「ラビリンス感や、繰り返す映像の陶酔感は、河村元気・流の「去年マリエンバードで」とでも言えようか。」8番出口 mac-inさんの映画レビュー(感想・評価)
ラビリンス感や、繰り返す映像の陶酔感は、河村元気・流の「去年マリエンバードで」とでも言えようか。
二度見た。最初は、普通の劇場。で、IMAXでみるべき映画だと思ったので、二度目はIMAXで。
映像は、IMAXに向いている題材ではないが、この映画では音(SE)がかなり重要で、計算されている。それを最大限味わうには、IMAXが正解だと思う。で、IMAXで見た二度目の方が良かった。
ゲームを題材にして、理屈っぽい作りだが、理屈は、観客を混乱させるのが目的で、それほど辻褄を理解して見る映画ではないと思った。(ただ、作者側はかなり辻褄を考えているのだろうが)
どちらかと言えば、音楽を味わうような感覚で映像の展開を楽しむ映画だと思う。
ラストのニノ(二宮和也)の顔のアップで動き出す(車内で怒鳴っているオヤジに文句を言いに行くであろう)ところでラストカットが終わり、エンドクレジットに変わる。その心地よさ。で、そのエンドクレジットが「ボレロ」の音楽に合わせて羅列されてゆく様も楽しい。
最初の映像のワンカットの長回しはすごい。ニノの顔が扉のガラスに映るが主観カットでカメラが映りそうなものだが、当然映らない。で、そのまま主観アングルで電車から降りて異常に気づくまでワンカットで進む。どうやって撮ったんだろうと思う。多分、CGなどが使われているのだろう。そんなことも見ていて楽しい。
ストーリーとしては、周りに流されていつの間にか不干渉、無関心になってしまった自分自身にに気づき、時間や周囲に流されてしまっている自分を改め、自ら主体的に動くことを選択して(父になることを選択して)終わるというお話。
小松菜奈はいいアクセントになっている。(美しい!)で、泣いている赤ちゃんを抱えている女性は、かなり離れているが、よく見ると小松菜奈に似ている(役者は別の人)。そんなところも繊細に描いていると思う。
キューブリックや、クリストファー・ノーラン、溝口健二、黒澤明、アラン・レネなど様々の映画の記憶が詰まっている映像を楽しむ映画なのだろう。ラビリンス感や、繰り返す映像の陶酔感は、河村元気・流の「去年マリエンバードで」とでも言えようか。
面白い。
