「光あるところに陰はある」フロントライン ジュン一さんの映画レビュー(感想・評価)
光あるところに陰はある
世界的な快挙を扱った{実録ドラマ}、
例えば「はやぶさ」なら
〔はやぶさ/HAYABUSA(2011年)〕
〔おかえり、はやぶさ(2012年)〕
〔はやぶさ 遥かなる帰還(2012年)〕
と、三本も制作され、
とりわけ〔遥かなる帰還〕で
『渡辺謙』が「最も重要なのはサンプルリターンです」と強く訴えるシーンは記憶に残る。
{社会派ディザスター映画}なら
〔Fukushima 50(2020年)〕か。
ここでも所長役の『渡辺謙』が
「やってられんわ! そんな危険なこと、作業員にさせられるか」と声を荒らげるシーンがある。
表に見えているキャッチーな部分に光は照てられる。
しかし出来事はそれだけだろうか。
豪華クルーズ客船「ダイヤモンド・プリンセス」で起こった集団感染は
もう五年も昔のことになるのか。
当時は毎日のように紙や映像で逐次が報道され、
我々は示される数値に不安を覚えながら注視したもの。
今日改めて船内やその周辺で起きていたことを示されると、
その時の報道にはかなりの偏りがあったのを今更ながらに知る。
もっとも、本作は「真実を基にした物語」であり、
脚色もされているのは重々承知の上で。
素直に観れば、
世間からの謂われない白い目に耐えながら奮闘する「DMAT」隊員と
それに感化された厚労省の官僚が(顧客第一を旨とするクルーズ船の乗組員も含め)
事態を終息に導いた熱い物語り、と取れる。
中心となる数人だけでなく、その周囲の人々の行動や心情も丁寧に掬い上げる。
多くの彼ら・彼女らが主役なのは論を待たず。
が、今でもことあるごとに噴き出す社会の雰囲気が
物事を却って悪化させる要因になることも繰り返し描かれ
これが影の主人公ではないかと思わせる。
制作委員会にマスメディアが入っていないことからもわかるように、
当該業界に対しての痛烈な批判になっているのがその一つ。
テレビで俗にコメンテーターと称される人々は
専門外にもかかわらずその場限りの意見を述べる。
現状把握も対案も伴わないもので、
ビジネスの場においてはもっとも忌避されること。
「要は三千人全員を下船させ、隔離してしまえば良いのです」が代表例か。
誰が・どのようにとの前提が抜け落ちており、まるっきりの放言。
ただ、大衆はそれに迎合する。
何故にできなかったのかは、本作で明らかにされるところ。
視聴率至上主義はセンセーショナルでキャッチーな発言や映像を
率先し取り上げ、信憑性を顧みることはない、
ましてや流した責任を取ることも。
正しく恐れることの難しさが二つ目。
やり場の無い不安や怒りを、
身近なエッセンシャルワーカーにぶつけることは、
繰り返されてきた。
それが現場の疲弊を生み、
全体のポテンシャルが下がることへの影響は計り知れない。
まわりまわって自身に跳ね返ることを
想像すらできずにいる。
登場人物たちは、皆々「ありがとうございます」「どうか願いします」と
頻繁に頭を下げる。
しかもそれは自分のためではない、
本来は赤の他人である患者や乗客の為に下げている。
我が身に当てはめた時に、
他人の為にこれほど腰を低くすることはできるだろうか。
普段使いの言葉でも、強く心に残るのだ。
