劇場公開日 2025年7月25日

「山田裕貴の迫真の演技が素晴らしい」木の上の軍隊 鶏さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0 山田裕貴の迫真の演技が素晴らしい

2025年7月27日
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鑑賞方法:映画館

15年戦争の最終盤、昭和20年3月に始まった沖縄戦。本作はその翌月の4月から、終戦2年後までを描いた作品でした。舞台は沖縄本島北東部に位置する伊江島。物語の中心となるのは、ガジュマルの樹上に立てこもり、援軍を待ち続けた2人の日本兵。実話に基づいたこの物語は、井上ひさしによる舞台用原案をもとに、彼の没後、蓬莱竜太が脚本を完成させ、それを今回映画化したものです。

物語の序盤では、伊江島に駐屯する日本兵や地元住民が多数登場しますが、中盤以降はアメリカ軍の攻撃により彼らの多くが命を落とし、物語は上官・山下一雄(堤真一)と部下・安慶名セイジュン(山田裕貴)の二人芝居へと移行します。ガジュマルの樹上を舞台に展開するところなどは、舞台劇的な演出が色濃く感じられました。

山下は、典型的な“日本軍人”として描かれています。「死して虜囚の辱めを受けず」を体現するかのような過激な軍人で、地元住民への乱暴狼藉や、「チャアチル」と書かれた人形に向かって地元住民たちに竹槍で突撃させる教練など、本来合理を重んずべき軍人が、非合理の極みな行動に走ります。対するセイジュンは伊江島出身で、沖縄本島すら訪れたことのない青年。そのため、軍国主義教育に洗脳されておらず、どこか無垢で純粋な存在として描かれています。そんな対照的な2人が、なぜか2年間も樹上で生活を共にするという、驚くべき実話が本作の核となっています。

本作最大の見どころは、2人の関係性の変化です。合理性を追求すべきはずの軍人・山下が、非合理な“大日本帝国のドグマ”に縛られ、その矛盾を指摘されると暴力で封じ込めようとする姿は、現代でいえばDV加害者にも通じる存在です。セイジュンはその恐怖のなかで、親友・与那嶺の妹の死に直面し、さらには自身の手で初めてアメリカ兵を撃ち殺すという体験を経て、「ただ生きたい」という根源的な欲求から、次第に合理的な思考を身につけていきます。

食料や水も満足にない中、兵舎に残された物資や米軍の残飯をあさり、なんとか生き延びようとする2人。当初は協力関係を築くものの、山下の“帝国魂”が足かせとなり、関係は次第に悪化。それでも終戦から2年後、ようやく日本の敗戦を知ったことで、山下もその呪縛から解放され、ついにセイジュンとの真の和解を果たします。ラストで2人が人間として向き合う場面には、中々味わい深いものがありました。

本作を支えたのは、この2人の物語だけではありません。主演2人の熱演も素晴らしいものでした。堤真一は、狂気に満ちた人物を演じる際に抜群の存在感を放つ俳優であり、今回もその力を遺憾なく発揮。一方、特に印象的だったのが山田裕貴です。故郷を失い、飢餓や暴力に耐えながらも必死に生きようとするセイジュンの姿を、リアルかつ繊細に演じ切っており、その演技には胸を打たれました。

一方で、惜しいと感じたのは映像面と舞台装置の質感です。戦争末期の沖縄を題材にした作品は、たとえば『島守の塔』などもそうでしたが、テーマ性には優れているものの、映像がやや安っぽく見えてしまうことがあります。本作もその例に漏れず、戦闘シーンに迫力が欠けていたのは否めません。予算の制約はあるにせよ、戦争の現実をより深く伝えるために、映像表現のさらなる向上が望まれます。

また、伊江島が舞台であるにもかかわらず、そのことが明確に伝わる描写が少なかったのも残念でした。伊江島の象徴である城山(ぐすくやま)は米軍の空襲シーンで登場する程度で、もう少し島の風景や文化に踏み込んだ描写があれば、15年戦争、そして沖縄戦が、基地問題など現代の沖縄が抱える問題と地続きになっていることがより強く伝わったのではないかと感じました。

そんな訳で、本作の評価は★3.8とします。

鶏
ノーキッキングさんのコメント
2025年8月17日

沖縄戦に踏み込みすぎると、2人の生還劇がかすんでしまうので、あの描写しかないのでしょう。山田裕貴はハマってましたね。

ノーキッキング