「「迷う男」よりも「歩く男」の方が難易度が高いのでは?」8番出口 tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
「迷う男」よりも「歩く男」の方が難易度が高いのでは?
地下鉄の車内から駅構内へと至る主観映像によって、主人公のキャラクターや私生活の状況が理解できるようになっている冒頭の仕掛けは面白いし、「異変」を見逃すと地下通路から抜け出せなくなるという不条理でミステリアスな展開には引き込まれる。
はじめは、間違い探しゲームのように、分かりにくい「異変」を見つける話なのかと思っていたが、中には、明らかにそれと分かる「異変」もあって、しかも、ロッカーの中から赤ん坊の泣き声が聞こえてきたり、体が人の顔のパーツになっている多数のネズミが赤ん坊の声で鳴いていたりと、そうした分かりやすい「異変」には、共通した意味があることも分かってくる。
これらの「異変」には、主人公が、地下鉄の車内で、ぐずる赤ん坊を連れた母親が、男に怒鳴りつけられる様子を見て見ぬ振りをしたり、駅の構内で、別れを決めた恋人から、妊娠したことを知らせる電話があったりといった「伏線」が反映されていることは明白で、主人公の罪悪感や強迫観念が具現化したものであるということも容易に想像がつく。
やがて、「異変」ではない少年が現れて、彼が、主人公の未来の息子であることが明らかになると、その時点で、主人公と恋人がどのような決断を下したのかが分かってしまうのだが、ここのところは、もう一捻りの工夫があってもよかったのではないだろうか?
そういう意味では、主人公(迷う男)のエピソードよりも、「歩く男」のエピソードの方が、無表情で、どこか人間離れした雰囲気を持っていた彼が、感情を露わにして、人間臭さを発揮するというギャップが楽しめたし、女子高生に、単調な日常生活に対する不満を指摘されたり、「異変」と分かっていながら、地上へと続く出口を登って行ってしまったりと、ゲームをクリアするための難易度が高いように思ってしまった。
どうせなら、主人公にも、「歩く男」と同様に、「父親になることから逃げたいのだろう」と指摘されたり、目の前に、地上への出口を出現させたりといった試練を課してもよかったのではないかと思えてならない。
それから、どうして、あそこに、主人公の未来の息子がいたのかもよく分からないし、しかも、主人公だけが息子に会っていたのなら、「彼の脳内現象であった」という解釈ができるのだが、息子が「歩く男」とも会っていたということについては、「どういうこと?」という疑問が残った。
また、息子が、「父親には会ったことがない」と言った時点で、「主人公は、息子を脱出させるために、自らを犠牲にするのかもしれない」と予想したのだが、結局、そういうことにはならなかったし、しかも、その息子の言葉と、息子が「お守り」を拾った海辺での家族団欒の状況とが一致していないことについては、例え、主人公が恋人と別れたり、死んだりするような運命を辿るとしても、物語の整合性という点において、釈然としないものを感じざるを得なかった。
