岸辺露伴は動かない 懺悔室のレビュー・感想・評価
全323件中、321~323件目を表示
幸せとは、ふと訪れる安堵が充満した感情のことだと思った
2025.5.23 一部字幕 イオンシネマ久御山
2025年の日本映画(111分、 G)
原作は荒木飛呂彦の同名漫画
ヴェネツィアにてある男の告白を受けた露伴を描くミステリー映画
監督は渡辺一貴
脚本は小林靖子
物語の舞台は、イタリアのヴェネツィア
交際文化交流のためにイタリアを訪れた岸辺露伴(高橋一生)は、予定を前倒しにして、ヴェネツィアを訪れていた
次作のための取材を兼ねてヴェネツィアを散策していた露伴は、そこで自身のファンを名乗るスリ(Nicò Sordo & Moreno Corà)に絡まれてしまう
盗難を無事に交わした露伴は、二人を能力にかけ、彼らの記憶を読み取っていく
そこには、マスクについて描かれたページがあり、彼らが持っていたものが盗難品であることがわかった
その後、露伴が散歩を続けていると、本物の仮面を売っている店を見つけた
中に入ると、そこには若い仮面職人のマリア(玉城ティナ)がいて、盗まれた仮面を返すことになった
一方その頃、イタリアで合流するはずだった編集者の泉京香(飯豊まりえ)は、予定の会場にて、主催者のロレンツォ(アンドレア・ベッラチッコ)と打ち合わせに入っていた
露伴がヴェネツィアにいると聞いて怒り出した京香は、その足で露伴を置くことになったのである
映画は、その後散策を続けていた露伴が、ある教会の中にある懺悔室に足を踏み入れる様子が描かれていく
その部屋が懺悔室と知らなかった露伴だったが、仕切り越しに座っていた男(井浦新)は、露伴を神父だと思い込んで告解を初めてしまう
男の名は水尾と言い、彼はかつて旅行でこの地を訪れていたが、窃盗に遭って、現地で働かざるを得なかったと言う
そして、そこでソトバ(戸次重幸)と言う浮浪者に遭遇し、食べ物を恵んでほしいと言われてしまう
水尾の言葉を受けた浮浪者は荷物運びをするものの、よろけて階段下へと転落死してしまう
そして浮浪者は、水尾に対して「幸せの絶頂の瞬間に、お前を絶望に落としてやる」と言う呪いをかけた
それ以降、浮浪者の怨念は水尾を陰で支えながら、彼が幸福の絶頂に至る瞬間を待ち望んでいくのである
映画では、告白する男はマスク姿であり、露伴の再現映像は別の人物にて再現されていた
実のところ、水尾は浮浪者の呪いから逃れるためにあるシナリオを描いていて、その際に起こったことを後悔していた
懺悔室で語られるのは、呪いを回避するために代役を立てたことだったが、浮浪者はそれを看過していた
姿も名前も変えた水尾は田宮と名乗り、次々と成功を収めていく
そして、娘(マリア・M)を授かり、幸せの絶頂を迎えてしまう
物語は、その娘が成長し、仮面職人のマリアとなっていることが暴露され、彼女にはロレンツォと言う婚約者がいることが判明する
そして、その結婚が実の父親の手によって失敗へと導かれようとしていたのだが、そこで露伴の能力が役に立っていく
露伴は、独自に結婚を阻もうとする輩を特定し、ヘヴンズ・ドアの能力にて、そうならないように書き込んでいた
それらが結実するのがラストの教会での顛末であり、物語は幕を下ろすのである
本作では、オペラの「リゴレット」が引用され、劇中でもそれを演じるシーンが登場する
ものすごく有名なオペラなので知っている人もいると思うが、それを知っていたらラストのネタバレは読めてしまったりする
かと言って「リゴレット何?」では厳しいと思うので、気になる人は「結末部分」だけ指で隠して、起承ぐらいまで読めば良いのではないだろうか
いずれにせよ、全編ヴェネツィアロケが行われていて、多くのイタリア人俳優たちが参加している
基本的に短編にオリジナル要素を加味してボリュームアップしているのだが、個人的にはそこまで改悪とは思えなかった
それよりも、高橋一生演じる露伴を受け入れられるかが鍵となっていて、やっぱり実写でやると変だよなあと思ってしまう
個人的に好きなのは、露伴と京香のズレた掛け合いなのだが、それがあまり多くなかったのは残念だったなあ、と思った
ベネチアの映像美と世界観
原作に対する冒涜
残念の一言に尽きる。
ベネツィアは美しい。構図もいい。役者の演技もいい。ロレンツォの愛嬌のあるキャラクターは癒しだった。脚本に若干の破綻はあったがそれをカバーして有り余る。だというのに、生成AIで出力した音楽を使ってしまった。魅力的なBGMならまだ多少マシな出来になったことだろうが、不協和音寸前な上に耳に残るものが何一つない。生成AIだと知らない状態で聞いてもだ。最悪である。
公開初日と舞台挨拶回の2回鑑賞し、音楽は微妙だったが今回も良い出来栄えだと思っていたところに全て生成AI作曲だと知り、パンフレットを見ながら反芻して楽しもうと思っていたものは全て吹き飛んだ。音楽に関しては素人なので違和感があるのは好みの問題だろうと思っていたのに、生成AIだったとは。まさか原作者の荒木飛呂彦氏が生成AIに懐疑的どころか全面的に否定の姿勢なのを知らなかったのだろうか。よりによって荒木飛呂彦の、よりによって岸辺露伴の作品に生成AIを全面的に使うとは失望もいいところだ。
作中で岸辺露伴は幸運に襲われ出版部数がどんどん伸びていくのだが、喜ぶどころか「ここまでナメられたのは初めてだッ」と憤りを見せた。更に冒頭では「芸術と言ったか?」と自分の漫画を芸術と称されたことに腹を立てている。岸辺露伴にとって漫画は読者に読ませる漫画であり鑑賞する芸術などではなく、そしてそれは運などには頼らず自分の手で生み出すものなのだ。そこまで描いておきながら生成AI作曲である。パンフレットのインタビューでも菊池氏本人が「なるべく内容は知らず、情報は最小限に抑えて、そこから使用できそうな楽曲を選び、渡辺監督にお渡ししました」「私自身は一切作曲を行っていません」と明言しているが、こんなものは岸辺露伴というキャラクターへの侮辱に他ならない。ツギハギの音をそれっぽく繋いだものが出力されるのを運に任せていただけなのだから。そもそも映画音楽とは観客の没入感を支えるもの。それがノイズとして浮いてしまっている時点で致命的なのである。「細かいイメージを伝えなくてもある程度の状態のものは生成されますし、むしろある程度のミスマッチ感はあった方がいいんです(引用:パンフレットインタビュー記事)」と語った音楽担当は一体どういうつもりで映画音楽に手を出したのだろうか。
一応音楽担当のXアカウントを確認したが、支離滅裂かつ品のない煽りを繰り返しており、一見すると社会人のアカウントではない。原作へのリスペクトは窺えなかった。至極残念である。
全323件中、321~323件目を表示


