ノスフェラトゥのレビュー・感想・評価
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劇場で観てこそ没入できる
ドラキュラといえば性欲のメタファーで、それを分かる人には分かる絶妙さで描くのが80年代以降のバンパイア映画だった。
しかし本作は実にストレート。「悪鬼の狙いは少女との性交」「少女は抗いながらも、密かにそれを求める」と真正面から描いている。要するに、大人のバンパイア映画。
本作のノスフェラトゥは過去の伯爵達と異なり、スタイリッシュでも美男子でもない。男性の醜さと荒々しさを凝縮したような外見で、しかし放つ言葉には凄みがあり、どこかカリスマ的である。
美しいのは人間側で、なんと言ってもニコラス・ホルトにアーロン・テイラー・ジョンソン。「Xメン」のヒーロー2人が醜い悪に追い詰められるのも現代的だ。
しかし、どうしてこうキリスト教の悪魔というのは圧倒的なのだろう。存在するだけであらゆる厄災をもたらし、銃火器では倒せない。本作のノスフェラトゥも「こんなやつにどうやって勝つんだ」と思わせてくれる。
中盤までは正直、冗長さを感じる部分もある。
しかし終盤、最終決戦に挑む盛り上がりは半端ない。主人公の少女は憑依されて周囲を振り回すが、彼女は自らの劣情に自覚的だった。そこが本作の秀逸なところだったと思う。
ホラー映画史に燦然と輝く大傑作をロバート・エガース監督が全身全霊を込めて2度目のリメイク
オリジナルのF.W.ムルナウ監督『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)に幼少の頃から惚れ込んだ監督が満を持して取り組んだだけあって、素晴らしい格調の高さと風格を備えた秀作だと思います
さすが今年の第97回アカデミー賞の美術や衣装デザイン部門など4部門でオスカーノミネーションを受けただけあって納得の映像美、隅々までこだわりを感じる画力が素晴らしく見ごたえがありました
が、元々本作のオリジナル版は ブラム・ストーカー氏の名著『ドラキュラ』(1897)をムルナウ監督が無断で映像化し著作権侵害で訴えられた曰く付きの作品、なので大筋は『ドラキュラ』と同じとのことですが、それを大昔の学生時代に読んだっきりなので記憶になく、よって本作もストーリーが分かりづらく入り込めず、やや冗長で退屈に感じる事もありました
キャスティングも実力派で有名どころが揃っているので見ごたえがありましたが、リリー=ローズ・デップさんのルックが個人的にはとても気持ち悪くて、特に魔物が憑依した様になる役には完璧にフィットしていて益々不気味だった
その憑依したりするくだりを観ていて『エクソシスト』(1973)を思い出したりもしました、あれって元ネタなのかな?
豪華キャストと美術&衣装で蘇ったゴシック・ホラーの古典的名作
【イントロダクション】
ブラム・ストーカー原作の怪奇小説『吸血鬼ドラキュラ』を非公式に映画化した、F・W・ムルナウ監督による1922年の『吸血鬼ノスフェラトゥ』のリメイク。
ノスフェラトゥことオルロック伯爵を『IT/イット “それ”が見えたら、終わり』(2017)のビル・スカルスガルドが演じる。その他キャストに、ニコラス・ホルト、リリー=ローズ・デップ、アーロン・テイラー=ジョンソン、ウィレム・デフォー。
監督・脚本は『ウィッチ』(2015)、『ライトハウス』(2019)のロバート・エガース。
【ストーリー】
ある夜、エレンという1人の少女が天使や精霊へと祈りを捧げていた。しかし、彼女の祈りに応えたのは、邪悪な悪魔の眷属である吸血鬼ノスフェラトゥであった。少女はノスフェラトゥの邪悪な力に抗えず、彼と契約を交わしてしまうのだった。
1838年、北ドイツの港町ヴィスボルグ。エレン(リリー=ローズ・デップ)は成長し、不動産屋に務める夫・トーマス(ニコラス・ホルト)と幸せな新婚生活を送っていた。トーマスに出会うまで度々襲われていた悪夢、鬱病にも似た症状は鳴りを顰め、新しい生活は順風満帆かに思われた。
トーマスは勤務している不動産屋の主人であるノック(サイモン・マクバーニー)から、ドイツへの移住を希望するトランシルヴァニアにある古城の貴族・オルロック伯爵へ契約書を渡しに行くよう命じられる。ノックはオルロックの忠実な部下であり、彼がドイツへやって来る手筈を整えていたのだ。
トーマスは旅を不安視するエレンを親友であるフリードリヒ(アーロン・テイラー=ジョンソン)とアンナ(エマ・コリン)夫妻の元へ預け、単身で伯爵への城へと向かう。長旅の道中、宿を求めて立ち寄ったジプシーの集落で、トーマスは「あの城へ行ってはならない」という不吉な忠告を受ける。夜、トーマスが目を覚ますと人々が処女を生贄に捧げに森へと赴き、墓場に埋葬された遺体に杭を刺すという夢か現実か分からない奇妙な出来事に遭遇する。
翌朝、目を覚ましたトーマスが外に出ると、集落はもぬけの殻となり、乗ってきた馬も居なくなってしまった。トーマスは疲労困憊となりながらも徒歩で野を越え山を越え、夜の森でオルロックが寄越した馬車に乗り、何とか古城へと辿り着いた。オルロック伯爵(ビル・スカルスガルド)はトーマスを迎え入れ、彼が到着するや否や深夜にも関わらず契約の手続きを進める。オルロックや城の様子に唯ならぬ雰囲気を感じながらも、トーマスは契約書にサインしてしまう。
トーマスが目を覚ますと、城には誰も居らず、首元には奇妙が噛み傷が残されていた。城の地下室へと辿り着いたトーマスは、荘厳な作りの石製の棺を発見する。棺を開けると、腐りはじめつつも殆ど人の形を留めたままのオルロックの遺体を目にする。集落での出来事を思い出し、トーマスは遺体に斧を突き立てようとするが、目覚めたオルロックに阻まれてしまう。
トーマスは崖から転落するも運良く川に流され、修道女に発見されて手当てを受ける。まだ十分に回復していないにも拘らず、トーマスはエレンの身にオルロックの魔手が伸びている事を察知し、ヴィスボルグへの帰還を急ぐ。
ドイツへ向かう帆船の貨物室にはオルロックの棺が積み込まれており、船内ではペストが蔓延し、乗組員が次々と命を落としていた。オルロックは疫病と共にドイツを目指し、エレンと交わろうとしていたのだ。
【感想】
20世紀を代表する古典的ホラーの名作を、現代技術と豪華キャスト陣で甦らせた非常に贅沢な作りのゴシック・ホラー。影の表現が秀逸だったムルナウ版を踏襲して、本作でも影による恐怖演出が随所に盛り込まれている。また、暗い画面の中で人物の顔の半分や小物の僅かなディテールが浮かび上がって画面を構成しているという、“黒”を効果的に用いた画作りもシックでオシャレ。
作中でも“吸血鬼”を指し示す呼び名は、彼の本名である“オルロック”の他に、“ノスフェラトゥ(ルーマニア語に由来するとされているが、諸説あり)”、“ヴァンパイア”と様々であるが、「悪魔の眷属であり、生き血を吸う怪物」という設定は、ムルナウ版含め多くの吸血鬼作品と共通している基本設定である。
また、吸血鬼は「家主、または住人から招き入れてもらわなければ(本作ではエレナが夜に窓を開ける)家に入れない」という設定、「朝日を浴びると死ぬ」という弱点、その為「朝には自身が埋葬された土(棺)に戻らなければならない」という吸血鬼作品によっては適応されない場合のある、しかし王道な設定も数々取り入れられている。
反面、十字架やにんにく、白木(ホワイトアッシュ)の杭、銀の弾丸(これは狼男の退治にも用いられる)といった吸血鬼退治の有効物質が本作のノスフェラトゥに対して有効かは定かではない。
ノスフェラトゥ役のビル・スカルスガルドの特殊メイクが素晴らしく、作品を鑑賞しただけではエンドクレジットを確認するまで彼と分からないほど。役作りの為に減量もしたそうで、強大で邪悪ながら細身の大男という不気味な出立ちは見る者を圧倒する。
そんなノスフェラトゥへの対抗策を知る、ウィレム・デフォー演じるフランツ教授もまた魅力的だった。錬金術や神秘主義といったオカルトに精通するがあまり、学会の異端児として追放された哲学者ながら、その特異性がエレンとオルロックの繋がりを見破り、クライマックスの対処法に至るまで様々な活躍を見せてくれる。
また、フリードリヒ役のアーロン・テイラー=ジョンソンも輝きを放っており、オカルトを否定する現実主義者としてトーマスやエレンと衝突しつつ、妻と2人の娘をノスフェラトゥに奪われるという悲劇性も見事に演じてみせた。
忘れてはならない影の主役が、ペストを蔓延させるネズミである。実際に5000匹ものネズミを用いて撮影されたという、ドイツ社会の崩壊していく様子は素晴らしい出来だった。
物語自体は基本的にムルナウ版に忠実に、ディテールを細かく描ける部分は要素を付け加えと、新しさより名作を如何に現代に甦らせるかに注力している。その為、物語としての新鮮味は薄く、またエレンの祈りが意図せずノスフェラトゥを復活させ、エレンの犠牲によって世界が救われるという本作ならではの構図は、エレンとノスフェラトゥの繋がりを強化して物語に組み込ませた手腕を理解した上でも、若干の「尻拭い感」を感じさせる。
元々が100年以上も前の作品の為、現代でそれを忠実に再び描くとどうしても無理が生じてきてしまうのだろうが、宗教的な側面やノスフェラトゥを巡る様々な設定含め、もう少し現代的なアップロードを試みても良かったのではないかと感じる。
私はロバート・エガース監督作品は初鑑賞だったのだが、どうもファンによると偉大な作品のリメイクというプレッシャーからか、監督の作家性は十分には発揮されていなかった様子で、そうしたプレッシャー抜きに自由に作家性を発揮していたらどんな作品になったのか気になるところ。
また、ホラー作品だから仕方ないが、ジャンプスケアに頼った演出は、荘厳なゴシック・ホラーには少々似つかわしくないようにも感じられた。
【総評】
古典的名作ホラーを、豪華なキャストと拘りを持って再現された19世紀ドイツの美術や衣装で荘厳な雰囲気ある一流のゴシック・ホラーとして甦らせた手腕に拍手。
物語的な新鮮味には乏しいが、アカデミー賞でも撮影賞、美術賞、衣装デザイン賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞にノミネート(いずれも受賞は逃したが)された本作は、劇場で味わってこそだろう。日本では上映館数が非常に少ないのは勿体ない。
ゴシックホラーの力作
残念。映像美はまあまあ
素晴らしい世界観なのに凡庸
愛の犠牲が悪を滅ぼす
『F・W・ムルナウ』の〔吸血鬼ノスフェラトゥ(1922年)〕のリメイク。
同作には『ヴェルナー・ヘルツォーク』による1979年のリメイク版があり、
自分はこれを「東京ドイツ文化センター」で1983年に観ている。
「ヴェルナー・ヘルツォーク回顧展」だが、
主演の『クラウス・キンスキー』のあまりのはまり役に加え、
ヒロインは撮影当時24歳の『イザベル・アジャーニ』。
息を飲むほどの美しさを観たい故だろう、
同イベントでは、他作品よりも真っ先にチケットが売り切れていた記憶。
直近の
やたら血しぶきが飛び散る{スプラッター}や
ありえない場所からモンスターや殺人鬼が出て来る
鬼面人を驚かす{ホラー}とは
かなり毛色の異なる{ゴシックホラー}。
原典のストーリーや雰囲気を忠実になぞることで、
懐かしくも恐ろしい気配に満ちた一本に仕上げている。
とりわけ影を使った演出が秀逸。
カーテンに「ノスフェラトゥ」の影は映っても、
風で翻った場所に実体はいない。
精神的にちりちりとした恐怖に
身が縮む感覚。
とは言え、そもそもの設定に新しさが無いことへの不満はある。
合理的な考え方で神秘を認めようとしない
『フリードリヒ(アーロン・テイラー=ジョンソン)』の存在くらいか。
〔ドラキュラ(1979年)〕での伯爵は、
陽が当たらない場所なら昼間でも平気で行動し、
信心を持たぬ者が持つ十字架など、
反対に燃やしてしまう強靭さが新機軸。
どうやって対峙するのだろうとの期待が
今までにないサスペンスを生んだ。
翻って本作での魔物は
オールドスタイルの「ノスフェラトゥ」。
退治の方法は分かり易い。
なので、カテゴリーらしい、
美醜やロマンスと怪奇をどのように盛り込むかがミソ。
チェコでロケされたと聞く、寒々しく陰鬱な景色。
1800年代半ばのドイツの街の猥雑な喧噪。
伯爵が住む、荘厳ではあるものの
廃墟のような城の佇まい。
モノクロに近い色味ながら
何れも美しい。
聖女の献身を見せる『エレン』。
最後は欲に溺れ、自分を見失ってしまう『オルロック伯爵』。
共に孤独な故に結び付いた関係性は
忌まわしくも悲しい。
とりわけ、後者で尊大さや孤高の中に、
寂寥を感じさせた『ビル・スカルスガルド』の演技は特筆もの。
前者の『リリー=ローズ・デップ』も
白眼を剥き、四肢を震わせ麻痺をする力演は遜色なし。
が、ヒロインの美しさの面では
どうしても先作の『イザベル・アジャーニ』と引き比べてしまう。
勿論、記憶が美化をしているかもだが。
映像の美しさしか良い所が...
パンフレットより抜粋↓
「ロバート・エガース監督は、当時の建物や衣装など細部まで“本物”にこだわり抜き、そのリアルさは第97回アカデミー賞®で撮影賞、美術賞、衣装デザイン賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞の4部門にノミネートされた。」
上記触れ込み通り、衣装や調度品、建築などのアイテムが本当に素敵で、
映像の迫力と美しさが際立っていた。
ただ、自分が見いだせた良い所はそれくらいだった。。
まず、ジャンプスケアって言うのかな?
怖い顔とともに爆音「ドーン!!」でびっくりさせるシーンが結構多くてうんざり。
鑑賞することにエネルギーを使わされた割には、
ストーリーの盛り上がりどころが分かりづらく、
ヒステリックなヒロイン(ノスフェラトゥ憑依時ではなく素の状態込みで)にも共感しづらいので、
鑑賞後に得るものがスカスカという印象。
アイテムと映像の美しさで大きく加点して、☆3という感じ。
雰囲気は抜群にいいのに…
ホラーは苦手なのですが、予告の雰囲気に惹かれ、ゴシックホラーなら多少マイルドな描写なのではないかと思い、公開初日に鑑賞してきました。
ストーリーは、不動産業者トーマス・ハッターが、老朽化した城の売却をしたいという大口契約のため、遠方に暮らすオルロック伯爵のもとに商談に向かい、そこで恐ろしい目に遭う一方、残された妻エレンは不安から夫の友人宅で過ごしていたが、彼女もまた悪夢にうなされるようになるというもの。
ホラーではありますが、とりあえず思ったほど怖くなくてホッとしました。冒頭のジャンプスケアがいちばん怖かったかもしれません。ゴシックホラーとしても、雰囲気たっぷりの演出やエレンの妖しく美しい魅力が花を添えています。中でも、影の演出が印象的で、カーテンに映る実体のない影、街を飲み込むように伸びていく影など、登場人物や観客の心のざわつきを情景描写で巧みに演出しています。
こんな感じで雰囲気は抜群にいいのに、残念ながらストーリーにはいまひとつ惹きつけられません。終始絵面が暗いのは物語の性質上しかたないのですが、誰が何をしているのかがよくわからず、夢と幻覚と現実の境界線も曖昧で、少々わかりにくかったです。加えて、抽象的で説明的なセリフの多さに撃沈してしまいました。
仕事帰りに「ガール・ウィズ・ニードル」に続けてのハシゴ鑑賞であったため、集中力が持続しなかったせいもありますが、イマイチ乗れなかったのは残念です。機会があれば、きちんと覚醒しているときに改めて観たいと思います。
キャストは、ビル・スカルスガルド、ニコラス・ホルト、リリー=ローズ・デップ、アーロン・テイラー=ジョンソン、エマ・コリン、ウィレム・デフォーら。
劇場を選ぶ?
正直期待外れ。面白くありませんでした。
「ウイッチ」「ノースマン」のロバート・エガーズ監督による吸血鬼映画ということで大変期待をしていたのだが。
そもそもこの作品は1922年のドイツ映画のリメイクで、ブラム・ストーカーの原作を下敷きにはしているものの、その後、ハリウッドで量産されたドラキュラものとは系統が異なる。だから魔物の属性としてはヴァンパイアではなくノスフェラトゥ(病災という意味に近いらしい)だし、ドラキュラ伯爵ではなくオルロック伯爵と個人名はつけられている。折角、美男俳優を使いながら耽美的印象はゼロで魔人っぽいというか牛鬼みたいでカッコ悪い。
22年版は観ていないのだが、資料にあたった限りでは「カリガリ博士」などと同様、表現主義の作品である。要するに、人間の内面にあるもの、特にこの作品の場合は「不安」ということになるのだろうか、を映像で表現(サイレントなので音声はない)した映画である。この「不安」の背景には西ヨーロッパや北ヨーロッパの人が抱いている東欧への恐怖感がある。伝染病、シオニズム、異端者、流民なと。だから光と影、おどろおどろしいセット、恐怖、驚愕に歪む役者の表情などが強調される。それらの手法がホラー映画の嚆矢としても位置づけられる作品でもある。
繰り返しになるが22年版は観ていない。でも筋書きを読んだ限りでは本作はかなり忠実に再現をしているようにみえる。でも、100年前の映画をかたちだけなぞってそれが面白いはずがあるか?と思ってしまう。この100年の間に、映画作品は、人を怖がらせるだけでなく、不安にさせる、不穏な状況を印象づける様々なテクニックを積み上げてきた。私はあまりホラーは詳しくはないが、例えばこの作品でも「シャイニング」を思い起こす様なシーンがあったりする。積み重ねで映画は発展してきた。だから無意識に模倣したりするわけだ。じゃああなたも自分の作品で何か新しいアイデアなり表現に挑戦してみなさいよ、後進に何か残しなさいよと私は思うわけでそこが何もこの作品では感じられなかった。
全編、モノクロと思ってました。
技法の宝庫
「ウィッチ」に始まり、「ライトハウス」や「ノースマン 導かれし復讐者」といった作品群が一部のカルト・ファンから狂信的な支持を得ているエガース監督がまたまたとんでもない怪作を生み出してきました。
映画史に名を残している傑作「吸血鬼ノスフェラトゥ」をオリジナルの解釈を加えて完全リメイク。
これまたカルト映画の仲間入りが確定しそうな作品となっておりました。
基になった映画自体は「吸血鬼ドラキュラ」の原作者に許可を得ず、F.W.ムルナウがドイツで監督した非公式作品。
要するに二次創作です。
それも完コピに近い代物なので、著作権侵害で訴えられた曰く付き代物なんですが、言わずもがな破棄されず残ったフィルムにより最初の吸血鬼映画としてだけでなく、表現方法の宝庫としての価値を見出された作品として君臨し、今に至ります。
そんな作品が基なので、エガース監督もあらゆる媒体を作品の表現に活用。
白黒を彷彿とさせる発色を抑えた映像は勿論、音や影を使って様々な効果を生み出しておりました。
音では部屋を去る伯爵の足音と閉まる扉の音だけで部屋に残されたトーマスの不安を煽っておりましたし、子供部屋から聞こえてくる子供たちの泣き叫ぶ悲鳴だけで母親に恐怖と絶望を与えておりました。
無声映画のオリジナルでは出来なかった表現方法を巧みに活用して空間的な広がりを演出しておりました。
影の演出はもっと明確で、姿はないがカーテンに浮かび上がる伯爵の影だけで存在を表現したり、手の影だけで扉を開ける演出に用いたりと様々な形で影を利用していました。
特に夜の街を蹂躙していく手の影は秀逸です。
この影の演出もまた、フィルム感度の問題で夜間に撮影ができず、真昼間を夜として描いていたオリジナルでは出来なかった演出のひとつです。
この様に映画製作の面で発見する楽しみに充ちている作品。
ホラーとしては怖い演出が少なく、物語としてもオリジナルの域を出ていないといった問題点を抱えてはおりますが、カルト映画として熱を帯びてくる要素は多分に含んだ作品だと感じました。
ずっと盛り上がらない
2025年劇場鑑賞148本目。
エンドロール後映像無し。
ノスフェラトゥにウィレム・デフォーが出ると聞いて、あれ?と思ったのですが、2001年にシャドウ・オブ・ヴァンパイアで1922年の映画のノスフェラトゥ役の役者を演じるというややこしいことになってます。2000年に1922年の映画を全力で再現している怪作となっていて、印象が強いのですが、その印象が強すぎるのもあってこの映画いまいち・・・。ちなみにデフォーはドラキュラでいうヘルシング教授の立ち位置の役ですが、なんか頼りになりそうで全然頼りにならない・・・。あなたハゲヅラかぶるだけでノーメイクでノスフェラトゥいけるんだからそっちやらせてもらいなさいって。
そもそもオリジナルがドラキュラの雑なパクリで、原作者のブラム・ストーカーにしっかり訴訟起こされてしっかり敗訴してしっかりオリジナルネガ全焼却処分されているというそっちのやり取り映画にした方が面白いのできたのでは?と思いました。
とにかくずっと面白くなく、怖くもないしエロに振り切れてもないし(吸血行為が性行為のメタファーとする作品も多い)何より最後の展開がそうならないよう全力を尽くすから面白いんじゃないの?
体当たり演技
ゴシックホラー、満足。
70点ぐらい。リリー=ローズ・デップ
1922年作『吸血鬼ノスフェラトゥ』のリメイクってことですが、1979年にも『ノスフェラトゥ』としてリメイクされてるんですよね。
今回で、2回目のリメイク、トータル3作目、だと思うけど、僕は1922年のオリジナルしか観てません。
シンプルでオシャレな1922年作オリジナルが好きで、待ち受けにしてたぐらいなので、このリメイクは不安だったんだけど、それなりに楽しめました。
別モノになってるけど、コレはコレでって感じ(笑)
シンプルな1922年作オリジナルの方がいい(笑)
1922年のオリジナルが久しぶりに観たくなったのと、まだ観れてない1979年の初リメイク作も観なくては…
本作は、リリー=ローズ・デップがハマってまして、白目むくわ、ヨダレたらすわ、女を捨てたような怪演、彼女の覚悟や役者魂を感じた。
ルーマニアが舞台なので、ゲーム『バイオハザード ヴィレッジ』みたいな風景が出てきて、おお!と思いました(笑)
好みの問題でネガティブっぽいことも書いたけど、ゴシックホラーとしては完成度が高いです。
迷ったら観ても損しないと思います。
全64件中、41~60件目を表示













