「真実は現場にある、でも」フロントライン キレンジャーさんの映画レビュー(感想・評価)
真実は現場にある、でも
冒頭、誰もいない長い長い廊下を進むと、客室からストレッチャーで運び出される乗客の姿。
同行する乗員の女性が操作すると大きなハッチが開き、夜の海で巡視船が接近しているのがわかる。
彼女は着けていたマスクを顎にズラし、束の間の外気を大きく吸い込む。
そしてカメラは彼女の横をすり抜け、ハッチから外に出て、高度を上げながら徐々にその巨大な客船の全容を映し出す。
まずこのワンカットの映像でワクワクが止まらない。
はい、もう最高。
ただ、物語はそんなに単純なものではなかった。
この当時私自身、新型のウィルスというものに興味も危機感もほとんど持っていなかった。
もちろんこの映画にはこの映画を作品として成立させるための解釈や演出が施されていて、あの事件において、マスコミが常に悪であり、「DMAT」がすべて正しかったと信じるのはまた危険なことだということを自覚した上で、私のあの事件についての認識は、作中でまさにあのTV局が報じた情報によるものがほぼすべてだった。
当時の私は、朝のワイドショーを仕事の支度がてら横目で見ながら「寄せ集めの医療チームがパニックになって後手後手踏んでるんだろうな」くらいに思っていたことを思うと、ここで登場するテレビマンたちの放送する先にはまさに私という視聴者がいる。
乗客の引き受け先を善意で申し出た藤田医科大は、私のかつて勤めた地区にあり、仕事柄馴染みの深い場所でもあるのに、この経緯をほぼ私は覚えていなかった。
それなのに、あのすぐに船を下ろされたという医療従事者の上げたYouTubeの動画のことはよく覚えている。
そう。
マスコミが煽るニュースのみを娯楽混じりになんとなく咀嚼していた自分。
私が作中に「自分」を自覚されられたことが、この映画における最大のリアルだった。
いろいろな映画作品を観る中で、私は「圧倒的不利な状況、半ば敗北がほぼ確定している環境において、それでも自分の仕事・役目をまっとしようとする人々の姿」というヤツに滅法弱い。
この作品はまさに私のそのツボに刺さりまくったおかげで、上映時間の1/3はずっとウルウルしてたと思う。
そして最後。船内での対応が終わり、隊員がようやく家に帰って奥さんにかけた言葉。
これだけ危険で十分な報酬もないような理不尽な仕事に、自らの生命の危険を晒したら、おそらく私の帰宅第一声は、その愚痴か「大変だったよ」だろう。
しかし、彼自身が船内で未知のウィルス、そして社会を取り巻く偏見や誤解という大きな敵と闘っている間、その家族もまた、周りからの差別と闘っていた。
それを察した彼がかけた
「何か辛いことはなかった?」
思わず涙がこぼれるのを止められなかった。
登場する人物たちも、決してスーパーヒーローではなく、毅然と現実に向き合い最善の策を講じながら、それでも悩み苦しみ、もがいている。
エンドロールで、取材した事実と作中の演出には改編があることを但し書きとして表しているのもその誠実さとして伝わった。
印象的なシーンは本当に数多い。
船内の乗客が、対応する医療チームや客船の搭乗クルーに対して感謝のメッセージを貼り出しているシーン。
重篤になった夫を下ろしたことで、残された家族の不安を取り除くために医療チームに掛け合う乗員。
言葉の壁を取り除くために、この一件においては医療従事者だけでなく、船の乗員たちが最後まで協力していたことも描かれている。
繰り返しになるが、この映画を成立させるためのバイアスは必ずある。
マスコミを対立軸に置いた分、この作品にTV局の協賛はない(TVやラジオでも、これだけ有名俳優を並べた作品なのにその紹介はあまり見かけない)。
逆に言えば、今回制作や取材に協力してくれた人々や組織を作中でむやみに悪く描くことはできないということ。
我々視聴者は、いろいろな側面から情報を得て、考えることをしなければ、核心には近付くことはできない。
この作品だけを見て「やっぱりTVは『マスゴミ』だ」と評するのは間違っている。
その認識を失わない様にしないと、まさに今、都議選や参院選を前にマスコミとSNSの対立はさらに激化している現実も見誤ることになりかねない。
マスコミ各社の報道が、制作者やスポンサー、視聴率という偏向されやすいごく少数の意向によって構成されている一方で、SNSには大量の間違いやデマや利益誘導が紛れ込んでいる。
この作品が、現場で献身的に働く人々を称賛し心から感謝を伝えるための映画であることに加えて、我々には「正しく見るための目と耳と考える頭」が必要なんだ。
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