劇場公開日 2021年1月29日

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「世界初のテクノロジーポルノという原作だが」クラッシュ(1996) 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0世界初のテクノロジーポルノという原作だが

2021年11月27日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

1 原作の内容
映画化されたJ・G・バラードの作品は『太陽の帝国』が有名だが、本作の原作はそれとはずいぶん趣の異なるSFである。
その序文でバラードは「もはや作家は何もわかっていないのだ。モラルの根拠すらもない。作家は読者に自分の頭の中身を差し出し、想像上の選択肢とそれを選ぶ自由を提供する」と、災害小説の一種としてテクノロジーによるポルノ小説を提示したと言っている。
ここでいうテクノロジーとは高速度交通の発達を指し、その中で増大する事故や身体の損傷のほうに現実感を感じ、やがて疾走する自動車の車内や部品、損傷した身体でなければ性欲が刺激されない人々、欲望追求のために事故を生じさせ、最後には性的快感の頂点をもたらす事故死を夢見る人々が登場するという警告が、この小説で描かれている。

2 現在から見た原作の評価と読後感
発表後、半世紀近くを経た今、高速度交通はそのようなインナースペースを現出しなかったこと、むしろテクノロジーは性と欲望を光あふれる領域に拡散させ、セックスは20世紀のライトモティーフから転落したことを指摘することは簡単だ。
しかし、作家の想像力が読者に訴えかける力は、別に予言の確からしさからではなく、個々の内部に等価物を生み出せるか否かにかかっているはずだ。すると次のような記述は、読者にいかなる夢想を喚起するだろうか。

「彼女の手が右の睾丸を握りしめた。我々をとりかこむ積層プラスチックの湿った無煙炭色は、恥毛がふたつに分かれる陰門の入り口と同じ色あいだった。二人をとじこめた客室は、セックスが造りだした機械、血と精液とエンジン冷却液から生まれたホムンクルスであった。肛門に入り込んだ指が、ヴァギナに包まれたペニスの竿を探りあてた」

小生について言えば、ここから性と自動車構成素材との混同を誘われるような読書体験は、残念ながら得られなかったのである。初期バラード作品にあったような濃密な倦怠感、焦燥感、空虚感は感じられず、むしろ性的表現とそこにむりやり押し込められた工業用語による比喩の乖離を感じたのだった。したがって小生はこの原作をあまり評価できない。

3 映画としての評価
クローネンバーグは原作小説を、猥褻な部分を正面からは描けないことから若干の変更を加えたり、ヴォーンの事故死妄想をかなり省略しているほかは、まずまず忠実に映画化している。
映像としても、原作と同様、男女の裸体と自動車部品を絡み合わせるようにして、不具や工業部品、事故の廃棄物等に性欲を持つような性的倒錯感を表現しようとしていて引き込むものがある。
とくに事故で損傷した下半身の補助装具を身に着けた女性とカーセックスするシーンには、思わず見入ってしまったw
とはいえ十分な性倒錯感を伝えるにはいたらず、したがってテクノロジーの脅威も感じられないまま、結局変わったセックスをする自動車事故マニアたちの自殺願望を描いただけに終わった感が強い。原作同様、高評価するには無理があると感じた。

徒然草枕