「すべての日本人が観るべき傑作」フロントライン LukeRacewalkerさんの映画レビュー(感想・評価)
すべての日本人が観るべき傑作
ド派手で超大作の『国宝』の輝きに埋もれてしまいそうだが、僕はこっちのほうを(洋画も含めて)今年のNo.1に推したい。
これから年の後半にも良い作品はたくさん出てくるだろうけれど、ちょっとこれを超えるものは出そうにない気がするし、自分の生涯ベストの1つに間違いなく入る。
最初は「実話に基づいたって言ったって、『TOKYO MER』みたいな専門職TVドラマっぽいやつかなぁ?」などと高を括って観に行ったのだが、予想を完全に覆された。
脚本、演出、キャスティング、VFX等々、あらゆることを全部含めて最高でありました。
(今、いろいろ確認のために公式サイトを見に行って予告編映像やメイキング、あるいはモデルとなった人々と俳優たちの再会シーンなどを観たら、不覚にも泣けてきた・・・)
ストーリーは、船内に新型ウイルスの感染者が出たクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号で、2週間のあいだ乗客のために格闘したDMATの医療従事者と船のクルーたち、厚生労働省の官僚、患者受け入れを巡る医療機関という、私たちが絶対に忘れてはいけない「無名のヒーロー/ヒロイン」の格闘の物語。
そこには、何もかも前例のない中で身の危険を覚悟で船内で「今できることをする」現場と、統制する本部のあいだの葛藤、船内でも起こる葛藤と助け合いと感謝、法令と段取りに縛られる官僚とのぶつかり合い、ゴシップもどきの報道を加熱させるマスコミのいやらしさ、なぜか「自分は感染症の専門家だが、船から2時間で降ろされた。DMATは素人」と動画を投稿して結果的に世間の不安を煽りDMATの足を引っ張る異様な医師、差別にさらされ出勤できなくなったり子どもの保育園や学校から登園登校を拒否される医療従事者の家族たち・・・と、観続けるのが息苦しくなるような展開が続く。
中でも人間ドラマとして出色なのは、パニックに陥りながらもギリギリのところで耐える乗客たちやクルー、当のDMATの人びとの粘り強い「戦い」を丁寧に描いていることだ。
一方で、厚労省検疫担当、神奈川県庁、感染症学会、DMATの医師たち・看護師たちの所属する医療機関の経営陣などの責任の押し付け合いや足の引っ張り合いは、とてもフィクションとは思えない。
業界は違えど、自分が現役のサラリーマン時代に嫌と言うほど目にしたf**kingな野郎たちと光景がありありと蘇った。
また、細かな一瞬のシーンにも二度ほど驚かされた。
1つ目は、物々しい防護服で重症の外国人患者に対応する医師(演:池松壮亮)が、英語に堪能なフロント係の女性(演:森七菜)に通訳をしてもらうために客室に呼び
「(客室に)入ってくれますか?」
と言った時に
「えっ…えっ…入るんですか?」
とフロント係が躊躇しながらも、意を決したように入室したこと。
2つ目は、すべてを終え無事に帰宅した医師(演:池松壮亮)に、ずっと心配し耐えてきた妻が静かに近づいてハグしようとした時。医師は一瞬ためらうように微かに後ずさるが、すぐに思い直して妻を抱きしめたこと。
そう、そうだったのだ。わたしたちは確かに、そうして恐れていた。
何と言うリアリティ。
こうしたリアリティは、間違いなく当事者たちへの丹念な取材と脚本家の想像力の賜物だと思うのだけれど、素晴らしいのはそのバランスが舌を巻くほど良いこと。
これは、ディテール一つ一つに込められた事実(本当にあったこと)と虚構(いかにもあったかも知れないと思わせること)を極めて自然に織り上げ、どちらにも偏り過ぎずに仕上げるという芸当であって、もはや天才的でさえある。
そして何よりも、脚本家を含めた製作陣の良心を感じたのは、例えばルームサービスのフィリピン女性クルーへの優しい眼差しだ。
些か深掘りするが、以下にどうしても書き残しておきたい。
豪華客船は動く豪華ホテル。つまり彼女たちは言うなれば最下層の労働者であり、現実でもドラマでもほとんどエキストラ並みにしか扱われないのが普通だろう。
でもこの作品では、文字通り名も無い存在でありながら、恐らく実際にあっただろう彼女たちの気配りや献身、そして最後まで乗客を優先するために船底のクルー部屋に寝かされ搬送を後回しにされていたことに、敢えてきちんと目配っていた。
こういうことは脚本家や監督が当初は描きたいと思っても、プロデューサーからは上映時間の兼ね合いやキャラクター全体の軽重の価値判断で編集段階でカットされてしまうことも多いと想像する。シーンを生かすとしたら、配信やDVDでのディレクターズカット(完全ノーカット版)になることが普通だろう。
それを劇場公開時からこうしてしっかり入れてきたことに、製作陣の強い意志と人間性を感じるのだ。
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僕らは、あの5年前のヒリヒリとした得体の知れない不安や緊張感を忘れ始めている。
ある意味、東日本大震災並みに強烈な体験だったはずだが、文字通り「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ものなのか。
誰にとってもリアルだった、しかし誰にとってもまったく同じ経験は一つもなかったあのコロナ禍。
この映画の見事なところは、そんな災厄の始まりである最初の2週間を、フィクションでありながらフィクションとは到底思えない、めちゃくちゃリアリティのある人間ドラマとしてきっちりと仕上げて観せれくれたことだ。
そして、あのときの自分は何を見、何を考えていたかを振り返る。
「未知のウイルス」への言い知れぬ恐怖や「なんとなく後手に見える」対応への批判的な目。
そう、あの頃はワクチンすらなかった。
あの時、僕らは正しく事態を認識し、正しく理解していただろうか。
もちろん、当時で事態を正しく認識できた人間など居なかっただろう。何もかも未知の状態で、わかっているのは「しばらく耐え続けなければならないようだ」ということだけ。
だからこそ、個人としてできることは何か、どんな言動をとるのか、どんなメンタリティで毎日を迎えるのかが大きく問われていた気がする。
この映画は、あの日々のそんな自分を否応なく思い出させ、あの日々の感情を驚くほど喚起してきた。
こんな映画体験は初めてだ。小栗旬が精魂込めたことは間違いなく届いた。
そういう意味では、この映画は80年のあいだ戦争を経験していないわれわれにとっての、一種の「戦争映画」である。
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