「「恐怖」よりも「悲哀」に重点を置いてもらいたかった」ドールハウス tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
「恐怖」よりも「悲哀」に重点を置いてもらいたかった
「人形ホラー」としてのストーリー展開にさほどの新鮮味はないのだが、本作の主役とも言える「アヤちゃん」の造形は秀逸で、無表情なのに豊かな感情が感じられる顔立ちには、不気味さと可愛さが共存していて、何とも言えない魅力がある。
それだけに、終盤、彼女の顔が「チャイルド・プレイ」のチャッキーのような形相に変わってしまうのは残念で、怖さを演出しようとして、かえって逆効果になってしまったように思えてならない。
むしろ、彼女の場合は、母親からの愛情を失い、邪険に扱われたことに同情できるだけに、単なる恐怖の対象としてではなく、「トイ・ストーリー」の玩具たちのように、悲哀を感じることのできるキャラクターとして描いた方が、物語に深みが生まれたように思えるのである。
さらに、彼女が凶暴さを増すラストにかけては、せっかく母親と埋葬してもらえるのに、どうして、そんなに抵抗しようとするのかが腑に落ちなかったのだが、最後の最後に、その理由が明らかになって、そういうことかと、ようやく納得することができた。
その一方で、もしかしたら、亡くなった長女が両親を助けてくれたのかと、少し感動しかけていたのだが、そうした、「親子の情が悪霊に打ち勝った」みたいな話ではないと分かって、少しがっかりしてしまった。
考えてみれば、「アヤちゃん」は、祖母にしても、僧侶にしても、警察官にしても、呪禁師にしても、痛い目には合わせるものの、誰の命も奪っておらず、それほど凶悪なモンスターだとは思えない。
最後のオチからも、彼女は、「母親の愛情が欲しかっただけ」だったということが分かるので、ここは、やはり「恐怖」ではなく、「悲哀」が感じられるようなラストにした方が、より深い余韻が残ったように思われるのである。