマ級の作品となった。
原爆とは何をもたらすものなのか、
あらためて考えさせられる作品である。
今作ることに意義がある
戦争体験者が少なくなり、記憶の継承が困難になっている今だからこそちゃんと体験者…被爆者の生の声を元にした映画は重要だと思う。被爆者の方々の姿はあんなものじゃなく、筆舌に尽くしがたいものだと思うけれども…でもこれは一人でも多くの人に届けるためのもの、あれくらいでいいと思う。今はある政党の候補者が核を持つことは低コストで抑止力として有効…と演説で平気で言って当選する時代になっている。そんな事を言っている人間は、いざという時あの光や痛みを自分の身に受ける事は絶対にないんだろうと思う。広島に原爆が投下された日、長崎に原爆が投下された日、はたまた終戦の日もわからない人々がいる中で、戦争に関することが形骸化することのないようにしていきたいと思えた作品だった。
そして朝鮮人の差別のシ―ンだけど、絶対にこれには突っ込む人いるだろうなぁ…と思ったらレビューでも案の定言われている…。あの演出は(あの場であったとかじゃなくて、エンドロールにもあったけど)制作陣の義務感からだと思う。関東大震災でもそうだけと、あったところにはあったはず。あの時代朝鮮人を労働力として使っていたんだから。やらない人もいたんだろうけど…。清廉潔白な人間ばかりりではない。あの演出で誤解が生まれる可能性はあるけど…、でも、日本人はひどい目に遭ったけど日本人もひどいことをしていたという事を伝えることは、被害にあった…ということを伝えるのと同じくらい重要なことだと思うから。
自分の学生時代は、戦時中の歴史について、戦争はよくないの一辺倒で学校でも触りだけのものだった…戦争に対しての振り返りができていないんだなぁ、という感じが否めず、やっと最近になってメディア…新聞が煽った、民衆の熱狂感もあった等々深く掘り下げられている。本当に今、ちゃんと生の声を残してほしいと思った。
あの写真の少年
語り継がなければと思うけれど…
大虐殺と再生
本映画は、原爆投下直後の長崎で、命を救おうと奔走した若い看護婦たちの手記を元に作られている。
投下された原爆は、戦闘員非戦闘員無関係に住民全てを虐殺しようとした非人道的なものであったことが分かる。
映画の最後、福山雅治作曲の「クスノキ」が流れる。
爆心地から800メートルの位置にあった山王神社のクスノキは、被爆後奇跡的に新芽を出し、次第に樹勢を回復した。福山雅治の曲はこのクスノキを題材に作曲されたものである。
この映画でも被爆し救護されていた妊婦から新たな命が生まれる。妊婦は被爆により命を落としてしまうが、新たな命は育っていく。
原爆という残酷な悲劇、同時に次の世代の再生と平和への希望をこの映画は示している。
8月9日は日本人として絶対忘れてはいけない日である。今生きてる人間...
忘れては行けない歴史
長崎の被爆直後の状況を描いた作品として、記憶にとどめるべき一作
広島の原爆被害を描いた作品は、映画だけでも『ひろしま』(1953)を始めとして多数存在する一方、長崎の原爆を、しかも被爆前後の状況を含めて描いた作品は木村惠介監督の『この子を残して』(1983)などごく少数にとどまっており(『ウルヴァリン:SAMURAI』[2013]も長崎の原爆を描いていると言えば描いているんだけど…)、その意味でも本作は、永らく記憶にとどめる作品であると言えます。
3人の看護学生(菊池日菜子ら)の目線で捉えた原爆投下直後の長崎の状況は、正に酸鼻を極めたもので、カメラは破壊された市街地よりも生死を彷徨う被爆者の姿に焦点を当てていきます。例えば救護所の所在を呼び掛ける看護師たちに、崩壊した浦上天主堂に向かって列をなす被爆者たちが語った言葉。これは長崎の人々の叫びだ…と感じさせるものがありました。
被爆から一週間も経たず日本は降伏しましたが、当然長崎の惨状がそれで大きく変わる訳もなく、数少ない医療従事者は、自らも被爆しながらも乏しい設備・医薬品で、引き続き増え続ける被災者の救護に当たらざるを得ませんでした。
この場面で菊池日菜子扮するスミと勝(田中偉登)の交わす言葉がとても印象的です。勝は戦争が終わり、出征する必要がなくなったことに安堵しますが、スミは勝の言葉を、日本男子にあるまじき言葉として一喝します。このように当時の日本人が女性も含め軍国主義の精神性から逃れられなかったことを明確に描いたうえ、さらには民族的な意識に基づいて救護の選別を行っていた描写も盛り込むなど、単に救護に奮闘する姿を描くだけでは見えないような「影」も敢えて描写に含めており、それがむしろ「可能な限り被爆の実相を描き出そう」という作り手の覚悟と真摯さを感じました。
軍人精神を具現化したような、凛とした態度の看護婦長(水崎綾女)の顛末、戦争孤児たちの姿など、冗長にならない程度の時間枠の中に、端的に「戦後」のありようを織り込んでいく作劇も印象的でした。
『ひろしま』(1953)と並んで、本作もまた一生に一度は観るべき作品だと思いました!
平和ボケしていることを痛感
伝えることの尊さを改めて想う。
救護を呼びかけても、教会での死を望み、よろめきながら賛美歌を歌い列をなして教会に向かう被災者たち。救護を受入れた被災者たちも、助けられる命の数より、助けられない命の数の方が多いむなしさ。運よく助けられた命も、やがて原因不明(赤痢なのか?の初見が哀しい)の病で亡くなってしまう理不尽。そこに、家族や大切な人の喪失の有無や、敵を許すか許さないかの言い合いなどが加わり、3人の間でも一時的な感情のもつれが生まれます。限界に達する疲労感。そんな様子が日を追ってたんたんと描かれてゆきます。
ふと、カミュの小説「ペスト」を思い出しました。二つは極限状況での人間の選択と行動を描いている点、日常生活の中、短期間で大量の人命が失われるところを描いている点、連帯と責任がテーマになっている点等で共通しています。
ちなみに、お隣の佐賀県出身だった私の母は、この時、主人公たちとほぼ同年代の17歳で、知り合いが被爆して亡くなったと言っていましたが、そんな母が好きだった作家が、やはりカミュでした。
冷戦時代、7万発を数えた世界の核弾頭も冷戦終結後は減少に転じ、1万5千発程度で安定していましたが、近年は戦術核の使用をためらわないと脅しをかける国が出てくる中、再び一部の国で上昇に転じているようです。そんな中、唯一の被爆国として、むごたらしい事実は事実として、しっかり記録し、後世に伝えて行く必要性は、以前にも増して増大しているように思います。そうした情勢にもしっかりと向き合っている良い作品だと思いました。
原爆による死者は、長期推計で、長崎10万人以上(当時の人口24万人)、広島20万人以上(当時の人口35万人)だそうです。戦後80年。亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りします。
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