「二部作品にする選択も欲しかったが、まとめて見るとドラマとして見せ場もありテレビ版より救いはあるが…」アルドノア・ゼロ(Re+) ミラーズさんの映画レビュー(感想・評価)
二部作品にする選択も欲しかったが、まとめて見るとドラマとして見せ場もありテレビ版より救いはあるが…
かなり前のテレビアニメ作品の新規後日談を含んだ映画になるが、放送当時は分割2クール引きの上手い展開と趣向を凝らしたメカアクションに満足度が高い作品だったと記憶してる。
抜群の操縦センス加えて、常に冷静沈着と頭脳の冴えを発揮する界塚伊奈帆と、同等の能力がありなから火星での異邦人として苛烈な差別受けながらも恩義のある姫を助けようとする苦労人のスレイン・トロイヤードの機転知力を尽くした物語の前半と権力の階段を登るスレインの愛憎ピカレスク的な展開になる後半で評価が別れていた印象。
当時はとても話題になった『魔法少女まどか☆マギカ』の脚本でアニメファン以外にも知られたストーリー原案の虚淵玄氏が途中抜けてからの様々な論考もありますが、ほとんどコタツ記事みたいな妄想の域を出ない内容なので省略
(公式やプロの書き手による取材以外のyoutubeやSNSの記事やコメントは信頼性に乏しい)
今回の映画版は大まかに30分強が1クールで、残り60分が後半にあたり、新作部分は15分強くらいの印象で、幽閉されているスレインと伊奈帆の交流の梅雨明けを主題にしており、個人的にテレビシリーズのスレインに対する結末に補足と多少の救いを与える意味が強いと思う。
総集編部分を久しぶりに見直して見ると時間の関係で当然ダイジェストになりますが、復習としては悪くないので、忘れていた部分の補習になり、作品の全体像も網羅してる印象で、作画や当時のCGメカ描写も含め劇場にかけてもあまり遜色ない映像なのが分かるのと、お話のベースは、世間知らずのお姫様が、様々出会いを通して指名に目覚め成長するオーソドックスな物語としてウィリアム・ワイラー監督でオードリー・ヘップバーンの出世作になる名作『ローマの休日』などが根幹にある印象。
ストーリー原案の虚淵玄氏はかなりのシネフィルと聞くのと、あの作品の影響下にある日本のドラマなどの作品の多くは、王女と記者とのデートするロマンチックな面をのみを模倣している印象だが、作品の芯は大人への成長と立場からの責任を自覚する物語。
ネタバレあり
問題の新規部分だが、梅雨空の中で幽閉されているスレインと伊奈帆の関係性を少し前進させる感じで進み、自暴自棄になっていたスレインの態度を軟化させて、梅雨が明けた青空の中を満足そうに去る伊奈帆の構図で終わり告げるが、簡潔な後日談で悪くはないが正直物足りない面ある。
友人や幼馴染と姉などのキャラクターも登場して伊奈帆との交流はあるが、対スレインに関してほぼ無く伊奈帆以外の人間と接触が合っても良かったのでは?と思う。
例えばセリフの処理で済ませているが、幼馴染の網文韻子が作る絶品オムライスを二人で食べる場面とかを入れると更に説得力がましたりすると思うが、届けられた包装のみの描写で留まっている。
近年の映画などの研究考察などには、食事場面が登場人物の関係性や状況示す役割もあり二人が同じ釜の飯を食べるなどの古典的でもある描写があるのと無いのとではかなり違うと思う。思えば本作はあまり食事などの描写が無かった印象だが、ロボットなどで思い出すのは、サンライズ作品のガンダムシリーズの水星の魔女や『閃光のハサウェイ』(レビューしてます)などにはキャラクターの心情や現状を食事に絡める描写をキチンとやっており、それを指摘してる人もチラホラ見かける。
もしかしたらベタなのでやめたのかもしれないが、クリストファー・ノーランなどは結構ベタに過去の名作から引用してる。
少し戻るがテレビシリーズを最初に観ていた時は、伊奈帆とスレインが、ライバルとして対立するのは予想していたか、例えば『銀河英雄伝説』的構造になるのかとも予想していたが、スレインが破滅して罪を受けるのが落とし所でモヤった感じで、今回の劇場版も同じアニプレックス作品でヒットした『ぼっち・ざ・ろっく!』的に二部作品にする選択も欲しかったが、まとめて見るとドラマとして見せ場もありテレビ版より救いはあるが物足りない面ある。
ちなみに自分はスレイン派かな
静かな熱さを持ち頭脳で戦う伊奈帆と、成り上がりつつも望まぬ結末へ突き進むしかなかったスレイン。
伊奈帆には憧れが、スレインには共感性が強く立つキャラ付けだったかと。
韻子好きな自分としては、新規部分で伊奈帆との関係をほんの少し匂わせてほしかったです。