フロントラインのレビュー・感想・評価
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実話に基づいてるから起伏が少ない
小栗旬がイケボすぎて気づけば少し寝てしまってた
屋上で小栗と誰かが喋ってたシーン
悔しい
こんなことあったなってコロナ禍を思い出した
本当にこの船で初感染が確認されてから日本中に広がるスピード尋常じゃなかったよね
大丈夫でしょ、って思ってたら凄い勢いで広がって学校も無くなって、何もかも変わってしまって凄い時代だった
えっ!
船に乗り込んでたのってDMATだったの?感染症専門チームは途中で逃げる?
映画だから演出は有るだろうけど、つい最近の事で関係者は殆ど生きてるだろうから、全くない事を演出しないだろうし。
マスコミは安定のマスゴミ状態。
フランス人は「フランス語喋れるヤツは居ないのか、英語で喋るな」って・・・・言いそう。
動画出した教授も居たねぇ、マスコミはそれに飛びついてたし。
搬送した外国人の通訳を船のスタッフに頼るんか?
何処まで事実で何処から創作なんだろう。
今のところ🌟4.5 。私の4.5はめちゃ高評価です。
まだあと三分の一くらい残ってる。
那覇から羽田の飛行機の中で見たんだけど 着陸するまでに終わらなかった。
これを見ながら あの自衛隊の飛行機✈️が飛んで医療従事者に感謝の意を表したあの空を思い出してうるうるした。
ホントにホントに彼らには感謝しかなかった。
ダイヤモンドプリンセス号の事
動画コメントを上げた医師の事も
よく覚えている。
その後の緊急事態宣言
まさに未曾有の事態だった。
それを コロナは茶番と言い切る奴がいて 腹が立つ。
岡江久美子さん 志村けんさん
彼らの死は じゃあ何だったのさ。
夫はその時 末期がんで もしコロナになっていたらもっと早く死んじゃってたんだろうなあと思う。
入院してもお見舞いに行けないという状態だったから 夫は在宅医療で 家で息を引き取った。
葬儀は 2021年の秋
コロナ禍もやや小康状態だったおかげで たくさんの人に見守られて旅立った。
そういう事(ちゃんとしたお葬式)して欲しがる人だと思ってたから 娘と相談してある程度お金もかかったけど私たちなりに立派にお見送りした。
あと三分の一程の続きを
来週 見る予定なんだけれど
(見られるよね、多分、、、)
この高評価が崩れませんように。
JALのなんちゃらコードを入れると続きからサクッと見られるというありがたいサービスで続きから視聴。
外国人の男の子兄弟を官僚独特の言い回しを使ってでも実は大きな違反だったり
いろんな「愛」によって人が幸せになる。
こういうの実生活でも是非実現してたらいいな と思う。
誰が責任取るの とか 責任を追及したがる クソなマスコミ。
あなたたちが世を混乱に陥れ 誰かを不幸にしていると
気づいてくれ。
自分たちがそういう体質である事に 良心というものを捨て去ってそれを仕事だと勘違いしてる事に
気づいてくれ。
最後に池松壮亮夫婦のハグ。
妻の辛さ子どもの辛さを具体的には一切描かずにこれで伝え切るセンスがすごい。
【静かで、そして熱き戦い】
知っているようで知らなかった――ダイヤモンド・プリンセス号の真実。
私たちが目にしていたのは、マスコミが切り取った一部の映像や報道だけだった。だが本作は、その現場に最初に飛び込んだDMAT(災害派遣医療チーム)の視点から描かれている。
あの船で奮闘していたのは「乗客」だけではない。命を懸けて働く「乗員」、そして恐怖の中で現場に立ち続けた医療従事者たち――彼らの存在が丁寧に描かれ、胸を打つ。これまで表に出ることのなかった彼らの声が、静かな熱を帯びて心に響く。
未知のウイルスに立ち向かった当時、恐怖を押しのけて船に乗り込んだ人々。その勇気と使命感にはただ敬意しかない。乗員・乗客・医療従事者、誰もがヒーローだった。
抑えた演技と静かな映像の中に、熱く燃える想いが宿る。派手な演出に頼らず、淡々とした現場のリアリティを通じて「闘うこと」「支えること」の尊さを描く、まさに“静かなる戦い”の映画だ。
映画とは、こうした時代の狭間で闘った人々の功績を記録し、伝えるもの――。その原点を改めて思い出させてくれる、魂のこもった一本だった。
実話だという目線で観ると、、
困難な状況かでも逃げずに戦うカッコいい人達
今作を大変面白く観ました。
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
(レビューが溜まっているので短く)
今作の映画『フロントライン』を面白く観ました。
個人的には、新型コロナによる死者は、(日本の人口2.7倍)アメリカが120万人以上、(日本の人口1.2倍)ロシアが40万人、(日本の人口1.0倍)メキシコが33万人、(日本の人口の55%)イギリスが23万人以上などの中で、日本が7万5千人弱しか亡くならなかったのは、日本のマスク手洗いソーシャルディスタンスや緊急事態宣言の徹底によるところも多く、その対応は良かったと思われています。
しかしながら、コロナ禍において善悪の線引きは困難で、コロナ対策で多大な経済的精神的被害を受けた人も多大であり、それぞれの一方的な見方でない、様々な観点から見て行く必要があると思われています。
その意味で今作の映画『フロントライン』もまた、ダイヤモンド・プリンセス号での医療者や乗務員や乗船客やコロナ患者を中心にした視点から描かれた物語と言えます。
ただ、当時流されていた情報とも合致し、一方で片側からの一方的な報道論調に振り回されていたダイヤモンド・プリンセス号内や対応した医療者たちの当事者の心情がリアルに描かれていて、そのリアリティだけで見事な傑作になっていると、個人的にも思われました。
しかし、関根光才 監督や脚本・プロデュースの増本淳プロデューサーが舞台挨拶等で伝えていたように、例えば大手マスコミ側の中央テレビ報道ディレクター・上野舞衣(桜井ユキさん)の描写の一方的断罪でない描き方は、この映画も一つの視点から描かれている意識はあったと感じられました。
だからこそ、多面的で現実感があり、それが作品の質と感銘の深さを今作に与えていたと思われました。
であるので、実際にモデルもいて今作で否定的に描かれていた感染症専門医・六合承太郎(吹越満さん)に対しても、今作の情報だけで断罪するのは、関根光才 監督や増本淳プロデューサーの本意ではないと思われます。
(もちろん、彼に対する批判は関根光才 監督や増本淳プロデューサーや当時の現場の人々の本音だったとしても)
今作の映画『フロントライン』は、DMAT・結城英晴役の小栗旬さんや厚労省・立松信貴役の松坂桃李さんを初めとして、全ての優れた役者陣の演技と合わせて、重厚さとリアリティある内容で、今年の日本映画を代表する傑作の1本であると、個人的にも僭越思われました。
当時の追体験
感染よりも社会から抹殺される怖さ
迷いや悩み、最前線の決断
恐怖で地上を覆いつくした感染症
医療従事者として、当時働いていた病院にも
コロナ病棟が開設され、従事した
私の家族は、既に家を出ており、同居は犬だけで、
通勤は原チャリ
感染したとしても、人にうつすリスクは低く、
感染管理には自信があった
自分自身を守り、少なくとも自分は感染せず、
人にもうつさない それが大原則である
当時は、狂っていた
私の住む所は、知事が緊急事態宣言も
蔓延防止条例も出さなかったが
だからといって、急激に感染者が増えたとは
言えなかった
が、時間が経過するにつれ、
感染者0なんて追える状況は無くなり
ワクチンが普及して
「ワクチン接種したから、大丈夫」
という根拠の薄い風潮も流れていた
映画の中では、DMATから感染者が出たら、
DMATのくせに
と批判される という場面があったが
医療従事者も例外無く感染者は大勢出ていた
医療従事者というだけで、感染源のように言われる
感染者の少ない地方に、県外の車が停車していると、 迫害される
友人も車のフロントガラスに「コロナは帰れ」
と張り紙をされたと言っていた
情報に踊らされる事が無く、正しい方法を正しく行う
それが、どのような事でも、どんな場面でも、
どんな事態でも、何よりも正しい
マスコミは大きな力を持ち、情報を流布する
手段を持ち、民意を誘導出来る
目の前のオイシイものに飛びつくだけでなく
正しい使い方を学び、実行する能力は無いのだろうか
この映画は、混沌とした閉鎖空間で、
人の命を守る為にもがき苦しんだ
人達の姿を描いてくれた
ダイアモンドプリンセス号だけではない
犯罪然り。
事実を正確に報道するという理念と気概を持ち
民意を弄ぶ事をせず、正しい事を正しいと伝える
事に終始し
揚げ足取りや、重箱の隅をつつくような事を
しなければダイアモンドプリンセス号の事実を伝え
人々を救う事を模索していれば
世界中のマスコミが、そうしていれば
もっと違う「今」があったのではないか
そう感じた
医療従事者に感謝
マスコミの恐ろしさと未知のウイルスに戦うチームの苦悩。
実話ベースの手堅い作品
当時何が起こっていたか、中ではどんな人々がいてどんな人たちが動いていたか知ることができる。
ただ人を救う、だけでは終わらない。人の思い込みや話題に飛びつくマスコミやSNSとの戦いもあってある意味での人間らしさというものが味わえる。
ただコロナに向き合えばいいというだけではないのがより現実的だった。
当時コロナを含め様々なものと戦ってくれた医療関係者には頭が下がる思い。
しかし現実ベースだからこそほかの医療ものと違ってエンタメのような大きな波や派手さはない。
例えば急病患者がいてスーパードクターがお決まりの台詞と共に参上し全て解決、なんていう爽快感はない。
それと一人ひとり過去や事情などが説明されたりするところもないので登場人物たちにも強い思い入れなどが起きない。
エンタメ性はないため淡々と静かに物語が進んでいくような感じ。
故に人によっては映像作品として少々退屈してしまうかもしれない。
しかし実話ベースなので変に話を盛るよりもこちらの方がいいように思う。
コロナ当時を思い出しました 普通
コロナ期の医療関係者の献身の心に感謝
みんな一度は観るべき
客船を舞台に医療従事者たちがウイルスに挑む聖戦
事実に基づいているとはいえ、 基本的には未知のウイルスに立ち向かう人々をヒーローとして描いたエンターテインメントだ。演出の断りを最後に表示しているとおり。
実際、あのコロナ禍で治療に従事した医療関係者らには感謝しかない。自らの感染リスクも承知で尽力した崇高な人々。
だが、それと映画の評価は別物。あくまで劇映画として評価すべきなのだが、その点でみても充分に面白い映画だった。
綿密な取材によって明らかになった事実を社会派ヒーロー物語に再構築していて、そのアレンジがよくできていると思う。
医療従事者やこの物語で言えば客船のクルーたちが、そして彼らの家族が、当時どのような視線を浴びていたのかをこの映画は思い出させる。母親が看護師で病院勤めをしている子供が保育園に行けなくなったという話は、私のごく身近でも聞かれた。
病気を恐れるあまり、発病者とそれに近い人々まで差別する行為が社会現象化する現実は、我々人間がいかに成長しない生き物なのかを表していると思う。
この映画は、悪く言えば登場人物をステレオタイプに端的に集約していて安直な印象を受ける。
良く言えば単純明快に人物像が構築されていて感情移入しやすく、勧善懲悪物語に没入させてくれる。
テレビプロデューサー役の光石研がほぼ一人で悪役を引き受けていて、悪役とまではいかないが、お騒がせの感染症権威を吹越満が演じている。このお二人の演じぶりは我々観客を決して裏切らない。日本の映画・テレビドラマを支える貴重なお二人だ。
ここで描かれているほど、テレビ報道が面白おかしく煽り立てたという印象はないが、真面目に報道していたはずのテレビも実際の現場には入り込めていないから、現場の当事者から見るといい加減な憶測報道だと受け止められる部分もあったのかもしれない。ネット上の報道というか出所不明の情報も、作劇としてこのテレビ報道に集約したのだろう。
主演の小栗旬と松坂桃李のバディぶりが観ていて心地よくて、間違いなくこの映画のヒーローなのだが、最大の収穫は窪塚洋介だと思う。彼がこんなにいい役者だったとは。
DMATの統括責任者である小栗旬は、病院経営者・役人・マスコミの対応をしながら現場の状況を把握して指示を出さなければならない複雑な立場だ。
一方、客船に乗り込んで現場で直接指揮をとる窪塚洋介は、自分たちが立ち向かわなければならないのは感染者でありウイルスだという明確な姿勢を示すのだ。抑揚の少ない渋いトーンでしゃべる彼のセリフ回しが強い意志を表していて、時に上司である小栗旬の迷いを断ち切らせる示唆を与えて、実にカッコいい。
松坂桃李は直前にテレビドラマ「御神先生」で文科省の官僚を演じて高評価だったばかり。本作ではそれを踏襲したかのように厚労省の官僚を演じている(撮影はどっちが先だったのか知らないが)。冷静沈着で、破天荒なこともサラリとやってのけるクールな切れ者風でありながら、芯に熱いものを持っている感じがよく出ていた。
終盤で登場する滝藤賢一も重要な役を担っている。客船の乗客の隔離場所として提供された開業前の病院の医師で、受け入れてみると事前情報よりもはるかに悪い実態だったことで憤るのだが、乗客たちの夜間移送に同行して来たDMATの医師池松壮亮の苦労は、本人から聞かなくても推し量ることができる人物なのだ。
台風一過、二人が缶コーヒーを手に会話する場面に、プロフェッショナルの使命感と共感が滲み出ている。
子ども連れで客船に乗船していた母親役に、美村里江。ミムラって改名してたのね…。
まさに
観客を煽らない映画
あのときどういうことになっていたかの勉強に、長男長女と3人で鑑賞。パニックが引き起こすスリリングな展開を想定したのが間違いで、そのせいか、かなり淡々としていた印象。もっとシリアスに重く、報道に踊らされる国民の理解のなさを訴えるようにも、あるいはもっとドラマティックにしてあっちとこっちの言い分でバチバチさせて観る側がハラハラドキドキ、とできる題材のはずだが、飄飄とした作品で、何かを突きつけられる、考えさせられるのではなく、最後の窪塚の電話のように、むしろ爽快な気分にさせられる。映画でマスコミを批判することが難しいのだろうが、それにしてもキレがない、とでもいえばよいのだろうか。朗読+映像でも伝わるものは同じではないかと思う。むしろ河内大和が劇団でしているように彼が一人で全台詞のほうが見ごたえ/聞きごたえがあったのでは。あちらこちら(役所、報道メディア、医療機関、学会)への忖度が見え隠れして、あれこれ不満を抱えて映画館を出た。
そう感じたのは、誰目線で語られるか、がはっきりしないからなのかな、と思った。何かしらの立場で語ると別の何かの立場が見えなくなるので仕方がないのだが、しかしそのせいで葛藤が薄っぺらくなっている。報じるか報じないか、どのように報じるか。船にいくかいかないか。水のために離岸するかしないか。家族の辛さの解消を優先するか、患者の治療を優先するか。決まり事を守るか、逸脱するか。感染を怖れて患者の受け入れに反対する医療従事者は小栗が言うように辞めるべきなのか。世間を振り回した暴露動画は削除された、で済まされるのか。検疫官の責任転嫁、乗組員の献身と苦しみ、いいかげんな識者をもっと取り上げてほしかった。
足りない部分は想像力で補えばよいが、想像のほうが実際の映画より魅力的では仕方がない。実際に怒鳴り合い、殴り合いがなかったのかもしれない(最後、滝藤に熱量を感じて映画を観たなと思えた)が、どうにもわたしの日常のほうが盤根錯節しているのでは、と思えるほど物足りなかった。つまり、非日常の世界がそこにはなかった。
松坂の台詞が的を得ていて0.5点。曰く、この映画自体が実話を笠に着て、鑑賞者の「善意や良心につけこんで」表現者としての「責任を回避」しているように感じた。
全682件中、81~100件目を表示











