ロザリーのレビュー・感想・評価
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ただ愛を求めただけなのに
ロザリーの前向きな姿が清々しいです。特異な外見を武器に使うのは簡単ではありません。でもアベルを助けたいとの思いから強い意志で前に踏み出します。カフェで立ち振る舞う彼女の表情が活きいきして、観る者の気持ちも高揚します。
もちろん彼女も最初からそうであったわけではなく、おびただしいリストカットの跡が痛々しく映ります。
一方アベルにも変化が訪れます。当初は嫌悪と拒絶、売上が増えたら増えたで男の沽券にかかわるからか怒りをあらわにしていましたが、徐々にロザリーの愛情にほだされ、理解を深めていきます。実は彼も戦争で負った大きな傷が背中にあり、娼館でも服を脱がないぐらいに見た目へのコンプレックスは元々持っていたのです。
その後ロザリーは自分が子供を持てない体であることがわかり、さらに養子をもらうことも世間から阻止されてしまいます。子供がどうしても欲しかった彼女にとっては致命的な出来事です。
少数の理解者を除き、村人の多くは異質な存在への嫌悪を強め、付和雷同的に差別行為に加担していきます。
ロザリーのことをわかっている我々観客は彼ら村人に怒りを覚えますが、果たして理解が不足する状況下でデマや同調圧力に惑わされずに判断出来るかと問われると、自分もあまり自信はありません。フェイク情報が溢れる昨今、本質を自ら見極める努力をしないといけないと改めて痛感しました。
ラストは観客に委ねられましたが、泳げないアベルが飛び込んで抱き合う時、ロザリーの幸せに満ちた笑みが見られた気がしました。
村の娘ジャンヌ役の渡辺直美似のアンナ・ビオレは、冷淡な領主役のバンジャマン・ビオレの実の娘。今回父子共演を果たしました。実の母親は女優のキアラ・マストロヤンニ、ということは祖父母はマストロヤンニとドヌーブのスター家系。確かに目力がありました。
群集心理が生み出す恐怖
今週はどうしても観たい作品がなく、「敢えて選ぶなら」とピックアップしたのが本作。米国映画レビューサイトの評価も低くないし、カンヌ出品作品でクィア・パルム賞にノミネートされ、大変話題にもなったとの紹介文を当てにしてサービスデイの新宿武蔵野館へ。10時15分からの回はやや寂しい客入りです。
父(ギュスタブ・ケルベン)に連れられ嫁ぎ先であるアベル(ブノワ・マジメル)の宅へ訪れるロザリー(ナディア・テレスキウィッツ)。口数少ないロザリーは一見醜いわけではなく「何か訳ありか?」と勘繰りつつも、この妻になる女性が自分の停滞気味の暮らしに変化をもたらしてくれることを期待しているアベル。翌日、結婚式を済ませ義父も帰り、いざ初夜を迎えようとしたその時、それまでひた隠しにされてきた「ロザリーの秘密」が明かされます。
二人が暮らすのは小さな田舎町。そしてこの町の産業を支え、事実上の権力者であるバルスラン(バンジャマン・ビオレ)の存在に町人は極力目立たぬよう生きていて、町に活気は感じられません。そんな中に忽然と現れる「異質な存在」であるロザリー。人は未知なるものに好奇心を抱き、また反対に恐怖心をもつ者もいて小さな町は束の間、良くも悪くも浮足立ったような状況になります。そして他の誰よりも戸惑いを隠せないのが「ロザリーの夫」であるアベル。いつまでも息が合わない夫婦の関係性とエスカレートしていくロザリーの選択が、異物排除をもくろむバルスランにきっかけを与えることになるのですが、その際の町人の中で起こる「群衆心理」が実に恐ろしく、比喩ではなく観ていて本当に震えました。
ロザリーのモデルとなったクレマンティーヌ・デレが生きた1870年代の時代感で見れば、むしろ意外性のない人々の言動はしっかりとリアリティがあり、決して「おとぎ話」にはしていません。そのため、終始「こうなればいいのに」に近づくも届かない展開は削られて辛いのですが、だからこそこの作品の「メッセージ」が強く伝わり、身につまされる作品に仕上がっていると思います。
そして何より本作の「重要なテーマ」、終盤に進むにつれて段々と「夫婦」になっていく二人、そして「愛」。ラストシーン、ロザリーが見せる表情に少しだけ救われつつも、その儚さしかないエンディングに涙腺を刺激されて強く印象に残ります。
消極的に選んだのに、結局は観て良かったと思える本作。ナメててごめんなさい。好みの一本でした。
ある意味、神様は彼女の行動をしっかりと見ていて、相応の未来を与えたようにも思えた
2025.5.6 字幕 アップリンク京都
2023年のフランス&ベルギー合作の映画(115分、PG12)
実在の多毛症に人物の人生に着想を得たヒューマンドラマ
監督はステファニー・ディ・ジュースト
脚本はサンドリーヌ・ル・クストゥメル
物語の主人公ロザリーのモデルとなったのはクレマンティーヌ・ドレ、夫アベルのモデルはポール・ドゥレ
物語の舞台は、1870年代のフランス・ブルゴーニュ地方
ある田舎町の職人のもとに嫁いだロザリー(ナディア・テレスキウィッツ)は、先天性の多毛症を患っていて、父ポール(ギュスタヴ・ケルヴェン)にケアされながら、それを隠して生きてきた
嫁ぎ先のアベル(ブノワ・マジメル)は借金苦に陥っていて、ロザリーが持ってくる持参金欲しさに早々に結婚を決めてしまった
その夜、初夜を迎えた二人だったが、アベルはロザリーの異変に気づく
そして、肌けた胸元から大量の体毛を見つけて驚愕した
アベルは「嘘をついた」とロザリーを拒絶するものの、父のもとには帰れない彼女は、近くの納屋にて一夜を過ごすことになった
一夜が明け、友人ジャン(Eugéne Marcuse)が見つけた布切れによってロザリーを見つけたアベルは、仕方なく家に置いておくことになった
だがロザリーは、アベルの元を訪ねてきたジャンとピエール(ギョーム・グイ)の前に現れ、既成事実を広めるかのように「妻だ」と名乗った
その後ロザリーは、開店休業状態のアベルの店を手伝いながら、どうしたら客足が増えるかを考え始める
そして、ロブスター女をパリで見たというピエールに向かって、もっと凄いものがあると息巻く
アベルは嫌われると思っていたが、事のほか好意的に受け入れる人もいて、ピエールは賭けに負けて、恥をかくハメになってしまったのである
映画は、実在の人物のエピソード(ピンナップ、カフェ手伝いなど)に着想を得た物語で、今風に言うと「多様性の受容」と言うものがテーマとなっている
確かに見た目で差別するのは良くないよねとは思うものの、ロザリーの行為の全てが他者が寛容になれるものばかりとは言えなかった
自由に生きようとしているものの、どこか自分勝手な部分があり、さらに人妻と言う立場があるのにも関わらず、ピンナップ写真を撮影し、際どい色物的なものまで作ってしまう
そう言ったものが村を飛び越えて喧伝され、それが自分のもとに帰ってきてしまう
ある意味、自業自得的な部分もあり、養母として相応しい人物かどうかを問われるのはやむなしのように思える
また、アベルの気持ちとか社会的な立場というものをほとんど考えておらず、対話というものがないままに自分の思う通りのことを行なっていく
当初は借金を返すまでの限定的なものだと思っていたアベルだったが、ロザリーの行動はエスカレートしていく
家族の恥という概念が拭えないまま月日が過ぎ、それは村の恥とまで思われてしまうようになる
閉鎖的な村の中で受け入れられても、都会などに知れ渡ることは村人の不利益にも繋がってしまう
結局は、ロザリーの抑圧された承認欲求のようなものが爆発して地雷を踏んだという感じになっていて、それでもロザリー自身は自分に非がないと感じているように思える
ラストでは、父親が彼女の髭を剃り落とし、それを不寛容だと感じて入水自殺を試みる
結構な「かまってちゃんっぽい部分があった」ので個人的には無理だなと思ったのだが、どうしてここまで他人の気持ちに歩み寄ろうとしないのかは不思議だった
いずれにせよ、差別や偏見のない世界というのは良いと思うのだが、その前に人としての礼節とか、振る舞いとか、他者への思いやりというものは必要であるように思う
無駄に敵を増やすような行動をして、相手の尊厳を踏み躙ろうとするから反発を喰らう
ピエールがロザリーを受け入れない理由は「怪物だ」という表向きの部分と、彼の恩人であるアベルに対する敬意のなさというものもあったと思う
そんなアベルもピエールの想いを感じることができずに攻撃的になってしまうので、行き着く先はひとつしかない
そう言った意味において、なぜロザリーが自由に自分らしく生きることができなかったのかを考えることが、この手の問題に蔓延る根深い部分の理解に繋がるのかな、と感じた
Official髭unfeminism
「隠さなければいいじゃない」のコピーから、もっとポジティブな力で進んでくと思ってました。
とりあえず、髭を伸ばすまでが長い。
そして、そこも含めて何度かある大きな転換点でも演出がずっとフラット。
画面も終始暗いし、抑揚がないため非常に単調に感じた。
アベルの心境変化もほぼ理解できず。
最初拒絶したけど放り出さず、ぬるっと態度が軟化し、かと思えば激昂し、最後は愛に目覚める。
性的なことも忌避していたのに、寝込みに脚を撫で、後ろから手で致され、でも本番は受け入れない。
大きなイベントが必須とは言わないけど、変遷があまりにも掴めなかった。
初めて結ばれた時の、一回別れた後に戻ってきて、扉を開けたとこで切るのは好き。
(結局ベッドシーン入れたのは余計だけど)
ロザリーもなんだか情緒不安定で、強くなったり弱くなったり。
バルスランがあそこまでするのはまだしも、村人の暴走を止めたのも彼ってのは違和感があった。
(まぁ他に止められるキャラもいないのだが)
最後は悲嘆から飛び込み入水するも、アベルの愛があるからオールオッケー?
ラストシーケンス前から一切状況は変わってないし、ハッピーでもバッドでもない半端な幕切れ。
悪い意味で「フランス映画だなぁ」という印象。
主演のナディア・テレスキウィッツが魅力的
差別感情ヤバ…。
ナディア・テレスキウィッツの演技が良い
150年前にフランスで実在した女性をモデルにしたお話し。
主演のナディア・テレスキウィッツの演技が良いです。
「私がやりました」でW主演の一人でしたが、素敵だ思っていました。
物語は、前半は主人公の開き直りもあって前向きに明るく進みますが、後半は雰囲気が暗転して息苦しいまま、エンディングを迎えてしまいます。
悲劇的なエンディングを観て、150年前のフランスの片田舎と、現代の情報化社会を比べて、人類はどれだけ進歩したのかを疑問に感じてしまいました。
ちょっと予想したものとは違った
こわした固定観念は姿形だけじゃなかったから、既成の価値観を固守する者たちから…
「グレイテスト・ショーマン」の「ひげのマダム」のモデルが、クレマンティーヌ・デレという女性。
その同じ女性に着想を得て、ステファニー・ディ・ジュースト監督がこの映画をつくった。
女性はこうあらねばならぬ、という固定観念。
姿形も、言動も。
その観念は、監督が舞台として設定した1875年という時代(日本でいえば明治8年)、女性の生き方を強烈に縛っていたに違いない。
ロザリー(ナディア・テレスキウィッツ)はずっと、自分の多毛を気にしていて(原因はホルモンらしい)、
夜は悪夢を見る毎日を過ごしてきた。
父親がかろうじて見つけてきた嫁ぎ先も、
営むカフェの借金返済に苦しむ中年男アベル(ブノワ・マジメル)。
ロザリーは、借金返済の足しになればと、自分を「見世物」にすることを思い立つ。
アベルは、おそらくほとんどは自分の世間体から、もしかしたら若干はロザリーに対する思いやりから、それに反対するんだが、
それでも押して決行すると、店は大繁盛。
ロザリーは人気者になる。
さらには、悪夢から解放される。
そして図らずも、固定観念を破ることになる。
姿形だけでなく、言動も。
ここで終われば万々歳だったんだが、
これを面白く思わない奴等がいて。
しかもアベルも複雑な心境で。
ここまでは、いい。
でもその後の展開、ちょっと可哀想すぎやしませんか?>監督さん。
だって、モデルとなったご本人は、1865年から1939年まで、生きてるんですよ。
日本でいえば、明治維新前、慶応元年生まれで、昭和14年まで生きたということですよ。
いやきっと、××ないアベルが××だことで、
ロザリーも××たんでしょう。
と、思いたい。
それでも人生は続いていくのだ
人には元来「誰かの役に立ちたい」という願望があるらしい。人のためになることがおのれの「存在価値」を見出す術なのかもしれない。
良心も野次馬根性も持ち合わせているのが人間。憎らしい相手でも同じ村で生きていくしかなければやがては認め合う。
家族になれば時に諍いもあるけれど、朝が来ればそれぞれの役割りをこなす日々が始まる。
ラストシーンは、終わりではなくて次の始まりのキズナを結ぶ場面。
久しぶりにフランス映画らしいフランス映画を見た気がするけど、私自身の経験値が上がったせいか物の見方が変化したことを確信できる作品だった。
ちょっと調子にのりました。
多毛症の女性と、それを知らずに結婚し葛藤する夫の話。
村の有力者で工場の経営者から借金をしてカフェを経営する男アベルのもとに、多毛症であることを隠したロザリーが嫁いで巻き起こっていくストーリー。
多毛症といってもちょっと毛深めの男性ぐらいの感じのロザリー。
同情なのか世間体なのか一度は拒絶したけれど連れ戻したアベル。
そしてロザリーはアベルの為にが解放に変わりという展開で、2人の葛藤や距離感はなかなか良かったけれど、経営者の権威をみせつけられる様子にこれはどう落とすんでしょ?という感じに…。
途中からアベルの機微がメインになるし、2人の関係には変化があったけれど、それ以外のところには特に変化がみられず、そういう意味ではこの村でまともな収入を得て暮らしていくことは出来ないですよね?
ということでカタルシスを感じられず、かといって絶望でもなく中途半端に感じた。
この時代に生まれた悲劇。
1870年のフランス、多毛症を隠し悩みながらも荷馬車に揺られながら、田舎町でカフェを営む結婚相手アベルの元へ向かうロザリーの話。
挙式後からある夜ロザリーを抱こうとするアベルだが、服を脱がし彼女の体毛を見て困惑するアベルだが…。
顔があれだけキレイで服を脱がしたら…、アベルのリアクションになるでしょうね、気持ちも萎えるだろうし。ヒゲ、体毛を知りロザリーとは距離を置くアベルだけど、カフェに来る客への振る舞い、アベルの借金返済の為とコンプレックスのヒゲをネタに金を掛けたりと彼女なり尽くす姿が印象的。
現代の話なら脱毛サロン行けばOKな話だけど1870年代じゃって感じですかね。ヒゲなし体毛なしの彼女のバディが見たかったかな。
約100人部屋を1人貸切で得した気分でした!
実在の女性をモデルにした映画
多毛症の女性が、そのことを隠すことなく、前向きに生きる物語‥‥、幸せ要素多めのストーリーかと思ったら、周囲から興味本位の目を向けられたり、虐げられたり、やっぱりつらい話ではないか‥‥
映画を見終わった後もしばらく涙を流してしまった。
理解してくれる人(夫)だけに愛されたら、それでいいじゃないの、周囲から敢えて目立つことはせずに生活したらいいじゃないの、とも思ったのですが、彼女は、無条件に愛されたいし、自分のことも無条件に愛したかったから、正直に生きたかったのでしょうね。
俳優たちの演技が良かったです。ラストの水中シーン、悲しいけれど、美しかった‥
ハンデにも負けず健気に頑張る!
先天的多毛症という女性が、持参金目当てに結婚した夫との間に生まれる感情を描くストーリー 。
多毛で、すぐにしっかりとしたヒゲが蓄えられてしまうというハンデを負った主人公。
19世紀のフランスじゃあ、このハンデはキツイ。
獣扱いというか、不浄というか…
ただ、(気にしてはいるものの)出来るだけ明るく振舞おうと頑張るヒロインの健気さが、もう…
そんな彼女と接するうちに、変化していく夫の心情が描かれている。
けどね、彼女のキュートな表情やファッション、“ヒゲ”のアクセントすらもだんだん可愛くみえてくる。
見ながら、ヒロインに思わずエールを送ってしまう。
…ハンデにも負けず健気に頑張る、この構図、どこかで見たような…
そう、これは少女マンガの王道でした !
彼女が握りしめ信仰している〈聖ヴィルゲフォルティス〉って誰だろう?
調べてみたら、
聖ウィルゲフォルティスは父親に急き立てられたイスラム王との望まない結婚を避けるため、純潔の誓いを立て、自身の美しさが失われるよう祈ったと伝えられている。
奇跡的に彼女の顔からひげが生えたことで婚約は破棄され、彼女の父親は十字架上に磔にしたという。
そんな背景を持つ、ヒゲの女性の聖人だったのね。
ひたむきに愛を求めた一人の女性の物語。凄く良かったです。
試写会にて一足先に見せて頂きました。
すごく良かったです!何より主人公ロザリーが魅力的。夫役のブノワ・マジメルは流石名優、繊細な演技でした。
多毛症で髭の生えた実在の女性の自叙伝を元に作られたと聞いて差別や偏見と闘う映画かなと思いましたが、これは一生懸命に愛を得ようとした一人の女性の物語であり、夫婦の素敵なラブストーリーでしたね。
生まれつき多毛症のロザリー。父と二人で隠れるようにして生きてきたが田舎町のカフェ店主アベルと結婚することになる。ロザリーは髭を剃り病気を隠したまま結婚。一方アベルは借金まみれで持参金目当てでロザリーと結婚。ロザリーの秘密は初めての夜にばれ、アベルはロザリーを拒絶する。
一方のアベルの秘密もしばらくしてロザリーは知ることとなりカフェに客を呼ぶため自分の髭を利用することを思いつく。夫は反対するがこのままでは住む家も無くなると決行。意外なことに髭のロザリーは村人に受け入れられ店は大繁盛、ロザリーに友達もできる。ロザリーが明るく自然なのが素敵だ。
アベルは徐々にロザリーの純粋で真摯な愛に次第に魅かれて行ったが依然として彼女を受け入れられないでいた。ロザリーは拒絶されたままで辛い思いをしているが、一方で生まれて初めて髭を隠す必要もなくなり本当の自由を得たロザリーは幸せも感じていた。
2人は順調に借金を返済したがそれを気に食わないものがいた。借金の形に店を取り上げるつもりでいた領主である。差別的な態度と言葉をロザリーに浴びせ、ロザリーが男だというデマを流す。デマは次第に村人に変化を与え皆がロザリーを避けるようになる。孤立するロザリーをこれまで彼女を拒絶してきたアベルがかばう。二人の愛の行方は如何に……?ロザリーは愛を幸せを掴めるのか?
この映画の本質は差別や偏見と闘う話ではない。切ないまでに愛を得ようとした一人の女性の物話であり、夫婦の愛の物語である。すごく良い映画でした。二人のお互いを思いあう姿が素敵でした。名優ブノワ・マジメルの繊細にして重厚な演技は見事でした。ロザリーはとても魅力的に演じられていて村人に受け入れられたことに違和感が無くとても素敵でした。
愛に生きた人
髪の色に合う青いドレスに青い花の髪飾り。
彼女は自分に似合うおしゃれを知っててとてもキレイな人。
価値観は住む場所によって全く変わるんだから、違う場所に旅に出ても良かったかもしれないけど、この場所で彼に認められたかったんだろな。
他人は変えられないから、自分を変えて生きてたけど、自分らしくいられる場所を見つけたと思って頑張ってみたのに、やっぱり他人は変わらなかった。
価値観を変えられるのは自分だけ。
そして変化を望まないタイプの人は、彼女によって変えられた村が嫌で彼女への憎悪は日々増幅していくのがしんどかった。
彼女が子どもが欲しいと思った理由が忘れられない。
愛を求めて愛のために生きる人だった。
彼に愛されますように、の祈りが沁みる。
自分の運命を受け入れてありのままに生きていく。
全21件中、1~20件目を表示
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