かくかくしかじかのレビュー・感想・評価
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よくある師弟物語
原作未読、予告編が良かったので、鑑賞しました。
僕の娘は、主人公と同じように、漫画家or画家を目指して、幾つかの絵画教室を経て、日芸に通ったので
画家を目指す子供を持つ親目線で、この映画を観る事が出来ました。
「1日休むと、腕が鈍る」のは、芸術家だけでなく、音楽家や運動選手にも共通したことなので、
その"道"を究める為には、日々の修練がたいせつなのは、切に思いました。
主人公が、画家として"どの程度の素晴らしい絵"を描くのか、劇中に魅せてくれなかったので
絵画教室の師匠が、これほどまでに主人公に入れ込んだ理由が、理解できませんでした。
もしかしたら、原作者の師範に対する 恋愛的な思い入れを、この原作の中に綺麗に整える為の想起作だったのではないかと、感じました。
ヤンキーな後輩は必然性が無かった気がします。
永野芽郁さんに不倫問題が出ていますが、それは"芸の肥やし"ということで
なにも問題ありません。そういう職業です。
彼女は、爽やかで 明るく 奇麗で演技・表現力がある素敵な俳優さんなので、
今後は、長澤まさみさんが居たポジションに入れ替わって活躍して欲しいと願います。
師弟映画としては、スパルタではないが「ベスト・キッド(1984年)」が1番印象に残っています。
コメディタッチの自叙伝の体で主観描写ばかり、原作者に脚本を委ねた重大ミス
自らの来し方を感傷的に描く、一種の自叙伝。主演2人のキャスティングがピタリとはまり、笑って泣いての佳作に相応しい。もう、すっかり漫画家は社会的地位を確立し褒章の域、NHKの朝ドラ「半分、青い」2018年(なんと永野芽郁が主演でしたね)から、昨年の「ルックバック」2024年も、漫画家そのものが対象。描かれた漫画を原作に至っては枚挙にいとまがない、と言うより、漫画原作がなければ邦画もドラマも成り立たない実態がある。
そんな状況で人気漫画家・東村アキコ氏の描いた原作漫画の映画化のようです。2015年の自らの表彰式からさらに遡る1990年代の宮崎を舞台に、絵が上手いと煽てられた少女と、無頼派画家先生によるスパルタ教育を描く。ただし本人の目標はあくまでも漫画家志望であることを隠して、絵の上達を目指して画家の指導を仰ぐ祖語が本作の芯に横たわる。「漫画家なんぞに・・・」と本人そのものに卑下意識があった時代。孤高の画家は独自の愛情をもってとことん厳しく生徒に接する。その軋轢が本作の要。
しかし、一度は嘘をついてまで逃げ出したこのスパルタに耐える心情の変化と、特異なキャラクターである画家の方法論を受け入れる心情も、終始挿入される主人公自身のモノローグで、サラリと触れられるのみ。金沢の彼氏との別れも何にも描かれず「遠距離恋愛は終わりました」のセリフで終わってしまうあっけなさ。何を描きたいのか? まるで見つからない暗中模索の苦難が映画の根幹のはずなのに、画家に強制的に指導されたままの自画像で評価されたらそれで良し。あれほどに娘に理解の両親が突然就職を厳命する違和感。キーワードである「描けよ!」の連呼の深淵も結局うやむやのまんま。同じ絵画の土壌である昨年公開の「ブルーピリオド」演出の足元にも及ばない。
ひたすら永野芽郁のダイアローグが全編流れ、画家・日高健三の心象に寄り添うカットは一つもない。親友であるべき見上愛演ずる北見は芸大に受かるもあっさり中退が永野芽郁扮する林明子にまるでインパクトを及ぼさない。何のために見上愛にキャスティングしたのか意味がありません。要するに描いているのは主人公・林明子ただ一人、周囲の人間なんぞ背景でしかない。両親役に大森南朋とMEGUMIの理想のキャスティングなのに、オーバーなコメディおバカ演技ばかり強いる愚挙。これらすべての欠陥は脚本を原作者に委ねてしまった必然なのです。本作を制作するのに、これを受け入れるなんて正に映画作りを自ら否定するようなもの、プロデューサー失格ですよ。監督にそんな悪条件をはねつける力もないのは明らか。自分の事しか書いて無く、自分の理解しか描かない、これじゃいい映画になるはずもない。挙句はお涙頂戴で締めるとは。
ひょっとしたら、原作者が制作者にも名を連ねるのであれば、それが条件だった可能性がある。なにしろ昨年はテレビドラマの原作者が、意に染まらぬ脚本に嫌気さし自ら脚本に乗り出し、結果自死される悲劇があったばかり。映画は原作とは異なって当然で、全くの別媒体、原作者は任せる勇気がないのであれば映画化を拒否するべきでしょう。なぜなら、本作の結果が答えなのですから。
こんな致命的欠陥を抱えていながら、佳作とまで言えるのは、主演2人の造形と演技力が相乗効果を奇跡的に醸し出せた事に尽きる。まともな脚本家と監督に任せれば、こんなに素晴らしい題材と演者は大傑作に昇華出来たであろうに。無垢がごく自然に漂う永野芽郁は、けだし逸材なのは確か。それ以上に、圧巻の存在感の大泉洋は流石にダイヤモンドの輝きです。
どっちの気持ちも分かる
未熟な青春時代
涙無しには観られない大感動作ではない
...です。
宣伝ではそういう文脈で描かれているフシがありますが、実際はもっとリアルな"実話っぽい"ストーリー。作者が実体験を通じて感じたこと(つまり、恩師への感謝)をそのまま伝えようとしているように見えます。そして、それがリアリティをもってビシビシ伝わってきます
実話ベース、と云うだけじゃなく、本人が直接"伝えたい想い"を描いた物語だからですね、きっと
恩師の絵画教師は、こと「絵画を描くこと」にだけには桁外れの情熱を示すものの、客観的に見れば(社会的な)欠点も多く、現代(令和時代)でいえば"不適切"とも言える言動を繰り返す。主人公も「あり得ない!!」と反発を繰り返す
しかし、なぜか師弟関係は長年続き...という展開。正直、劇的な出来事や美しいドラマはあまり描かれず、ある意味、物語(主人公の成功に至る人生)は淡々と進んでいく
恩師の一見"ひどい仕打ちの数々"が、主人公や家族、周りの人々の中で"許される"のは、恩師の中に一切の悪気がなく、純粋に「描きたい絵を描くことが人生の目的であること」が明らかに伝わるからです。この辺は、(悔しいけど(苦笑))演じる大泉洋さんの演技力、見事です
しかし、同時に無視できないのは、九州地方、特に中でもいわゆる"いなか"の部類に属するといっていい宮崎県の(当時の都会、特に関東の都市圏とはかなり異なる)保守的、封建的な文化的背景があるからと感じます
主人公のキャリアを考えても、恐らく昭和ではなく平成時代の話しが殆どなので、普通に考えるとちょっと違和感があるぐらいの大らかさ、なんですが、恐らくこれが当時の、あの地域の、リアルな雰囲気であり受け止めだったのだと感じらます。イチからの他人の創作ならこのようには描かれない気もするのですが、かえって、実話ならではのリアリティが伝わってきます
映像の中で舞台として描かれる、本当に美しい背景の自然や景色も、そのリアリティを見事に後押ししてくれます
芸術を志す、しかし殆どの場合、実際はそれだけでは食っていけない若者たちの群像劇としても、誇張も矮小化もないリアル感のある物語として説得力があります
笑あり涙ありの稀有な師弟愛
あんまり観る気はなかったけれど、東村アキコの自伝というのと、口コミがよかったので観てみました。
思ったより面白かったです。
あんな先生、絶対嫌だけど。
永野芽郁はとてもよくあの役に合ってたし、大泉洋も、はまってました。メチャクチャだけど、純粋で、まっすぐな人間味がすごく出てました。
演技派と思ってなかったけど、二人のぶつかり合い、とても迫真の演技でした。
ところどころ笑えるのも東村作品の良さが出ていました。「ぶーけ」とか、ピッチとか「メンフィス」とかところどころ出る時代ネタも懐かしかった。
先生に対する複雑な思いが切なかったです。
永野芽郁はいろいろ騒がれて、なんだか大変だけど、今後も頑張ってほしいですね。
私には合わなかった。
思っていたより良かった
先月くらいに映画館で映画開始前に流れる予告を観たときはあまり面白そうもないな…と思いましたが、思いの外テンポもよく無駄がなく楽しめました。
永野芽郁の役が芦田愛菜も良かったかも。永野芽郁ももちろん良かった。映画公開前の不倫疑惑がなければもっと世間の評価も上がっただろうに勿体無いなと思ってしまった。
映画は良かったけど、隣の席ガチャにハズレてしまいそれが残念だった。30〜40代の母親と小学生くらいの子供。小声だけど最初から最後までずっと喋っていて、リビングで観てるんじゃないよ〜って言いたくなった。しかも途中でスマホのライトを照らして何かを探しているし(観終わってからにしてほしかった😢)、さらに終わった後に子供に対して「集中してなかったね」と言っていましたが、あなたもじゃあーっていいたくなった笑
映画に行くといつも隣の席が普通にマナーがある人だといいなと思っているのですが、今日は残念ながらハズレでした。映画の初めに流れる「注意」「お願い」(喋るな、蹴るな、スマホ使うな…というもの)を観てないのかな涙 ちょっとアレも英語だけってことが最近の映画館では多くあるので、日本語で強調したものも流してほしいです。
自分には 響くものが なかった。。。
かけーーーーーーっ!
自分の生まれ故郷、宮崎出身の漫画家東村アキコの自叙伝の映画化、海岸線など風景、方言は身近で楽しめた。
冒頭からラストまでの流れが良くできていてのっけから感情移入しやすく脚本がとにかく素晴らしかった。笑わせるシーンも自然で憎い。
方言がまたストーリーを引き立てる、ざっくばらんな人間関係、愛ある押し付けと現代の稀薄な人間関係とは対照的で師弟関係、厳しい指導すらラストのシーンで先生が愛したから故の厳しさも教え子たちは感謝していて、昭和の時代は幸せな時代であったとつくづく思わされる。
何よりも厳しい指導先生との師弟関係、師として慕う先生がいる事がどれだけ幸せなことか。
親が子をペットのように可愛がるあまり先生と呼ばれる指導する側にとってやりにくい時代にしてしまい結果、損してるのはその子供達なんだと。
我慢することが続かない、嫌な思いしてまでやり続けなくて良い風潮に1石投じてるとさえ思えてくる先生の「かけー」「とにかくかけ」描き続ける先にある、自分自身の身になることを見透かしたような指導に感動。
永野芽郁が公開直前にゴシップを騒がせたが、観ていてやっぱり上手いし世間に清純なイメージさせるのも女優魂かと思えば、プライベートがどうあれスクリーンで他人を演じる俳優業に
倫理観などどうでもいいのかなと思ってしまった。演じる事のうまさで観る者を感動させるのだからプライベート云々で消え去られるのは違うのかなとも。現代の風潮が結局は我々の楽しみを奪ってしまう、自分達で自分の首を絞める風潮に嫌気がさしてきました。
スキャンダルなんて作品と関係ない
応援の意味も込めて家族で鑑賞。
大泉洋が好きなのと作品評価が良かった為映画館に行きました。5/25日曜日雨上がりの初回に行ったので空席もかなり多かったです。
これが例のスキャンダルのせいだとしたら本当に悲しい。
漫画は未読でしたがとても良かったです。
泣かせようとする演出は少なく、表情や感情そして間合いの描写が素晴らしく自然とストーリーに入っていきました。もともと水曜どうでしょうの大泉洋が好きなのですが、映画に出てる大泉さんを見てるとどうしてもどうでしょう大泉洋を思い出してしまいます。ですが今作は不思議とそれは無く、かなり自然な演技のせいでしょうか、感情移入できてしまいました。
永野芽郁さんは素敵な俳優だなぁとは思っていましたが、本作を見て本当に感心しました。コミカルでおっちょこちょいのキャラクターながら、観ている人間をイライラさせる事もなくとっても愛らしい人柄が表現されていて素晴らしい演技でした。
冒頭に書いたようにスキャンダルがあったとしても、とっても実力のある方なのだと思いました。不倫は社会的に許させることではありませんが、それは本当に個人的な問題で、周りや特に遠い存在の私たちがなんやかんやいう必要も無く、この素晴らしい映画が早期打ち切りになってしまったり、それが理由で観るのを辞めてしまうのは本当に勿体無いし残念です。
この完成度の映画を必死で作ってきたスタッフや原作者の方に残念な思いをさせたく無いと思い、子供を連れて映画館に行ってきました。
今までも子供達を連れて映画を見に行き、感動して泣いていた場面もありましたが、今回は映画が終わってからも涙が止まらないようでした。
それを見て連れてきて良かったと思いました。
ぜひマスコミに踊らされず、鑑賞をお勧めします。
あ、今度漫画買おうと思います。
いい意味で裏切られた
映画の予告編では、コミカルな部分ばかりが強調されていて、正直コミカル映画で内容は薄っぺらいのかと思っていた。そのイメージのまま映画館に行き鑑賞したが、正直いい意味で裏切られた。
今話題(?!)の永野芽衣さん。来年のNHK大河ドラマを辞退したとのことだが、いち女優として自然体の演技には脱帽であった。
「かけ、かけ、かけ!」が心に残り、また見終わったあとも頭のなかで唸りをあげている。なかなかできないことだけど、「残された時間(人生)をしっかり真面目に生きなくては」という気持ちになった。もちろん、無理せず頑張らず、あくまで自然体で。
あと、友情出演の斉藤由貴の演技、ちょこっとだけどみなさんお見逃しなく。細かい所作に笑えます。
自然と涙がこぼれました。
世代的に描写も懐かしくもスッーと感情移入が出来ました。作者は「脚色はあるが先生の言動はそのまま。むしろ控えめに書きました」と言うコメントを覚えていたので「ムチャクチャやん」と楽しんで見る事が出来ました。芸術に関わらずスポーツはもちろん勉学やあらゆる習い事でこの様な指導者はいたものです。
人にもよりますがその中でも慕われてる人も多くいたのも事実。漫画を実写にする時は原作者が脚本や制作に携わると本当に良いものになるんだなとも思いました。大泉洋、永野芽郁両者の演技も惹きつけられました。ただ永野芽郁のスキャンダル報道があったのでやはり頭によぎってはしまいました。高校生や大学生の恋愛描写のシーンでも「でも実際は40才の男性に抱かれてるんだよなぁ~」と。まあそれは仕方無いとして大泉洋はもちろん永野芽郁作品もまた見たいとは思いました。今度は魔性の女役が見てみたいと純粋に思います。
描け!描け!描け!
素直にジーンときた😭芽郁ちゃんスゴイ!
かくかくしかじか 最高に面白い
原作漫画を丁寧に準えながら原作漫画が引き立ってしまうジレンマ
原作者が製作にがっつり関わっているだけに、原作漫画に忠実に作られている印象。さらに衣装や小道具、映画セットなど、色彩豊かで派手ではあるが、絵作りのバランスが絶妙なので小綺麗な映像になっている。なんかトレンディ。
漫画家・東村アキコが、恩師・日高先生との出会いと別れを邂逅しながら、自身の半生を綴っていく物語。そこに描かれるのはなんら特別なものではなく、誰もが、人生における大切な人と出会い、大事な何かを学び、そして深い悲しみと共に別れが訪れる普遍的な物語だ。
終盤、浜辺に座って東村アキコと日高先生が語り合うシーンは、きっと日高先生の墓前で思い描いたやり取りなんだろうと感じました。
原作漫画を拝読しているため、どうしても映像作品では印象が異なってしまう点がいくつか。特に作品に流れる「時間」や「間」が忙しなくなっているので、そこは原作漫画を未読な方には一度読んでほしい気持ちになりました。
どうにもこうにもスパルタは苦手で…
こんな役柄に成り切れる永野芽郁さんは、とても得難い女優さんだと思います。
文春が報じた不倫騒動のことは、雑誌もネット記事もなにも読んでいないのですが、『真相をお話しします』をみた方なら、むしろ文春の記者たちこそどんな使命感や責任感で追及しているのか知りたいと感じているひともいるのではないでしょうか。
ま、それはいいか。
個人的には「スパルタ」は「パワハラ」と同義だと思っているので、結果として何かを成し遂げた弟子がいたとしても、一方で多くの人の心に傷を与えたであろうことについて触れられないのはどうにもバランスを欠くように思えてしまう。あの〝チンパンジー〟のネタだって最後は笑いに昇華してたけど、私にはいじられた本人も含めてみんな無理をして合わせているようにしか見えず、うすら寒さしか印象に残らなかった。
とはいえ、自分の青春の大事な時期に深く関わりを持った人が思いもしなかったタイミングで死を迎えることになるのは、その人を慕っていたのか、憎んでいたのかなどの感情に関わらず、誰にとっても深い思い出の一部が喪失することによるショックで反射的に感情がざわつく。そして、そのパターンで揺さぶられた感情はほぼ例外なく強い共感性を伴う。
だから多くの人にとって、その人格的いびつさも、不器用な愛情表現だったり、人間性の現れとして映り感動してしまうことになる。もちろん私もその一人です。
余談ですが、昭和を代表するスパルタ教育といえば「巨人の星」の星一徹。
そういえば、彼もいつも竹刀をもっていました(笑)。しかし、彼は星飛雄馬、アームストロング・オズマ、伴宙太とそれぞれに個別指導でしかスパルタを実践していない。
現実の世界では「戸塚ヨットスクール」というのもあったが、その後、どうなっているんだろう。
余談というより蛇足。
政治的にも文化的にも爛熟というか風紀が乱れて退廃?みたいなイメージも一部にはあるアテネやローマですが、世界遺産級の遺跡には事欠かない。一方、質実剛健を旨とした(たぶん)軍事強国のスパルタには世界遺産とか有名な遺跡があるという認識がないのですが、実際どうなのでしょう。全体主義的なスパルタだと永野さんも引退しなければいけないけれど、いろいろと問題は多くて面倒くさくても復活のチャンスのある民主主義のほうが私は好きです。
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