ドールハウスのレビュー・感想・評価
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期待ハズレ
Jホラーの王道を行く「人形怪談」にして「家電怪談」。「ドールハウス」ってなんのこと?
背筋がぞくぞくする、という言い回しがある。
不気味だったり、怖かったりするときに使う言葉だ。
だが、これはもともと「本当にぞくぞくする」から
背筋がぞくぞくする、という言い方をするわけだ。
今回『ドールハウス』を観て、久しぶりに、
「本当に背筋がぞくぞくする」体験を味わった。
背中の後ろのあたりが体感的にぞわぞわぞわっとする、
身体的な生理現象が、間違いなく自分の身に起きたのだ。
僕はホラーが大好きで比較的頻繁に見るほうだが、
意外に「本当に背筋がぞくぞくした」ことはあまりない。
たいていは敵が近づくシーンで目を背けたくなったり、
ジャンプスケアのショッカーで「ぎゃっ」となったり、
気持ち悪いグロテスクシーンで「げげっ」となるだけで、
身体の一部が「ぞわぞわぞわぞわっ」となることは、
本当に久しぶりだったので、「おおおおお」となった。
これはちょうど、昔『FALL フォール』を観て、
本当に「手に汗を握った」新鮮な感覚と近い。
あれは本当に観ている間、手汗がドバドバ出たから(笑)。
で、具体的にどこのシーンで「ぞくぞく」したかというと、
●かくれんぼで「もう一体」が視界の隅を横切った瞬間。
●ボコった後、廊下の反対側に「もう一体」を見つけた瞬間。
ああ、俺こういうのを観ると「本当にぞくぞく」するんだ、と。
いわゆる鶴田法男系演出の「紛れ込み」の変種ですね。
結局、いままで安心して捉えていた世界観が、急にもたらされた意外な視覚的情報によって根底からゆるがされた瞬間、というのが僕は三度の飯より好きなのだと思う。
だからラストで「どんでん返し」や「意外な真犯人」や「たった一言で世界が反転する」衝撃が待ち受けている「本格ミステリ」を愛読しつづけているわけだし、この手のホラー映画も何かとかかるたびに足を運ぶわけだ。
だが、「Aだと思ったものが実はB」ってのをビジュアルでうまく見せられると、それに気づいた瞬間に背中の後ろの辺りが本当にぞわぞわぞわってするんだな、というのは今回の大いなる発見だった。発見っていうか、自らの身体の神秘に気づいたっていうか(笑)。
たぶんこれって「観客への気づかせ方の演出」だったり、「ビジュアルインパクト(今回であれば「和人形」と「紙袋に目穴の少女」のダブル攻め)」だったり、その日のこちらの体調だったりがうまく嚙み合った末の現象なんだろうね。
だから、誰にでも起こるとは限らないし、僕にだっていつでも起こるとは限らない。
でも、自分にも「背筋がぞくぞくする」感覚を本当に体感できることがあるんだという貴重な「気づき」を与えてくれたという意味で、今回本当に観に行ってよかったと思う。
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矢口史靖というとどうしても『ウォーターボーイズ』や『スイングガール』のような青春群像コメディを思い浮かべてしまうが、Wikiで観る限り、2000年ごろに関西テレビで3年連続『学校の怪談』の特番を引き受けていて、ホラーには結構な関心がもともとあったらしい。
今回の『ドールハウス』も、「呪いの人形」「子供の横死」「団地」「祓い屋」「ヴィデオとカメラ」など、黒沢清や鶴田法男、中田秀夫、清水祟といった面々が数十年来積み重ねてきた「Jホラー」の伝統を真正面から受け止めた内容となっており、日本独特のホラー映像文法の活用に関しても、じつに堂に入っている。
特に、上記であげた「ぞくぞく来たシーン」以外でも、
●洗濯機を開けて叫ぶ長澤まさみ
●歯形確認で唐突に叫び出す次女
の2シーンは演出も含めて本当によく出来ていると思ったし、
●夫が戻ってきたらダイニングにいる人形
●部屋をかけまわるシーツを被った何か
●子供が描いたといって幼稚園で出される絵
●ゴミ自動車から2度目に帰って来る辺り
も、すげえ印象に残る「怖いシーン」に仕上がっていた。
矢口監督は全体を通じて、Jホラーお得意の「おわかりいただけただろうか」系の「視界の片隅に何かが映り込む」演出を、手を変え品を変え仕掛けてきて、いずれも大きな効果を上げている。
この映画って、基本的には「捨てた人形が何度も何度も家に勝手に帰って来る」というネタがメインではあるのだが、実はそこは「恐怖の本質」ではない。
単純に礼(あや)ちゃん人形の見た目が怖いとか、映し方が怖いっていうだけじゃなくて、矢口監督は「人形と実の娘の見分けがつかない」という恐怖を、とにかく徹底して演出してくるんだよね。
序盤の、長澤まさみが人形を「実の娘」のように扱う恐怖もそう。
中盤の、成長した次女と人形を長澤まさみだけでなく、観客まで「取り違えてしまう」恐怖もそう(この娘が被り物をまとってお化けごっこやかくれんぼをするのをやけに好むというのが、娘と人形の境界がゆらいでいく物理的な根拠になっている)。
終盤の、夫婦の脳内に人形の存在が「侵蝕」していく過程もそう。
あらゆるパターンを用いて、「忌み嫌っているはずの(排除したがっているはずの)人形」と「無条件に最愛の存在であるはずの実子」の「見分け」すらつかない――こともあろうに親や祖母が見間違い、誤認するという「怖さ」を繰り返し描いていく。
「実子と人形の見分けがつかない」恐怖は、以下の恐怖とも強く連動している。
●この夫婦自体が実は「二人目の娘」のことを、最初に亡くした娘の「代わり」の「ドール」として可愛がっているだけではないかという、潜在的な恐怖。
●人形を悪玉に仕立ててはいるけど、そもそもこの夫婦の子育て自体が、あまり心のこもっていない「ドールハウスでのごっこ遊び」の延長だからこそ、一連の悪夢は引き起こされているのではないかという本質的な疑念(だからこそアヴァンでもああいう悲劇が出来するし、いざというところで母親は何度も子供に手を出してしまう)。
いや、この夫婦だけでなくて、世の中のあらゆる「善良なお父さんとお母さん」だって、その実、最愛の子供の見分けなど大してついていないのではないか。簡単に別の何かに侵蝕されてしまう程度の「愛」しか持ち合わせていないのではないか。
明日われわれ自身が、愛する子供の存在を簡単に「見失う」ことだってあるのではないか……。
このあたりが実は『ドールハウス』の怖さの中核ではないかと思うのだが、いかがだろうか。
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この物語において、語り手は常に「信用のおけない」存在である。
出てくる人間全員(転売屋の××以外)善良な人たちだし、
悪意をもって物語をこじらせようとするキャラは出てこない。
誰もが一生懸命に生きているし、親切心をもって行動している。
だが、いずれも強い存在ではなく、容易に認識を捻じ曲げられるし、そこで語っていることが真実であるとは限らない。
長澤まさみ演じる鈴木佳恵は、第一子に起きた悲劇のショックを引きずっている(当たり前だ)ために、常に情緒不安定で、逃避的で、妄想的である。事故後1年間を廃人同様に過ごしたあと、彼女は骨董市で出逢った人形によって「救われる」(そもそも人形との出会いを導くのが「お焚きだし」のチラシというのも気になるところだ。焚きだされるのは人形ではなくて、むしろ実子のほうなのでは? 実際、入れ替わりに「人形」が迎えられるわけだから……)。
その後、2人目を身ごもった彼女は、だんだんと正気を取り戻し、5年の歳月をかけて人形への依存・執着から解き放たれ、ようやく元どおり振る舞えるようになっていく。
だが……果たしてそうだろうか? 彼女は本当に正気を取り戻したのだろうか?
単に「依存」の先が人形から実子へと移っただけなのでは?
一度壊れた心は、そう簡単にもとには戻らない。
一度喪った子供は、決して返ってこない。
彼女は永劫に癒されない罪悪感と恐怖感を抱えながら、それを必死で押し殺して、抑え込んで、なんとか生き延びている。そのなかですがるようにしがみついたのが礼(あや)ちゃん人形であり、後から生まれてきた真衣だった。
だが、もともと「壊れている」のは変わらないので、彼女の世界認識は「人形の悪意」によって容易に左右されるし、歪みを生じてしまう。
長澤まさみが「信頼できない語り手」であるのと同様、本作における瀬戸康史もまた「信頼できない語り手」の一人である。
彼の演じる鈴木忠彦は、一見して善良で有能な旦那さんではあるのだが、その実やはり何かしらの「違和感」を与える存在でもある。
むしろ一人娘をあんな死なせ方をした割に、たいして大きなダメージを負っていないように見えるこの旦那さんのほうがちょっと変わっている、まであるかもしれない。
出来た旦那さんであるぶん、哀しみや辛さや苦しみをすべて奥さんに背負わせて、自分はなんとなく他人事でやり過ごせている部分を感じざるを得ない。
これは、まさに自分がそういうタイプの夫だから思うのかもしれないが、この旦那さんってなんでも許せちゃう分、なんでも流せちゃうタイプで、献身的に支えているように見えて、実は回りを「うまく立ち直らせない」タイプの人なのかも。
この二人に関しては、とくに終盤で人形を祓い屋に託したあとの行動への違和感が大きい。二人は、祓い屋から「人形をこれからコレクターのところに持っていくからここでいいですよ」といわれたあとも、なんだかんだと理由をつけて一緒についていく。
これは、映画の主人公としては、極めて正しい行動である。
主要モチーフに興味を喪う主人公なんて、あってはならないくらいだ(笑)。
だが「ふつうの親」としてはどうだろうか?
まずは「真衣ちゃんのところに一目散に帰る」のが当たり前ではないのか。
なんで、この二人は真衣の話題を出さない? 誰に預けて何日も新潟くんだりまで旅行している? もともと「子供から引き離すために」強制入院されられた直後の旅行なんだよね、これ? なのに旦那も「真衣が心配だから帰ろう」とか一言も口にしない。なんで?
この夫婦、もともととても不穏で気持ち悪いところがあるのだ。
で、それが映画そのものの怖さとうまく直結している。
そこが『ドールハウス』の良いところだと思う。
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●中盤は本当によく出来たJホラーだと思うのだが、後半TEAM NACSとか仲間由紀恵の旦那とか、『バイプレイヤーズ』感の強いくせ者俳優たちが楽しそうに出てきてドタバタやりだしてからは、あまりにコメディの要素が強くなりすぎて、せっかくの内にこもった鬱々とした恐怖感が薄れて、ちょっともったいなかった印象がある。
●「礼ちゃん」の過去を聞いて、××に戻そうとすること自体、最初から「なんで??? 自分を××したやつなのに???」と思って観ていた僕には、終盤の展開はちょっと納得がいかなかった。
●「5人いる」ってネタは、ちょっと綾辻幸人&有栖川有栖の『安楽椅子探偵登場』の某ネタを想起させてとても良かった。
●この映画のもう一人の主役ともいえるのが、ドラム型洗濯機。
ああ洗濯機こわい、洗濯機こわい……。
前から洗濯機も、中から開けられないので有名なんだっけ?
「冷蔵庫」が中から開けられないってのは、昔からすげえ有名だったけど。
なにせ俺は50年くらい昔、粗大ごみ置き場に捨ててあった冷蔵庫に閉じ込められかけた過去があるからね。あのとき親からめちゃくちゃ怒られたのは、今でもトラウマになって記憶に焼き付いている。
「一度閉めたら、冷蔵庫は中からは自力で二度と開けられないから」って。
当時は本当にそうだったんだろうか? ちょっとした誇張も入ってる?
これって、ある種の「教訓的な怪談」だよね。今にして思うと。
「やってはいけない」を子供に叩き込むための「怪談」。
で、今回はそのターゲットが思い切り「洗濯機」に向かってる。
要するに『ドールハウス』は、人形怪談にして、家電怪談なのだ。
終盤の幻想シーンで、縦型ドラム式洗濯機を「墓穴」とダブらせて見せる演出には、心底感心した。たしかに。身体を折り曲げて人ひとりがようやく入れる「穴」って、人が生活する周辺では「墓穴」と「洗濯機」と「床下収納スペース」くらいしかないもんね。
怖いというより面白い
※面白いはfunnyではなくinterestingの方の意味
平日夕方ほぼ満席。そして高校生だらけ。変な家のトラウマを思い出しやっぱ邦画ホラーは客層悪いよなってビビりつつ鑑賞したが、マナーは悪くなかった。
キャストも豪華で人間の恐ろしさも交えつつ見応えがあった。特にラストの洗濯機と墓が交錯する場面は面白かった。怖いだけではなくちゃんと面白い。でも人形の怖さを出すなら人形の顔の原型は留めてほしい。妖怪のようなゾンビのような顔になってて冷めた。人形は人形の顔だから怖いのに…。
私が脚本書くなら、人形を墓に閉じ込め家に帰る鈴木夫婦。娘マイと共に平穏な日常を取り戻す。だがマイが一人になると「私の人形はいい人形〜」と口ずさむ。それはかつて佳恵がアヤに聞かせていた歌だった。場面は切り替わり新潟の墓。そこには「出して!出して!」とマイの声で叫ぶアヤちゃん人形が…。のような分かりやすいラストにしますね。だからあのラストにしたのは考察しがいがあっていいと思う。
既視感山盛り、隠し味程度に怖さ
人形ケースが怪しすぎるし、絶対買わない。
じゃない方の長澤まさみ
外国では、よりウケると思う。
観るのは、配信になってからかな…と思っていたが、みるみるうちに、レビューの点数が上がってきたので、鑑賞してみることに。
予約時点でも半分くらい埋まっていた席が、若いカップルや中高生の友達同士、小学生らしい子連れ家族まで、比較的若者を中心に行ってみたら満員だったので、ちょっとびっくりした。日曜日の昼下がりに観に行くのに、ピッタリの映画ということなのかもしれない。
結論から言うと、予告編がいい意味で裏切りになっていて、プロモーションも含めて、とてもよくできた娯楽作品だったと思う。
<ここから内容に触れた感想になります>
全体としてよくできていたことを踏まえた上で、観終わって真っ先に思ったのは、「これ外国映画として観たら、ちょっと印象が違っただろうな」ということ。自分の知らない異文化・風習について描かれている部分と、YouTubeや掃除用ロボットなど現代的で万国共通の部分とのバランスなどに視点が向いて、きっと脚本や演出の良さをもっと感じられただろうと思う。
ただ自分は、長澤まさみと、亡くなった長女や人形との「関係」の描かれ方の方に目が行ってしまったので、「亡くなった長女のこと、人形で代用できるんだ」とか、「次女ができたら、人形のこと、あんなにぞんざいにできちゃうんだ」とか、関係の薄さが気になった。
それらは、娯楽作品としての展開のわかりやすさと引き換えに、仕方ないことなのかもしれない。
ただ、登場人物たちが、固有名詞を持った「その人」ではなく、立場的な役割を演じている人たちに見えてしまい、余韻は余り残らなかった。
ただ、田中哲司の斎服姿を見ると、specの「冷泉さん」を思い出し、「カーレンダーよりはーやーくー」が脳内再生され、ちょっとアガった。
頼りになりそうで、ちょっぴりポンコツな所もよかったので、表示は3.5だが、その分0.3加点して3.8。
ゾクゾクして怖かった
実は、映画館でホラー映画を観るのは初めての経験だったかもしれません。
自宅でテレビ画面越しに観るのとは全く違う迫力と恐怖感がありました。
暗闇に包まれた劇場の中で、大画面から迫ってくる恐怖演出に何度もゾクゾクとした感覚を味わい、冷や汗が出る思いを何回もしました。
音響効果も相まって、まさに全身で恐怖を感じる体験でした。
この映画の物語は、5歳の娘・芽衣を事故で亡くした鈴木佳恵(長澤まさみ)と看護師の夫・忠彦(瀬戸康史)の悲しみから始まります。
愛する娘を失った母親の心の傷と、それを癒そうとする人形への愛情移入が描かれています。
佳恵が骨董市で芽衣に似た人形を見つけて購入し、我が子のように愛情を注ぐ姿は、母親の愛の深さと同時に、その愛が時として危険な方向に向かう可能性も示唆していました。
新たな娘・真衣が生まれ、5歳に成長した彼女が人形と遊び始めると、一家に奇妙な出来事が次々と起こります。
人形を手放そうとしても、捨てても供養に出してもなぜか戻ってきてしまうという展開は、まさにホラー映画の王道パターンでありながら、観客を確実に恐怖に陥れる効果的な演出でした。
長澤まさみの演技は特に印象的でした。愛する娘を失った母親の悲しみ、人形への愛情、そして次第に狂気に近づいていく様子を繊細に表現していました。瀬戸康史も夫として妻を支えながらも、状況の異常さに戸惑う男性を自然に演じていました。
田中哲司演じる呪禁師・神田や安田顕演じる私服警官・山本といった脇役陣も、それぞれが物語に深みを与える重要な役割を果たしていました。
風吹ジュンの忠彦の母・敏子役も、家族の複雑な関係性を表現する上で欠かせない存在でした。
観ていて強く感じたのは、そもそもの悲劇の始まりについてです。
鈴木佳恵が子供たちだけを残して買い物に行ったことが事故の原因となったのではないか思ってました。
親として、一瞬の判断ミスや油断が取り返しのつかない結果を招くという恐怖は、多くの観客にとって身近で恐ろしいテーマだと思います。
映画の結末については、確かに色々な意見があると思います。
すべてが明確に解決されるわけではなく、観客それぞれの解釈に委ねられる部分も多いです。
しかし、私はこういう終わり方もありだと感じました。
現実とは何か、愛とは何か、そして家族とは何かを問いかける余韻のある終わり方だったと思います。
ホラー映画としての恐怖演出も効果的でしたが、同時に家族愛や喪失の悲しみといった普遍的なテーマも深く描かれており、単なる恐怖映画を超えた作品だったと感じています。
映画館での初めてのホラー体験としても、非常に印象深い作品となりました。
恐怖の中にも愛や家族の絆といったテーマが織り込まれており、観終わった後も考えさせられる内容でした。
ホラー映画が苦手な方でも、家族というテーマに興味がある方にはおすすめできる作品だと思います。
久しぶりに満足できた邦画
「ホラー」だとか、「人形怖い」だとか言って最初から毛嫌いする方もいらっしゃるようですが、食わず嫌いせずに、ぜひ鑑賞していただきたいです。
そもそも、ドキュメンタリーとかノンフィクションは別として、フィクションである映画は現実社会をメタファー的に捉えた表現手段でありますし、ドキドキワクワクしながら問題意識を育んでいける格好の教材であると思います。
中には面白くない、やたら説教臭い作品もありますが、面白く見られて、なおかつ社会的視点が広がっていく助けになるのであれば、面白い方が良いに決まってます。
ここでいう面白さというのは、展開の面白さですね。
私は、映画館を出るとき満面の笑顔で満たされました。
それは「幸せ」ではあるのだけど、ある意味シニカルな結末に納得し感心した幸せでした。
学校や教科書では決して学べない、「現実」の残酷さをフィクションを通して伝えることができ映画って、やはり素晴らしいと思います。
あくまで、個人としての感想です。
怖がらずに観て欲しい。これは切なく悲しい・・
長澤まさみさんが極上さをプラス
想定外にきちんと「怖い」ホラー映画
予告のテイストや矢口史靖監督であることなど、なんとなくコメディチックな緩めのホラーかな、と思っていたのですが……。
意外や意外、ド直球でハイクオリティの本格派ホラーでした。
映画そのものはテンポよく進み、予告で語られてる内容は30分もかからずにほぼ消化。物語の導入部は本当に「嫌」な展開。キチンと怖がらせてくれるホラー的な展開にどんどんと踏み込んでいきます。終盤まで緊張感が緩まないまま、見事なオチがついて作品は終わっていくのですが……。
果たしてこの映画、本当に心霊現象が起こっていたのか、追い込まれた人たちが味わう集団幻覚なのか、どちらにも取れそうなところも含めて秀逸です。
恐怖人形
5歳の娘を亡くした夫婦が
深い悲しみ、喪失感を感じていた時
母親(長澤まさみ)が
骨董市で見つけた
娘によく似た人形を可愛がり
夫婦は、次第に元気になってゆくが・・・
原案・脚本を矢口史靖監督が
手がけられた
ノンストップ・ドールミステリー
その脚本に興味を持たれた
長澤まさみさんが
この役を熱望されたそうです。
子を亡くした母親の感情表現は
経験がないので、わかりませんが
罪悪感、絶望感は
言葉では言い表せないほどだと・・
長澤まさみさんのリアルな演技が
涙を誘います。
夫役の瀬戸康史さんも
妻をそっと支えながら
人形を大事に家族の記念を
写真に収めてゆく
とても、自然の演技ができる
俳優さんだと思いました。
次女が生まれ
放置された人形を
何度も手放そうとするが
戻ってきてしまう等
生き人形のように変わってゆく
(行動するシーンは見せない)
骨董市で売られていた
その人形の秘密とは何か?
後半からノンストップな展開で
怖さが連続します。
ラストは、「え~~!」という声が出るくらい
驚かされ 泣きました。
キャストも豪華ですよ。
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