「ホラー以上に現代アート」8番出口 むぅさんの映画レビュー(感想・評価)
ホラー以上に現代アート
これが、賛否が分かれる所以でもあるのだろう。
■現代アート?
まずは、前日譚も後日譚もなく、原作の舞台である地下通路をきちんとメインとしていることを称賛したい。
映画オリジナルの設定として、地下通路外で登場する「ある女」(小松菜奈)。「迷う男」(二宮和也)と別れた後に子供ができたことが分かり、結婚を含めてどうするのか。これだけでも、地上で長々とした人間ドラマが作れたはず。それを電話での数ラリーで説明して終わらせ、「異変」へと鮮やかに繋げた。
地下通路で登場したのも、「迷う男」への選択を迫る「異変」としてであり、「迷う男」の心情を吐露させ、変化を表現するための装置として用いたのみであった。
そして、安易に後日譚を付け足すこともしなかった。「少年」(浅沼成)に繋がるまでの紆余曲折を後日譚として描くことだって出来たはずなのに、未来の描写をワンシーン入れ、「少年」と「迷う男」の繋がりを示すに留めた。
原作にも登場する「歩く男」。映画では、「歩く男」(河内大和)にも「歩く男」のストーリーがある。セリフや説明の少なさを「歩く男」と「迷う男」の対比で補うのが素晴らしい。
そして、これらがシームレスに繋がる美しさである。(これと、大画面で他のことを一切しない環境下での鑑賞が大きな没入感を生むので、CMでぶつ切りにされる地上波放送はもったいないと声を大にして言いたい)
何よりも全員芝居が上手い。
ゴテゴテと装飾せず、あくまで地下通路を主題に描いただけでも及第点であるのに。
推測できる要素を過不足なく配置。脚本のないゲームから、地下通路を人生と重ねて意味づけし、ストーリーを生み出し、作品にメッセージ性を持たせる上手さ。
一方で、謎は謎のままに。時空の歪みや軸の交わりなどの超越的なものは超越的なままに。無理に説明しようともしない。
原作を壊すことなく、二者択一を繰り返す地下通路を過不足なく描き切った手腕は、実に見事だ。
それから、ボレロと黄色一色で始まり、ボレロと黄色一色で終わる本作。エンドロールのボレロでは後半にかけて明るくなっていく。不気味、警戒、絶望といった印象から、次への可能性や希望へと変わる見え方もまた、美しかった。
最早、現代アートと言って差し支えないのではないか。
■ハマらない?
さて、本作の予告はややホラー色強めであったが、スリラーやホラーを期待して観ると、それよりも風刺画的側面に肩透かしを食らった気分になるのではなかろうか。
一方で、原作ゲームの「異変」を想定していると、思った以上にホラー・スリラーである。
また、1人で迷うということは会話が少ないということである。即ちセリフの体をした説明も少ないということである。キーワードや推測可能な描写は散りばめられているが、観客がある程度推測しながら観ない限りは、「意味不明」という印象を抱きかねない。能動的な観方を求められるため、受動的に作品を享受するだけでは面白くはならない。
以上から、ハマらない人にはハマらない作品であることは否定できない。
では、原作ゲームを反映できていないのかというと、そういう訳では無い。
原作ゲームの「異変」を大きく分けると「ジャンプスケア系」と「間違い探し系」の2つ。これらがホラーで味付けされている。
原作ゲームをプレイした際に感じたのは、閉塞感、「視られている」怖さ、ループする絶望だった。本作でもこれらはきちんと反映されているように思う。
あの地下通路を単なるホラーとして処理せず、自分の「罪」と向き合う装置として意味づけしたことで、スリラー・ホラーで終わらず、人間ドラマや社会風刺を盛り込んだメッセージ性を持たせることができている。映画にする意義というものだろう。
また、「異変」の中でも「間違い探し系」の特に分かりにくいものは映画ではあまり登場しなかった。ゲームにおいては、これらを見逃しては絶望し、「異変でない」と判断した基準が揺らいだり、的外れな解釈から抜け出せなかったりするのが醍醐味であり、実況配信というコンテンツで面白くなるミソでもある。しかし、これは時間の許す限り何度も周回し、時にはスクリーンショットを撮って比較できるからこそである。
一方で、映画においては、「迷う男」が一から十まで自分の思考を語る訳にもいかず、地味な異変を見つけるまで周回するのでは冗長極まりない。故に、難易度の高い「間違い探し系」の異変は、見逃して0番出口に戻った描写を導入時に挟むくらいが限度となる。(本作2周目の「異変」が何であったかアングル固定もあって見つけられなかった)
おそらくは、割愛されているだけで、「迷う男」も「歩く男」もこれらの異変に引っかかり何度も0番出口に引き戻されていることだろう。でなければ、あれほど疑心暗鬼になり、絶望や恐怖、怒りが臨界点に達して爆発したりしない。
そして、「異変を見逃した」ことが観客に確実に伝わるようにするには、客観的に分かりやすい異変を見逃す描写の方が適している。
同時にこれは非常にリアリティのある描写でもある。
というのも、「異変」を探すことを目的とし、いつでも終了可能なゲームプレイヤーとは異なり、地下通路で「異変」探しを余儀なくさせられるのは、特別な洞察力や記憶力もないごく普通の、それも何がしかの目的をもって地下鉄を利用していた一般人である。突然あの地下通路に閉じ込められ、脱出するためには進む他なく、写真を撮っても潰されるため己の記憶力を頼りに、体力と精神力を削りながら周回するのだから、明らかな異変を見逃すのも現実的な描写である。
試験中でも2×3=5と計算したり、解答欄をズラしたり、問題文を読み落としたりするのだ。追い詰められた状況下での見落としなんて、実にリアルではないか。
それに、一度気になった所や「異変」があった所はまた何かあるのではと気になる所もとても共感した。
原作ゲームでも、「異変」を遠目に見て引き返す慎重派と、「異変」に突っ込んでいくかのようにまじまじと確認する好奇心旺盛派など様々いただろう。同様に、いや実際にその状況下にいるからこそ、「迷う男」は硬直し、確認したり、フラフラと進んだりと様々な行動を取った。
間違い探しホラーゲームであるが、生身の人間がその状況下に陥った時の反応をリアリティをもって描き、地下通路を主題として逸れることなく描き切っている。原作ゲームの映画化として十分すぎるほどだろう。
原作ゲームのどの要素に焦点を当てた映画を期待していたかによっては、期待外れも致し方ないだろう。しかし、原作ゲームをプレイしていたなら、あの地下通路というシステムの解釈や「歩く男」のストーリー、映画全体のループ構造は十分に楽しめるのではないだろうか。
■喘息?
発作時の喘息吸入薬(SABA)、途中で捨てて良いのか問題。
そもそも、喘息吸入薬はβ2刺激薬といい、気管支を広げる働きをする一方で、心臓に鞭を打つように働かせる薬。そして、発作時には短い時間で強く効くものを使うため、短時間に過剰に使用すると不整脈や心停止のリスクがあり、あれほど高頻度に使うものではない。(止まらなければ救急車を呼びましょう)
以下に添付文書を抜粋する。
発作発現時に限り、通常成人1回2吸入で、通常3時間以上効果が持続するので、その間は次の吸入を行わないこと。1日4回(原則、成人8吸入)までとすること。
ここで本作に戻ると、「迷う男」は数十分で3〜4吸入はしており、これ以上は推奨されない。また、発作の出現も心因性の可能性が高く、「ある女」の妊娠が発覚して父になるか問われる状況、地下通路から出られない状況に対して発作が出るほどの心的負荷がかかっていたと分かる。そして、一度気が狂れ、地下通路に向き合うと前を向き始めてからは大きな発作は起こしておらず、「迷う男」の成長や変化のバロメーターとしても喘息は機能していることが伺える。
■感想として、本作を解釈をしてみる。(ガッツリネタバレ)
冒頭で、「迷う男」は、赤子と母親を怒鳴るサラリーマンに、我関せずな周囲という「異変」に気づきながらも見ぬふりした「罪」を犯す。
そして、災害や戦争に関するニュースやSNSをスワイプして「なかったこと」とする「罪」を重ねる。
地下通路での「異変」は、人生における累積「罪」を顧みさせ贖わせるために存在するのだろう。
これらを突きつけられながら、「父となること」と向き合い、変わりゆく「迷う男」の様が、原作を壊すことも装飾過多になることもなく描かれている。
少ない説明でこれを描くのに重要なのが、「歩く男」のパート。
「迷う男」と「歩く男」の対比は鮮やかで、これらを「少年」を介してシームレスに繋げるのもまた鮮やかである。
例えば、「迷う男」と「歩く男」が同じように臨界点に達した場面。
器物損壊し当たり散らした後、鞄をしっかりと拾った「歩く男」。
対して、警告色一色に気が狂れ、吸入薬が見つからず、荷物を全て捨てた「迷う男」。
現世への執着やちっぽけなプライドなどを象徴し、「自分」を変えられるか否かの対比であるように受け取れる。(それでもスマホは捨てないあたり、現代人の業というか、それほどまでに必需品と化している証左か…)
「罪」と向き合い、変えられなかった男と、少しは変われた男。
その結果が、囚われたか、再(re)ループか。
8番出口(8→)以前で現れた天へ続く階段へと引き留める「少年」を振り払い駆け上がった男は囚われた。(Bad End)
「少年」を守った後に辿り着いた8番出口(8→)最後の直線に入る前に「異変」として現れた地下へ戻る階段に足を進めた男は、振り出しへと戻された。(Continue…?)
余談だが、「少年」は犯した「罪」の少なさ故に、罪悪感や恐怖を感じる異変が少なく、津波から助かった後、True Endへと歩めたのではないだろうか。
「迷う男」は"Test",「歩く男」は"hell",「少年」は"he"とあったように、「迷う男」は試されて辛うじて及第点、「歩く男」は囚われ、「少年」は地下通路にとって問うべき「罪」のない「少年」でしかなかったのだろう。
振り出しに戻された「迷う男」は、冒頭の時空へのループを悟り、赤子と母親を怒鳴るサラリーマンに我関せずな周囲という「異変」に対して、行動するという選択肢を取…
ろうとしたところで黄色一色のエンドロールとボレロが始まる。
鮮やか〜。
やり直した分岐の先で、彼は無事脱出出来たのか。それとも、8番のりばへと舞台が移ったのだろうか。
削ぎ落とされた美しさ。故に、解釈の余地に富んだ良作。いや傑作である。
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