「「一見様歓迎!」とは言えないながらも、シリーズ最高傑作」トロン:アレス 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
「一見様歓迎!」とは言えないながらも、シリーズ最高傑作
《IMAXレーザー》にて鑑賞。
【イントロダクション】
『オリジナル』(1982)から43年、前作『レガシー』(2010)から15年。ディズニーがAI全盛時代に仕掛ける、新たなる映像革命。本作では、遂にコンピューター世界の存在が現実世界へとやって来る。
本作のキーパーソン、アレス役にオスカー俳優のジャレット・レト。レトは本作の製作にも参加。監督に『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』(2017)、『マレフィセント2』(2019)のヨアヒム・ローニング。脚本にジェシー・ウィグトウ、ジャック・ソーン。
【ストーリー】
かつてコンピューターの内部世界「グリッド」に囚われた「エンコム社」のCEO、ケヴィン・フリン(ジェフ・ブリッジス)の救出を息子のサム・フリンが試みてから15年。
その間、コンピューター技術の最先端を行き、時代をリードしていたエンコム社も経営の危機に直面しており、サムは経営陣を後退。新たにイヴ・キム(グレタ・リー)とテス・キム姉妹に経営を譲っていた。
一方、かつてエンコム社に勤めていたエド・ディリンジャーの子孫、ジュリアン(エヴァン・ピーターズ)は「ディリンジャー社」としてエンコム社と業界トップの座を賭けた熾烈な技術革新競争を繰り広げていた。そして、ジュリアンは新たな発明としてコンピューター世界のプログラムを軍事利用を目的に実体化させる技術を開発し、政府や投資家へのプレゼンテーションを行っていた。ジュリアンは自社のサーバー内でAIプログラム“アレス(ジャレット・レト)”を開発し、優れた知能と脅威的な身体能力を売り込んで投資家達を満足させた。しかし、ジュリアンはプログラムの実体化による活動限界である“29分の壁”を突破する手段がまだ見つかっていない事を伏せていた。
その頃、イヴはアラスカの雪山の研究施設で、亡くなったテスが追い求めていた29分の壁を超える解決策である“永続コード”の発見に着手していた。ケヴィン・フリンを信仰するテスの思惑通り、永続コードはフリンの80年代のグリッド内に保管されており、イヴはデータを摘出してミカンの木を実体化させ、その効果を確認した。永続コードによって29分の壁を超えて存在し続ける木に、イヴはコードの効果が確かな事を確認すると、ディリンジャー社に奪われる前に世間に発表する為、プライベートジェットで帰国する。
しかし、ディリンジャー社ではジュリアンがアレスをエンコム社のサーバーに侵入させ、ハッキングを試みていた。アレスはイヴの過去を検索する中で、彼女が永続コードを手に入れた事を確認し、ジュリアンはコードを奪うべくアレスと部下の“アテナ(ジョディ・ターナー=スミス)”を実体化させ、イヴを追跡させる。
街中での激しいバイクチェイスが繰り広げられる中で、ジュリアンは奥の手として用意してあったレーザー砲でイヴをグリッド世界へと転送させる。イヴは転送の直前に永続コードをダウンロードしたUSBを破棄していた。
グリッド世界に囚われたイヴ。永続コードの入ったUSBを破棄したと訴える彼女に対して、アレス達は「一度でも視認したのなら、永続コードの情報は脳に記憶されている」として、イヴの脳から永続コードの情報の摘出を試みる。しかし、永続コードの情報を摘出すれば、イヴの生命に危険が及ぶ事が判明し、アレスは摘出を躊躇ってジュリアンに指示を仰ぐ。あくまでコードの入手を優先する非道なジュリアンに対し、心が芽生え始めたアレスは彼の命令に反逆。イヴと取引をして共にグリッド世界からの脱出を試みる。
【前書き】
メインの感想の前に、少々前置きを。
特徴的な電子音、夜の街に赤く発光する巨大監視ユニットが浮遊している様子等、予告編からは面白そうな印象を受けた。しかし、私にとって、本作の鑑賞は一種のギャンブル、怖いもの見たさだった。
というのも、主演のジャレット・レトは『ダラス・バイヤーズクラブ』(2013)でアカデミー賞助演男優賞を受賞した演技派だが、同時に最低映画の祭典ゴールデン・ラズベリー賞(通称:ラジー賞)にて『ハウス・オブ・グッチ』(2021)で最低助演男優賞、『モービウス』(2022)で最低主演男優賞にも選ばれており、他にも、近年の出演作である『ブレードランナー2049』(2017)や『ホーンテッドマンション』(2023)は興行的に大失敗しており、すっかり「出演作がコケる俳優」というイメージが私の中で定着してしまっていたからだ。
また、私は予告編を観た時点では過去シリーズ鑑賞前だったが、それでも『オリジナル』(1982)はカルト映画、『レガシー』(2010)は当時話題となっていた3D上映を採用して話題にはなっていたと思うが、興行的に大成功したとは聞いていないと記憶しており、前作『レガシー』ですら『オリジナル』から28年という長い時を経て蒸し返すが如く続編を製作したのに、再び15年という間隔を開けて本作を製作する意義や、ディズニーに勝算があるのかと疑問だった。
【感想】
ネガティブな前置きになってしまったが、ようやく本作に対する感想に移る。
私としては本作『アレス』、いや中々に楽しめた。間違いなく、シリーズ最高傑作だろう(そもそものシリーズとしてのポテンシャルが低かったというのもあるが)。過去作の予習は必須だが、それだけの価値のある仕掛けも施されており、特に『オリジナル』との関係性が密接なので、予習してから鑑賞した方がより深く楽しむ事が出来る。
脚本のテンポも良く、舞台設定の説明から事態が動き出すまでの流れがスムーズで、すぐにアクションシーンへと移行する様子は、体感型とも言える本作への観客の参加を適切に促してくれていた。
特に中盤でアレスがフリンの80年代のサーバーにやって来るシーンは、思わずニヤリとしてしまった。グリッド線を直線にしか曲がれないライト・サイクル、『オリジナル』でフリン達が開けた壁の穴、YES/NOという最低限の会話機能しかないビット等、『オリジナル』に対する敬意が表れている。
アレスが心を手に入れた事の証明が、イヴへの恋心ではなく、80年代ミュージックやあの時代に愛着が湧くという「好きという気持ちでしか説明できない」ものなのも良い。本来、全てを理屈で論理的に組み立てるはずのAIが、自らの抱く興味や好印象を「好き」という曖昧な表現でしか説明出来ない様子は、フリンの言うように「面白い」のだ。そして、そんな言語化出来ない感情を抱える事こそが、ある種の人間らしさなのだ。
アレスやアテナ達プログラムや、ライト・サイクル、監視ユニットを実体化させる技術が、レーザーによる3Dプリンター的演出で現実味を帯びて描かれている様子も良い。彼らを構成する物質が何なのかといった細かい所へは言及しないが、フィクションとして最低限の説得力を生む工夫が成されていた。前作ラストでクオラが実体化して現実世界へやって来た際、彼女を構成する物質は何なのか疑問に思った私にとっては、こうした最低限の演出があるだけで割とフィクションは成立するという事を再確認させてくれる。
29分の壁により、炭や砂のように肉体が崩壊していく演出も、儚さと恐ろしさが共存しており、芸術的で素晴らしい。
前作『レガシー』より更に進化したディスクの形状とアクションも印象的。
逆三角形の変則ディスクは、ライバル社のプログラムである事を示す荒々しさも示しており、赤く発光する電子回路線ともマッチしている。
前作では、せっかく武器まで発光し、軌道線を描いて視覚化するというギミックがあるのに、それを活かしたアクションの組み立てがされていなかった事を勿体ないと感じた。しかし、本作ではライト・サイクルから出る実体化するライト、「ライト・リボン」によるパトカーの切断、無数の小型無人機でイヴの周囲を円形に囲って閉じ込める、アレスや敵兵のディスクやバーの軌道がライト・リボンによって描かれ、観客に彼らの動きが把握出来るようにするといった様々な応用が見て取れる。
これは誰もが納得する所だろうが、音楽を担当したナイン・インチ・ネイルズの楽曲が悉く抜群にカッコイイ。『レガシー』の音楽を担当したダフト・パンクの楽曲も素晴らしかったが、本作ではそれすらも上回って見せたと思う。IMAXの大音量で重低音が身体に響いてくる感覚も最高の映画体験だった。
このように、様々な要素が現代的にアップデートされ、結果的にSFアクションとして(脚本やジュリアンの行動に粗さはあれど)一級のエンターテインメントに仕上がっている。
更に高度化したAI、プログラムを現在に出力する等、本シリーズはその時代ごとを写す鏡なのかもしれない。
エピローグで自由を得たアレスが世界を旅する中で「ネット断ち」する様子は、ジョークであると同時に我々現代人への皮肉が効いている。また、彼が目にする新聞には、前作でサムと共に現実世界へやって来たクオラの姿があり、今後シリーズ化されるようならば、アレスと彼らの出会いや共闘もあるのだろうか。
また、ミッドクレジット・シーンにて、グリッド世界に逃亡したジュリアンが祖父のプログラムである“サーク”を手にするシーンは、更なる波乱を予感させる。彼にディスクを取るように語り掛けたのは、かつてフリン達に敗れたマザー・コンピューター・プログラム(MCP)の残骸データなのだろうか。
とはいえ、本来のタイトルである「トロン」が、本作ではいよいよプログラムどころか街の名前ですら存在しなくなってしまったのは残念だ。本作の主役はあくまで「アレス」であり、彼の名前が副題に冠されているのは、主人公を交代して新シリーズをスタートさせたいという製作側の思いの現れだろうか。
また、現代では最早描けない物は無いほどにまでコンピューターグラフィックス(CG)表現が発達し切ってしまったので、“映像革命”という謳い文句を掲げる事は実質不可能だと感じた。
【総評】
更に進化したCG表現、テンポ良く展開される脚本、卓越した音楽と、一級のエンターテインメントとしてディズニーにとっては久々の当たりを打ち出せたのではないだろうか。
新たなシリーズの幕開けを予感させるラストと、今後の展開にも注目したい。
問題なのは、本作が本国での興行収入が予想より振るわず、シリーズ化の可能性が早くも消えつつある事だが。これまで散々、製作スタジオやIPを買収しては、粗雑な出来の作品を打ち出して赤字続きで信用を失ったディズニーが、ここに来て自社のIPまで潰しかねないというのは何とも皮肉な話である。
そして、ジャレット・レトの「出演作がコケる」というジンクスに、また新たな1ページが加わりそうなのは気の毒である。
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