劇場公開日 2025年6月13日

「ジャパニーズホラー解体新書。人間の「恐怖」を、正確に突く一撃」ドールハウス ねこばばさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0ジャパニーズホラー解体新書。人間の「恐怖」を、正確に突く一撃

2025年6月28日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

怖い

興奮

驚く

「恐怖」という感情はなぜ存在するのか。一説には、恐怖とは危険もしくは有害な事態に対する防衛反応であり、恐怖を感じさせる存在から逃げることで人類は生きながらえてきたということである。

人類はその歴史の中で、恐怖を呼び起こすものと実際に危害を及ぼすものを分離し、「恐怖を感じること」のみを娯楽にすることに成功した。つまりホラー映画である。ある人は実際に危害を加えられている (ように見える) 人間を写し、またある人は異様な存在から逃げ惑う人々を写した。だが奥ゆかしい日本人はそんな下品なことはしない。「恐怖」の本質を、特殊効果やグロテスク描写に頼らず描き出してやる。そんな気概を感じるのがこの「ドールハウス」である。

愛する我が子を不慮の事故で亡くし、悲しみに暮れる夫婦が受け入れたのは、不幸にも曰く付きの人形だった… この「人形」というモチーフが古典的ながら最後まで効いてくる。つまり「人間」と「物体」の中間的な存在なのだ。

そこに有るはずの物が、無い。無いはずの物が、有る。物音がするのに、何も無い(誰も居ない)。人間かと思った面影が、実は…。そして全ての場面にアヤちゃん人形が関わっている。こうした事態が連続すると、人は認知的不協和に陥る。これはあまりにも耐え難い強烈な不快感であり、これを解消するためなら物理的には有り得ない理論にも飛びついてしまう。つまり「この人形は生きている」と。

映画の中の存在であれば、どんなに恐ろしい殺人鬼でも、映画館から一歩出てしまえばそれは空想の出来事である。しかし「ドールハウス」が引き起こす認知の不具合は地続きの恐怖として襲いかかってくる。あなたは映画館を出て、電車あるいは車に乗って、自分の部屋に帰り着いたとしても、もはや安心はできない。今寄り添ってきた人影は、本当に愛する我が子ですか?貴重品は間違いなく所持していますか?物置の方から変な物音がしませんでしたか…?

恐怖とは不快な感情である。しかし一方でこういう言説もある、「恐怖がない人生は死んでいるのと同じ」と。そう考えると、「長続きする恐怖」を持ち帰れるこの映画、貴重な体験だと思いませんか?

(筆者はこの映画の怖さに対して駄文を撒き散らすことでごまかそうとしています。ご了承ください)

ねこばば
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