メイデンのレビュー・感想・評価
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シュレディンガーの猫?
10代の儚さ脆さ描くムービー?
友達に無理して合わせたり、とかく行動が危うい、映像も女の子の肌質も粗い ホームビデオか?と思った そして若者のお話しの割には、スマホの出番が最後チョロっとだけ 二部構成みたいでノートと靴にはあぁやっぱりとなったけど あの2人はどの世界線で彷徨っているんだ?
時系列が逆?でも黒猫ちゃんが謎 摩訶不思議なお話いろいろ解釈出来そうですが、意外とホラー ファルコンレイク☓クロースみたいな印象受けた
メメントモリ
列車が夢を見るとしたら、運んでいる人たちの笑顔ある未来なのかもしれません
2025.4.30 字幕 アップリンク京都
2022年のカナダ映画(117分、G)
親友を亡くした青年が失踪少女の日記の中に癒しを見つける青春映画
監督&脚本はグラハム・フォイ
物語の舞台は、カナダのカルガリー郊外
そこに住む高校生のカイル(ジャクソン・スルイター)と親友のコルトン(マルセル・T・ヒメネス)は、一緒にボードで遊んだり、秘密基地に行ったりと仲睦まじく暮らしていた
カイルはいろんな壁に「Maiden」と描いていたが、コルトンにはその意味がわかっていなかった
ある夜のこと、いつも通りに遊び呆けていた二人は、日が暮れてから列車の鉄橋へと向かった
カイルはそこで線路を歩き出し、近づいてきた列車に撥ねられて亡くなってしまう
その日から、コルトンには喪失感が付き纏い、彼と一緒に出かけた先をうろうろする日々が続いていた
ある日のこと、コルトンが森に出かけると、どこからともなく「ホイットニー」を呼ぶ声が近づいてきた
どうやら、同級生のホイットニー(ヘンリー・ネス)が失踪したようで、町の人がこぞって探しに回っていたようだった
映画は、カイルの事故後が前半となり、ホイットニーの日記を読むコルトンの脳内想像が後半となっている
カイルの死後、コルトンは喪失と向き合いながら、自分自身がカイルになりたいと思っていたことを知らされる
だが、彼のことは何一つわかっておらず、「Maiden」と書き殴っていく理由もわからない
彼の真似をして描いてみても上手く描けず、何かを得ることもない
そんな時に見つけたのがホイットニーの日記で、そこには友人のジューン(シエナ・イー)と上手く行っていないことなどが記されていた
ジューンはアメフト選手のタッカー(カレブ・ブラウ)の彼女で、彼の友人たちとつるむことが多かった
だが、ホイットニーは人見知りであるのと、タッカーの友人たちのノリについていけない
ジューンはそれを察したのかホイットニーにメールを送り、それがきっかけで彼女は家出をすることになった
後半のシーンはコルトンが彼女の日記を脳内で再現している内容で、彼女は死んだはずのカイルと会っている映像が映し出される
おそらくは、その日記に遺書のようなものがあって、それを読んだコルトンがカイルと会っているのでは?と妄想したのだと思う
明確にホイットニーが亡くなったという描写はないのだが、「列車はどんな夢を見るのか?」という日記から想像すると、その場所に行ったのではないかと思った
映画は、カイルになりたいコルトンと、ジューンにはなりたくないホイットニーが対比軸になっていて、カイルとコルトンはほとんど名前を呼び合わないが、ホイットニーはしきりにジューンの名前を呼んでいた
この関係性からすれば、カイルとコルトンは意思疎通ができていて、ホイットニーとジューンはできていないように見える
だが、実際には、コルトンはカイルのことを何も理解できていないし、ホイットニーはジューンを勝手に決めつけて突き放している部分がある
コルトンにとってのカイルは「ただそこにいるだけで癒しを与える猫」のようなもので、それが最後に現れたということは、癒しをもたらすためには「何かしらの代用が必要である」という意味に近い
ホイットニーにもジューンに代わる何かが必要で、それがカイルのような奔放に見えて影のある人間のように思える
カイルはホイットニーの日記を見て、彼女の前にカイルがいればという妄想をしているのだと思うが、それが正解なのかはわからない
だが、彼の前に猫が現れたことは、死と死を結びつけたことによって、生への道に舞い戻ることができたという意味に捉えても良いのかもしれない
一歩間違えばカイルの後を追いそうなコルトンだが、ホイットニーの日記を見て、その道に行くほど自分は強くないと悟ったのではないだろうか
いずれにせよ、かなり観念的な部分があって、「Maiden」にもいろんな含みがあるのだと思う
「Maiden」には「処女」「乙女」という意味があり、これは大人になる前の女性という意味になる
映画だとホイットニーがそのように見えるのだが、別の意味として「勝っていない馬」というのもあった
これは実に男性的な意味で、「何かをまだ為し得ていない」という意味になる
カイルがグラフィティアートで何かを成し得ようとしているのかはわからないが、それを書き殴っていることには彼なりの焦燥感があるのかもしれない
このあたりは想像の範囲でしかないのだが、コルトンが思っているよりもカイルはもっと繊細で、自分に自信のない人間なのかなあと思った
タイトルなし(ネタバレ)
カナダの田舎町。
高校生カイル(ジャクソン・スルイター)とコルトン(マルセル・T・ヒメネス)は親友。
スケボーでどこへでも出掛けて1日を過ごす。
行く先々でふたりは「MAIDEN」の落書きを残す。
ある夕、カイルは鉄橋で長い長い貨物列車に轢かれてしまう・・・
というところからはじまる映画で、カイルを喪ったコルトンが心に痛みを感じ続ける喪失の青春を描くのが前半。
後半は、
同じ高校に通う少女ホイットニー(ヘイリー・ネス)にはジューン(シエナ・イー)という友人がいるが、人付き合いが苦手(というか困難)な彼女は、ジューンにとっていつしか邪魔な存在になっていく。
些細なことがきっかけでジューンから一方的に友だち解消されたホイットニーの孤独が深まる・・・
という物語。
この前半と後半が奇妙な形で交わっていく。
ある種、幻想譚めいたところがあり、映像的にも秀逸。
テイストが似ている作品としては、昨年公開のアンドリュー・ヘイ監督作品『異人たち』を挙げておきます。
監督・脚本はグラハム・フォイ。
もう一本、作品を観たくなりました。
猫と靴
25-055
どこかに連れ去られそうな田舎の日没の奥の闇
カナダの新鋭監督か。グレアム・フォイ。もの凄くヨーロッパ系の感覚で写されたカナダインディペンデントというか、やっぱりドランとかの次の世代なのかな。とにかくカナダの田舎の嫌な感じだったり、美しいとこだったり、怖いとこだったり、ぞっとするところだったり、強烈でポエティックなリアリティの積み重ねで見たことのない幽玄な、というかヒリヒリするほど切ない感情が紡がれる。あんな日没は怖い。真っ暗になる直前の風の音は怖い。普通に営まれる高校生活から脱線していく男Aとか女Aとか。ほんと暗闇にふらっとさらわれてく感覚は、どこか「銀河鉄道の夜」みたいやテイストもある。
『アフターサン』とかもそうだけど、この映画でないと捉えられない言葉にならないもろく切ない感情とフィルム撮影と音と音楽がすごすマッチしていた。
親友からさよならを告げられるメールを部屋でみているホイットニーの横顔や刺してくる日差しやグラスの氷とか、こういったものの表出がうまいし怖い。
アプローチが凡庸
next ten years…
親友が悲劇に見舞われた高校生と、友人関係に悩む同級生の喪失感の話。
いつもつるんでいるスケボーキッズのカイル&コルトンだったけど、ある日調子にノッちゃうカイルが…と巻き起こっていく。
みんなが気遣ってくれるけれど浮かないコルトンをじっくりみせて行く展開で、どうなっていくのかと思ったら、ある日missingホイットニーでパートが移り変わり…。
ホイットニーに関してはわがままというか自己中にも感じるところがあって、これをじっくりみせられてもなんだかねという感じ。
そしてこれはファンタジー?過去ではないよね…そしてラストのコルトンで、えっ!そういうこと???
色々と解釈はできるけれど、この流れならホイットニーはどうなの?と思ってしまった。
映画館で観てよかった
光のノイズだらけ、ざらついたフイルムは映画館でないとその効果が、わたしには届かなかった
と思います
きっかけは
なんかしながらで、映画番組で予告を見かけただけ。
ロジャー・ミラーのDear Heartが流れてきて、予告にちゃんと耳を傾けました
楽曲とスケボー少年の映像観てなんとなくジョナ・ヒルのMid90sを期待して
足を運んできました。
ぜんぜん違う感じです。
これはこれで楽しめました。
標準な映画だときれいな顔が多いですが
カイル以外はみんな肌がきたないのも、10代のリアルを写し撮ってるのかもしれません。
エンドロール、カイル役の俳優とタイトルデザイン担当が名前、一致してました
メイデンのストリートグラフィック自体が彼の手によるものなんでしょうか?
あれ、かっこいい
いろんな意味でまた映画であいたい方です。
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