「原作に対する冒涜」岸辺露伴は動かない 懺悔室 んみぇさんの映画レビュー(感想・評価)
原作に対する冒涜
残念の一言に尽きる。
ベネツィアは美しい。構図もいい。役者の演技もいい。ロレンツォの愛嬌のあるキャラクターは癒しだった。脚本に若干の破綻はあったがそれをカバーして有り余る。だというのに、生成AIで出力した音楽を使ってしまった。魅力的なBGMならまだ多少マシな出来になったことだろうが、不協和音寸前な上に耳に残るものが何一つない。生成AIだと知らない状態で聞いてもだ。最悪である。
公開初日と舞台挨拶回の2回鑑賞し、音楽は微妙だったが今回も良い出来栄えだと思っていたところに全て生成AI作曲だと知り、パンフレットを見ながら反芻して楽しもうと思っていたものは全て吹き飛んだ。音楽に関しては素人なので違和感があるのは好みの問題だろうと思っていたのに、生成AIだったとは。まさか原作者の荒木飛呂彦氏が生成AIに懐疑的どころか全面的に否定の姿勢なのを知らなかったのだろうか。よりによって荒木飛呂彦の、よりによって岸辺露伴の作品に生成AIを全面的に使うとは失望もいいところだ。
作中で岸辺露伴は幸運に襲われ出版部数がどんどん伸びていくのだが、喜ぶどころか「ここまでナメられたのは初めてだッ」と憤りを見せた。更に冒頭では「芸術と言ったか?」と自分の漫画を芸術と称されたことに腹を立てている。岸辺露伴にとって漫画は読者に読ませる漫画であり鑑賞する芸術などではなく、そしてそれは運などには頼らず自分の手で生み出すものなのだ。そこまで描いておきながら生成AI作曲である。パンフレットのインタビューでも菊池氏本人が「なるべく内容は知らず、情報は最小限に抑えて、そこから使用できそうな楽曲を選び、渡辺監督にお渡ししました」「私自身は一切作曲を行っていません」と明言しているが、こんなものは岸辺露伴というキャラクターへの侮辱に他ならない。ツギハギの音をそれっぽく繋いだものが出力されるのを運に任せていただけなのだから。そもそも映画音楽とは観客の没入感を支えるもの。それがノイズとして浮いてしまっている時点で致命的なのである。「細かいイメージを伝えなくてもある程度の状態のものは生成されますし、むしろある程度のミスマッチ感はあった方がいいんです(引用:パンフレットインタビュー記事)」と語った音楽担当は一体どういうつもりで映画音楽に手を出したのだろうか。
一応音楽担当のXアカウントを確認したが、支離滅裂かつ品のない煽りを繰り返しており、一見すると社会人のアカウントではない。原作へのリスペクトは窺えなかった。至極残念である。
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