「信じなかった社会への、静かな返信」きさらぎ駅 Re: こひくきさんの映画レビュー(感想・評価)
信じなかった社会への、静かな返信
この作品を観て思うのは、ホラー映画としての出来不出来よりも、むしろ「信じる/信じない」という都市伝説の根幹に対してどうアプローチしたか、という一点に尽きる。前作で唯一生還した宮崎明日香が、現実世界で「そんなものは存在しない」と切り捨てられ、理解されずに孤独を深めていく。その物語設定自体が、都市伝説というジャンルが抱える“社会的な居場所のなさ”を体現している。
興味深いのは、明日香がただの被害者として萎縮するのではなく、逆に「社会に選ばせる側」へと転じていく構造。つまりこれは怪異に翻弄されるホラーではなく、信じなかった社会そのものに対する静かな復讐譚と言える。しかもその手段が“ネットでのバズ”というのが実に現代的。SNSで流布する一つの動画や噂が、実在しないはずの「駅」を現実の座標としてしまう。その強制的な「信じさせる力」は、まさに都市伝説の拡散装置そのもの。
もちろん、この試みがすべて成功しているわけではない。演出の粗さやB級感、緊迫感の希薄さを批判する声はもっともであり、次もやり直せるかわからない極限状況にもかかわらず、登場人物たちが妙に冷静すぎるという違和感は否めない。実際に「殺される感覚や記憶を残して繰り返す」ような体験をすれば、人間の精神はあっという間に壊れるものと想像できる。その心理的摩耗を描き切れていないのは、本作の限界でもある。
だが一方で、このB級感こそが都市伝説らしさを逆説的に支えていたという見方もできる。完璧に整合性のあるホラーではなく、どこか稚拙で虚構じみた質感だからこそ、観客は「信じたいけど信じきれない」あの独特の境界線に立たされる。ネット掲示板の与太話や不鮮明な心霊写真が、逆にリアリティを帯びてしまうのと同じ。
俳優陣の演技について言えば、本田望結は抑えた表情で「20年前で止まった人間」の異質さを示し、佐藤江梨子は作品全体の落ち着きを担った。しかしやはり光ったのは恒松祐里だろう。彼女が演じた堤春奈は、善意と利己心がせめぎ合う極限状況で最も人間的な弱さをさらけ出し、観客の感情を揺さぶった。彼女の存在がなければ、本作はただの安っぽいホラーに堕していたに違いない。
総じて『きさらぎ駅 Re:』は、前作の延長線で単純に恐怖を強化するのではなく、都市伝説を“社会への返信”として再定義した作品と評価したい。信じてもらえなかった者が、ネットという装置を使い「信じざるを得ない体験」を社会に突きつける。その構図は、怪異そのものよりも、現代の情報社会に潜むリアルな恐怖を映し出している。完成度の粗さを承知の上で、あえて“B級ホラー”として演出したのなら、それはむしろ正解なのだろう。
