「どんどん拗れていくところがリアルかつ生々しい」ドールハウス マルホランドさんの映画レビュー(感想・評価)
どんどん拗れていくところがリアルかつ生々しい
「ドールハウス」のポスターのデザインはいたってポップなカラーリングだ。
色合いも鮮やかだし、人形を抱えた長澤まさみの配置も中央に位置していて均整のとれた画角であることがわかる。
見る前は、映画の内容も「ああ、よくある人形が動くホラーのやつか」と最初はあまり惹かれなかったが、口コミでは「怖い!」という声が目立っていたので、だんだんと気になっていく自分がいた。
「…ちょっと気になってきたな」と思い、時間を見つけてなんとか放映期間中に見れた。
見終えた感想としては、勝手に矢口監督は青春映画を撮っているイメージだったが、作品の内容は見る前には想像できないくらいの仕上がりで素晴らしかった。
物語は、鈴木佳恵(長澤まさみ)と夫の忠彦(瀬戸康史)が、5歳になる愛娘・芽衣を不慮の事故で亡くすという悲劇から幕を開ける 。特に冒頭で描かれる、洗濯機での窒息死という衝撃的な芽衣の死は、観客に深い陰鬱さと不安を植え付ける。
映画が幕を開けてから体感としては5分〜10分くらいだったと思うが、冒頭にこれを見せつけられたときの衝撃は今でも忘れがたい。
この作品では「子供の予期せぬ行動の恐ろしさ」という物がよく描かれていると思う。
家を出る前に佳恵は、家の中で危ないところをチェックし、外出するが、どうしても「抜け」があるところが非常にリアルだし、同時に生々しい悲劇を生むところの演出はとても見事だった。子供たちの予測不能な行動が引き起こす怖さは、日常に潜む不穏さを巧みに表現しており、「こうはならないでほしい」と願う観客の心を、容赦なく不安の淵へと引きずり込んでいく。
そして、本作を象徴するモチーフの一つが「髪の毛」だと思う。
最初は小道具としてのツールに過ぎないかと思ったが、これが何回もキャラクターたちを苦しめるように出てくる。
作品全体を通じて、しつこいほどに様々な場面で登場する髪の毛は、まるで喉の奥に絡みつき、吐き出そうとしても離れないような、苦々しい不快感を観客に与える。これは、過去の悲劇や、家族の間にまとわりつく拭い去れない罪悪感、あるいは抑圧された感情の象徴として機能しているかのようだ。いつまでもまとわりつき、離れない髪の毛のイメージは、まさに家族を蝕む呪縛そのものと言えるだろう。
また、場面によっては意図的にフィルムの粒子を粗くする演出も、監督の細やかなこだわりを感じさせる。これにより、現実と非現実の境界が曖昧になり、観客はより一層、物語の不穏な世界へと引きずり込まれる。
本作が提示する最も重い問いは、「血の繋がりだけが親子ではない」というテーマ、そして「虐待」の問題だと思う。
物語の終盤で明かされる「衝撃の真実」は 、人形に宿った存在が、母親と離れ離れになることを避けようとする一方で、その母親が人形の「娘」に対して虐待を行っていたという、痛ましい現実を突きつける。
これは、「子供は肉親と一緒にいたほうが幸せ」という社会の安易な思い込みに対する強烈な批判のように感じたし、我々の現代社会で実際に起きている、虐待家庭から子供を引き離せず親のもとに返すしかないという悲劇的な事件にも通じるメッセージを孕んでいる。
人形の執拗なまでの帰還は、単なる怨念ではなく、虐待された子供が親に求める、歪んだ愛情や承認欲求の表れなのかな、と感じた。
物語は単なる超常現象ホラーに留まらず、家族の心理的な葛藤や、現代社会が抱えるデリケートな問題にも深く切り込んでいるところが興味深い。
母親が育児に疲弊していく姿や、亡き我が子をいつまでも忘れられない悲しみは、多くの親が共感しうる普遍的なテーマだと思う。
「ちょっと気になるな」と思ってふらっと見に行った結果、こうした親と子の繊細でとても脆い問題をはらんでいるとは思わなかったので、とても心に残る作品だと思った。
