劇場公開日 2025年4月18日

「タイ発のゾンビ映画は、新鮮な要素の宝庫(身体は腐ってるけど)」哭戦 オペレーション・アンデッド 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0タイ発のゾンビ映画は、新鮮な要素の宝庫(身体は腐ってるけど)

2025年4月22日
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鑑賞方法:映画館

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【イントロダクション】
第二次世界大戦下を舞台に、日本軍の生物兵器によってゾンビと化した青年達の苦悩と戦いを描く、タイ発のゾンビ映画。
監督はコム・コンキアート・コムシリ。

【ストーリー】
1941年、第二次世界大戦の最中。中立国であるタイでも、有事に備えて少年達までもが兵役に服し、訓練を受けていた。

伍長のメーク(ノンクン)は、少年兵の弟モーク(アワット・ラタナピンター)と母、婚約者であり妊娠中のペン(スピチャー・サンカチンダー)との幸福な日々を噛み締めていた。

ある日、多数の戦艦を率いて日本軍が上陸。モークをはじめ、少年兵達までもが容赦なく戦場に駆り出される。日本軍は、極秘開発された生物兵器を持ち込んでおり、誤って脱走を許してしまう。

日本軍に追い詰められ、森に逃げてきたモーク達は、謎の襲撃を受け、一人またひとりと姿を消してゆく。残されたモークは、底なし沼に嵌り命の危機に瀕してしまう。そんな彼を沼から引き摺り出したのは、日本軍が開発した“不滅”と呼ばれる生きた屍だった。

【タイ発のゾンビ映画は、新鮮な魅力的な設定の宝庫!】
何と言っても、ゾンビの設定が新鮮!コレだけで私には鑑賞料金分の価値があった。

新種のウィルスではなく、日本軍が軍事利用を目的に独自に開発を進めた投与型の寄生生物であり、呼称もゾンビではなく“不滅”。高い身体能力と凶暴性を獲得する代わりに、膨大な量の熱エネルギーを放出する為、放っておくと自然発火によって自ら破滅する。その為、泥や水による冷却処理が必要であり、暗くジメジメした洞窟を拠点とする。

噛まれた相手がゾンビ化するという基本設定は同じだが、従来のゾンビとは違い、頭を破壊しようと倒すことは出来ず、自らの自然発火か火器による焼却処理でしか倒せないというのは、火葬という埋葬方法を用いる日本人としても親近感が湧く。

理性や知性を残しており、生前と同じく人語を介したコミュニケーションも可能。自らの非情な行いに後悔して苦しむという件は、台湾の『哭悲 THE SADNESS』(2021)における「ゾンビ化しようと、残虐な行為を行なっている自覚はあるので涙が溢れる」という設定を思い起こさせる。しかし、『哭悲』がその魅力的な設定を効果的に描けていなかった事を思うと、本作の哀しみの表現は抜群の演出が出来ている。

また、実験体となった日本兵やメークは、少年兵達より長く生きてきた事による感情の累積の重さからか、不滅達の中でも強力な命令力を持つ。雄叫びによって他の不滅を跪かせて服従させる事が出来る。群れには指揮官となるトップが存在するのだ。

【感想】
これほどまでに「哀しみ」にフィーチャーしたゾンビ映画も珍しい。
それは、意思と意識を保っているが故に生じる、正しく人間的な葛藤があるからだ。家族を思い、叶わぬ願いを口にする。凶暴性が増しているから、意見を異にする仲間を容赦なく襲い排除する。
ゾンビという設定を用いつつ、描かれている事の本質は、どこまでも人間同士の対立なのだ。

それを引き立たせるという意味でも、冒頭に少年兵達の等身大の無邪気な姿を見せる演出が良い。直後に戦地に送り出されて追い詰められる姿、ゾンビ化して理性と狂気の狭間で苦しむ姿を効果的に盛り上げてくれる。

また、気合いの入ったゴア描写やゾンビメイクも素晴らしく、迫力に満ちている。タイの温暖気候の中、腐り果て蛆や蝿が湧く様子は、その悪臭まで伝わってきそうな勢い。
また、顔の上顎から上を捕食されたり、顔が無くても襲ってくるゾンビの姿は外連味たっぷり。

モークのゾンビとなりながらも人間性を取り戻そうとする姿が印象的。肉体は死しても、心と魂は死んでおらず、絶えず苦悩を抱えながら進んで行く。全てを終わらせようと、洞窟の出口で火炎放射器を構える姿、燃え盛る仲間達の炎の中に身を投げるラストの素晴らしさ。

大関正義演じる、日本軍のナカムラのキャラクターが魅力的だった。冷酷に任務遂行に邁進し、自らを囮にゾンビを誘き寄せ、捕獲させる度量も見せる。しかし、クライマックスでは恐怖に怯え、彼らの餌食となって仲間入りを果たす。最後は炎に包まれたメーク達によって火炙りとなって葬られる。あれだけ威を示していた彼も、結局は脆く弱い一人の人間に過ぎなかったのだ。

主要人物が誰一人として助からないという容赦のなさも凄まじい。普通の映画なら、妊娠したペンや子供は助かるものなのだが、本作では容赦なく犠牲となる。その思い切りの良さに、本作に対する本気具合が伺える。

【カタコトだらけの日本語品評会】
日本人としては、どうしても作中の日本兵や日本人役の人々の台詞がカタコトなのは気になるところであるが、愛嬌と捉えてしまえば面白おかしく鑑賞出来る。日本語だから字幕が設定されておらず、カタコトや早口だと聴き取りづらい部分があったのは残念だが。

特に、ゾンビ化させられた日本兵が、故郷に残してきた愛する人の幻影を見る件がお気に入り。あの女優さんは美人だったし、ちゃんと日本人に見えたのは素晴らしかった。
「ワタシハ、アナタヲ、愛シテ、イマス。デモ、ワタシハ消エナケレバ、ナリマセン」
とまぁ、こんな具合の発音なので、ズッコケはするのだが。

それより、カタコトとは別に、博士役のノブ・T・ワタナベは明らかに作中2回台詞を噛んでいるのだが、共演者の大関正義や日本語が分かるスタッフは誰も指摘しなかったのだろうか?(笑)

この辺りは、日本人や日本語話者を起用出来なかった弊害であろう。しかし、チラリと小道具で登場する地図にちゃんと正しい読みでカタカナが用いられていたりと、スタッフが尽力した事は伺えるので、そうした努力は嫌いになれない。あの時代に明らかな明朝体でカタカナ表記していたかは疑問だが。

【総評】
新鮮味のあるゾンビの設定、人間同士の争いや感情の暗部を描く演出、哀しみの果てに炎に身を投げるモークのラストと、タイ発のゾンビ映画は確かな独自性を持って輝きを放っていた。

今後、ハリウッドや韓国等でリメイクされる可能性もあるのではないかと思う。

緋里阿 純
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