岸辺露伴は動かない 懺悔室のレビュー・感想・評価
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オリジナル要素いっぱい
前回の映画と同様、面白かったけど、1時間強の内容を無理やり2時間まで延びた感がある。
派手なCGや演出がないのはこのシリーズの特徴であり評価されるところですが、ポップコーン食べるだけで30分もかかるとは、やりすぎたと感じた。地味なシーンこそ、役者さんの必死さを痛々しく見える。素晴らしい演技でしたが。
せっかく外国まで撮影に行ったから、色々内容を追加したい気持ち分からなくもないが、本来登場しない編集担当者さんに見せ場を作るために、どうしてもシーンを追加したようにも見える。
最愛な娘さんが亡くなったらそのまますぐ死体を放棄して去っていくかな…?触れることもせず、救助も試みず、生死の確認すらせずに...?そして家族だから、演技だけで実際は生きてるって普通あとでバレなくない?そもそもなぜ露伴まで呪いにかけられたかよく分からなかった、、、
一つのショートを一本の映画にする挑戦は簡単ではないと思うが、逆にいくつかのショートを一本の映画にまとめる挑戦もやってみてほしい。
さすがの脚本 小林靖子
荒木飛呂彦作品が好きで、彼の作品は全て読んでます。
あの短い短編をどうするのか?と思ったら、あれが前半、そしてその続きが後半です。
さすが脚本 小林靖子。後半は原作に無いオリジナルなのに、(絵面は若干物足りないが)原作超えを果たさんばかりの出来栄え。
露伴先生の地雷はそこにあるよねーと納得です。
幸せになりたい病・幸せ至上主義の現代人に。
幸せの反対は不幸? 幸せ過ぎれば、不幸も大きくなる。 幸せになり過ぎない様にする。 いろいろ 哲学的に考えせられる。
勧善懲悪の予定調和・起承転結の 単純なアホ ストーリーでなくて 好感。
ジョジョの 世界観も。
ハリウッド的な 単純な 悪を倒すヒーロー物が好きな人には、不満だろう。
複雑な、腹に落ちない、不条理性を 容認できる人には 良い映画。
主役は
ヴェネツィア・ロケと世界観
幸せの尺度
企画と取材の為にヴェネツィアを訪れた岸辺露伴が呪われた男と出会う話。
絡んできたスリが持っていたヴェネツィアンマスクが切っ掛けで出会ったマスク職人の女性の話しと、取材で立ち寄った教会の告解室で聞かされた浮浪者の呪いの話しをみせて行く。
「懺悔室」は既知で、話し自体の面白さはそのままだけれど、少々テンポが…と思っていたら、なるほどそこから転がしますか…。
上手く話しを繋げてはいるし面白かったけれど、やはりこのエピソードだけでこの尺は少々長かったかな。
そしてなぜか日本語とイタリア語とで会話が成り立つの?…お思ったけれど、そこはそういうネタってことで…w
ところで、なんだか「ヘブンズ・ドアー」って言えば発動みたいに見えてしまうのはちょっと気になった。
奇天烈なのが大前提
ベネチアの教会で、
誰もいないのをいいことに懺悔室を覗いてて、
我知らず神父用のスペースに入ってしまった岸辺露伴が、
告解を聞く羽目になる、
というところから本筋の話は始まる。
岸辺露伴を主人公とする原作最初のエピソードを膨らませた、呪いの物語。
「幸福が襲ってくる」という感覚が面白い。
ただし、生真面目なサスペンスだと思っていると、その奇天烈さに口あんぐり、となるかもしれない。
――奇妙奇天烈なのは、大前提。
(とはいえ映画オリジナルである後半は、とくに奇天烈でもないけど)
オール・ベネチア・ロケで画面が美しいから、
劇場のスクリーンで観る価値あり。
高橋さんのカッコよさは言うまでもなく、
玉城さん素敵だった。
そして飯豊さんは、相変わらず楽しく可愛い。
とくに最後の台詞。ああやっぱりそうだったんだ、と笑って納得。
脚本が上手いわ。
どんでん返し
主役2人の結婚発表直前に放送した回は鎌倉のイタリア料理店が舞台だったので?結婚後初の作品はヴェネツィアが舞台になるんだなぁと思った。前作の岸辺露伴の先祖を描いた劇中劇ほどではないが呪詛の経緯を演じた3人の怪演と呪いがどんでん返しになって終わり?なのは面白かった。岸辺露伴と泉京香の掛け合い漫談も味の一つなのに飯豊まりえの登場シーンは中盤になってからなのが不満といえば不満。前回の映画で泉京香は呪いがかからない人物だと分かっているので本当に魔王が出てきても何もなさそうだ。あと呪われた人物にかけられた呪詛が幸福の絶頂を感じた時に発動するのがゲーテの「ファウスト」で主人公がメフィストーフェレスと交わした契約を連想したので呪いの結末?がファウストの子どもを殺したグレートヒェンの救済にも見える。
【”ノッキング・オン・ヘブンズ・ドア。そして人は誰でもペルソナを被っている。”今作は、ヴェネチアを舞台にした高橋一生夫妻が活躍するミステリーであり人間の幸福、運命、欺きの報いを描いた作品なのである。】
■漫画家・岸辺露伴はヴェネツィアの教会で、仮面を被った男(井浦新)の恐ろしい懺悔を聞く。それは若き彼(大東駿介)が、誤って浮浪者(戸次重幸)を殺したことで浮浪者にかけられた「幸せの絶頂の時に“絶望”を味わう」呪いの告白だった。
幸福から必死に逃れようと生きてきた男は、けれども次々に幸福になって行き、資産家の娘と結婚し、娘を成す。そして、ある日無邪気に遊ぶ娘を見て「心からの幸せ」を感じてしまう。
その瞬間、死んだ筈の浮浪者が現れ、高く投げ上げたポップコーンを三度続けて口に入れないと絶望に陥るという呪いを再び彼に告げるのであった。そして、男は貧しき男(井浦新)の顔と自分の顔を入れ替えて、その呪いから逃れようとするのであった。
そして、懺悔室での奇妙な告白にのめり込む露伴(高橋一生)は、相手を本にして人の記憶や体験を読むことができる特殊能力”ヘブンズ・ドア”を使い真相を探るが、自身にも「幸福になる呪い」が襲いかかっている事に気付くのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・相変わらず、漫画を読まず、NHKのドラマ(になったのかな?今作。誰か教えて!)も観ない私にとっては、ナカナカな序盤で有ったが、前作で岸辺露伴の特殊能力”ヘブンズ・ドア”を学習した私にとっては、ちょろいモノであった。エラソーですいません・・。
・”貧しい生活を送る人には、食事を施そうね!”と言う物語かと思ったら(コラコラ)、浮浪者の呪いから”欺き”により、男(井浦新)が逃げようとする姿を、美しく育った娘マリア(玉城ティナ)の幸福なる結婚を絡めたミステリーでありました。
マリアは仮面制作者として生きていたが、彼女には婚約者が居り結婚を控えていたのである。が、男(井浦新)は娘の結婚により自分が幸福になる事を恐れ、ナント、娘の結婚相手を殺そうとしていたのである。
■露伴と、女性編集者が知らない男から”チケットを貰って”オペラ“リゴレット“を鑑賞しに行くシーンも、ラストの展開を示唆しつつ、そこから捻りを入れた物語構成に深みを与えている。但し、オペラ“リゴレット“の概要が頭に入っていないと、ちょっと無駄なシーンに思えるかもね。
・だが、露伴は男(井浦新)の目論見を見通していて、結婚式の日取りを一日早め、場所も変えていたのである。だが、狙撃手の弾丸はマリアの胸を貫くのである・・。だがそれはマリアの父に掛けられた「幸福になる呪い」を解こうとするモノであった・・。
<今作は、人間の真なる幸せとは、運命とは、そして欺きの報いを描いた作品であり、且つヴェネチアを舞台にした高橋一生夫妻が活躍するミステリーなのである。
因みに、高橋夫妻は撮影後に、「幸福になる呪い」を軽ーく跳ねのけて、ヴェネチア観光を楽しんだそうである・・、という噂がある。今作で、相変わらず明るい編集者を演じた飯豊まりえさんが、ムッチャテンションが高かった理由が分かる気がするのである。幸せで良かったね!>
■イタリア人俳優さん達が、顔の上に文字を書いた顔型の本を乗せられた時の台詞。
・”コレハ、ナンデスカ?”
・映画製作陣・・”コレハ、ロハンガ”ヘブンズ・ドア”トツブヤクト、ソノヒトノカンガエガアラワレルホンデアリ、カレハソノホンニジヲカキコムコトデ、ソノヒトノコウドウヲ、アヤツルコトガデキルンデスヨ。”
・”フーン。ヘンナノ。”
と言うような会話がされたかどうかは、明らかではない・・。
ヒッチコック?の鳩
呪いの連鎖を断ち切る強さ
とにかく俳優陣の演技が最高だった。
高橋一生の岸辺露伴はハマり役。
冒頭の懺悔室で告白を聴くシーンなんて、
岸辺露伴の悪戯心というか性格の悪さというか好奇心旺盛感が抜群に面白い。
大東駿介の変顔ポップコーン食い&鳩🐦とポップコーンを取り合う姿が滑稽だし、
戸次重幸なんてもはやホラー扱い、デイヴィッド・クローネンバーグばりのホラー。
井浦新もやりすぎなくらい狂った演技でもはや笑えるレベルで面白かった。
ヒロイン玉城ティナのハーフ娘感もばっちりハマったいた。
飯豊まりえも期待通り。
呪いの連鎖的な話で、幸せの絶頂時に不幸のどん底に落としてやる的な呪いなのだが
何より面白いのは、幸せの絶頂にならないようにコントロールするあたりが
実に人間らしくて滑稽。もうこれ自体が呪いということに気づいていない。
そこを演技で打破する岸辺露伴の演出はさすが売れっ子漫画家だ。
泉とのラストシーンも実に美しく、満足。
ただ、なんというか前半はすごく勢いがあって、荒木飛呂彦らしくて面白かったのだけれど
中盤から後半にかけてはちょっと失速しちゃったかなと。間延び感もあったかなと。
劇場版にするよりも、ちょっと長めのテレビドラマにしていたほうが面白かったかなと思う。
とはいえ、公開初日レイトショー@セントラル宮崎で約7割ほどの入客。
これは宮崎ではヒットと呼べる実績。
興収がどこまで伸びるかも楽しみ。
オールヴェネツィアロケは伊達じゃない
幸福が襲って来る!
幸せを、幸せと感じられないことの不幸せ
全編ヴェネツィア・ロケというのが、大きな謳い文句になっているが、陰影に富んだ映像と不穏な音楽が、ヴェネツィアの古い街並みに馴染んでいるし、変に観光地巡りみたいな内容になっていないところにも好感が持てる。
イタリアが舞台なのに、主要な登場人物がほぼ日本人という不自然さは、「呪い」が導いた偶然ということで、納得するとしよう。
今回は、最高の「幸せ」の時に最大の「絶望」が訪れるという「呪い」の話だが、呪いによって、いくつもの幸運がもたらされるという逆説的な展開や、襲ってくる幸せから必死に逃げようとする男の姿からは、えも言われぬ滑稽さが感じられて面白い。
また、傍から見るとくだらないポップコーンのゲームを、命がけでやらざるを得ないという、笑っていいのか、ハラハラしていいのか分からないようなシーンや、井浦新の抑揚を付けた台詞回しからは、如何にもな「ジョジョ」らしさが感じられて楽しめる。
その一方で、幸せから逃げる男は、呪いをかけられて当然の仕打ちをしているので、まったくと言っていいほど同情できないし、呪いに巻き込まれた露伴にしても、彼自身に危険が迫っている訳ではないので、絶体絶命の危機を回避しなければならないという緊迫感があまりなく、そこのところには、物足りなさを感じてしまった。
ラストの「絶望」にしても、容易に予想できてしまって驚きがないし、男にとっては、あくまでも一時的な「絶望」だったはずなので、それで、本当に「呪い」が成就したのだろうかという疑問も残る。
ただし、普通の人間であれば「幸せ」と感じられる出来事を、決して「幸せ」とは思えないような人生は、この上もなく「不幸せ」であるとも考えられ、その時点で、十分に「呪い」は効いているとも思われるのである。
結局、「幸も不幸も、人それぞれの受け止め方次第」ということが、この映画の結論ということだろうか?
控えめに言ってサイコー
露伴ワールドはちょっとだけズレた特異点に上手くはまれるかどうかにかかっているといって過言ではないだろう。
そもそもの実写化でその特異点への壁を超えたことは奇跡だったろう。回数を重ねまぁまぁ温まり慣れたところで終わるのだろうと思っていたのに、奇跡また起こっちゃうのかよー
特異点に侵入するためにベネチアは最高の舞台!それをこう撮ってしまう天才撮影、ともしたら笑ってしまうかも知れないスレスレをギリギリと攻める天才役者陣の圧、その圧をブラックホールよろしく特異点へ引きずり込む天才音楽、天才編集、天才衣装、天才ヘアメイクとハトの目力みーんな天才過ぎて珍しく日本人でよかったと思いました。最後のタイトルバックいつまでも見ていたかったです
幸運という不幸
この作品が映画化すると聞いて、とても楽しみにしていました。
原作では露伴先生が呪われた男の告解を聞くだけの、シリーズ中で比較するとやや地味な舞台設定。
けれど原作ファンとして不安がなかったのは、スタンドという言葉を使わずにヘヴンズドアーを使いこなし、ジョジョならではの特徴的な衣装も巧妙に実写へ落とし込むことができるスタッフさんだからです。
本編は一言でいえば、原作の拡大でした。
テーマをより掘り下げ、原作では描かれなかったひとつの結論を導いた、とても素敵な作品でした。
エンドロールで戸次重幸さんの名前を見かけた時、「戸次さん?出てたっけ?」としばらく考えて、あの浮浪者が戸次さんだったことに気付きました。全然顔に目がいってなかった。あの狂った演技、最高でした!
不協和音な音色のなかで。
取材で立ち寄ったベネチアの教会で、仮面を被る日本人男性に神父と間違われ懺悔を聞かされ巻き起こる漫画家・岸辺露伴の話。
「幸せの絶頂の時にくる“絶望”」という呪いを掛けられた仮面を被る男・水尾、…そのベネチアの街で仮面作りをする水尾の娘マリアの控える結婚式、その結婚式=“幸せの絶頂”と顔まで変えた父が邪魔しようとするが…。
世界観、作品雰囲気と嫌いじゃないし悪くないけど少し静かめな本編とピアノの音色でウトウトしちゃって。
原作未読、ドラマシリーズはアマプラ配信の方で追っかけたけど追っつかず、作品感想とは関係ないけど担当編集者・泉役の飯豊まりえさんって何かいいんだよな~と調べたら高橋一生さんと結婚してたんですね!
ポップコーンを上に投げ口でキャッチは変顔七変化みたいになったけど高橋一生さん演じる岸辺露伴が魅力的でカッコよく少しウトついたが楽しめた。
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