「象徴としてのスーパーマン」スーパーマン キレンジャーさんの映画レビュー(感想・評価)
象徴としてのスーパーマン
「スーパーマン」というものを、単なる「アイコン」として理解してきた私。
当然、過去にスーパーマンを描いた映画やドラマ・アニメ作品はほぼ観ておらず、アメコミにもノータッチだが、様々なコンテンツやサブカルチャー作品の元ネタである、という程度のことはふんわり理解している50代の私にとっての「スーパーマン」は、まさに『象徴』。
ウルトラマンや仮面ライダー、各種アニメ・特撮、ロボットヒーローにも触れて来たが、スーパーマンについてはほとんど細かい知識がない分、困った時に助けを求める「神さま、仏さま、○○さま…」の並びに早々に登場する、正義の味方・ヒーローの『象徴』というのが私にとっての「スーパーマン」の捉え方である。
で、そんな私が観た本作。
真っ赤なマントをなびかせて大空を飛び回り、パワーが凄くて目からはビーム。青い全身タイツスーツに赤のパンツとブーツ、胸には大きく『S』のマーク。
そんな、いわばバカっぽいキャラクターをどうやって現代劇の中で成立させるか。(アメリカ人はさすがにバカっぽいとは思ってないのかな)
監督のジェームズ・ガンは、得意な下品ネタをほぼ封印し、自虐や必要以上のメタにも走らなかった。
冒頭、高性能なアンドロイドたちが怪我を負ったスーパーマンを皆で手で運ぶ、とか。
最新鋭の乗り物に乗るために、古いシャッターが開くのをじっと待つ、とか。
社長が散らかしたものをスタッフがよってたかって手で拾う、とか。
生みの親と育ての親の扱い、とか。
「デジタルとアナログ」「ハイテクとローテク」「頭脳と腕力」「神と人」「天と地」といった、対角線にある要素をあえて並立させることで、「スーパーマン」という今やある意味で時代錯誤的・メタ的な存在と化したキャラクターをこの世界で相対化した、という感じ。
だから「いかにもヒーロー」というシーンには、子供の頃から観てきたワクワクが蘇るし、「それでも一人の人」というシーンには、親近感も覚える。
ヒロインの女性も地味だけど良かった。
登場する他のヒーローたちは、いかにもジェームズ・ガン監督っぽいんだけど。もう少しキャラクターが立てば良かったかな。ジャスティス・ギャングは、それぞれ具体的にどういう力なのか分かりにくかった。(あとホーク・ガールの悲鳴みたいなの、アレはなんかイヤだった)
どちらかというと、少し高めの年齢層向けの作品かも。
そして、まったくスーパーマン(特にアメコミ版)を知らないと、(ストーリーはわかるけど)ちょっと置いてかれる感はあるかな。
不安な方はその辺りの識者が予習動画を上げてるので、それを事前に見ておくといいと思う。
音楽もカッコいいんだけど、聞き慣れた(数少ないスーパーマン情報の一つでもある)ジョン・ウィリアムズ作曲のあのテーマは結局流れない(アレンジしたBGMのみ)ってのは、やっぱり寂しいかな。
でも、ちゃんとジェームズ・ガンらしいジョークと愛情、そして「人助け」に溢れてる作品だし、ヒーロー映画としてすごく楽しめる。