劇場公開日 2025年10月10日

トロン:アレス : 映画評論・批評

2025年10月14日更新

2025年10月10日よりTOHOシネマズ日比谷ほかにてロードショー

デジタルが現実を侵食する「トロン」の新局面

1982年に公開された「トロン」は、映画史におけるCG革命のフラッシュポイントであり、視覚表現の新たな地平を切り拓いた記念碑的作品である。だがそれ以上に重要なのは、工業デザイナーのシド・ミード、バンド・デシネ作家ジャン・“メビウス”・ジロー、そしてイラストレーターのピーター・ロイドらが築き上げたプロダクションデザインの存在だ。青白く発光するスーツ、無限に広がるグリッドの地平――。これら冷たい幾何学と有機的曲線が交わる独創的な造形美は、誕生から40年以上を経た今もサイバーパンク美学の原点として息づいている。

最新作「トロン:アレス」は、その意匠をスタイリッシュに継承・発展させつつ、現代的な問いを内包する。前回「トロン:レガシー」(2010)が提示した「デジタルと人類の共存」というテーマをさらに深化させ、AI時代におけるプログラムの存在そのものを定義する構成となっている。タイトルキャラクターのアレス(ジャレッド・レト)は、その渦中に置かれた宿命のマスタープログラムだ。

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物語は、シリーズを貫く宿命的な系譜――エンコム社と宿敵デリンジャー社の対立を軸に展開する。AI技術を軍事利用しようとする後者と、医療や環境保全への応用を模索する前者が、フリン(ジェフ・ブリッジス)の遺した「デジタル資産を永続させるコード」をめぐり、熾烈な攻防を繰り広げる。

その戦いは、光と肉体が融合するかのようなライド感を伴い、映像としても圧倒的な身体性と躍動感を放っている。夜の都市を残光で切り裂くライトサイクル、高層ビル群を圧倒する巨大ゲート、そして地表を蹂躙するグリッドのプログラムたち――。これらは単なる視覚的スペクタクルにとどまらず、現実と仮想の境界が曖昧になったことによるカタルシスをもたらす。「トロン」が長らく予見してきたデジタル世界の侵食が、現実として立ち現れた瞬間だ。

いっぽう聴覚面では、いまや映画音楽界の最前線に立つトレント・レズナーアティカス・ロスが、ナイン・インチ・ネイルズの名を掲げて猛威をふるう。重厚で威嚇的なインダストリアル・サウンドが作品全体の緊迫感を倍加。金属的なリズムと唸る重低音のグルーヴがスクリーン全体を振動させ、ノンストップな展開にすさまじい推進力を与えている。

筆者は、そんなめまいを覚えるような様相に、小説版「トロン」の序文を思い出す。
「プログラムの世界は、我々が考える以上に広大だ。プログラムが演算法以上の何物でもないというなら、人間も化学物質の集合にすぎないというようなものだ」。

テクノロジーと人類の関係を寓話的に描いてきた「トロン」は、パーソナル・コンピュータという概念がまだ一般化する前の我々には、あまりにも早すぎる存在だった。しかしAIや自動運転、デジタル資産といった要素が現実となった今、その概念はもはや空想ではなく、リアルなものとして眼前を覆う。我々がそこに目撃するのは、創造性豊かにデザインされた電子世界ではない。すでに到来した世界そのものなのだ。

かつて時代の遥か先を走っていた「トロン」の哲学とヴィジョンは、いまや現実とクロスリンクを果たしたのである。

尾﨑一男

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