28年後...のレビュー・感想・評価
全216件中、1~20件目を表示
単なるゾンビホラーを超え、歴史と状況を俯瞰するかのような語り口が突き刺さる
序盤から懐かしいほどのボイル節が全開。緩急に振り切れた映像にゾッとするホラー描写を載せ、リズミカルかつ叙情的な音楽が感情を掻き立てる。と同時に、本作といい「T2」といい、近年のボイル作はこれまで以上に縦軸と横軸が強化されているように思う。つまり歴史と状況。特に本作では、ゾンビ物を切り口として、自国の文化、価値観、現代史を俯瞰し、ユニークな創造性のうちに遊ぶ。併せて本作は「シビル・ウォー」のガーランドがイギリスに目を向け、彼ならではの特異な実験劇場を展開させた作品とも言い得る。恐らく両者には、内に籠もって過去の栄光と伝統を愛でるか、それとも危険を顧みず未知なる外の世界へと飛び出していくかという二つの未来を対比させる狙いがあるのだろう。それらが衝撃的な疾走感とホラー描写、人間模様、さらには生死の深淵を覗くような畏れを加味して描かれゆく様は、通過儀礼的であり、コンラッドの「闇の奥」的でさえある。
ゾンビ映画と思うなかれ
続きが気になる…
28シリーズ期待していただけに残念…
この映画は、「28日後…」「28週間後…」の続編として製作された映画。この前作が面白かったので、「28年後…」も面白いだろうと思い期待して鑑賞しました。
物語の内容としては、人間を狂暴化させるさせるウイルス(ゾンビ化)が都市・ロンドンで感染拡大し、多くの死者を出してから28年後のイギリスが舞台になっている。イギリスは世界から隔離され、人びとは生き延びるため海を隔てた孤島に逃れ生活をしており、物資を調達するため本土へ渡り調査をするというもの。
自分の中で期待感が高かっただけに、見終わった後は前作に比べ恐怖感も面白さもなくてがっかりしたのが正直な感想でした。冒頭、父親のジェイミーと12歳の息子スパイク(一度も本土へ行った事がない)が本土の調査のため島の外へ出て行くが、そのシーンでは28シリーズのゾンビの恐怖を感じることが出来た。
しかし、物語が中盤から後半にかけて進展するなか、12歳のスパイクが母親の病気をなんとかしたいとの思いから、病を患っている母親を連れて本土にいる医師ケルソンに会うため島の外に出る辺りから、急速に面白さが半減してしまったように感じ、設定にかなり無理があったから面白さが半減したのかなと感じました。
続編があるようだけど、鑑賞するかは予告を見てみて判断するしかないかなと思っています。この28シリーズが好きだっただけに、今作は少し残念な感じになった作品でした。
叙事詩的始まりの物語として
『28日後…』は観たけど昔過ぎて断片的な記憶しか無く『28週後…』は観ていない。どちらも配信で観られるからどうしようかなぁと思ったものの、特に思い入れも無いのでまあいいか、と結局おさらいはせずに本作を鑑賞。結果、単体で観たことのデメリットは特に感じず。凶暴化=ゾンビ化ウイルスの蔓延で英国が壊滅的状態に陥って封鎖されていることは冒頭字幕説明あるし。
一本の映画として、自分は好きです。ただしゾンビ映画やホラーとしてではなく、既存の社会が崩壊した世界に生まれた12歳の少年スパイクの、少年期の終わり、訣別と、新たな旅立ちの物語として。映像の美しさ、静謐さも好ましい。
物語としてはちょっと緩さや甘さに突っ込みたくはなるし、え、そこで終わるん?となったけど、世界観と主人公そのままで続編があるそうなので、あくまで始まりの物語とみるならなるほどね、ありだわね、と。
ちなみにU-NEXTの有料コンテンツとして観たのですが、本編見終わった後に短い特典映像ありました。
話の説得力に欠ける
28シリーズを悪い意味で終わらせた。
新たなる創世記
最近戦争映画に入れ揚げているアレックス・ガーランドが脚本を担当した本作は、冒頭からキリスト教の臭いがプンプンと漂っている。レイジ・ウィルスの発生から28年たったイギリス本土は、感染者の排除に成功したEUに見放された“隔離島”と化していて、生き残った人間たちは干潮の時だけ一本道ができる(まるでモン・サン・ミッシェルのような)離れ小島でコミュニティを形成し生活していた。
ある日、父親のジェイミー(アーロン・テイラ=ジョンソン)とともに息子スパイクは、干潮の時にできた道を辿って本島へと“狩り”に出かける。どうもコミュニティ内の通過儀礼的儀式になっているそのハント(いかに“感染者たち”を無慈悲に殺せるか)によって、大人の男として見なされるようなのだ。“スローロー”や“駿足”、“アルファ”と銘々された感染者たちを自家製弓矢で射殺するシークエンスは、いつもながらにグロテスクかつ残酷に撮られている。
監督のダニー・ボイルによると、シリーズオリジナルの『28日後』同様に、こういったシーンをわざわざiPhone15proを使って撮影したらしい。父と息子が狩りに出かけるシーンに使われたキプリング作詩“ブーツ”も、当初の予定ではシェイクスピアの戯曲『ヘンリー5世』に登場する“聖クリスピンの演説”を用いる予定だったとか。世界で起きている紛争に積極介入する英国の現況を、まさに“先祖返りの退行現象”としてとらえた演出であろう。
注目すべきはスパイクたち一行を襲う感染者たちがみなフルチンで素っ裸という点である。(腐女子に限らずとも)ついついアルファの股関でプランプランと揺れる巨根に目がいきがちだが、『28日後』ではまだちゃんと衣服を着用していた感染者たちが、なぜ“原始人”のような産まれたまんまの姿で描かれているのか、私たちはむしろそこに着眼するべきなのだ。
病におかされた母親アイラ(ジョディ・カマー)を本土に住むケルソン医師(レイフ・ファインズ)に診察してもらうため、再び本土へと向かうスパイク少年が、食料として持参した大量の林檎=知恵の実。アレックス・ガーランドとダニー・ボイルは、感染者たちを、いまだその実を食すことなく羞恥心さえ持ち合わせていない“エデンの住人”として演出したのではあるまいか。聖書の創世記に登場する“エデン”も、意外と本作におけるイギリス本土と同じ、魑魅魍魎が跋扈するまがまがしい土地だったのかもしれない。
当然キリスト教的文化はリセットされているわけで、そこで長く暮らしているケルソンは、火葬したご遺体から取り出したシャレコウベを塔のように積み上げながら、メメント・モリな聖地で、どこか東洋的な“祈り”を捧げていたのである。「西洋のキリスト教的信仰は行き詰まっている」と親日家俳優ジャン・レノがインタビューに答えていたが、ガーランドやボイルも又、アフターコロナのイギリスに対して同じような閉塞感を抱いていたのではないだろうか。
本作は3部作の第1部として製作されたらしいが、映画冒頭とラストに登場するする(英国のジャニー喜○川ことジミー・サヴィルがモデルといわれている)ジミーと、ケルソンからキリスト教とはまったく別の信仰を学んだスパイクとの間で生まれる“宗教的確執”がおそらく次作以降のテーマとなってくるはずだ。我々観客はそこで、キリストの再臨を目撃することになるのか、それとも、まったく新しい救世主の登場とあいなるのか。どちらにしても“新創世記”と呼ぶに相応しい内容になるのは間違いないだろう。
ゾンビ映画の極北(ゾンビじゃないけど)
常々、ゾンビの脅威が解決しなかった世界がどうなるのか頭の中で思い描いてきた。人型の化け物を殺すことに慣れた人間が、子供を産み育てることができるのか、そのためには一体どんな死生観を身に着けるべきなのか…。
その疑問にこの映画は答えてくれる。生き延びた人間は、感染者を殺すことに慣れればならない、ゆえに感染者をヒトだと思ってはならない、薬がなければ死を受け入れなければならない…。
しかしこの映画が出す結論はその程度ではない。この映画は、他人を想うことをやめてはならないと説く。大切な人の死を受け入れて前に進み、同じように感染者の死にも想いを馳せなければならない。大切な人も、感染して化け物に成り果てた人も、死は同じようにやってくるのだから、と。
ゾンビあるいは感染者と共存する映画は少ない。そんな中で、これこそが共存なのだと強いメッセージを発した作品。
ただ、前作から期待した内容にならなかった点は減点したい。普通、こんなしっとりした映画だと想像しないでしょう…。
想像した以上にうまく作りこんでるけど。(ネタバレあり)
面白かった。
面白かったけれど、ゾンビ映画代表作のこのシリーズでも、これが限界なのかと少し残念に思ったことも確か。
期待が高すぎたのかもしれないけど。
ストーリーは対象年齢低め。
子がいるような年齢の男性が観ると、ジェイミー(父親)が哀れに感じる。
羽目を外しちゃったところもあったかもしれないけど、愛妻は見取れないし息子は家出するし、本当にお父さん踏んだり蹴ったりです。
(キャラクター設定と心理描写は良くできてる)
映像は美しくアクションシーンも楽しめました。
もうお金をかけまくっていてこういう作品はB級ホラーとは言わないのかな?
だからこそ、B級ホラーでは笑って観ていられたハチャメチャが違和感になってしまう。
スウェーデンの兵隊8人が重火器を持っているのに少数のゾンビに壊滅するお約束も、母親の強制安楽死も、まあアリでしょう。私に言わせれば破綻は無いです。
でも、むしろ兵隊の生き残りがアルファーゾンビを素手で撃退するくらいの無茶をうまく盛り込んだ方が良い映画になったのかも?
子供に吹き矢で麻酔薬打ち込む(それ下手したら死ぬよね??)とか、たぶん映画考察サイトが賑わうであろうつっこみどころが片手で数えきれない程あります。
最後のシーンで匂わせる次回作は「Zネーション」(←大好き)の路線に走るのかな?それはそれで面白いかも。
ここまでの映像を作るのであれば、究極のリアリティを追求して欲しい。
でもウイルスに感染した人間の大群が文明社会を滅ぼすのはむりがある。
そろそろ、ウイルス由来のゾンビを捨てる時が来ているのだと思う。
じゃない感全開!
ゾンビ世界のケス少年
ゾンビ映画にはヒューマニズムによる逡巡というのがある。いちばん解りやすいのは親族や恋人がゾンビになってしまったばあいの描写。そんなとき、かれ/かのじょは逡巡して(ためらって)、すぐにやっつけることができなかったりする。
ただし、この描写は観衆にとって「もどかしさ」でしかない。「ああもうそれいいから、とっとと撃ち殺すか、首ちょんぎれよ」と思ってしまうからだ。当然ながらこれは観衆が無情だからではない。それがゾンビものに付きもののヒューマニズムによる逡巡だと解っているからだ。
ゾンビは幾度となく焼き回され、すでに観衆にとって解りきった世界なので、解りきった描写はいらないと思うのは観衆にとってごく普通の感慨なわけである。逆にだからこそゾンビ映画では作り手の手腕が発揮される。古典といえるフランチャイズをダニーボイルがどう料理するのかを見たかった。
結論からすると特別なことはやっていなかった。ジャンプスケア、ゾンビ造形のおぞましさ、無音(BGMなし)、わざと素人っぽい撮影(撮影は主にiPhone15ProMaxが使われたとのこと。ドローンやバレットタイム効果も導入され、素人っぽく見えるものの撮影は技術の粋を集めたものだったといえる)。
人間の籠城化とゾンビ世界を軸に置き、少年がゾンビ狩りデビューを果たす、とりわけ珍しい話とも言えなかった。
特徴的だったのは危うさの表現。人間の行動を迂闊に表現している。迂闊とは「注意が届かず、ぼんやりしているさま」と辞書にあったが、緊張感をひきだすために人間たちを楽観的に造形している。したがってどのショットでも、さっさとそこから離れた方がいいとか、周り見た方がいいとか、もっと声を小さくしたほうがいいとか、まだ安全圏にいるわけじゃないとか、観衆が楽観的すぎる登場人物の行動を心配することで、映画がずっと緊張を保っている。
しかし、これは前述したように「もどかしさ」でもある。登場人物を危機に陥らせるために、わざと不注意に造形しているのが観衆には解りきっているからだ。
とはいえ緊張を保っているのは確かなので、そこはさすがダニーボイルだった。出産しそうなゾンビ女を庇護して出産させるシーンがいちばんもどかしかった。これは一応、ゾンビから生まれたにもかかわらず産児は非感染だったというアイデアの見せ場ではあるが、とっと撃ち殺すか、首ちょんぎれよ、とわたしは思った。わら
28日後(2002)、28週後(2007)に続き、この3作目の企画はすぐに始まったそうだが、映画権をめぐる対立によって、何年も何度も延期された。その結果3作目の仮題であった「28ヶ月後」は吹き飛んで、あやうくまじで28年後になってしまうところを、映画権がサーチライトピクチャーズからソニーピクチャーズに売却され権利の応酬にけりがついた、という。なんか冗談みたいな話だった。
急速に開発が進み、来年2026年には4作目の「28 Years Later The Bone Temple」が公開されるとのこと。次回も(2025年時)14歳のAlfie Williams少年が続投するそうだ。
ダニーボイルは本作28年後についてケンローチのKes(1969)から影響をうけたと述べている。無骨さと無垢な少年、よくわかる発言だった。
映画公開の前後でキプリングの詩ブーツをとくにtiktokでよく聞いた。Taylor Holmesというアメリカの俳優が1915年に録音したものだ。この詩の朗読を採用したことは映画の宣伝にすごく貢献した。ブーツは戦時に行進している兵隊の反復的思考を描いたものだそうだが、聴いてると怖くなる不気味な詩だった。
映画は賛否が別れた。大別すると映画的博識や技術に裏打ちされていると見る向きと、普通のゾンビ映画だと見る向き。カンタベリー物語と食人族のハイブリッドだと言う批評家もいる一方で、シンプルなゾンビ映画だと低評価する批評家もいた。
おそらく映画を見慣れている人であればゾワゾワする違和を感じ取ったはずだが皮相的にはパターンが見えるゾンビ映画でもある。謂わば玄人受けするゾンビ映画だが、にしてもグロ描写や膂力並外れたアルファが全速力で追ってくるシーンは超こわかったし、なんにせよ妙な感触のある映画ではあった。企画が頓挫しているあいだにアイデアが溜りすぎたという感じ。次回も期待できるフランチャイズになったと思う。
imdb7.0、RottenTomatoes89%と63%。
良い意味で肩透かしを食らった
ゾンビと共に時は流れる
28日後と28週後と言う、二つの前作があることを、この映画の観賞後に知りました。奇妙な映画タイトルを見た記憶が甦りましたが、観てはいなかったです。
◉変わり果てた姿から始まる
道理で、どんなウィルスがどんな経過と速やかさで、人々の抵抗を突き破って、世界を暗澹たるものに変えてしまったのか…がほぼ描かれていなかった訳です。前略から始まった。
本土から隔絶した島で一塊になって、弱いゾンビを見下して、強いゾンビに恐れをなして、時の流れのままに生きるしかない人々。本土を見つめる姿が哀しい。
◉死を想え! の強要
それでも幼い者がいれば、人々の希望になり得る。父親も息子への成長に期待をかけていたが、しかし描かれていたのは、「大人になる少年」より、「母への愛だけで押し潰されそうになる幼い者」。私にとっては、それがこの映画を観続けられた大きな要素だったのですが。
それで遭遇したのが、メメントモリだった。ヒトとしての理性も感情も失くすぐらいなら、常に従容として死に赴くだけの覚悟を養いなさい。故に見事な速やかさで、ケルソン博士は母親を殺す。「従容として死に赴け」を、スパイク少年に見せつけたと言う解釈でよいのですよね。
愛する息子が居るのだから、母親がジタバタすることも、生の意義だろうと思えましたが、そのシーンは出てこなかった。
◉みんなゾンビ
ゾンビを斃して生還した少年を讃えて歌う一同は、どちらかと言わなくても、生き急ぐ獣のように描かれていた。ゾンビであろうと、ゾンビでなかろうと、生に対しては同じ類いに見えました。
最後に現れた対ゾンビーの義勇軍が、魅惑的だったので、次第に大人びていくスパイクと義勇軍で続編を作って頂けないだろうか…と、少しワクワクしましたが、実現の範囲なのですね。
前作も前前作も是非、観たいです。
boots!boots!
「メメント・モリ(死を想え)」的なセリフも出てきて、セリフが多いし、抽象的な映像が続く。ここが「走るゾンビでハラハラしたい!」という気持ちとのギャップがすごい。例えるなら、『バガボンド』の急な農業編みたいな、あの感じ。
ゾンビ映画観に来たのに、急に“生と死とは?”みたいな問いかけが始まると、ちょっと置いてけぼりになる。
ここはレビューでも言及する人が多くてとても共感できた。あまり哲学的な話は観たくない……。
とはいえ、やっぱりダニーボイル。映像はカッコよかったしあがった。
boots!boots!
https://note.com/green_pepper/n/n547d1583056c
少年の選択
この大地に根付くのはホラーだけど、物語の根本となるものは人間の尊厳である生きること生きる道を問う。
そんな過酷な世界の中、自身の信念で生きようとする少年が選択する道を応援したくなる。
少年の成長物語としてる点は異色だし、オープニングのシーンがラストに続くのだが、本質の物語はこの後続くことになるのだろうところで終わりを迎える。
この後この2人の遭遇が何をもたらすのか興味が尽きない。
28年後
◇イングランドイズマイン
EUから離脱したイギリスという国には退廃を曝け出してカルチャーに変える潔さがよく似合います。数多くのロックスターを輩出した土壌には、過度に発達した「本音と建前」そして「皮肉」、民主主義を唱えながら歴然と存在を続ける「階級社会」、イングランド🏴にはカウンターカルチャーを育む滋養と気候に恵まれているようです。
#28日後... の続編として企画されたこの作品では、ゾンビ(凶暴化ウイルス感染者)映画のホラー性よりも、少年の成長と父母の存在という普遍的道徳的テーマを強く感じました。ダニー・ボイル監督もいつまでも#トレインスポッティング (やんちゃ)してられないということかもしれません。
物語前半で、廃墟としたイギリス本土へと出掛ける父子。その道中で父はゾンビを殺す方法を息子に教えます。動きの鈍いモノから走って追いかけてくるモノ、大ボス的な強いヤツに至るまで、対処術、殺傷方法をこと細かに伝授します。考え過ぎかもしれないですが、移民排斥の隠喩のようにさえ感じてしまいます。
後半は、病の母の治癒の為に医師を探し求める旅路です。母はゾンビの赤ん坊を生かすことを教えながら、命の尊さを伝えようとしています。わかりやすい母性です。
背景は緑豊かなイングランドの自然風景。人間の愚かさをアイロニーを込めて描こうとする屈折したホラー世界がそこにありました。イングランドイズマイン。
死生観
スピーディーで超スリリングな
ストーリーとビジュアル。
恐怖ながら、美しさもある。
無垢の巨人と獣の巨人が凄まじい。
進撃の巨人を彷彿させる。
カルト的な考えが島を支配。
人々の心が怖い位に操られている。
そこから、抜け出したスパイク少年。
地頭が良いのだろう。
母親との絆。父親に対する幻滅。
命の尊厳も学びつつの死生観。
愛の物語でもあった。
全216件中、1~20件目を表示











