「「ありきたりの日常」がもっとも怖い」8番出口 PJLBNさんの映画レビュー(感想・評価)
「ありきたりの日常」がもっとも怖い
通勤や移動でよく東京メトロを使うので、映画のタイミングでメトロが開催したツアーの本の宣伝や、実際にただの地下鉄の出口に黄色い映画のタイトルが入ったショッパーを持ったひとたちがたむろしているのが気になっていた。今回ヒットしてから鑑賞したが、実際休日の映画館はカップルや親子連れが多く、ホラー映画などを見ない客層も取り込んでるんだろうな、と実感した。
映画そのものはそんなに複雑ではなく、自分は知らなかった有名なゲームを映画にした、というのがどうやら見どころのよう。原作はプロデューサーで小説家の川村元気とあって、視点というか、この映画のポイントとなるようなミニマムなキャラクターと、人物設定がなかなか良いな、と思った。小説と違って背景説明がなく、そのまま「8番出口」に連れてこられたような錯覚を観客にもってもらう演出は、なかなか作り手としてはしんどかったように思うので、その点はなるべくドラマのテンションを保つ工夫(音や明かり)も欠かせず、よくできていたと思う。
映画そのもののテーマは、たぶん「日常がもっとも怖い」ということなんではないかと感じた。赤ちゃん連れの母親を怒鳴るサラリーマンというのは非日常的だが、見て見ぬふりをするひとたちはそのまま「日常」で、恋人から妊娠を告げられる主人公は非日常的だが、電話に出づらいところで声をひそめたり、とまどったりするのは「日常」だ。
そんななんでもないところの「日常」の恐怖の象徴が、この「8番出口」の殺風景な地下道なのだと思う。そして、出られないというのは、おそらく「永遠に繰り返される日常」の比喩で、そこから出るためには、ささいな違和感や異変に見て見ぬふりをせず、同じことを繰り返すのではなく、「引き返してもう一度そこを通る」必要がある。恋人との象徴的なシーンは、人生を繰り返しにしないため、無感動な日常から「生きる」ために必要なつながりを示している。
歩く男と少年が、いっしょにいるのに意思疎通が出来ていなかったように、異変に気が付かなければ、無理やりいっしょにいる人間を道連れにし、永遠に出口から出られずにとらわれてしまう。この対比として主人公と少年は、言葉を交わして意思疎通ができるようになり、地下鉄で見て見ぬふりをしていた自分を客観視できるようになったことで、出口を見つけられるのだ。
その意味では短い映画ながらシンプルで筋が通っていて、ホラー映画にありがちな理不尽な死では終わらず安心して見れる作品である。
