平場の月のレビュー・感想・評価
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泣きました 切ないストーリー
中学時代の初恋相手と、紆余曲折を経てお互いフリーな立場になった50代で再会した男女の恋愛を描かれていた。もどかしくもありキュンとなるシーンもあり、でもやっぱり泣ける映画でした。
主演のお二人はもちろん、脇を固める役者さんがそれぞれにいい味が出ているし、引きこまれていきました。
大腸がんで亡くなるというストーリーから、いっしょに観た妻に健康診断に行って、と言われました笑
静かな夜に滲む涙
映画『平場の月』は、派手な演出や大きな起伏がない分、登場人物の心の襞を丁寧に掬い取った作品です。
その静かな世界観の中で、とりわけ胸を打ったのが、堺雅人が居酒屋カウンターで涙をこぼすシーンでした。
あの瞬間は、ただ感情を爆発させる涙ではなく、
言葉にできなかった想いや、日々の小さな後悔、
「どうすることもできないもの」を抱えてきた時間が、
ふとした拍子に溢れ出したような“静かな崩れ方”でした。
周囲の喧噪の中でひとり、
誰にも気づかれないように泣くその姿は、
観客の心にそっと寄り添うように沁みてきます。
この映画が伝えようとしているのは、
「大切なものはいつも言葉にならず、
気づけば手からすり抜けている」という残酷さと、
それでも人はまた誰かを想して歩いていく、という温かさ。
派手さはないけれど、
生きることの静かな重さと優しさを
深く感じさせてくれる一本でした。
アラフィフのラブストーリー
最初で最後の恋物語
普通の堺雅人さんがいい。初老とも言える年齢で、健康診断の要検査に戸惑ってしまうごく普通のおっさんがよく似合う、半沢や真田もいいけどね。
井川遥さんも素敵です。いろいろあって故郷に戻った50女の須藤。貯金もあまり無く仕事はパート、古い賃貸アパートで最低限の質素な暮らし。目立たずやがて一人で死ぬことだけを考えているような女性を元祖癒し系(?)がその柔らかな表情は少しだけにして、無表情ぶっきらぼうメインで演じています。
そんな二人が何十年かぶりに出会って、少しずつ距離を縮めていく物語。
お互い惹かれあっているのはわかっていたのに、語り合って自転車でふざけあった時もあったのに何故あと一歩近づけなかったのか。置かれた環境を憎悪し殻に閉じこもったままの幼い日の須藤が痛々しい
世の中、成功者の姿は大きく見えてしまうけど、大半の人間は新聞やテレビで取り上げられる彼らとは無縁の生活を送っています。そんな平場にも月は輝く。たとえわずかな間でも。
あとの出演者では塩見三省さんの存在感がダントツ。ご自身のお体のこともあってか、ほとんど動かない役なのだけれど場の雰囲気を一気に持って行ってしまいます。
人生後半戦を生きる多くの人に見てほしい。つらいシーンもあるけれどね。
共感できず、モヤモヤ
互助会的恋愛映画
「歩まなかった」人生と「歩めなかった」人生と。
原作は2年前に既読。
朝倉かすみ作品は何冊か読んでいるが、
どれも癖のある、やや屈折した人が登場する。
この原作の小説もそうだ。
ホントは、見に行くつもりはなかった。
映画「国宝」見て以来、
「小説を先に読み、高く評価をした作品は映画化しても見ないほうがいい」という
自身への教訓を強化したからだ。(「国宝」はせめて映画からみるべきだった)。
それでも見に行くことにしたのは、
今年映画館で何度も見せられた予告編のせいだ。
いつもはスーツ姿でパリッとした印象が強いのに、
堺雅人と井川遥がファストファッションで醸し出す空気感(演技力ともいう)。
そして、浮かんだ感情を消そうとする表情している井川遥。
人の良さと真面目だけが取り柄の普通の人をしている堺雅人。
彼と彼女がこの小説をベースとしてどんな物語を紡ぐのか。
この映画は見るべきだ。
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(以下ネタバレ)
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覗き見る感じではない。
焼き鳥屋や須藤の部屋で二人の横に座り
二人のこれまでの身の上をただ黙ってうんうんと聞いているような感じ。
(これは小説を読んでいるときも感じたこと)
夫婦別れ、DV、略奪婚、後先考えない散財、
子供との冷たい関係、家と仕事場の往復…。
人間、長く生きていたら、いろいろあるよね。
二人は年齢と人生経験を重ねた分、
互いに慰めも説教じみたことも言わない優しさと
受け付けない強さを身につけた。
そんな突然始まった互助会的な時間。
このまま老いを迎えるのか…とうっすらと感じていたときに、
互助会的な時間の中で互いに感じていった幸福の予感。
しかし、青砥は理解していなかった。
須藤がいった「青砥は、なんかちょうどいい」が
須藤の生きる【心情】で【信条】であることを理解できなかった。
月のアクセサリーひとつ分の好意が、
須藤にとって最高で十分過ぎる愛情であることを理解できなかった。
ただ、「夢みたいなことだよ」「夢みたいなことをね、ちょっと」と
月を見ていた須藤の心を信じた。
だから、1年後の12/20だった。
もし須藤が12/20も生きていたら、
須藤は考え方も生き方も変えたかもしれない。
これは恋愛物語なんだろうか。というより自分は恋愛映画の範疇には入れたくない。
自分にとっては人を理解する大切さと難しさを描いた映画だった。
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理解する・・・でいえば、
二人だけが知る(&創り上げた)二人の関係を、
須藤の妹も同級生もコンビニ同僚のうみちゃんもわかっていなかった。
ただひとりだけわかっていた人がいる。
それは焼き鳥屋のおやじだ。
(小説には出てこないこのおやじを配置したのは、脚本家はすごいわ)
おやじは二人のこれまでの身の上や病気のことをただ黙ってうんうんと聞いていた。
同情やわかったふりをすることなく、
退院祝いに焼き鳥をサービスで出す程度の態度は示すだけでただ聞いていた。
だから、全てを知って黙って何一つ口を挟まず音楽のボリュームを上げた。
そんな人の優しさを表現する映画でもあった。
追記>
小説で読後に感じた「それでも青砥は2年間は最高に幸福だった」は、
この映画では感じなかった。
あと、初恋がらみの部分やラストの自転車二人乗りは余計なものに感じた。
歳を重ねてまた観たい映画
この作品を観るにはまだ自分は青すぎると痛感しました。映像はとてもリアルで誰かの人生を見ている気分にさせられます。変な伏線もなく、難しい話もないのにシンプルとは違う印象でした。物語の内容は自分自身が年を重ねた時により深く観ることができるのかなと楽しみになりました。
大人の切ない物語
4.5にしようか迷ったが、夢中で見れたので5.0
リアルだけど
後半が辛い。
ゆっくりまったりと展開する大人のぶきっちょな恋愛は身につまされて切なく楽しませて貰った。特に洋服にふれる井川遥を後ろから間合いを詰めて、愛情表現をじっとりと迫るシーンは大人の匂いがプンプンして艶っぽかった。しかし後半の山場、井川遥のVサインから後のクドさと堺雅人の鈍感さには感心しない。ラスト近く、妹役の中村ゆりとのシーンの堺雅人の目を剥いた過剰演技はクド過ぎる。居酒屋での号泣シーンやいやに物分かりのよい店主・塩見三省の存在が臭過ぎる。脚本家の責任か、演出家の責任なのか。この監督は「花束みたいな恋をした」も「片思い世界」もそうだったが、途中から無理に主人公を追い詰めて芝居をさせていると思う。端から見てそんなの普通はないでしょう、というシチュエーションだと思うのだが、監督はそれまでの流れから、このエキセントリックな展開はドラマティックと思っているのだろうか?井川遥とその少女時代の女優が見事だっただけに残念だ。
一言でいえば閉塞感が残る。そんな作品です。 私は主人公たちより少し...
綺麗な作品
大人の恋愛がリアル
何気ない日常にありうるかもしれないお話。
愛ってよくわからないけど、傷つく感じが素敵
年齢的にドンピシャで
心揺さぶられ、涙が止まらなかった
50歳、人生のひと区切り。中学高校から30年以上の時が過ぎている。私もあなたも、みんなそれぞれの人生で様々なものを背負い、それなりに険しい道を歩んで生きてきた。もうここまで来てしまうと、将来が見渡せたあの頃のような平場には戻れない。その哀愁と切なさ
自分は歳を重ねているんだけれど、しばらく眠っていた青春時代の自分がふとした出会いで瞬間的に蘇る。昔からの友ことは苗字で読んだり、お前って言ったりね。でも服装は全身ユニクロ、家具はニトリで生活感がありながら、今風の言葉遣いが何ともアンバランスで。繊細で絶妙な人物とセリフの描写にすごく没入できた
「それ、言ったらあかんやつ。」
背を向けた須藤の言葉
それに対する青砥の深い優しさ
自分が傷ついても、好きな人がいたらまた恋愛したい。
でもね、現実(迫り来る自分の死)を考えると何事もにも億劫になり、健康第一なんて口にしたりする。それでも、どうなっても好きな人と一緒になりたい。燃え盛る太陽ではなく、静かに照らす月明かりの様な蒼く燃える炎。貫き通す太い思い。それが大人の恋愛
青砥のクシャクシャの笑顔と涙
大切な人の皺を、愛しいと思える自分でありたい。
愛ってよくわからないけど…
リアルな日常だが心温まる物語
全312件中、81~100件目を表示
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