「現実に出てきちゃダメ」トロン:アレス SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
現実に出てきちゃダメ
前作はIMAXで観て、「これこそIMAXで観るべき映画だ!」と大興奮だった。
トロンは不思議な魅力をもつ作品で、映像のスタイリッシュさとか、物語の哲学性とか、なんか特別感がある。
で、この「トロン:アレス」も楽しみにしていたのだけど、近くの映画館のIMAXは吹替版しかないし、なんかストーリーもいまいち面白くなさそうだったから、結局2D版を観た。
で、やっぱりいまいちだったなあ…。
現実世界からデジタル世界に入れるのだから、理屈からいえばデジタル世界から現実世界にも行けてもよさそうなはずだけど、それがあまりにむちゃすぎて現実感がない。
なんでそう感じるのか考えてみると、現実世界からデジタル世界に入る、という物語を、自分は無意識にファンタジーの文脈でとらえていたのだ、ということに気づいた。アリスが不思議の国に入ったり、バスチアンが小説の中に入ったり、ってのと同じ。前作までは、プログラムやコンピューターウイルスが擬人化されて人の姿になっていても、この世界はそういうことになっている、というので納得できた。
でも、デジタル世界から現実世界に行く、となったとき、SF的(科学的)に考えてしまって、「こんな科学、どう考えても地球文明のものじゃない」ってなってしまう。3Dプリンターとかじゃなくてレーザーで質量をもつ物質を作り出してしまうだけで超技術なのに、それ以上の技術がばんばんでてきて、こんなテクノロジーもってたらこの企業世界征服できちゃうじゃん、とか思ってしまう。
1つだけ心に響いたセリフがある。「私はこれを永続コードと名付けたが、本当は非永続コードなのだよね」みたいなやつ。
確かに、デジタル世界のもの、つまり「情報」というのはある意味永遠の命をもっているわけだが、それが現実世界のものになってしまうと、有限な存在になってしまうという。非常に深い話だと思う。
ぼくは個人的にはトロンのシリーズは、こういう「情報世界」の奥深さみたいものを追っていく話にすべきだったと思う。情報の世界というのはいいかえれば数学の世界だったり、イデアの世界だったりするわけで。フリンがデジタル世界で仙人みたいな存在になった(存在、非存在を超えた存在になった)ってのも、そういう奥深さを感じさせる。
