8番出口のレビュー・感想・評価
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ゲームみりしらで鑑賞、伝え方が巧み
元がゲームだというくらいで、全く情報なく、娘に誘われて見ました。
一番印象に残っているのは、メッセージの伝え方が巧みだなということ。
限りなく、曖昧に抽象化することで、受け手に読みを委ねてくれている気がしました、
子どもも、彼の子なのか確定的に描かれるわけでもなく、彼自身の幼少期なのかと思わせる描写もあります。
重ねられた海のシーンでの
「どの道が正解なんてわからない」
というニュアンスの彼女のセリフも、ビジネス書なら
「だから選んだ道を自分で正解にする」
というように結論をつけたいところですが、そうはしない。
最後も、1度知らないふりをしてしまった場面で前回とは違う動きをしたところで終わり、果たして後悔していたことをリベンジするのか、そのあたりも受け手にひらかれています。
ともすれば、押し付けがましくなりそうなメッセージを、うまく抽象化して、相手に任せているなと思いました。
ホラー寄りな描写やタイミング、音楽、そしてニノのお芝居はさすが。
あっさりたっぷり
登場人物の少なさが凄い(笑)二宮和也の演技は上手い。『アナログ』でよく見てからは見直した(笑)繰り返し繰り返し繰り返しのシーンが面白い。狭い空間での演出が上手い。最後の気味の悪い動物は要らないと思った。小4の孫を連れて行った。小学生も多く鑑賞していた。幅広い年代で楽しめる作品だと思う。
エンタメ好きな人には合わないかな
なので自分も好きかと言われればどうかなって感じ
そもそもこれは考察させることを前提にした映画だと思います
なので、お粗末ながら自分なりの考えを
超長い上に文才ないので読みにくいですが
まず8番出口とはなんなのか?なぜ同じ場所が繰り返されるのか?
これは主人公というか現代人の人生そのものなのかなと
同じ風景、同じ繰り返し、前に進んでるのか戻ってるのかもわからない
隣を歩く人にも無関心
本当は異変は起きてるけど、気付かないくらい小さな変化
実際に人生なんて明日明後日に大きな変化とかないですよね?
小さなことをコツコツと続ける
そうやって少しずつ進むしかない
なのに皆それを面倒くさがっておろそかにする
そして気付かない内に振り出しに戻る
なんというか迷い込んだ人間の精神状態が異界に反映してるんではないかなと
おそらく主人公は喘息持ちでしょっちゅう発作が起きてしまうんだと思います
そして、定職にもつけないでいる
たぶん観てた人は何度も喘息のシーン見て
イライラしてた人もいると思います
なぜなら映画の流れが切れるので先に進まないから、
これは主人公の職場の人達の気持ちを表してるんだと思います
もしくはきっとそう思われているに違いないと主人公自身が思い込んでるのかも
そんな自分への劣等感が主人公のベースにあるのが迷い込んだきっかけかなと
最初に電車でリーマンに絡まれてるお母さんを見て見ぬフリして、自己嫌悪してるところに元カノからの妊娠の電話
どうしよう?産むべきか?降ろすべきか?
そもそも自分に父親なんかつとまるのか?
定職にもついてない、身体も弱い、困ってる人を見捨てるような自分に···
もともと弱い自分に劣等感を感じてるところにさらに責任というプレッシャーがかかり、不安定になった精神が異界とリンクして迷い込んだんだと思います
もしくは、もうどこにも着きたくないという主人公の願望が異界という形で現れたのかも
異変のあちこちに赤ちゃんを思わせるものがあるのもそのためだと
ロッカーからバンと叩かれたのはお腹を蹴ること
隣に毛布があるのは、産まれた赤ちゃんを包むため、証明写真が近くにあるのはエコー写真
途中、人の身体の一部がくっついたネズミが大量に出てきて、暗闇の中バラバラに逃げてるのは堕胎を暗示してるんではないかな
赤ちゃんは産まれるまで暗闇の中にいますし、換気口が突き破られたのは体外からの干渉を表してるのではないかと
主人公は言葉にこそしてませんが、堕胎することも考えていたんだと思います
そして途中に出会う男の子が主人公の子供なのはみんなわかってると思いますが、何故異界に迷い込んだのか
おそらくあの男の子は主人公がいない、異界から戻れなかった、もしくは主人公が妊娠から逃げた世界線の息子なんでしょう
自分に父親がいないのは何故だろう?何故会いに来てくれないのだろう?自分のことが嫌いだからだろうか?ではお母さんは?
父親がいない漠然とした寂しさと母親への愛情と、もしかしたら自分がいないほうが母親は幸せなんじゃないか?
そんな気持ちが異界を呼び寄せたんではないでしょうか?
あとはおじさんですが
このおじさんは主人公がこうなってたかもしれないという、ひとつの例というか結末を体現してますね
同じ異界に迷い込んだ2人ですが、性格というかタイプが違います
特に表れたのが子供への接し方です
おじさんは一見人当たりの良さそうな態度で接してましたが、決して子供の目線には立たず異変を見逃したり
なかなか心を開かない男の子に時折、当たりが強かったです
おそらくこのおじさんはバツイチで子供がおり、奥さんが子供を育ててるって状態なんでしょうね
急いで帰らないといけないのも数少ない子供と会える日だったからだと思います
でも途中で癇癪も起こしてたので、自分の子供や奥さんにも当たり散らしてた、いわゆるDV夫だったんではないでしょうか
おまけにすれ違ってた女子高生に誘惑されるような感じのことも言われてたので、浮気もしたのかもしれません
まぁ上部だけの男だったんでしょう
それを見透かされたのか男の子は最後まで警戒してまともに会話をしませんでした
最後は男の子を見捨てて異界の罠に取り込まれてしまいました
主人公も中途半端な状態でただ責任とるよって感じで父親になってたら、おじさんのようになってしまってたかもしれない、というのを暗示してたんじゃないでしょうか
主人公は最初は戸惑って上手く接することが出来ないけど、探り探りでも距離を縮めていって、男の子の目線に立つことで異変に気付いたり言葉を交わすようになります
子供の助言で異変に気付いて、助けられるのも人生って感じがしますよね
最後は身を挺して男の子を助けようとしました。
3人が3人とも迷い苦しみながら、それでも止まるわけにはいかない、時は待ってくれない
そうやって限られた時間のなかで主人公が父親になるための覚悟を持つ、成長するストーリーなのかなって思います
最後元カノに産もうとも降ろそうとも言わずに
「今から行くよ」
としか言わなかったのも成長ですかね
今までは自分だけで物事を背負い込んで、自分の中だけで答えを出そうとばかりしてたけど
まずはお互いに面と向かって話し合って決めようという考え方に変わったってことですね
そしてラストに冒頭と同じ電車の中でリーマンのほうに進み出すところで物語が終わります
抜け出せたのか抜け出せなかったのか
どっちなんでしょう?
どっちとも見れる終わり方ですね
評価分かれる作品
地下鉄の駅を降りたら、迷路に迷い込み、異変に気付かないと永遠に抜け出せない。
おじさんと女子高生は途中で抜け出すどころか、異変の出口とホントの出口と思い込んで人間からサイボーグになっちゃったんだろうねぇ。
このようなループ系、同じ場面の繰り返しの場合は終わり方がポイントだろうけど、ボクはあまり響かなかった。
まだ見ぬ、、
ゲームは未プレイながらYouTubeでプレイ映像を見たことがあったので、なんとなく雰囲気は知っていた。正直、映画化と聞いたときは「実写で持つのか?」と半信半疑だったが、鑑賞してみると意外や意外、良作だった。
特に印象的だったのは、ドラマ部分での伏線を最終的に回収していく構成の巧さ。単にゲームの違和感探しを映像化しただけでなく、物語としても見応えがあった。
一方で、謎は謎のまま残される。あの不思議なおじさんは本当に出口へ導かれたのか、それともさらに深い煉獄に送り込まれたのか。女子高生は悪魔だったのか、それとも天使だったのか――観客に委ねられる余白が、この作品を単なるホラーやサスペンスにとどめず、寓話的な深みを与えている。
「8番出口」という不条理なループ空間の魅力を壊さず、映画ならではの解釈を加えた佳作。ゲームを知らない人でも楽しめるし、知っている人なら“違和感のその先”を考えるきっかけになるだろう。
今明かされるおじさんの真実
ゲームの方は実況動画だけは見ていて、ある程度どんな異変が起きるかもわかった上で見に行ったけれども、存外に楽しめた
作風としてはホラーテイストの、世にも奇妙な物語って感じかな
これね、驚いたのが歩いてくるおじさんの正体が判明することよね。これが本当にびっくりというか、おじさんに感情移入させてから8番出口を彷徨う残響のような存在になってしまう流れ、偽出口に走り出してしまうおじさんと引き止めようとする子どもって図が胸に来るよこれは
あの不気味な笑顔が一緒に迷い込んだ子どもを安心させるための笑顔だったってのがわかって辛い…とても辛い……偽出口から出た後あんなNPCみたいな存在になってしまったんだな……
ゲームだとわかりやすすぎる異変でボーナスな偽出口だけど、今となっては一番怖いかもしれない。
あとゲームにはないオリジナルの異変もいくつか増えていた。
あんまりジャンプスケアに頼ってる感じはしない。
不気味さや不安をあおる感じでホラー初心者でも全然いけるけれど、結構生理的嫌悪感を掻き立てるような音響なのでそれが苦手な人は注意が必要かもしれない
僕もね、初っ端大音量の赤ん坊の泣き声聞いた時はちょっと退出を考えるレベル。爆音よ……無駄に
8番出口で起きるオリジナルの異変は多分ニノ(キャラの名前が出ないのでこう呼ぶ)の、トラウマや不安、後悔なんかが具現化したものなのかな。少しサイレントヒル2(ゲームの方)を彷彿とさせる。
その無意識の負の感情に向き合って、子どもとちょっと打ち解けながら出口を目指していく。最後はたぶんハッピーエンドなのかな?無限ループから抜け出すまでのドラマも淡泊ではあるけど過剰な演出やお涙頂戴ではなく、スっと入ってきてくどくないのが良かったんじゃないかな
あと不満を挙げるなら…そうね、やっぱゲームよろしく画面酔いしてちょっと気持ち悪い……ゲームの実写化という地雷臭しかしない題材をよくここまでキレイにまとめたなと、正直かなり感心した。最近のホラー風味の映画の中ではかなり見れる作品だった。
期待せずに見た方が良かった
8番出口のゲーム知らんかったし、朝の番組で取り上げられてたし、映画館のHP見てみたら結構人気っぽかったので、期待してみに行った。
8番出口のルールは分かったけど、演出がたぶん自分の性格とあってないのか、異変あったらチンタラせんとさっさと引き返せよ!って思ってた。
おっさん役の人の演技が良かった。
8番出口は人生そのもの
何が異変で何が異変じゃないのかを探し自分で決断して、何回も異変を見落として振り出しに戻るがそれでもまた前に進むしかない不条理な8番出口はまさに人生そのものだと思った。人生は「どうする?」の連続で、何が正解で何が不正解か分からないし、自分で決めるしかない。だから最終的にはニノが8番出口に残らず、最後は赤ちゃんとお母さんを助けに行けて、現実の世界でも前に進めて良かった。
私は小説版を読んだ後に行ったから観やすかったけど、小説を読まないと分かりにくい映画って映画としてどうなんだろうと思う。あと小説と映画で異変の数が異なる事に驚いた。
個人的に途中から喘息がなくなったのは、最初は戸惑いや不安、ストレスで苦しかったが吸入薬と水がなくなり、いよいよ覚悟を決めねばならない状況に立たされた事で、ニノなりに腹を括って精神的に成長できたからだと解釈してる。
7が0になった時のおじさんとニノの反応の違いや子供との接し方、異変の探し方などに性格の違いが出ていたし精神状態がリアルに表現されていたから面白かった。
うーん。何が言いたいん?
キャラの設定ブレブレというか…二宮さんの最初の喘息設定必要なのかと思い、我慢してみてましたが、辛そうでキツかった…のに?
途中で薬無くして咳き込まずに動いてるし!
しかも最高500mlの水一気飲みかい!
二宮さんさんと、予想以上のおじさんのイケボに助かった映画。
「異変」に工夫が欲しかった
アイデアはいいけど、「異変」も含めてもう少しトリッキーに作って欲しかった。
背景がシンプルな通路のワンシチュエーションで平板になりがちなのに、肝心の「異変」がなんだか面白みがない。
埋め込まれた「異変」を観客も一緒に探せるようだと、画面にくぎ付けになるのに。
男の子は、ニノの彼女のお腹にいる子なんだろうか、それならなぜ「おかあさんに探してほしくてわざと迷子になった」なのか。「お父さんに迎えに来てほしくてわざと迷子になった」だったら分かる。
彼は父に限らず、「親」の愛を求めてさまよっていた子供なのかもしれない。
「父」が自分を見捨てなかったのを確認できたので、男の子の出口への道が現れたようにみえる。
男の子視点ではニノは「父」の化身で、ニノ視点では男の子は彼女と自分の子の化身、それぞれがニノ、男の子、のイメージで現れていたということかも。
8番出口への道は、さまよう人自身の心もち次第で開けてくるのではないか。
ラスト、時間が巻き戻ったのか?
てか、あの通路は生死のはざまにあって、無事脱出できたニノは、元いたところに戻っただけ、脱出できなかったおじさんと小松菜奈ちゃんは、菜奈ちゃんが言った通り「〇んでる」のかも。
ニノは助け舟を出しに向かったようですが、韓国映画だったら距離あるのにわざわざ近づいて行ってキレる男に注意して逆に刺されて亡くなる、せっかく父性と責任感に目覚めたのに、という展開になりそう。
「8番出口から、外に出ること」って、
ニノは通路からホームに降りて地下鉄に乗っていて「外」には出ていない。。。まだ脱出できていない!? 脱出ゲーム、やり直し!?
でも、今回は見て見ぬふりではないので、駅で降りたら改札の外に、ちゃんと外に通じる「8番出口」があるんだと思います。
「世にも奇妙な物語」のエピソードみたいなお話。映画でなくテレビ番組の一エピソードであればもっと短くてピリッとしたかも。
「ボレロ」は確かにこの映画みたいな曲。
基本同じ旋律が繰り返されるが毎回微妙に違う。
ボレロに合わせて文字が浮かんでくるエンドタイトルはなかなか良かった。
ゲームがあるのは知ってましたが、やったことない。やってみたくなりました。
観客が若い女子の二人連れがほとんどで、おばさん何か場違いな感じになっちゃったわ。
ループ
ボレロのループにエッシャーのループに8番出口のループと、そういうことねって思えて面白い。
時系列的に8番出口に囚われた順番は女子高生、歩く男、迷う男なんだけれども、女子高生と歩く男は8番出口から出ることに失敗して永遠に8番出口の一部として歩かされていると鑑賞途中で理解できた瞬間に怖さを感じた。
ゲームと違い、異変の一部が登場人物の抱えている心の闇の部分をえぐる感じになっていて、私の感情が嫌な気分に持っていかれる感覚が面白い。
迷う男が異変と対峙して蓋をしていた闇の部分に正面から受け止めようと、だんだんと生気をとりもどしていくような感じがして、最後に8番出口から出れたのが、この映画の救いの部分かなと思う。
「お堂めぐり」から、外に出ること
この映画で描かれているものは、本質的には「お堂めぐり」だと思った。
堂々巡り、でもあるけど、お堂めぐり。
寺院などの真っ暗な地下通路やお堂の通路をぐるぐる巡り、「胎内から産道を通って誕生する」ことを経験するものだ。
もちろん、これは、回廊のような悩みや苦しみから脱却し、新たな自分に生まれ変わることの比喩である。
一貫して、主人公(ニノ)の内面の問題に焦点が当たっていると思う。
つまり「妻の胎内にいる子どもを殺すか否か」だ。
電車で理不尽な目に遭っている赤ん坊を見捨てる自分。その罪悪感と、差し迫る決断への悩み。
「赤ん坊を見捨てる」というイメージが「赤ん坊を捨てる」につながり、あの「コインロッカーに捨てられた赤ん坊」のシーンにつながる。繰り返し垂れてくる血液のようなものは、堕胎や流産のイメージ。
自分の決断次第では、赤ん坊を殺すことになる。「命をそんなふうに弄んでいいのか?」という主人公の葛藤が、あの耳や目を植えられたネズミたちにつながる。
つまり、ホラー演出に見えるものは、「主人公の悩み事のイメージの連鎖」だと思う。
悩み事は「とことん悩み抜いて」こそ、出した答えに価値がある。「おじさん(歩く男)」のように、途中で悩みに向き合うのに疲れて嫌になり、目の前の安易な答え(光ってた偽物の8番出口)に飛びつくとどうなるか。「俺は悪くない!そうだよ悪くないんだ!」と、他人にも、世界にも全く何の関心もなくなり、スマホの画面しか見えない、無関心ロボット的人間の出来上がり。それを主人公は、「あれはもう人間ではない」と手厳しく批判する。
歩く男が出会う女子高生は、多分、男自身の直面している悩み事を表すのだろう。
そして子ども(男の子)の登場。
繰り返し現れる「子殺し」のモチーフの中で、この子をどう捉えるかで、観たあとの
感じが変わるだろう。
①主人公の子どもで、まだ当然、胎内にいる。彼もまた、生まれるかどうか迷っている。
②主人公自身であり、幼い頃の記憶を表している。
この二通りを自分は想像したが、①なら、主人公が未来視(海のシーン)のあと、彼を破滅的洪水から救う決断をする。救われた彼は
主人公の子どもとして生まれる決意をし、悩みの回廊を出ていく。
②なら、親への愛に飢えていた(ようにセリフからは聞こえた)過去の自分を救った主人公。過去の自分が救われて迷宮から脱出したことで、現在の彼も迷いが晴れる。
ということだろうか。
何にせよ、この映画は「観客が映画に参加するかどうか」と、「8番出口を迷いや悩みの堂々巡りの象徴と捉えるかどうか」で評価が変わると思う。
「参加するかどうか」とは、元がゲームなのだから、主人公たちと一緒に「異変を探すゲーム」に参加するか否かだ。参加すれば「よっしゃ、正解!」「え、待って待ってどこが間違ってたの??」「ニノ、うしろー!!」と言うような楽しみ方ができる。ぼんやり眺めているだけなら、眠くなると思う。
また、「悩み事に迷っている象徴」だと捉えなければ、単なる意味不明な映画になってしまうだろう。
けれど、自分としては、「自分の子どもを生かすか殺すか」という重大な決断を前にした主人公の、そのイメージに従って丁寧に、しっかりと描かれた筋書きだと思った。
物語ではなくイメージの連鎖なのだ。
反吐を吐くほど「迷って、迷って、悩み抜いた」主人公は、見事、8番出口から出ていくことができる。それはピカーっと光り輝くようなものではなくて、「日常」へと帰ってくる答えだ。
本当にきちんと悩み抜けば、「悟ったぞ俺はすごいぞー!」ではなくて、そうなるはずだという話を聞いたことがある。その通りだと思う。
主人公の決断は描かれないが、最後、危害を加えられている赤ん坊の前で主人公が目に浮かべた涙が、物語っているだろう。
あそこでバーンと具体的に書いたら、カタルシスはあろうけど、薄っぺらくてみっともなくなる。
自分は終始、感心して異変探しして楽しんで見ていた。
そうそう、8番出口の8という数字は∞(無限)にも似てるけど、赤ん坊のカタチにも見えるんですよね。
今回はたまたま赤ん坊だが、メッセージとしては「目の前で起きていることと、自分自身の問題とに、どこまでも向き合え、問題に対して誠実であれ」ということなのだと思う。「異変を見逃さないこと。異変を見つけたら引き返すこと」。これは、戦争への流れなど政治的なことを含め、世の中の色々なことに言えると思う。
冒頭とラストは好きなのですが
冒頭、かなり興味津々で引き込まれました。
そして地下鉄通路に迷い込む、さあ、どうなるんだ!?
嫌でも期待値は高まります。ここまでは好き。
でも、そこからは延々と地下通路をクルクル回っているだけに感じてしまい、私は楽しめませんでした。もういいよ早く終わってと思いながら、おそらく死んだような目で観ていたと思います。でも通路を歩くおじさんは、予告からすでにインパクトあり過ぎて良かったです。
ラストも良かった。
電車内に描写が戻ると、また私の興味が復活。これ、主人公はどう対処するんだ?と思いきや何もしない?あ、動いた?・・・で終わり。実はここ、大好きな描写でした。エンドクレジットもカッコいい!
残念ながら地下通路内のルールや設定に興味が湧かず、私にとって、冒頭とラスト以外は苦痛な時間でしたので、このラストの巻き返しも焼け石に水。映画を観終わった後の満足感だけで言えば、本音は星2つです。
ですが、本作のアイディアや映像の見せ方、この映画を作ろうとした心意気などは悪くないもので、決して手抜きやいい加減な映画ではありませんでしたので、星3つにとどめて次回作に期待します。
出だしは世にも奇妙な物語
出だしは世にも奇妙な物語感が強くそれをどう映画の長編にするのか?ってのがポイントでしたが、おじさんのサブストーリー、子供のサブストーリーが入ってて上手くつくりあげてるなぁってのが印象でした。
残念なとこは女子高生のサブストーリーがなくて全く分からなかったのと主人公の喘息設定の意味がわからなかったとこかな?続編の「8番のりば」の次回作(やって欲しい)に期待して星🌟4個
自分次第♾️
冒頭の場面に戻った最後。
赤ちゃんを怒鳴っている男に注意するのか、いや、それはできないよなあ、と思っていたら、何もしなかった。
人は簡単には変われない。
でも、最後の表情から、きっと赤ちゃんを迎えるのだろう、いや、迎えろ、と思いました。
無限ループを出るも出ないも自分次第ということなのでしょう。
それにしても、乗客みんながスマホに夢中の車内は、気持ち悪いものだな、と思いました。
喘息を持っていたのは意味あったのかな?
途中で薬がなくなっていたのに、その後、なんともなかったみたいでよかったけれど😆
※ネタばれ含むので未視聴の方はご注意ください。
8番出口のゲームが好きな人からするとちょっと…と思う点が多かった印象です。
※ネタばれ含むので未視聴の方はご注意ください。
始まりこそ一人称視点でどんな異変があるかドキドキしながら見たものの、喘息持ちの主人公、別れかけの彼女、未来の息子などの登場で変にストーリー性を出したのは違うんだよなぁ感がありました。映画の尺をもたせるためなんだろうけど純粋にゲームの世界観を楽しみたかったので残念。予告ではそこらへん出てなかったから見る側もループに嵌ったような参加型で進んでいくものかなと思っていました。
途中から登場して「異変…じゃない?」となる少年の存在も8番出口のルールとしておかしいんじゃないかと思います。唯一”異変があったら戻る”がルールなのに判別できないことが起こるのは…。あと声出せない設定なのかと思いきや途中から喋り出す謎。
ニノ絶望したとはいえ荷物放棄はダメでしょ。喘息持ちならなおさら。でもこれは映画あるあるか。
最後ループを抜け出したあとの電車のシーンは時間回帰したってこと?時間戻すよりも似たシーンに遭遇して今度は勇敢に立ち向かったってストーリーのほうが納得できたと思う。
ただ、おじさんの再現度は完璧でした。見た目、表情、歩き方、すべておじさんでした。
なぜおじさんが8番出口のおじさんになったのかが分かるストーリーがあったのはなるほどね、と納得できた。でも戻らなかったらやり直しになるルールなのに取り込まれてしまうのはトリガーの説明がないとおかしいかなと思います。
ロッカーベイビーのホラー要素は純粋に楽しめた。暗闇ネズミキメラはちょっとショボかった。
…プロモーションとの相違
最後の場面の主人公の表情は秀逸。
彼の作品の中で一番好きな演技だと思う。
ただ作品自体の内容を振り返ると、どっち付かずと言うか起承転結が緩やか。
欧州映画にありそうな緊張感のある題材を掴みでプロモーションCMを作成して、いざ鑑賞するとプロモーションとは異なるテーマを浴びせられる印象。
純粋にシュチュエーションホラーが見たかったので、必要な導入部分の背景は必要な事前情報として知りたかった。
(そしたら見るか悩むし同行者に是非を確認出来た)
二宮氏が制作に係るステップとも思うが、ならば噛み合わないテーマを丁寧に、もしくは家族ドラマを切り捨てる演出で見てみたかったです。
※すみません。20年ぶりに観るホラーテイストの作品だったのて、大変期待しておりました。
いつまでも堂々巡り
まったく期待していなかったからがっかりもしなかった。
で、面白かったかと言うと、うーん・・・。意味が分からない
部分もあったし。合う合わないで言ったら合わない方かな。
“迷う男”が無限回廊に迷い込み出口を求めて進んで行くが気が付くと
元の場所に戻っていて・・・の繰り返し。見ているこちらはあまり
当事者感を感じられず、堂々巡りしているのを延々と見せられるから
途中で飽きてくる。
途中寝落ちしても、配信や円盤なら2倍速・3倍速にしても、何なら
途中を飛ばして導入部と最後の30分程度だけ見ても差し支えない
ような内容の映画だった。95分の上映時間は最近の映画としては
短い方だがそれでも間延びした印象。
”異変を見逃さないこと”とあるが、異変が伏線になっていないくて
単発の驚かせでしかないのは不満。
疑問が残る。出口表示の数字が変わっているのって”異変”じゃないの?
その数字が増えていると8番出口が近づいたかのような反応をする
けれどそんなルール説明はなかった気がする。
あと途中で荷物をほったらかしにして行くのはどうして?その後
荷物はどうなった?
伏線回収や謎解きがあってその結果脱出できて、ああすっきりしたね
という終わり方をしないからもやもやが残る。
主演俳優のファンならほぼ出ずっぱりの彼の姿を見続けることができて
嬉しいかもしれないが何とも思わない自分にとっては退屈だった。
演者では小松菜奈が好きだが出番が少なすぎる。
マイナスのことばかり書いてしまったが、所々良い描写もあった。
・オープニングとエンディングでの文字の出し方
・導入部の主観映像と音、電車を降りてから無限回廊に迷い込むまでの
ワンカット風の描き方
・進んでも引き返しても同じ場所に戻る無限回廊のセット
・主人公じゃないもう一人のおじさん“歩く男”の存在感(最後まで謎の
おじさんで通してほしかったが)
・音や音楽の使い方 イヤホンをしている時と外した時の音の違いや
靴音の立体感とか、津波に飲み込まれた?後で子供が歩く時に靴の
中が水浸しになっていると分かる靴音とか。
あと「ボレロ」は堂々巡りの映画にぴったりの選曲
別れるはずだった彼女に妊娠を告げられ動揺するも、最後はよりを戻す
であろうと思わせる終わり方。しがない派遣社員の彼がこの経験を通して
どう変わったかというのが一応の筋と言える。願わくば主人公が早く
彼女に会いたいと思う気持ちをもっと表現してほしかった。
導入部で赤ちゃんを連れた女性が他の乗客に怒鳴られていた時、見て見ぬ
ふりをしたことを“迷う男”はちょっと後悔していた。ラストで全く同じ
状況になった時主人公は・・・。見ているこちらは彼が勇気を振り絞って
彼女を援護するのを期待。しかし映画では彼が実際に行動するところまでは
描かない。一瞬動き出すところで終わる。
この終わるタイミングが絶妙。このラストは「インセプション」(2010年製作
原題:Inception クリストファー・ノーラン監督)に匹敵すると言ったら
褒めすぎか?でもセンスの良さを感じた。ここで実際の行動を見せたら
興覚めしていただろう。見せないからこその余韻が良かった。
ホラー以上に現代アート
これが、賛否が分かれる所以でもあるのだろう。
■現代アート?
まずは、前日譚も後日譚もなく、原作の舞台である地下通路をきちんとメインとしていることを称賛したい。
映画オリジナルの設定として、地下通路外で登場する「ある女」(小松菜奈)。「迷う男」(二宮和也)と別れた後に子供ができたことが分かり、結婚を含めてどうするのか。これだけでも、地上で長々とした人間ドラマが作れたはず。それを電話での数ラリーで説明して終わらせ、「異変」へと鮮やかに繋げた。
地下通路で登場したのも、「迷う男」への選択を迫る「異変」としてであり、「迷う男」の心情を吐露させ、変化を表現するための装置として用いたのみであった。
そして、安易に後日譚を付け足すこともしなかった。「少年」(浅沼成)に繋がるまでの紆余曲折を後日譚として描くことだって出来たはずなのに、未来の描写をワンシーン入れ、「少年」と「迷う男」の繋がりを示すに留めた。
原作にも登場する「歩く男」。映画では、「歩く男」(河内大和)にも「歩く男」のストーリーがある。セリフや説明の少なさを「歩く男」と「迷う男」の対比で補うのが素晴らしい。
そして、これらがシームレスに繋がる美しさである。(これと、大画面で他のことを一切しない環境下での鑑賞が大きな没入感を生むので、CMでぶつ切りにされる地上波放送はもったいないと声を大にして言いたい)
何よりも全員芝居が上手い。
ゴテゴテと装飾せず、あくまで地下通路を主題に描いただけでも及第点であるのに。
推測できる要素を過不足なく配置。脚本のないゲームから、地下通路を人生と重ねて意味づけし、ストーリーを生み出し、作品にメッセージ性を持たせる上手さ。
一方で、謎は謎のままに。時空の歪みや軸の交わりなどの超越的なものは超越的なままに。無理に説明しようともしない。
原作を壊すことなく、二者択一を繰り返す地下通路を過不足なく描き切った手腕は、実に見事だ。
それから、ボレロと黄色一色で始まり、ボレロと黄色一色で終わる本作。エンドロールのボレロでは後半にかけて明るくなっていく。不気味、警戒、絶望といった印象から、次への可能性や希望へと変わる見え方もまた、美しかった。
最早、現代アートと言って差し支えないのではないか。
■ハマらない?
さて、本作の予告はややホラー色強めであったが、スリラーやホラーを期待して観ると、それよりも風刺画的側面に肩透かしを食らった気分になるのではなかろうか。
一方で、原作ゲームの「異変」を想定していると、思った以上にホラー・スリラーである。
また、1人で迷うということは会話が少ないということである。即ちセリフの体をした説明も少ないということである。キーワードや推測可能な描写は散りばめられているが、観客がある程度推測しながら観ない限りは、「意味不明」という印象を抱きかねない。能動的な観方を求められるため、受動的に作品を享受するだけでは面白くはならない。
以上から、ハマらない人にはハマらない作品であることは否定できない。
では、原作ゲームを反映できていないのかというと、そういう訳では無い。
原作ゲームの「異変」を大きく分けると「ジャンプスケア系」と「間違い探し系」の2つ。これらがホラーで味付けされている。
原作ゲームをプレイした際に感じたのは、閉塞感、「視られている」怖さ、ループする絶望だった。本作でもこれらはきちんと反映されているように思う。
あの地下通路を単なるホラーとして処理せず、自分の「罪」と向き合う装置として意味づけしたことで、スリラー・ホラーで終わらず、人間ドラマや社会風刺を盛り込んだメッセージ性を持たせることができている。映画にする意義というものだろう。
また、「異変」の中でも「間違い探し系」の特に分かりにくいものは映画ではあまり登場しなかった。ゲームにおいては、これらを見逃しては絶望し、「異変でない」と判断した基準が揺らいだり、的外れな解釈から抜け出せなかったりするのが醍醐味であり、実況配信というコンテンツで面白くなるミソでもある。しかし、これは時間の許す限り何度も周回し、時にはスクリーンショットを撮って比較できるからこそである。
一方で、映画においては、「迷う男」が一から十まで自分の思考を語る訳にもいかず、地味な異変を見つけるまで周回するのでは冗長極まりない。故に、難易度の高い「間違い探し系」の異変は、見逃して0番出口に戻った描写を導入時に挟むくらいが限度となる。(本作2周目の「異変」が何であったかアングル固定もあって見つけられなかった)
おそらくは、割愛されているだけで、「迷う男」も「歩く男」もこれらの異変に引っかかり何度も0番出口に引き戻されていることだろう。でなければ、あれほど疑心暗鬼になり、絶望や恐怖、怒りが臨界点に達して爆発したりしない。
そして、「異変を見逃した」ことが観客に確実に伝わるようにするには、客観的に分かりやすい異変を見逃す描写の方が適している。
同時にこれは非常にリアリティのある描写でもある。
というのも、「異変」を探すことを目的とし、いつでも終了可能なゲームプレイヤーとは異なり、地下通路で「異変」探しを余儀なくさせられるのは、特別な洞察力や記憶力もないごく普通の、それも何がしかの目的をもって地下鉄を利用していた一般人である。突然あの地下通路に閉じ込められ、脱出するためには進む他なく、写真を撮っても潰されるため己の記憶力を頼りに、体力と精神力を削りながら周回するのだから、明らかな異変を見逃すのも現実的な描写である。
試験中でも2×3=5と計算したり、解答欄をズラしたり、問題文を読み落としたりするのだ。追い詰められた状況下での見落としなんて、実にリアルではないか。
それに、一度気になった所や「異変」があった所はまた何かあるのではと気になる所もとても共感した。
原作ゲームでも、「異変」を遠目に見て引き返す慎重派と、「異変」に突っ込んでいくかのようにまじまじと確認する好奇心旺盛派など様々いただろう。同様に、いや実際にその状況下にいるからこそ、「迷う男」は硬直し、確認したり、フラフラと進んだりと様々な行動を取った。
間違い探しホラーゲームであるが、生身の人間がその状況下に陥った時の反応をリアリティをもって描き、地下通路を主題として逸れることなく描き切っている。原作ゲームの映画化として十分すぎるほどだろう。
原作ゲームのどの要素に焦点を当てた映画を期待していたかによっては、期待外れも致し方ないだろう。しかし、原作ゲームをプレイしていたなら、あの地下通路というシステムの解釈や「歩く男」のストーリー、映画全体のループ構造は十分に楽しめるのではないだろうか。
■喘息?
発作時の喘息吸入薬(SABA)、途中で捨てて良いのか問題。
そもそも、喘息吸入薬はβ2刺激薬といい、気管支を広げる働きをする一方で、心臓に鞭を打つように働かせる薬。そして、発作時には短い時間で強く効くものを使うため、短時間に過剰に使用すると不整脈や心停止のリスクがあり、あれほど高頻度に使うものではない。(止まらなければ救急車を呼びましょう)
以下に添付文書を抜粋する。
発作発現時に限り、通常成人1回2吸入で、通常3時間以上効果が持続するので、その間は次の吸入を行わないこと。1日4回(原則、成人8吸入)までとすること。
ここで本作に戻ると、「迷う男」は数十分で3〜4吸入はしており、これ以上は推奨されない。また、発作の出現も心因性の可能性が高く、「ある女」の妊娠が発覚して父になるか問われる状況、地下通路から出られない状況に対して発作が出るほどの心的負荷がかかっていたと分かる。そして、一度気が狂れ、地下通路に向き合うと前を向き始めてからは大きな発作は起こしておらず、「迷う男」の成長や変化のバロメーターとしても喘息は機能していることが伺える。
■感想として、本作を解釈をしてみる。(ガッツリネタバレ)
冒頭で、「迷う男」は、赤子と母親を怒鳴るサラリーマンに、我関せずな周囲という「異変」に気づきながらも見ぬふりした「罪」を犯す。
そして、災害や戦争に関するニュースやSNSをスワイプして「なかったこと」とする「罪」を重ねる。
地下通路での「異変」は、人生における累積「罪」を顧みさせ贖わせるために存在するのだろう。
これらを突きつけられながら、「父となること」と向き合い、変わりゆく「迷う男」の様が、原作を壊すことも装飾過多になることもなく描かれている。
少ない説明でこれを描くのに重要なのが、「歩く男」のパート。
「迷う男」と「歩く男」の対比は鮮やかで、これらを「少年」を介してシームレスに繋げるのもまた鮮やかである。
例えば、「迷う男」と「歩く男」が同じように臨界点に達した場面。
器物損壊し当たり散らした後、鞄をしっかりと拾った「歩く男」。
対して、警告色一色に気が狂れ、吸入薬が見つからず、荷物を全て捨てた「迷う男」。
現世への執着やちっぽけなプライドなどを象徴し、「自分」を変えられるか否かの対比であるように受け取れる。(それでもスマホは捨てないあたり、現代人の業というか、それほどまでに必需品と化している証左か…)
「罪」と向き合い、変えられなかった男と、少しは変われた男。
その結果が、囚われたか、再(re)ループか。
8番出口(8→)以前で現れた天へ続く階段へと引き留める「少年」を振り払い駆け上がった男は囚われた。(Bad End)
「少年」を守った後に辿り着いた8番出口(8→)最後の直線に入る前に「異変」として現れた地下へ戻る階段に足を進めた男は、振り出しへと戻された。(Continue…?)
余談だが、「少年」は犯した「罪」の少なさ故に、罪悪感や恐怖を感じる異変が少なく、津波から助かった後、True Endへと歩めたのではないだろうか。
「迷う男」は"Test",「歩く男」は"hell",「少年」は"he"とあったように、「迷う男」は試されて辛うじて及第点、「歩く男」は囚われ、「少年」は地下通路にとって問うべき「罪」のない「少年」でしかなかったのだろう。
振り出しに戻された「迷う男」は、冒頭の時空へのループを悟り、赤子と母親を怒鳴るサラリーマンに我関せずな周囲という「異変」に対して、行動するという選択肢を取…
ろうとしたところで黄色一色のエンドロールとボレロが始まる。
鮮やか〜。
やり直した分岐の先で、彼は無事脱出出来たのか。それとも、8番のりばへと舞台が移ったのだろうか。
削ぎ落とされた美しさ。故に、解釈の余地に富んだ良作。いや傑作である。
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