「ラストシーンのその先で生まれた映画」シンシン SING SING ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
ラストシーンのその先で生まれた映画
コールマン・ドミンゴがオスカーにノミネートされていたから観てみようかくらいのノリで予備知識を入れずに鑑賞したので、エンドロールで驚かされた。
主要キャストのうち、3名(C・ドミンゴ、マイク・マイク役のショーン・サン・ホセ、演出家ブレント役のポール・レイシー)以外は一般的なプロの俳優ではなく収監された過去を持つ人たちで、その多くは物語に出てきたRTA(Rehabilitation Through the Arts)の経験者だという。ディヴァイン・アイ役のクラレンス・マクリンは、元々は実際にシンシン刑務所で恐れられる荒くれ者だったところRTAで更生し、ディヴァインGのモデルであるジョン・ウィットフィールド(作中、Gにサインをもらう役でカメオ出演)と共に本作の原案・製作総指揮を担っている。
刑務所という殺風景な舞台には不似合いなほど穏やかに進んでゆく物語を追ううち、ドキュメンタリーを観ている感覚に陥る瞬間があったが、それは彼らの実体験が作品の空気に反映されていたからかもしれない。
結果的に先入観なしで彼らの演技を観ることが出来たという意味では、事前リサーチ不足でよかった気がした。
刑務所の演劇グループに、所内一番のワルがやってくる。本作を紹介するそんな短文から、私はほぼ無意識に安直な「暴力や絶望を物語の推進力とする、ありがちな刑務所ドラマ」(パンフレットより。なお作品の背景を詳述したパンフは必読)を連想していた。思えばそれもある種の偏見だったのだろう。
しかし蓋を開けてみると、そこにあったのは人間らしい感情への回帰と癒しの物語だった。RTAのミーティングで次回作の打ち合わせをし、ブレントから演技の手ほどきを受ける中で、収監者たちは自分の内面と向き合う。最初は反発していたディヴァイン・アイも、自分の態度について仲間から忌憚のない指摘を受けたりするうちに徐々に変わってゆく。
ブレントの導きで自分たちが完璧だった時のことを各々が言葉にする場面などは、つい私もその問いを自分自身に投げかけてみたりした。演劇によって自分の感情との付き合い方を学ぶことは、人生経験を通してそれを学ぶことに近い気がし、彼らの体験を不思議なほど身近に感じた。
本作は収監者たちが人間性を取り戻す話にとどまらず、人の心についての普遍的な物語でもあるように思う。
ディヴァインGが冤罪で投獄されていることは中盤でさりげなく明かされるが、その冤罪を晴らす闘いそのものがドラマチックにクローズアップされることはない。一方、彼の減刑嘆願の却下は、親友マイク・マイクの病死という不幸と重なり、彼の心に抱えきれないほどの苦悩をもたらした。
彼が力を貸したディヴァイン・アイの減刑が先に叶ったことは本来Gにとっても喜ばしいはずだが、そのことさえもこの時の彼にとっては孤独と絶望を際立たせる出来事に見えたことだろう。ディノが言った「何かを気にかけると心が開く、そこから痛みが入ってくる」という言葉がGの姿に重なる。
「マミーの掟破り」本公演の前に、「心が抱えきれない時がある」と荒れた態度をメンバーたちに謝ったG。遥か遠いニューヨーク州の刑務所で私とは全く違う世界を生きる彼だが、彼の心のあたたかさ、彼を襲った失望や喪失を知った上で聞いたこの言葉から伝わる感情には垣根など全くなかった。
そして、出所が叶ったGが迎えにきたアイと抱擁する姿に胸を熱くせずにいられない。この短く美しいシーンは、解放、更生、絆、さまざまな意味を感じさせるものだった。
プロではない当事者が演者として参加した作品と言えば近年では「ノマドランド」が記憶に新しい。だが、本作では企画の考案段階からメインキャストに至るまで、当事者たちがより深く関わっているという点が特徴的だ。
シンシン刑務所での演劇プロジェクトに触発された映画が生まれ、それを私たちが鑑賞する、この構造自体がRTAの延長線上にある気さえしてくる。
彼らの実体験が結実したのがこの作品であり、私たちは映画館へ行くことによって、ある意味物語の先にある彼らの実人生、すなわち本作の製作に参加したという人生の軌跡にも触れることが出来る。作品の存在自体が実話と地続きになっている、かつ物語として高いクオリティを実現している、なかなか稀有な映画ではないだろうか。
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