ノスフェラトゥのレビュー・感想・評価
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古典のリメイクとしては上出来だが、オカルトホラーとしては物足りない
モノクロとカラーの画面を巧みに切り替えることによって作り出された陰影に富んだ映像と、怪奇映画らしい幻想的でオドロオドロしい雰囲気は存分に楽しめる。
ただし、堪能できるのは「雰囲気」だけで、まったくと言っていいほど「恐怖」を感じることができなかったのは、オカルトホラーとして致命的だろう。
そもそも、グロテスクな老人然としているノスフェラトゥには、女性を惑わす「魔人」としての魅力がないし、悪夢を見させたり、催眠術のような能力で人を操ったり、ネズミを使ってペストを流行らせたりするだけで、どうやってもコイツは倒せないと思わせるような手ごわさが感じられないのは、物足りないとしか言いようがない。
結局、ヒロインが、自ら進んでノスフェラトゥを受け入れなければならなかったのであれば、彼女の夫が、遠路はるばる契約を結びに行く必要はなかったのではないかとも思えてしまう。
ヒロインが、自己を犠牲にしてノスフェラトゥを滅ぼすラストにしても、元々、ノスフェラトゥを長い眠りから呼び覚ましたのは彼女だし、自分で蒔いた種を、自分で刈り取っただけなので、それほど評価されることのようにも思えない。
何よりも気の毒なのは、主人公の夫婦を献身的に支えてくれた友人の夫婦とその子供たちで、一家4人が全滅の憂き目に遭うというのは、余りにも救いがないし、その必要性はあったのだろうかという疑問も残る。
古典を現代に蘇らせることには、それなりの意義があるのだろうが、その上で、現代の観客を満足させることの「限界」のようなものも感じてしまった一作であった。
邪悪な吸血鬼が淫靡な世界に誘う・・・
いつもの悪い癖が出て冒頭部分を見逃してしまったため、解釈に誤りがあるかもしれませんがご了承願います。
さて本作品ですが、吸血鬼と言うとドラキュラ伯爵が頭に浮かび、紳士的なイメージがあるのですが、「ノスフェラトゥ」は、まさにモンスターでした。
ブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ」を非公式に映画化した「吸血鬼ノスフェラトゥ」のリメイクということで、やっぱりちょっと趣が違うんですかね。
なにしろ生々しいと言う印象を強く感じます。
ゴシック調の雰囲気を漂わせつつも、起こる出来事はリアルで、凄惨な表現が多かったです。
【ネタバレ含みます】
容姿からしてモンスターっぽいノスフェラトゥは、邪悪な悪魔、ケモノ的な荒々しい強さを魅せつけます。
そんな事もあってか、襲われる女性もやたら艶っぽい。
ドラキュラは処女の血を好むとか、聞いた覚えがありますが、本作では人妻を略奪するようなエロっぽさがあります。
元となった「吸血鬼ノスフェラトゥ」もこんな感じだったのかな?明らかにドラキュラ伯爵とは異なりますね。
基本的な設定は変わりないみたいなんですが(先日見たデミトリ号っぽい話も盛り込まれてました)、ラストも生々しかった。
日光に当たって灰になるかと思ったら、生々しい死体がそこにありました。一晩中、ノスフェラトゥを留めるためにその身を捧げる人妻。一緒に死んじゃうなんて、え〜〜〜っ!
想像以上に楽しませてもらった一本です。ドラキュラとは違う吸血鬼映画にワクワクしちゃいました。
物語に盛り上がりも盛り下がりも無い
余り期待しないで観たが、、、正直配信かレンタルで良いであろう…。(あるいは観なくても…。)
ホラー映画(ホラーなんだよね⁈あんまり怖くはなかったんだけどイヤ全然怖く無かった)なので致し方無いが終始画面が暗く解りづらい。。 映画館でこれなので家の画面で見たらたぶん暗過ぎて訳が分からないと思う。
最初から主人公(エレン)の精神状態について行けないので感情移入出来ないまま物語りは進む。
衣装やセット・美術は良かったが、ストーリーに盛り上がりも盛り下がりも無く、この作品を撮った意図や意義を全く感じられずに終わる。特にラストシーンの終わり方が解らない…なぜ日が登るまでエレンの血を吸い続けたのであろうか⁈それがエレンの魔力であったからなのであろうか⁈もしや二人は愛し合っていたからなのであろうか⁈全く解らない…。致命的なのは、もっと"エロス"を表現すれば良かったもののそれも中途半端であったし、と言うか「エロチックにしてますよ」と独りよがりの映像となっていて肝心な"エロス"がこちら側に伝わって来ない。
この消化不良状態を何処に持って行けばよいのだろうか…⁉︎
悪魔の花嫁
ストーリー展開よりシネフィルが世界観を堪能する為の映画な感じでしたが、シネフィルでなくても80年代の少女漫画好きな私には楽しめました。
感染症になす術のないどんよりとした空気。疫病や精神疾患を悪魔の仕業と考えられていた時代。当事者の方々の苦しみはどれほどかとも思いましたが、もしや現代より人としての尊厳は守られていたのかも?
オリジナル作品はまだ未鑑賞ですが、大変な傑作なのだろうと思います。どこまで忠実なのかは解りませんが、閣下は絶世の美男子にして、正体を現すのは朝日を浴びるシーンのみの方が良かったかな~?
ヒロインも美形両親のいいとこ取りなんだから、もっと綺麗に撮ってあげたら…。と思いましたが、呪縛を断ち切り本物の女優への復活を目撃する感動がありました。
酷い。
映画サイトが何やら凄い映画と話題にするので初日に鑑賞。
明らかにブラム・ストーカー版をベースにしてるのに
ジョナサンをトーマス
ミナをエレン
ヘルシング教授をフランツ教授
ドラキュラ伯爵をオルロック伯爵
と名前が変わってるので終始違和感が拭えない。
内容もただの少女だったエレンが伯爵を蘇らせるとかトーマスが陸路で城に行けたのに伯爵は海路でロンドンに行くとかえ?ってなる箇所が目立つ。
肝心の伯爵は城に居る時は終始暗がりで全容を見せないのは良かったけど血を吸っても若返らずハゲ頭のままでやたら裸を見せるシーンが有って怖いどころかただ気持ち悪いだけ。ラストは伏線が張られていたとはいえエレンとのHに夢中になって朝日を浴びて死ぬとか間抜け過ぎ。
吸血鬼とヒロインが恋仲になるのはコッポラ版がやってるけどそっちの方が断然うまくやれてたと感じさせる映画だった(ラストもミナがドラキュラの首を斬るって衝撃の展開だし)。
劇場を選ぶ?
正直期待外れ。面白くありませんでした。
「ウイッチ」「ノースマン」のロバート・エガーズ監督による吸血鬼映画ということで大変期待をしていたのだが。
そもそもこの作品は1922年のドイツ映画のリメイクで、ブラム・ストーカーの原作を下敷きにはしているものの、その後、ハリウッドで量産されたドラキュラものとは系統が異なる。だから魔物の属性としてはヴァンパイアではなくノスフェラトゥ(病災という意味に近いらしい)だし、ドラキュラ伯爵ではなくオルロック伯爵と個人名はつけられている。折角、美男俳優を使いながら耽美的印象はゼロで魔人っぽいというか牛鬼みたいでカッコ悪い。
22年版は観ていないのだが、資料にあたった限りでは「カリガリ博士」などと同様、表現主義の作品である。要するに、人間の内面にあるもの、特にこの作品の場合は「不安」ということになるのだろうか、を映像で表現(サイレントなので音声はない)した映画である。この「不安」の背景には西ヨーロッパや北ヨーロッパの人が抱いている東欧への恐怖感がある。伝染病、シオニズム、異端者、流民なと。だから光と影、おどろおどろしいセット、恐怖、驚愕に歪む役者の表情などが強調される。それらの手法がホラー映画の嚆矢としても位置づけられる作品でもある。
繰り返しになるが22年版は観ていない。でも筋書きを読んだ限りでは本作はかなり忠実に再現をしているようにみえる。でも、100年前の映画をかたちだけなぞってそれが面白いはずがあるか?と思ってしまう。この100年の間に、映画作品は、人を怖がらせるだけでなく、不安にさせる、不穏な状況を印象づける様々なテクニックを積み上げてきた。私はあまりホラーは詳しくはないが、例えばこの作品でも「シャイニング」を思い起こす様なシーンがあったりする。積み重ねで映画は発展してきた。だから無意識に模倣したりするわけだ。じゃああなたも自分の作品で何か新しいアイデアなり表現に挑戦してみなさいよ、後進に何か残しなさいよと私は思うわけでそこが何もこの作品では感じられなかった。
全編、モノクロと思ってました。
技法の宝庫
「ウィッチ」に始まり、「ライトハウス」や「ノースマン 導かれし復讐者」といった作品群が一部のカルト・ファンから狂信的な支持を得ているエガース監督がまたまたとんでもない怪作を生み出してきました。
映画史に名を残している傑作「吸血鬼ノスフェラトゥ」をオリジナルの解釈を加えて完全リメイク。
これまたカルト映画の仲間入りが確定しそうな作品となっておりました。
基になった映画自体は「吸血鬼ドラキュラ」の原作者に許可を得ず、F.W.ムルナウがドイツで監督した非公式作品。
要するに二次創作です。
それも完コピに近い代物なので、著作権侵害で訴えられた曰く付き代物なんですが、言わずもがな破棄されず残ったフィルムにより最初の吸血鬼映画としてだけでなく、表現方法の宝庫としての価値を見出された作品として君臨し、今に至ります。
そんな作品が基なので、エガース監督もあらゆる媒体を作品の表現に活用。
白黒を彷彿とさせる発色を抑えた映像は勿論、音や影を使って様々な効果を生み出しておりました。
音では部屋を去る伯爵の足音と閉まる扉の音だけで部屋に残されたトーマスの不安を煽っておりましたし、子供部屋から聞こえてくる子供たちの泣き叫ぶ悲鳴だけで母親に恐怖と絶望を与えておりました。
無声映画のオリジナルでは出来なかった表現方法を巧みに活用して空間的な広がりを演出しておりました。
影の演出はもっと明確で、姿はないがカーテンに浮かび上がる伯爵の影だけで存在を表現したり、手の影だけで扉を開ける演出に用いたりと様々な形で影を利用していました。
特に夜の街を蹂躙していく手の影は秀逸です。
この影の演出もまた、フィルム感度の問題で夜間に撮影ができず、真昼間を夜として描いていたオリジナルでは出来なかった演出のひとつです。
この様に映画製作の面で発見する楽しみに充ちている作品。
ホラーとしては怖い演出が少なく、物語としてもオリジナルの域を出ていないといった問題点を抱えてはおりますが、カルト映画として熱を帯びてくる要素は多分に含んだ作品だと感じました。
ずっと盛り上がらない
2025年劇場鑑賞148本目。
エンドロール後映像無し。
ノスフェラトゥにウィレム・デフォーが出ると聞いて、あれ?と思ったのですが、2001年にシャドウ・オブ・ヴァンパイアで1922年の映画のノスフェラトゥ役の役者を演じるというややこしいことになってます。2000年に1922年の映画を全力で再現している怪作となっていて、印象が強いのですが、その印象が強すぎるのもあってこの映画いまいち・・・。ちなみにデフォーはドラキュラでいうヘルシング教授の立ち位置の役ですが、なんか頼りになりそうで全然頼りにならない・・・。あなたハゲヅラかぶるだけでノーメイクでノスフェラトゥいけるんだからそっちやらせてもらいなさいって。
そもそもオリジナルがドラキュラの雑なパクリで、原作者のブラム・ストーカーにしっかり訴訟起こされてしっかり敗訴してしっかりオリジナルネガ全焼却処分されているというそっちのやり取り映画にした方が面白いのできたのでは?と思いました。
とにかくずっと面白くなく、怖くもないしエロに振り切れてもないし(吸血行為が性行為のメタファーとする作品も多い)何より最後の展開がそうならないよう全力を尽くすから面白いんじゃないの?
体当たり演技
ゴシックホラー、満足。
70点ぐらい。リリー=ローズ・デップ
1922年作『吸血鬼ノスフェラトゥ』のリメイクってことですが、1979年にも『ノスフェラトゥ』としてリメイクされてるんですよね。
今回で、2回目のリメイク、トータル3作目、だと思うけど、僕は1922年のオリジナルしか観てません。
シンプルでオシャレな1922年作オリジナルが好きで、待ち受けにしてたぐらいなので、このリメイクは不安だったんだけど、それなりに楽しめました。
別モノになってるけど、コレはコレでって感じ(笑)
シンプルな1922年作オリジナルの方がいい(笑)
1922年のオリジナルが久しぶりに観たくなったのと、まだ観れてない1979年の初リメイク作も観なくては…
本作は、リリー=ローズ・デップがハマってまして、白目むくわ、ヨダレたらすわ、女を捨てたような怪演、彼女の覚悟や役者魂を感じた。
ルーマニアが舞台なので、ゲーム『バイオハザード ヴィレッジ』みたいな風景が出てきて、おお!と思いました(笑)
好みの問題でネガティブっぽいことも書いたけど、ゴシックホラーとしては完成度が高いです。
迷ったら観ても損しないと思います。
『鉄の杭じゃダメ』らしい。
怪奇映画の源流に殉ずるような昂揚が満ち溢れている
「いにしえのゴシック・ホラーが、パンデミック後の現代に忽然と甦った」――思わずそんな言葉が浮かんだのは、ノスフェラトゥのもたらした大量のネズミがドイツの港町にペスト菌をまき散らすという一連の描写を本作で見たからだ。
かつてムルナウ監督の無声映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』は、「スペイン風邪」が世界に吹き荒れた(1918~19)後の1922年に封切られた。それから百年余の時を経て新型コロナ収束の翌年、2024年にこのリメイク作は公開された。そのことになんらかの奇縁を求めたくなるほど、どこか次元を超えて繋がるモノが本作からは感じられるのだ。
かねてより古典映画に傾倒するロバート・エガース監督が無上の歓びにうち震えながらこれを撮ったであろうことは、想像に難くない。あるいはそんな本作に斬新さは見いだせないかもしれない。がしかし、リリー=ローズ・デップが吸血鬼に身を捧げたかのごとく、「怪奇映画の源流」に殉ずるような昂揚がここには満ち溢れている。
なにより特筆すべきは、全編35ミリフィルムで撮影されたという映像美だろう。注目ポイントは大きく分けて2つ。
1つ目は、西洋絵画のような質感にこだわり抜いた画作りだ。時代設定が1838年だからか、風景描写などはフリードリヒに代表される19世紀ドイツ・ロマン主義絵画を模したかのように見える。また室内描写では、さらにそこから遡るレンブラント、フェルメールらの時代、17世紀バロック絵画のような気品と冷やかさが画面を覆う。
なお、シーンによっては照明機材を使わず、蝋燭や松明の炎だけを頼りに撮影されたのだとか(たしかキューブリックの『バリー・リンドン』もそうだった)。その眩惑的な効果は一目瞭然だ。さながら蝋燭の炎の揺らぎに呼応するかのように、物語の行方も夢うつつにたゆたう。クラシカルな映像美は、その背後に潜む恐怖とエロスの交錯をも仄めかす。
2つ目は、古典映画への偏愛を意識させる撮影上のこだわりだ。たとえば室内の壁に伸びる影を捉えた表現主義風ショットなど、擬古典的なカメラワークがそれにあたる。また、北ドイツの街並みの俯瞰夜景や運河からの眺望があえてセット然としていたり、降り積もる雪の描写でCGを使わず、実際に「擬似雪」を降らせているところなど、1940年代ハリウッド黄金期の映画を想起させる。“アメリカの夜”で生み出された不穏な月明かりの夜景も、こうした例に含めてよいかもしれない。
ここで出演者にも少し触れておこう。まず憑依されたヒロイン役のリリー=ローズ・デップは、凡百のホラー映画と一線を画し、痙攣した奇異な所作のうちにも優美さを忍ばせる。陽射しに映える素肌は眩しく、死に至るエクスタシーを見事に体現する。もちろん、舌をぐにゅうと異様に長く伸ばす(これはCGじゃなく本人の舌らしい)など、目がテンになるショットにも事欠かない。
対するビル・スカルスガルトのノスフェラトゥは、前例のないバーバリアンな吸血鬼像を打ち立ててみせる。異様な長身に豊かな口髭を蓄えて毛皮を身に纏い、あたかも辺境の民間伝承の底流から召喚されてきたかのよう。その風貌はまるで山賊の頭目だ。噛みつく仕草も、「首筋からちゅうちゅう吸う」のではなく、「かぶりついた胸元からゴクゴク飲み干す」といったワイルド路線に。この優雅なドン・ファン風から粗野な辺境伯タイプへのイメチェンは、好みが大きく分かれるところだろう。
もう一つ気になったのは、立ち居振る舞いがややぎこちなく見えること。ことに終盤、リリー=ローズ・デップと対峙するシーンなど、もっと自然な強靭さが出てもよかった。迫力ある大スクリーンで見直すと、また違った印象を受けるのかもしれないが。
ヴァンパイアハンターの老教授を演ずるウィレム・デフォーは安定の演技。燃えさかる炎を背に叫びながら仁王立ちする姿など、フランケンシュタイン博士さながらマッドサイエンティストの一面を覗かせて秀逸。
リリー=ローズ・デップの新夫役を演じるニコラス・ホルトは、前半のトランシルヴァニアの旅で見せるハンパない怯えっぷりが大きな見どころだ(ホルトくん、契約書はよく読もう、そして気安くサインしないこと。知らない文字で書かれた条文など論外だよ…)。
このように本作は、過去のドラキュラ映画を細部ではモダンにアップデートしながら、一方で吸血鬼をダシに古典映画への憧れをてらいもなく語る。なんでもCGだらけのファストフード的な映画制作の時代に背を向け、映画を追い続けることの快楽を映像に刻みつけてみせる。このような映画こそ劇場の大スクリーンと極上の音響で見るにふさわしい。ぜひ再見したいし、一夜限りのIMAX上映とか実現しすれば駆けつけたいのだが…。
以上、試写会にて鑑賞。
因果応報
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