Playground 校庭のレビュー・感想・評価
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観るべきである。
残酷で美しい映画である。
子供達が学校で体験する、恐れ 悲しみ 緊張 苦しみ 憎しみ 悩みを72分の全てで同感、追体験することができる。 ほぼすべてのカットが子供目線(子供側から見た、そして視界高さ)であり、大人たちの愚鈍さが際立つ。 入学したての小学生よりも教師や保護者が愚鈍というのも不自然なのだが、大人たちはそれぞれ役割を全うしている。 にもかかわらず子供と同じ視線に立った観客からは愚鈍に思えてしまうのだ。
子供社会の問題を扱った作品は多々ある。 日本にも沢山存在し見聞きはしてきたが、これほど子供視線なものは過去になかろう。 何が起きた、誰がどうなったとカテゴライズして評価する話ではない。 ここにいる、この子達の苦しみの話なのである。 苦しみの原因や解決方法など子供に分かるはずもない。 だから作品中には何も語られない。 ただただ苦しみが進行していくだけなのだ。
上映時間が夜なので当然の様に観客は大人だけだ。 子供に見せる作品じゃないのか? そんなことは無い! このような作品こそ大人と子供が一緒に見て話しあうべきだ。 これはドキュメンタリー様のフィクションだが、同様な事は世界中で起こっているし、子供だけの話でもない。 そうなのだ。 つまりは人間の本質の問題であり、だからこそ全ての人間が常に向き合っていかなくてはならない事なのだ。 強いものが弱いものを叩く、普遍的で且つ現在世界中で累進的に悪化している問題を、ローラ・ワンデルは直感的に受け取れる形に表現した。
この映画の美しさ、人間に残された光は唐突に表れる。 そしてこの物語に終わりがなく、我々も同じように苦しみ続ける事を暗示する様に、無音のクレジットが流れる。
ローラ・ワンデルは第一作で恐ろしく高いハードルを自ら掲げ飛び越えた。 次回作がどうなるのか心配になるが、この俊英は更なる高みに届くものと信じている。
また、この映画を上映した映画館の勇気を称えたい。
子ども達の閉じられた世界
中々に凄まじい映画でした。
ドキュメンタリーみたいな生々しさがあった。
学校という閉じた社会は、子どもの生活に重大な影響を与える場所であることを、これでもかと見せつけられる物語だった。
原題は「Un monde」。フランス語で、直訳すれば「世界」みたい。
こちらの方が、この映画のテーマや主人公兄妹の心情をより的確に表しているようにと思う。
「Playground」=「校庭」も、悪くはないけれど。
ノラを演じるマヤ・バンダービークの演技が最高!
ノラを演じた女の子は、100人のオーディションから選ばれただけあって、演技がうまい!
映画冒頭、随分、イケメンだなぁ?この子は?
と、思っていたら、おにゃのこだった。こんなに、漫画みたいに美しい女の子が実在するとはなぁ。おまけに演技もうまいから、言う事無し!
お兄ちゃんも、中々の演技ではあったが、妹のノラの前では歯が立たない。天性の役者の誕生だ!ハッピーバースデー!デビルマン!
カメラは、終始、おにゃのこ目線の、低い位置から手持ちカメラでの撮影。トムとジェリー目線と同じ事だ。子どもが見ている世界は、半分しかない事に気づかされる。
ノラはお兄ちゃんが虐められている場面に遭遇するも、全てが裏目に出て、自分も虐めの対象になってしまう。
お兄ちゃんを虐めた奴等は、罰せられる事は無く、教師が、虐めた加害者と、お兄ちゃんに握手をして解決させるが...、
これは虐められた子あるあるだが、クソ教師共は、握手をすれば全て解決すると思っているのは全世界共通なんだなぁ?
俺も経験あるけど、自分を虐めた奴と握手なんかしたくないよ?何で、糞虫以下の野郎と握手しなきゃなんないの?汚らわしくて触りたくねーよ?
何で、虐めって、言葉になるんだろ?これって、立派な傷害事件だぜ?
んでもって、お兄ちゃんは虐めから解放されるが、今度は仲間はずれに合うんだなぁ、どこまで虐められる奴には人権が無いんだ?
もう、そんな場所からは逃げるべきだと思う。そんな奴等を相手にしている時間が無駄だ。
やけになったお兄ちゃんは、今度は自分が虐めをする立場になってしまい、被害者の頭からビニール袋をかぶせて呼吸を止める虐めをしてしまうが...、
おい!それは殺し屋が人を殺す時によく使う手口だ!それは超えちゃいけないラインだ!
それを止めて、ノラとお兄ちゃんは抱きしめあって泣く。画面は暗転し無音のエンドロール。
うーん、辛い映画だ。ここを覗いてくれる人で、いま虐められている人がいるならば、一言アドバイス。
いま、貴方がいる場所は、地獄でいう修羅界です。誰も貴方には味方はいないでしょう。貴方に味方をしたら、次のターゲットは自分になるからです。
じゃあ、どうすればいいのかと言うと、早くその場から立ち去れという事です。人を傷つけるのが、大好きな修羅共と付き合っていると貴方が穢れてしまいます。
逃げろ!これは勇気ある撤退です。まともな人がいる所が探せばいくらでもあります。
逃げるは恥だが、うまくいけば新垣結衣と結婚できるのだ( ん?) 諦めないで!?
子供の社会
終始身につまされる思いで見ていた。本作は意図的にそのように作られている。誰もが経験した子供時代、その時に味わった様々な苦い思い出をこの上映時間いっぱいに凝縮したような作品。
幼いころ家庭とは違う未知の学校が怖くて不安だった。教室であてられるとき、体育の授業で自分の番が回ってくるとき、その時感じた緊張や不安、そういったことが主人公のノラの視点を通して見る者に生々しくダイレクトに伝わってくる。そんな絶妙な演出がなされている。
残酷な子供社会、誰もが身に覚えのあるいじめや仲間外れ、自分がいじめられたり仲間外れにされないよう常に気を配ったことや、いじめられたらただ黙って耐えていたこと、虫を踏み潰すように相手の痛みもわからず面白半分にいじめていたこと。いじめる側の心理、いじめられる側の心理、それがよくわかるだけに見ていて本当に身につまされる作品。
そんな子供時代でしか味わえない体験を本作は再び味わわせてくれる。それはとにかくつらい。つらさが身にしみてわかってるだけにリアルにそれが伝わってくる。
大人は社会に出たら大変だけど、子供だって大変だ。学校は社会の縮図だ。子どもは大人の庇護下にあるようでその実、誰も助けてはくれない。この社会で何とか生き残るすべを子供らは自分で身に着けていくしかない。たとえ卑怯でもなんでも自分が生き延びるためには手段なんて選んではいられない。それが悪いことだとわかっていても。
ただ、本作はラストにかすかながら救いを与えてくれる。いじめられていたお兄さんが一転いじめる側に移り、ただ自分がいじめられたくない一心で他の子をいじめる。そんなお兄さんを妹のノラは優しく抱きしめる。もうそんなひどいことはしないで、そんなことしなくてもいいんだよと、優しく抱きしめる。そんな妹の思いに答えるようにお兄さんのアベルは抱きしめ返す。
どうすればいじめをなくせるかそれは本当に難しい。大人の社会にもいじめはある。どんな社会にも存在するいじめ。それに立ち向かうのは愛情しかないのかもしれない。いじめていたガキ大将も愛に飢えていたのかもしれない。アベルを抱きしめてくれるノラのように彼には抱きしめてくれる人がいなかったのかもしれない。彼を厳しく罰しても何も変わらないだろう、彼がいなくなってもまたいじめは起きるだろうし。それは永遠のいたちごっこなのかもしれない。でも本作はそんななかにかすかな希望を抱かせる。
本作はあの頃の自分へと引き戻させてくれる凄まじい体験型ムービーだった。
見たくない現実を突きつけて来る”問題作”
珍しいベルギー映画。小学校に通う兄妹の話でした。
引っ込み思案の妹・ノラが小学校に入学し、当初は同じ学校に通う兄・アベルに頼り切りだったものの、実は兄も壮絶なイジメに遭っていて、妹に構っている暇はないという地獄絵図に、正直嫌悪感すら覚えました。それでもどうにかこうにかクラスメイトと仲良くなった妹でしたが、兄は相変わらずイジメを受けており、妹が先生、父親に助けを求めてようやく学校側も対処することに。
ところが兄が原因で今度は妹がクラスメイトから嫌われる羽目に。行くも地獄、帰るも地獄。最終的には兄がさらに弱いクラスメイトをイジメるという無間地獄。そんな兄を必死で止めて最後は兄妹で抱き合ってエンディングでした。
母親がいないらしいシングルファーザー家庭、しかも父親は失業中らしいという設定も地獄。悲しさ、切なさの点では間違いなく今年No.1の作品でした。特に前半部で感じた嫌悪感は、潜在的に見たくない現実をまざまざと見せつけられたからだろうかと思いました。そして兄妹で喧嘩をしながらも、最後は家族の絆を見せられて、かろうじて精神の平衡を取り戻した感がありました。いずれにしても、観るのに覚悟がいる作品でした。
ストーリー以外の部分でも個性的で、基本妹の視野を映像化し、彼女の意識下にある物以外はピントを合わせない映像も効果的でした。また、兄妹がいずれも可愛い子役で、これまた切なさをマシマシにしていました。特に主人公ノラを演じたマヤ・バンダービークの自然な演技は、驚愕するほど上手でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.4とします。
喧嘩とイジメは違う!子どもにだってわかること。
強烈な描写。
これが学校で起きてるなんて、そしていじめ方は万国共通。
仲直りのさせ方も、同じなのか。
いじめられた側に、仲良くできるかを聞くなんて、ナンセンスでしかない。
できるか、ではなく「したくもない」だろうに。
大人よりも子どもの方がアンテナ立ってる。不安と恐怖が入り混じる校庭。
いったい、大人は何をやってるんだ?
子どもの世界
いきなり始まりいきなり終わる。
内容が私にとっては衝撃的で最後は呆気にとられてしまった。 細かい詳細や理由は何も語られません。
最初から最後まで学校の中だけでの出来事です。
兄が(多分小4が5くらいかな)いじめられていて妹が小さな胸を痛めるわけですが、だんだんとやり返さない兄に苛立ちそのうち兄さえいなければ自分はもっと楽しく学校生活がおくれるのでは?と思うようにまでなるわけで。
お父さんも心配して色々手を尽くしてくれるし(母親の存在は語られない、いないのか、病気で寝たきりなのか)
理解して優しく寄り添ってくれていた女先生も途中で学校を去ってしまい、これも理由は語られないのだか想像するに教師という複雑で特殊な仕事が自分の手に負えなくなってしまったのかもしれない。
ほんとうにやりきれない、目を伏せてしまいたくなるような映画でした。
無自覚な大人は、子ども世界のヒエラルキー要因になっていることに気づいていない
2025.3.11 字幕 アップリンク京都
2021年のベルギー映画(72分、G)
子どもの視界から見える世界を描いたスリラー映画
監督&脚本はローラ・ワンデル
原題は『Un monde』で「世界」、英題は『Playground』で「遊び場」という意味
物語の舞台は、ベルギーのとある小学校
7歳になったノラ(マヤ・ヴァンダービーク)は、10歳の兄アベル(ガンダー・デュレ)と同じ小学校に通うことになった
怖さからパパ(カリム・ルクルー)にしがみつくノラだったが、先生に引き剥がされて連れて行かれてしまった
ある日のこと、ノラは学校のトイレにて、便器に顔をぶち込まれているアベルを見てしまう
慌てて監視員を呼びにいくものの、監視員は目の前の怪我をした子どもの相手をしていて取り合ってくれない
仕方なくトイレに戻って兄に話しかけると、「構うな、誰にも言うな」と釘を刺されてしまった
その後も、アベルはアントワン(Simon Caudry)を中心としたグループにいじめを受けているようで、ノラは耐えきれずにパパに伝えてしまった
パパは学校を介さずに該当生徒に注意をするものの、それによっていじめはさらにエスカレートしてしまうのである
映画は、子ども目線による学校を描いていて、カメラの高さもノラの目線に近いまま固定されている
彼女が見ている世界は明確に再現され、大人は彼女と同じ目線にならないと視界に入ってこない
冒頭の連れ去る先生も遠くに行ってからようやく顔がわかるように描かれていて、授業中に注意をする先生もほとんど視界を合わせには来ない
ノラは水泳が苦手だったが、その授業を機にヴィクトワール(Elsa Laforge)とクレマンス(Lena Girad Voss)と仲良くなっていく
また、担任のアニエス先生(ローラ・ファーリンデン)は、彼女の目線にまで体を下ろして、同じ高さで接してくれる唯一の存在だった
物語は、兄を助けたい妹が動き、それに感化された父親が動くことで事態が悪化する様子が描かれていく
校内には監視員がいるものの、校庭で堂々と行われているゴミ箱に放り込む行為とか、イスマエル(Naël Ammama)がビニール袋で頭を覆われている行為などには気付けていない
トイレのいじめも複数の生徒がトイレの前に集まっているのに、大人はそこには寄ってこない
それが人員不足がゆえなのかはわからず、あくまでもノラが捉えた世界で知り得た情報のみが描かれていく
また、アベルがいじめられている原因はわからないし、彼もそれを語らない
ノラが介入し、ゴミ箱の事件が公になったことで事態は動いていくのだが、それでもいじめがなくなるわけではなく、別の子どもが犠牲になってしまう
子ども社会における「どちら側につくのか」と言う問題は避けられず、何かしらのコミュニティに属しないと、ストレスの捌け口になったり、単なる面白さの対象になったりしてしまう
この時に生まれるヒエラルキーというものは後の人生に大きく影響するのだが、それはこの時に大人がどう動いたかというところも起点となっていく
アベルたちのパパはいじめを辞めさせるために介入するものの、子ども目線だと「働いていない大人」なので、彼の言動には説得力も重みもない
子どもにとってのアイデンティティの構成要素の一つには「親の社会的地位」というものが付随し、それ以外にも「母親が美人である」とか、「兄弟が優秀である」というものもアイデンティティの中に組み込まれがちだったりする
それらが本人の評価とは無縁であることは理解できても、ヒエラルキーを作る要因になっているので、それを理解していない大人が首を突っ込むとロクなことにはならない
それは、アベルたちがパパを誇りに思えないのと同じで、それゆえにパパの介入は自分にとって不利益であることを感じている
頼るべき家族の質というものがそれに拍車をかけるので、今回のケースの遠因として、父親の無職状態というものが影響しているのは否めないのだろう
いずれにせよ、視界を重要視する映画で、ほとんどのショットがノラの目の高さで再現されている
見えている部分と見えていない部分があるのだが、ノラ自身はきちんと見るべきものを捉えている
問題は、見ないと決めたものでも見てしまうようになり、それが思考の全てを支配してしまうことだろう
これは大人でも起こり得るものだが、ノラの年齢だと「それが思考のすべて」になってしまう
そうした先にある感情の起伏というものがとんでもない行動を生み出すのだが、ノラの場合は「アベルと一緒にいて、彼を取り戻したい」というものだったので、それが最後の行動になっていた
その先に何があるかを考えることもないのだが、おそらくは自分とアベルの世界を守るためだけに動いていくと思うので、その原因を除去する方向に動くのかもしれない
もっとも、その前に大人がノラとアベルを排除すると思うので、このような対応をしている限り、同じようなことは続いていくのかな、と感じた
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