劇場公開日 2025年7月11日

「「伝統」と「革新」のスーパーマン」スーパーマン tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5「伝統」と「革新」のスーパーマン

2025年7月11日
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映画が始まった直後に流れてくるジョン・ウィリアムズのテーマ曲に、思わず心が躍りだす。007やゴジラのように、聴いただけで一気にその世界に引き込まれる「定番の音楽」の力を、改めて思い知らされる。
ところが、その直後、「初めて敵に敗れた」というテロップと共に、雪原に墜落するスーパーマンの姿が映し出されて、驚かされる。無敵の超人のスーパーマンが、ボロボロになって血ヘドを吐くなんてことは、これまで、あまり無かったのではないか?
ここまでの数分間で、この映画が、スーパーマンの「伝統」を継承しながらも、これまでにない「革新」を追求しているということがよく分かり、中々に「掴み」は上々である。
その後も、クラーク・ケントとロイス・レインの関係性など、お馴染みのフォーマットを踏襲しながらも、スーパーマンが国際紛争に介入したり、グリーン・ランタンをはじめとする超人チームが出てきたり、スーパーマンが地球に送り込まれた真の目的が明らかになったりと、様々な新機軸が盛り込まれていて、新たなスーパーマンの物語が楽しめる。
中でも、クリプトン人の両親がスーパーマンに託したメッセージの全容が分かるところは衝撃的で、これまでのスーパーマンの物語をひっくり返すほどの破壊力がある。
ただ、それだけに、クラーク・ケントを巡る、地球人の両親との「親子の絆」や、「自分は地球人だ」という自己認識が強調されるようになっており、特に、ラストで映し出される家族の映像からは、「生みの親より育ての親」というメッセージが伝わってきて、胸が熱くなった。
その一方で、スーパーヒーローの国際紛争への介入というテーマが、レックス・ルーサーの「悪だくみ」の阻止というプロットに矮小化されていたのは物足りないし、宇宙人だからという理由だけでスーパーマンを忌み嫌うルーサーのキャラクター設定も、昨今の排他的で不寛容な風潮を象徴していることは理解できるものの、どうにもステレオタイプで掘り下げ不足の感が否めない。
ただし、こうしたところをあまり突き詰めていくと、例えば、中東のようは複雑な国際関係にスーパーマンが介入したらどうなるのかといった政治的な問題や、移民の流入や人種差別にどう対処するのかといった社会的な問題に行き着いてしまうので、ザック・スナイダー版の「暗くて重い」スーパーマンとの差別化を図る上でも、この程度の扱いにせざるを得なかったのだろう。
新機軸を打ち出した割には、スーパーマンを叩きのめす「ハンマー」だか「ウルトラマン」だとかの正体や、超人チームとのやり取りには、あまり新鮮味が感じられないし、「明るくて軽い」スーパーマンなら、わざわざDCEUを解体しなくても、「シャザム!」の延長線上の物語にすれば良かったのではないかとも思ってしまった。
いずれにしても、キャラクターとして、最も魅力的に感じられたのは、スーバードッグの「クリプト」で、忠犬ではあるが、あまり躾けられていないバカ犬で、なかなか役に立たないところは面白いし、それでも、最後に、そんなヤンチャな性格を発揮して大暴れするところは笑ってしまった。
飼い主のスーパーガールも、どうやら品行方正な優等生タイプではないらしく、いかにもジェームズ・ガンらしいキャラクターだと思われるので、今後の彼女たちの活躍にも期待が持てそうである。

tomato
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