「脚本と俳優の演技に敬意を」8番出口 tpoさんの映画レビュー(感想・評価)
脚本と俳優の演技に敬意を
8番出口のゲームとしての異質さと秀逸さについてはここでは割愛する。しかし、あのストーリー性のないゲームをどのように映画に落とし込むのかという点に興味を惹かれて視聴した。
まず、ループする地下道に迷い込んだ人間が異変を見逃さないように気をつけながら8番出口を探すというシンプルなゲームを、途中ダレる箇所はありながらもよく95分も持たせたなというところを評価したい。それを支えるのが、ひとえに俳優陣の安定的な演技力だろう。特に、歩く男を演じた河内氏の怪演たるや、彼なくしてこの作品は成り立たないと言える。また主演として、見るからに優柔不断でうだつのあがらなそうな男を演じる二宮氏の演技にも敬意を表したい。
ストーリーは別れた恋人から子供が出来たと告げられ、産むか産まないかの選択を迫られる男の話で、それ自体は単純でよくある、悪く言えば捻りのないストーリーと言える。しかし本作の主軸は「8番出口を求めてさまよう」ことにあるので、それ以上に話を壮大にされても困るというもの。ある意味単純で分かりやすいストーリー軸が妥当である。
結論から言えば、映像や台詞、仕草からテーマや心情を読み取ることを好む層には良作だが、エンタメ的な娯楽作品を求めている層には駄作である。また、テーマの重さから、子供が観るにはあまりおすすめできない作品である。
【8番出口の存在意義】
特筆すべき点は、なぜ人は8番出口に迷い込むのかを描いていたことである。これ以降は個人的な解釈となるので、ご留意いただきたい。
8番出口とは、現実世界で重大な決断に迫られた時、目を逸らしたい、あるいは逃避したいと願う人間が迷い込む内省世界である。
主人公の逃避行動は随所に散りばめられている。
電車内で泣く赤ん坊に男が怒鳴り散らしている場面。怒鳴る男に不快さと憤りを感じながらも、結果主人公はイヤホンをして不快な状況をシャットアウトしている。また、元恋人からの電話に応答する場面では、重大な決断を迫られた際に電波の状況が悪くなり、声が聞き取れなくなっている。これは重たい選択を無意識に避けたいという深層心理の現れと言える。現実から目を逸らしたい。そのような心情が8番出口という内省世界を作り出し、迷い込んでしまったのだ。
8番出口が主人公が作り出した世界であるなら、ロッカーから赤子の泣き声が聞こえる異変やネズミの異変がゲームでは出ていないこともうなずける。ゲーム内で8番出口をさまよう男と、本作の主人公は別人だからである。ロッカーの異変では子供を捨てることの罪悪感を。ネズミの異変では中絶を選ぶことの罪悪感をそれぞれ暗示している。
【主人公の喘息という設定の妙】
主人公の喘息という設定がノイズであるという意見もあるが、これは必要な演出であったと思う。8番出口という場所が直視したくない現実と向き合い、なんらかの決断を迫る儀式とするのなら、その現実と向き合うには多大な負荷をともなうからである。
極度のストレス負荷によって喘息の症状が悪化するのは自然であり、そのため序盤の主人公は発作に苦しみ、事あるごとに吸入器で症状を和らげている。これはある種の自己防衛的な行動である。その後、主人公は嘔吐し、背負っていた荷物を投げ捨てている。これは自己防衛を止め、現実と向き合う決意を固めたというメタファーとなっている。
後半にかけてどこか吹っ切れたかのような、晴れやかな様子すら見せるのは、苦しみから解脱し、悟りの境地に至っているからだと解釈できる。
【歩く男の物語】
視点が主人公から歩く男に入れ替わった瞬間。なるほどこう来たかと舌を巻いた。不気味な怪異に思えた歩く男もまた、8番出口に囚われさまよっていたという掘り下げは明快であった。
8番出口がそれぞれが作り出した内省世界だと仮定するなら、歩く男もまた逃避したい現実を抱えている人物の一人である。男の逃避したい現実は、歩く女子高生の台詞で推察できる。「毎日満員電車に揺られて、同じ日の繰り返し。可哀そう」これは間違いなく男自身が常日頃思っていたことであり、直視しなければならない現実であった。このまま会社勤めで一生を終えるのか、あるいは会社を辞めてどこか別の場所で再起するのか迷っていたのかもしれない。
【なぜ少年は、歩く男に話しかけなかったのか】
ここでは少年に対する、歩く男と主人公の態度について対比する。
歩く男は少年に対し、何度も「なにか(異変が)あったら言ってね」と声をかけている。これは一見少年を尊重しているように見えるが、実際には自身で決断したくないという逃避行動の現れである。
逆に、主人公は少年に判断をゆだねることはなく、積極的に異変に立ち向かおうとする姿勢を見せた。
さらに男は、異変の前に立ち止まる少年を顧みることなく、彼の手を無理やり引っ張って進む。そうした結果、0番に戻るという現実に直面し、怒りを露わにした。しかし、嘔吐し、荷物を捨てた主人公とは対照的に、男は再び鞄を拾い、明らかに無理をした笑顔を作って少年に向き合った。この行動から、歩く男はまだ、現実と向き合い解脱するという境地には至ってはいないことが分かる。
一方主人公は、立ち止まる少年に気付き、結果異変を発見した。現実と向き合い、解脱し、苦しみから解放された結果、立ち止まって物事を直視する余裕が生まれたからである。
少年が話しかけるか話しかけないかのトリガーとは、解脱へ至っているのかそうでないかにかかわっているのかもしれない。
歩く男は最終的に、現実から目を逸らしたまま少年を振り切って逃避することを選んだ。そのため、彼は永遠に8番出口をさまようことになったのだ。歩く女子高生もまた、同様の手順を辿ったのかもしれない。
【少年の正体と意味】
作中での答え合わせ(未来の描写)の通り、少年の正体は主人公の子供であった。
「父親には会ったことがない」という少年の言葉をそのまま捉えるならば、この少年は主人公が見て見ぬふりをした(逃避した)世界から来たということになる。しかし、そうなれば逃避を選んだ結果8番出口から出られなくなった男の例と矛盾しているため、別の可能性を考えるべきだと思う。
少年もまた、逃避したい現実と直面しさまよっていた。それは母親との関係である。
なぜママとはぐれたのかという主人公の問いかけに、少年は「ママに探してほしくて」と答えている。これは幼い反抗心のようでもあるが、現実の母親は少年を顧みれていない状態であると言える。
それは少年が今まさにお腹に宿っている魂であり、母親自身もまたあらゆる現実に直面し子供のことを顧みられないでいるのではないだろうか。そのため、生まれるべきかそうでないか、少年もまた迷っていたのかもしれない。であれば、父親には会ったことがないという発言もうなずける。
【残念な点・分からなかった点について】
いくつか残念だった点を挙げていく。
まずは結末について。
最終的に主人公は8番出口を出ることになったのだが、出た先で冒頭の電車のシーンに戻る。8番出口を出られた主人公は、見て見ぬふりを止める(逃避しない)という結末を演出したいのは理解できるが、あまり効果的でないように思った。なぜなら主人公は、水の異変から少年を守るという行動を経て、父親になる決意を固めて8番出口を出ているはずである。
ループ世界から抜け出した後にまたループするというのは拍子抜けでもあるし、8番出口を出た結果が母子を助けられなかった後悔を払拭するというものなら、自身の子供うんぬんの話はまるまる要らないものになってしまう。
もう一つは、異変が起こりすぎていることだろう。8番出口の醍醐味は、むしろ異変が起きない状況にこそあった。数々の異変を見逃して0番に戻されてきた経験を持つプレイヤーは、回を追うごとに疑心暗鬼になり、異変が起きていない状況に恐怖を感じていたのだ。その描写が、エッシャーの絵の中に蟻がいたのか?と疑問に思ったそのシーンのみで、それもあっさり解決してしまったのが残念だった。
最後はテーマが重すぎる問題である。8番出口は有名実況者たちの動画の影響もあり、若年層を中心に爆発的なヒットをもたらしたゲームであった。何を隠そう筆者も小学生の子供と連れたって映画館へと足を運んだ。しかし蓋を開けてみれば、別れたばかりのカップルが子供を産むか産まないかというストーリーテリングであり、大変気まずい思いをしたのである。
子供が内容を理解したとは言えないが、親としては妊娠出産というテーマについてはもっとポジティブな発信をしてほしいのが本音だ。製作者側はもう少しターゲット層に合わせたテーマを模索するべきだったかもしれない。
分からなかった点は、なぜ水の異変が津波を思わせる演出に変わったのか。しかしそれはノベライズにて補完されているらしい。
もう一つは黒猫の存在意義。こればかりはいくら頭を捻っても全く分からなかった。
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