28年後...のレビュー・感想・評価
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単なるゾンビホラーを超え、歴史と状況を俯瞰するかのような語り口が突き刺さる
序盤から懐かしいほどのボイル節が全開。緩急に振り切れた映像にゾッとするホラー描写を載せ、リズミカルかつ叙情的な音楽が感情を掻き立てる。と同時に、本作といい「T2」といい、近年のボイル作はこれまで以上に縦軸と横軸が強化されているように思う。つまり歴史と状況。特に本作では、ゾンビ物を切り口として、自国の文化、価値観、現代史を俯瞰し、ユニークな創造性のうちに遊ぶ。併せて本作は「シビル・ウォー」のガーランドがイギリスに目を向け、彼ならではの特異な実験劇場を展開させた作品とも言い得る。恐らく両者には、内に籠もって過去の栄光と伝統を愛でるか、それとも危険を顧みず未知なる外の世界へと飛び出していくかという二つの未来を対比させる狙いがあるのだろう。それらが衝撃的な疾走感とホラー描写、人間模様、さらには生死の深淵を覗くような畏れを加味して描かれゆく様は、通過儀礼的であり、コンラッドの「闇の奥」的でさえある。
ゾンビ映画と思うなかれ
続きが気になる…
叙事詩的始まりの物語として
『28日後…』は観たけど昔過ぎて断片的な記憶しか無く『28週後…』は観ていない。どちらも配信で観られるからどうしようかなぁと思ったものの、特に思い入れも無いのでまあいいか、と結局おさらいはせずに本作を鑑賞。結果、単体で観たことのデメリットは特に感じず。凶暴化=ゾンビ化ウイルスの蔓延で英国が壊滅的状態に陥って封鎖されていることは冒頭字幕説明あるし。
一本の映画として、自分は好きです。ただしゾンビ映画やホラーとしてではなく、既存の社会が崩壊した世界に生まれた12歳の少年スパイクの、少年期の終わり、訣別と、新たな旅立ちの物語として。映像の美しさ、静謐さも好ましい。
物語としてはちょっと緩さや甘さに突っ込みたくはなるし、え、そこで終わるん?となったけど、世界観と主人公そのままで続編があるそうなので、あくまで始まりの物語とみるならなるほどね、ありだわね、と。
ちなみにU-NEXTの有料コンテンツとして観たのですが、本編見終わった後に短い特典映像ありました。
話の説得力に欠ける
28シリーズを悪い意味で終わらせた。
新たなる創世記
最近戦争映画に入れ揚げているアレックス・ガーランドが脚本を担当した本作は、冒頭からキリスト教の臭いがプンプンと漂っている。レイジ・ウィルスの発生から28年たったイギリス本土は、感染者の排除に成功したEUに見放された“隔離島”と化していて、生き残った人間たちは干潮の時だけ一本道ができる(まるでモン・サン・ミッシェルのような)離れ小島でコミュニティを形成し生活していた。
ある日、父親のジェイミー(アーロン・テイラ=ジョンソン)とともに息子スパイクは、干潮の時にできた道を辿って本島へと“狩り”に出かける。どうもコミュニティ内の通過儀礼的儀式になっているそのハント(いかに“感染者たち”を無慈悲に殺せるか)によって、大人の男として見なされるようなのだ。“スローロー”や“駿足”、“アルファ”と銘々された感染者たちを自家製弓矢で射殺するシークエンスは、いつもながらにグロテスクかつ残酷に撮られている。
監督のダニー・ボイルによると、シリーズオリジナルの『28日後』同様に、こういったシーンをわざわざiPhone15proを使って撮影したらしい。父と息子が狩りに出かけるシーンに使われたキプリング作詩“ブーツ”も、当初の予定ではシェイクスピアの戯曲『ヘンリー5世』に登場する“聖クリスピンの演説”を用いる予定だったとか。世界で起きている紛争に積極介入する英国の現況を、まさに“先祖返りの退行現象”としてとらえた演出であろう。
注目すべきはスパイクたち一行を襲う感染者たちがみなフルチンで素っ裸という点である。(腐女子に限らずとも)ついついアルファの股関でプランプランと揺れる巨根に目がいきがちだが、『28日後』ではまだちゃんと衣服を着用していた感染者たちが、なぜ“原始人”のような産まれたまんまの姿で描かれているのか、私たちはむしろそこに着眼するべきなのだ。
病におかされた母親アイラ(ジョディ・カマー)を本土に住むケルソン医師(レイフ・ファインズ)に診察してもらうため、再び本土へと向かうスパイク少年が、食料として持参した大量の林檎=知恵の実。アレックス・ガーランドとダニー・ボイルは、感染者たちを、いまだその実を食すことなく羞恥心さえ持ち合わせていない“エデンの住人”として演出したのではあるまいか。聖書の創世記に登場する“エデン”も、意外と本作におけるイギリス本土と同じ、魑魅魍魎が跋扈するまがまがしい土地だったのかもしれない。
当然キリスト教的文化はリセットされているわけで、そこで長く暮らしているケルソンは、火葬したご遺体から取り出したシャレコウベを塔のように積み上げながら、メメント・モリな聖地で、どこか東洋的な“祈り”を捧げていたのである。「西洋のキリスト教的信仰は行き詰まっている」と親日家俳優ジャン・レノがインタビューに答えていたが、ガーランドやボイルも又、アフターコロナのイギリスに対して同じような閉塞感を抱いていたのではないだろうか。
本作は3部作の第1部として製作されたらしいが、映画冒頭とラストに登場するする(英国のジャニー喜○川ことジミー・サヴィルがモデルといわれている)ジミーと、ケルソンからキリスト教とはまったく別の信仰を学んだスパイクとの間で生まれる“宗教的確執”がおそらく次作以降のテーマとなってくるはずだ。我々観客はそこで、キリストの再臨を目撃することになるのか、それとも、まったく新しい救世主の登場とあいなるのか。どちらにしても“新創世記”と呼ぶに相応しい内容になるのは間違いないだろう。
ゾンビ映画の極北(ゾンビじゃないけど)
常々、ゾンビの脅威が解決しなかった世界がどうなるのか頭の中で思い描いてきた。人型の化け物を殺すことに慣れた人間が、子供を産み育てることができるのか、そのためには一体どんな死生観を身に着けるべきなのか…。
その疑問にこの映画は答えてくれる。生き延びた人間は、感染者を殺すことに慣れればならない、ゆえに感染者をヒトだと思ってはならない、薬がなければ死を受け入れなければならない…。
しかしこの映画が出す結論はその程度ではない。この映画は、他人を想うことをやめてはならないと説く。大切な人の死を受け入れて前に進み、同じように感染者の死にも想いを馳せなければならない。大切な人も、感染して化け物に成り果てた人も、死は同じようにやってくるのだから、と。
ゾンビあるいは感染者と共存する映画は少ない。そんな中で、これこそが共存なのだと強いメッセージを発した作品。
ただ、前作から期待した内容にならなかった点は減点したい。普通、こんなしっとりした映画だと想像しないでしょう…。
じゃない感全開!
ゾンビ世界のケス少年
ゾンビ映画にはヒューマニズムによる逡巡というのがある。いちばん解りやすいのは親族や恋人がゾンビになってしまったばあいの描写。そんなとき、かれ/かのじょは逡巡して(ためらって)、すぐにやっつけることができなかったりする。
ただし、この描写は観衆にとって「もどかしさ」でしかない。「ああもうそれいいから、とっとと撃ち殺すか、首ちょんぎれよ」と思ってしまうからだ。当然ながらこれは観衆が無情だからではない。それがゾンビものに付きもののヒューマニズムによる逡巡だと解っているからだ。
ゾンビは幾度となく焼き回され、すでに観衆にとって解りきった世界なので、解りきった描写はいらないと思うのは観衆にとってごく普通の感慨なわけである。逆にだからこそゾンビ映画では作り手の手腕が発揮される。古典といえるフランチャイズをダニーボイルがどう料理するのかを見たかった。
結論からすると特別なことはやっていなかった。ジャンプスケア、ゾンビ造形のおぞましさ、無音(BGMなし)、わざと素人っぽい撮影(撮影は主にiPhone15ProMaxが使われたとのこと。ドローンやバレットタイム効果も導入され、素人っぽく見えるものの撮影は技術の粋を集めたものだったといえる)。
人間の籠城化とゾンビ世界を軸に置き、少年がゾンビ狩りデビューを果たす、とりわけ珍しい話とも言えなかった。
特徴的だったのは危うさの表現。人間の行動を迂闊に表現している。迂闊とは「注意が届かず、ぼんやりしているさま」と辞書にあったが、緊張感をひきだすために人間たちを楽観的に造形している。したがってどのショットでも、さっさとそこから離れた方がいいとか、周り見た方がいいとか、もっと声を小さくしたほうがいいとか、まだ安全圏にいるわけじゃないとか、観衆が楽観的すぎる登場人物の行動を心配することで、映画がずっと緊張を保っている。
しかし、これは前述したように「もどかしさ」でもある。登場人物を危機に陥らせるために、わざと不注意に造形しているのが観衆には解りきっているからだ。
とはいえ緊張を保っているのは確かなので、そこはさすがダニーボイルだった。出産しそうなゾンビ女を庇護して出産させるシーンがいちばんもどかしかった。これは一応、ゾンビから生まれたにもかかわらず産児は非感染だったというアイデアの見せ場ではあるが、とっと撃ち殺すか、首ちょんぎれよ、とわたしは思った。わら
28日後(2002)、28週後(2007)に続き、この3作目の企画はすぐに始まったそうだが、映画権をめぐる対立によって、何年も何度も延期された。その結果3作目の仮題であった「28ヶ月後」は吹き飛んで、あやうくまじで28年後になってしまうところを、映画権がサーチライトピクチャーズからソニーピクチャーズに売却され権利の応酬にけりがついた、という。なんか冗談みたいな話だった。
急速に開発が進み、来年2026年には4作目の「28 Years Later The Bone Temple」が公開されるとのこと。次回も(2025年時)14歳のAlfie Williams少年が続投するそうだ。
ダニーボイルは本作28年後についてケンローチのKes(1969)から影響をうけたと述べている。無骨さと無垢な少年、よくわかる発言だった。
映画公開の前後でキプリングの詩ブーツをとくにtiktokでよく聞いた。Taylor Holmesというアメリカの俳優が1915年に録音したものだ。この詩の朗読を採用したことは映画の宣伝にすごく貢献した。ブーツは戦時に行進している兵隊の反復的思考を描いたものだそうだが、聴いてると怖くなる不気味な詩だった。
映画は賛否が別れた。大別すると映画的博識や技術に裏打ちされていると見る向きと、普通のゾンビ映画だと見る向き。カンタベリー物語と食人族のハイブリッドだと言う批評家もいる一方で、シンプルなゾンビ映画だと低評価する批評家もいた。
おそらく映画を見慣れている人であればゾワゾワする違和を感じ取ったはずだが皮相的にはパターンが見えるゾンビ映画でもある。謂わば玄人受けするゾンビ映画だが、にしてもグロ描写や膂力並外れたアルファが全速力で追ってくるシーンは超こわかったし、なんにせよ妙な感触のある映画ではあった。企画が頓挫しているあいだにアイデアが溜りすぎたという感じ。次回も期待できるフランチャイズになったと思う。
imdb7.0、RottenTomatoes89%と63%。
良い意味で肩透かしを食らった
28年後
◇イングランドイズマイン
EUから離脱したイギリスという国には退廃を曝け出してカルチャーに変える潔さがよく似合います。数多くのロックスターを輩出した土壌には、過度に発達した「本音と建前」そして「皮肉」、民主主義を唱えながら歴然と存在を続ける「階級社会」、イングランド🏴にはカウンターカルチャーを育む滋養と気候に恵まれているようです。
#28日後... の続編として企画されたこの作品では、ゾンビ(凶暴化ウイルス感染者)映画のホラー性よりも、少年の成長と父母の存在という普遍的道徳的テーマを強く感じました。ダニー・ボイル監督もいつまでも#トレインスポッティング (やんちゃ)してられないということかもしれません。
物語前半で、廃墟としたイギリス本土へと出掛ける父子。その道中で父はゾンビを殺す方法を息子に教えます。動きの鈍いモノから走って追いかけてくるモノ、大ボス的な強いヤツに至るまで、対処術、殺傷方法をこと細かに伝授します。考え過ぎかもしれないですが、移民排斥の隠喩のようにさえ感じてしまいます。
後半は、病の母の治癒の為に医師を探し求める旅路です。母はゾンビの赤ん坊を生かすことを教えながら、命の尊さを伝えようとしています。わかりやすい母性です。
背景は緑豊かなイングランドの自然風景。人間の愚かさをアイロニーを込めて描こうとする屈折したホラー世界がそこにありました。イングランドイズマイン。
メメント・モリ
アレックス・ガーランドプロデュースによるゾンビ映画「28日後・・」「28週後・・」に続く28シリーズの第三弾。ダニー・ボイル監督、アレックス・ガーランド脚本のコンビは1作目以来のタッグ。実は前2作は観ておらず今回が初見だが、話は独立しているので問題はない。
それより問題なのはこの作品は3部作の1部ということが何もアナウンスされていないこと。ラストに急展開し続いてしまうのだ。完結すると思い観ていたので目が点になった。
人間を凶暴化させる謎のウィルスがロンドンで蔓延し、多くの死者を出してから28年後、一部の人間が本土から離れた孤島に逃れコミュニティを形成し身を潜めて生活している。
ある日ジェイミー(アーロン・テイラー=ジョンソン)は12歳の息子スパイクを連れて本土に渡る。それは大人になるための通過儀礼として、もはや人間ではなくなってしまった凶暴化した感染者を狩るというものだった。
中盤までの展開は定番のゾンビ映画プラスバイオハザード系のゲーム映画のようで既視感が否めない。ゾンビ的といえども死者ではなく感染者なので、人間が人間をゲームのように殺すというのは、上陸の時に被せられる過去の軍隊の歌と映像でも明らかだが、愚かな戦争の比喩だろう。
ただ、ダニー・ボイルとアレックス・ガーランドという鬼才2人のコンビとしては凡庸で物足りない。ところがスパイクが病気の母親を連れて再上陸するあたりから本領発揮。
本土で感染せずに生き延びている元医師のケルソン博士(レイフ・ファインズ)の登場から全く展開が変わるのだ。多くは書けないがキーワードは「メメント・モリ」、ラテン語の成句で「死を思え」「いつか死ぬということを忘れるな」といった意味だ。
物語は中盤以降哲学的な展開を見せ、そしてラスト近くスパイクは奇妙な集団と出くわす。
哲学的な展開をぶち壊すようなラストで面食らうのではないか。
しかし、2部に続くというのであれはこれからがこの監督脚本コンビの本領が発揮されるのではと楽しみ。
2部は製作済みで来年1月に公開される予定なので楽しみに待ちたい。
前半が凡庸なので評価は3.5とした。
『28年後…』レビュー|経営者として考える“再生”と“変化への適応”
映画『28年後…』(原題:28 Years Later)は、社会の崩壊から再建までの長い時間を経て、人類がどのように生き直すのかを描いた作品だ。前作『28日後…』『28週後…』から受け継がれた絶望的な世界観の中に、人間の本質、組織、信頼、進化といった深いテーマが内包されている。
経営者としてこの映画を観たときにまず感じたのは、「変化に取り残される者の末路」だ。感染症によって社会が崩壊したあと、価値観もシステムも一新される。旧来の“常識”や“ルール”は通用しない。これはまさに、現代のビジネスにも通じる。特にIT業界では、数年どころか数ヶ月で常識が変わるスピード感がある。だからこそ、ITスクールなどを通じて、常に学び直す姿勢が必要なのだと痛感する。
本作に登場する人物たちは、過去の栄光やルールにすがっても生き残れない。むしろ、“何を捨てるか”“新しい武器をどう手に入れるか”を選択した者が次の社会でリーダーシップを握る。これは経営の現場でもまったく同じ構図だ。新卒時代のスキルや人脈だけでは、継続的に組織を成長させることはできない。常に時代に応じてスキルをアップデートし、再定義しなければならない。
また、『28年後…』では人と人の「信頼」が最終的な生存の鍵になる。この点も経営に通じる。テクノロジーが発展しても、人が動くのは“信頼する人”の言葉であり、その土台がない組織は脆い。
28年という歳月の中で、人類は何度も絶望と再出発を繰り返す。本作はただの終末SFではない。“壊れた世界”からいかに価値を創造し直すか、そして次の世代に何を遺すのか。経営者としてこの問いに真摯に向き合うきっかけをくれる作品だ。ITスクールなどで学ぶ技術も、結局は「人の未来」を創るためにあるのだと再認識させられる。
なんですかこれ?
ありきたりなゾンビ映画になっちゃった
28日後、28周後とシリーズ見てきましたが、
待望の続編でワクワクしながら映画館で見ました。
見終わった感想は「うーん…」
今までのシリーズの繋がりはあまりなく、ただ
ビックリさせる系。話もチグハグ。裸族のゾンビが出てきて、あの今までの独特な怖さはあまり無い。唯一ドキっとしたのは吊るされたゾンビくらいかな。最後にポップな感じに仮面ライダーみたいな
グループが出てきて‥ゾンビ倒して続編があるような終わり方でした。
やはり映画は1.2作が面白くて3作辺りから雲行きが怪しくなりますね。何年も待ってこの出来は正直残念です。
ゾンビ映画の概念とは・・
先日観賞した「罪人たち」のヴアンパイア物もそうですが、今作品を観て「ゾンビ物」もまだまだあらたな視点で描ける題材なんだな、とつくづく思いました。
私個人のこれまでのゾンビ映画の印象は、おおまかに言えば、死んだ人間が生きている人間を襲ってくる中で、人々がどのようにして生き延びるか?というのをあれこれ手を変え品を変え描くものですが、近年は既に生き残った人間がコミュニティーを形成し、ゾンビの脅威にどのように立ち向かうか、と「消極的」サバイバルではなく「積極的」サバイバルとなっている印象があり、本作品もその近年の傾向に漏れない内容になっております。
これに加え、生き残った人間が「ゾンビ」要因ではない「死」の事実に直面し、それに対してどう向かい合い、対処するか、と、改めて「死」に対する熟慮を求められます。つまり、方やゾンビが溢れている世界で命がいとも簡単にどんどん消費されていく中で、人の「死」というものをもう一度じっくりと考えさせられるのです。
物語の中盤、元医師によって積み上げられた骸骨の山を目の前にして、医師が語る言葉、少年の行動になぜか胸が打たれました。「ゾンビ映画」なのに死生観を問うてくるこの作品は、数多ある派生作品とは一線を画するものでした。
ゾンビ映画を通して少年の自立を描いた作品
28日後…から始まったゾンビ映画シリーズの最新作。
シリーズものだが、今作は三部作構成の第1章に位置付けられているので、ここから見始めても全く問題無い。
ゾンビ映画苦手な人でもグロ描写はあるが、暗いシーンや過度なジャンプスケアは少なめなので鑑賞可能。
話題になっているiPhoneによる撮影方法や、演出とカメラワークは個人的に好む部分が多かった。
スコットランドの美しい景色の中にポツポツと映し出されるゾンビのシルエット。隔離された島から本土へ渡る満潮の時しか現れない一本道。
ポストアポカリプスものとして良くある荒廃した街並みが舞台では無く、大自然の中でのゾンビサバイバルという部分がホラージャンルに映像美を足す良いアクセントになっていた。
ストーリーとしては12歳の少年が母の病を治す為に医者を探して旅をすると言うロードムービーがメインで、その旅の中でこの世界の残酷さやカルト的な考え方に触れることで、内面的に自立していく様を描いている。
ラストでの彼の自立を表情の変化で納得させる演技は見事で、彼の今後の成長を見届けて行きたい。早く続編を観たいと思わされた。
今作のメインテーマである“メメント・モリ”や、ゾンビの強化個体アルファの存在、ゾンビの出産など興味深い設定が多く非常に満足度が高かった。
三部作の導入として素晴らしい出来だったと思う。
全140件中、1~20件目を表示










