劇場公開日 2025年7月25日

「僕の島は戦場だった」木の上の軍隊 ジュン一さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 僕の島は戦場だった

2025年7月26日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

怖い

難しい

〔証言 沖縄スパイ戦史(2020年 集英社新書)〕等、
沖縄戦に関する著作は多いが、
民間人或いは県人の兵士で頻出する証言がある。

海を米軍の艦艇が真っ黒に覆いつくしていた。

銃の発射音が違う。日本軍はパンパンと単発なのに、
米軍はダララーっと途切れることがない。

橋を破壊しても、直ぐに架け直して来る。

普通なら彼我の戦力差に慄き
降伏するのだろうが沖縄戦ではそうはならなかった。

軍部の目的は米軍を一日でも長く足止めすることにあり、
沖縄は捨て石にしか考えていなかったから。

伊江島に空港を整備し、島そのものを浮沈空母化しようとの目論みは、
米軍の空爆によりあっさり崩壊する。
そもそも制空権も制海権も維持できていないので、
最初から構想自体が机上の空論だったわけだが。

上陸した米軍の圧倒的な攻勢により本隊とは分断され
『山下一雄(堤真一)』少尉と『安慶名セイジュン(山田裕貴)』新兵は
森に逃げ込みガジュマルの大木の上に身を潜める。

その時は、この先二年も、
木の上で二人きりで潜伏するとは考えていなかったろう。

『山下』は宮崎県出身の筋金入りの叩き上げ。
時として厳しい態度も取るが、上官の無謀で慈悲のない発言には
眉を顰める良識もある。

下位の者でも無碍には扱わず、それが
二人の共生が続いた理由でもあるのだろう。

現地で徴用された『安慶名』の
先に徴兵された父親は行方も知れず、
先祖伝来の土地を軍用に奪われた母親は正気を失くす。

が、そうした憤懣をぶつける相手はいない。

やがて二人を飢餓が襲う。

地元民の『安慶名』の知識が多少救いにはなるものの、
成人男性二人の胃袋を満たすほどではない。

第二次大戦時の日本兵の死亡理由は、
餓死と病死が六割との推定もあり、
兵站を無視した戦線の拡大が招いた結果ではあるものの、
ここでも似た事態が引き起こる。

昼は木の上で眠り、夜は命を繋ぐ食料を探すため森を徘徊する。
彼等の使命は軍務遂行のはずなのに、
何の為に生きているかさえあやふやに。

それを救ったのが、敵のハズの米兵が捨てた残飯だったのは、
なんたる皮肉。

そしてこの時点で、戦争が日本の負けで終わっていたことに、
薄々は勘づいていたのではないか。

ツープラトンの隊が曲がりなりにも続いたのは、
亜熱帯の気候と、二人の微妙なパワーバランスの故だろう。

しかし一度触れてしまった豊かな日常の匂いは、
郷愁の念をかき乱す。

ましてや『安慶名』には故郷のハズなのに、
身を隠さねばならない理不尽な思いはいかばかりか。

ぞんざいに扱われる命や、
定見の無い無謀な作戦、
民間人の軽視と、
往時の実態が嫌と言うほど盛り込まれた物語りは、
実話を基にしており、
『井上ひさし』の発案による舞台作の映画化と聞く。

〔父と暮せば(2004年)〕もそうだし、
構想のみも〔母と暮せば(2015年)〕の何れも秀作。

脚本の手腕は必須とは言え、
舞台の映画化はこうあるべきとの、
見本のような作品群ではある。

ジュン一