Playground 校庭のレビュー・感想・評価
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ある意味ホラー映画より怖い😱
小学校に入学したばかりの女の子ノラの視点で描く学校生活&いじめ問題。
ノラの視点=カメラの視点もノラの目線で臨場感があるし、劇伴がないことで映画世界に没入できた。
むしろ没入しすぎてツライし、無邪気な子どもの世界の何と怖いことか!と感じたし、
自分の小学校〜高校時代を思い浮かべ、この作品ほど酷くはなかった記憶だが、
私がその世界を知らないだけかもしれないと思った。
ノラは内気で気弱な女の子として冒頭は描かれるが、
大好きなお兄ちゃんのために動く強さを持ち合わせている。
同級生に対しても堂々としているし、ちゃんと物を言える逞しさもある。
このお兄ちゃん思いのノラは最後まで一貫しているのだが、
お兄ちゃんがそういう状態であるがゆえ、ノラも同級生からキツくあたられたりする。
それもあってか、
ある場面でお兄ちゃんからいじめの現場を見ても「誰にも言うな」的なことを言われ、
ゴミ箱に入れられたお兄ちゃんのことを言わないのだけれど、
これが学校内で大騒ぎとなり、親が出てくるレベルに発展。
↑
ここで私の予想はお兄ちゃんが殺されていた、あるいは、自殺したくらいに考えていたが
そうではなくホッとした途端、
お兄ちゃんがいじめられなくなったかと思いきや、いじめる側に闇落ちするも、
同級生をいじめで殺しそうになる寸前に妹のノラに救われるところで
映画は終わる。
本作は誰に観てもらうとよいのか、を鑑賞中ずっと考えていた。
子を持つ大人はもちろん、先生、子どもたち、あ、できるだけたくさんの人に観てほしいと思った。
いじめは学校だけで起こっているわけではないと思うし、もはやいじめという言葉では片付けられない
犯罪といって過言でないレベルのことだと思うから。
いやぁツラすぎてヘビーすぎてどうにかなりそうだったけど、
観客としての私もノラに救われた気がする。
主人公ノラを演じたマヤ・バンダービーク。子役ながら凄い演技をしている。
将来が楽しみである。
【学校は社会の縮図って言うけれど、大人社会より厳しくないかい?けれども、そこで社会性を学ぶんじゃないかな。あとは、苛めが酷い時には逃げる(転校)ことも恥ずかしい事じゃないと思うな。】
ー 少し前に「小学校~それは小さな社会~」を観て、改めて日本の小学校のシステムを再認識した。
この作品は、ベルギーの小学校が舞台みたいなのだが、可なりシビアだったな。-
■小学校に入学したノラは、不安を感じていたが、兄のアベルが励ましてくれる。徐々に学校にもなれ、二人の女の子と仲良しになるが彼女の兄は苛められていた。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・ノラを演じた女の子の、入学時の不安そうな顔を見ていると、とても辛い気持ちになる。けれども、兄のアベルが励ましてくれるんだよね。
・で、ノラは靴紐の結び方を二人の女の子に教えて貰ったりして、徐々に学校に慣れて行く。だが、頼りのアベルが苛められている姿を見てしまい、彼女の心は揺れるのである。
・アベルはノアを徐々に遠ざけるんだけど、この気持ちは少し分かる気がする。学校内で妹に苛められている姿を見られるのは嫌だよなあ。
・ノアの揺れる心。兄を助けたい。けれども兄に付き纏い過ぎるのも良くないと感じて行くのである。
このノアを演じたマヤ・バンダービークという女の子の表情の変化が凄い。演技なのだろうけれども、凄く上手い。ビックリしたな。
■少し驚いたのは、学校内に”監視人”と言われる人達が、子供達の様子を見ておりトラブル時には駆け付ける姿。フランスではそういう人が学校にいるという事を思い出したが、ベルギーにもいるんだな。あと、あんなに苛めが多いのかな。
あとは、ノラとアベルの無職らしいお父さんは、ちょっと子供達の諍いに介入し過ぎじゃないかなと思ったな。ベルギーではあれが普通なのかな。
・苛められていたアベルが、黒人の子を苛め始める姿は、哀しかったな。アベルにして見れば強い自分を見せたい思いと、苛めっ子たちに自分も苛める強さがあるんだと、アピールしようとしたのかな。けれども、それを見ているノラの哀し気な表情は切ないな。
<今作は、観ていてキツカッタけれども、最後にノラとアベルが和解し、ノラがアベルに抱き着く姿を見て本当にホッとしたよ。
頑張れ!ノラとアベル。
学校は、本来楽しい所だと私は思うからである。
けれども、苛めが酷い時には逃げる(学校を変える)ことも必要だと、私は思いました。>
<2025年4月28日 刈谷日劇にて観賞>
ラスト5秒で涙腺崩壊
父子家庭の兄と妹の学校生活、いじめられる兄、
妹の助けも有って症状は治まったが、今度は兄
がいじめる側に・・そして感動のラストシーン
最後の5秒で涙腺が崩壊、今でも余韻に浸っています
この表現は初めての感動でした。でも途中の妹や兄
の気持ちを考えながら観進めないと採点は低くなります
貴方が試される映画となるでしょう。
タイトルなし(ネタバレ)
小学校に入学した内気なノラ(マヤ・ヴァンダービーク)は、校内で兄アベル(ガンター・デュレ)が虐められているのを目撃する。
体格が小さいこと、父親が失業中で専業主夫をしていることなどが理由のようだが、理由なんて何とでも付けられる。
見かねたノラは父親に報告した後、虐めは激化してしまう。
アベルは自分が虐めの対象から逃れるため、自分より小柄の黒人少年の虐めに加担するようになる・・・
といった物語で、原題「Un monde」が示すように、小学校はひとつの世界。
独自の弱肉強食ヒエラルキーが存在している。
終始、短焦点のカメラで、高さも低く、ノラの視座で描かれます。
このあたりが、映画としての独特のルックをもたらしています。
ラスト、虐める側に転じた兄を見かねたノラが、兄を抱きしめることにある種の希望のようなものを見出すことが出来るともいえますが、それだけで弱肉強食のヒエラルキーに変化が訪れるとも思えず、個人的には「絶望の、怖い怖い、ひとつの世界」だったと感じました。
こどものゆらぎ
ラスト、兄の悔恨の言葉を聞きたかった気もしないでもないが、
あそこでバツっと切ったのは、あれはあれで、
観る側に強い印象を残す終わり方ですね。
曇りの中に、少しだけ光が差したと思いたい。
子どもの世界、それも学校の教室と食堂と校庭が中心だけども、
人間関係の難しさ、人間の心の機微、
良さも悪さも凝縮したような内容に息が詰まりそうになりました。
子どもゆえの純粋さと残酷さの繊細過ぎる心の動きに、終始ヒリヒリしてしんどかったです。
大人になって、図太く生きるということを学んでしまったので余計にね。
このような普遍的な人間社会のコミュティの中で、自分を確立する難しさを、
子どもたちの世界で、ドキュメンタリーの様相で映像化した監督の力と才能に感服いたしました。
きっと、大人は判ってくれない。
3月26日(水)
母の入院や自分の小指骨折等で行けなかった散髪に久しぶりに行く。サッパリした。
「教皇選挙」は時間が合わない。新宿シネマカリテで「Playground 校庭」を。
カメラは終始ノラの表情を捉えていて、カメラの焦点深度が浅く、ノラにしかフォーカスしていない(周辺がボケる)。またはノラの視点でもの見ている。校舎内や校庭では子供たちの声等で音楽はない。
初登校のノラは兄に、父にしがみつく。校門から中には両親でも入れない。先生に手を引かれ心細くて泣きながら校舎に入って行くノラ。校舎に足を踏み入れた瞬間に子供達の声やざわめきがノラを包む。
見知らぬ人ばかりの中で人見知りのノラは名前も言えない。
休み時間の校庭で兄を探すが、兄アベルに冷たくあしらわれてしまう。
靴ひもが結べないノラは結び方を教わったりして、友だちと遊ぶようになる。
体育の授業で水泳や平均台をやるのも苦手なノラには苦痛だ。
小柄なアベルが階段で大柄な同級生3人からイジメられているのを見てしまうノラ。ノラの担任の先生に注意してもらうが、注意された彼らの言い分は「あんたは俺達の担任じやない!」
別の日にアベルはトイレで3人にイジメられてビショ濡れに。目撃したノラが監視員(ベルギーの小学校には休み時間の校庭等に監視員がいる)に言っても他の子供に対応していて来てくれない。やっと来てくれた時にはイジメは終了。ビショ濡れのアベルに監視員は「トイレでふざけないで」
ノラ「どうしてやり返さないの?」
アベル「絶対に黙っていろ」
イジメられっぱなしで反撃しない兄もノラには理解不能だ。
アベルは(多分イジメられて?)オシッコを漏らしてしまう。ノラの隣でお弁当食べるアベルに「臭い」とノラの友だち。
失業中で毎日学校へ送って来る父親(母親は登場しない)。
「失業者って、働かないでお金を待ってるんだよ」小学1年生は家族に聞いたような事を平気で言う。
ある日アベルはイジメっ子の3人組に校庭のゴミ箱に閉じ込められる。それを目にしてもノラは黙っていろと言われたので監視員に言わない。
しかし、その事がバレて3人は親を呼ばれてアベルに謝り、握手するのだが…。
ノラの事を理解してくれていた女性担任も学校を去り、新しい担任はノラに優しくない。
イジメられている兄のせいでノラものけ者にされ、お誕生会に呼んでもらえなくなる。無視されて校庭でキレるノラ。
原題は「世界」。小学校も、校庭も、子供たちが感じる小さな世界。そして子供にとっては全て。
不安、孤独、苦しみ、子供の残酷さ。それは言葉にならずに、わからない感情のまま心に溜まって行く。
ラスト、校庭で自分より弱い者をイジメる側に回った兄を止めるため抱きしめて放さないノラ。そして抱きしめ返すアベル。
クレジットは完全に無音だった。
ノラを演じたマヤ・バンダービークは演技が上手い。外国の子役は本当に凄いわ。
監督ローラ・ワンデルの長編デビュー作だそうだが、次はどんな作品を撮るのかな。
デビュー作は感性がみずみずしくても、子供の感性のようにしぼんでなくなってしまう監督もいるからね。
観るべきである。
残酷で美しい映画である。
子供達が学校で体験する、恐れ 悲しみ 緊張 苦しみ 憎しみ 悩みを72分の全てで同感、追体験することができる。 ほぼすべてのカットが子供目線(子供側から見た、そして視界高さ)であり、大人たちの愚鈍さが際立つ。 入学したての小学生よりも教師や保護者が愚鈍というのも不自然なのだが、大人たちはそれぞれ役割を全うしている。 にもかかわらず子供と同じ視線に立った観客からは愚鈍に思えてしまうのだ。
子供社会の問題を扱った作品は多々ある。 日本にも沢山存在し見聞きはしてきたが、これほど子供視線なものは過去になかろう。 何が起きた、誰がどうなったとカテゴライズして評価する話ではない。 ここにいる、この子達の苦しみの話なのである。 苦しみの原因や解決方法など子供に分かるはずもない。 だから作品中には何も語られない。 ただただ苦しみが進行していくだけなのだ。
上映時間が夜なので当然の様に観客は大人だけだ。 子供に見せる作品じゃないのか? そんなことは無い! このような作品こそ大人と子供が一緒に見て話しあうべきだ。 これはドキュメンタリー様のフィクションだが、同様な事は世界中で起こっているし、子供だけの話でもない。 そうなのだ。 つまりは人間の本質の問題であり、だからこそ全ての人間が常に向き合っていかなくてはならない事なのだ。 強いものが弱いものを叩く、普遍的で且つ現在世界中で累進的に悪化している問題を、ローラ・ワンデルは直感的に受け取れる形に表現した。
この映画の美しさ、人間に残された光は唐突に表れる。 そしてこの物語に終わりがなく、我々も同じように苦しみ続ける事を暗示する様に、無音のクレジットが流れる。
ローラ・ワンデルは第一作で恐ろしく高いハードルを自ら掲げ飛び越えた。 次回作がどうなるのか心配になるが、この俊英は更なる高みに届くものと信じている。
また、この映画を上映した映画館の勇気を称えたい。
子ども達の閉じられた世界
中々に凄まじい映画でした。
ドキュメンタリーみたいな生々しさがあった。
学校という閉じた社会は、子どもの生活に重大な影響を与える場所であることを、これでもかと見せつけられる物語だった。
原題は「Un monde」。フランス語で、直訳すれば「世界」みたい。
こちらの方が、この映画のテーマや主人公兄妹の心情をより的確に表しているようにと思う。
「Playground」=「校庭」も、悪くはないけれど。
ノラを演じるマヤ・バンダービークの演技が最高!
ノラを演じた女の子は、100人のオーディションから選ばれただけあって、演技がうまい!
映画冒頭、随分、イケメンだなぁ?この子は?
と、思っていたら、おにゃのこだった。こんなに、漫画みたいに美しい女の子が実在するとはなぁ。おまけに演技もうまいから、言う事無し!
お兄ちゃんも、中々の演技ではあったが、妹のノラの前では歯が立たない。天性の役者の誕生だ!ハッピーバースデー!デビルマン!
カメラは、終始、おにゃのこ目線の、低い位置から手持ちカメラでの撮影。トムとジェリー目線と同じ事だ。子どもが見ている世界は、半分しかない事に気づかされる。
ノラはお兄ちゃんが虐められている場面に遭遇するも、全てが裏目に出て、自分も虐めの対象になってしまう。
お兄ちゃんを虐めた奴等は、罰せられる事は無く、教師が、虐めた加害者と、お兄ちゃんに握手をして解決させるが...、
これは虐められた子あるあるだが、クソ教師共は、握手をすれば全て解決すると思っているのは全世界共通なんだなぁ?
俺も経験あるけど、自分を虐めた奴と握手なんかしたくないよ?何で、糞虫以下の野郎と握手しなきゃなんないの?汚らわしくて触りたくねーよ?
何で、虐めって、言葉になるんだろ?これって、立派な傷害事件だぜ?
んでもって、お兄ちゃんは虐めから解放されるが、今度は仲間はずれに合うんだなぁ、どこまで虐められる奴には人権が無いんだ?
もう、そんな場所からは逃げるべきだと思う。そんな奴等を相手にしている時間が無駄だ。
やけになったお兄ちゃんは、今度は自分が虐めをする立場になってしまい、被害者の頭からビニール袋をかぶせて呼吸を止める虐めをしてしまうが...、
おい!それは殺し屋が人を殺す時によく使う手口だ!それは超えちゃいけないラインだ!
それを止めて、ノラとお兄ちゃんは抱きしめあって泣く。画面は暗転し無音のエンドロール。
うーん、辛い映画だ。ここを覗いてくれる人で、いま虐められている人がいるならば、一言アドバイス。
いま、貴方がいる場所は、地獄でいう修羅界です。誰も貴方には味方はいないでしょう。貴方に味方をしたら、次のターゲットは自分になるからです。
じゃあ、どうすればいいのかと言うと、早くその場から立ち去れという事です。人を傷つけるのが、大好きな修羅共と付き合っていると貴方が穢れてしまいます。
逃げろ!これは勇気ある撤退です。まともな人がいる所が探せばいくらでもあります。
逃げるは恥だが、うまくいけば新垣結衣と結婚できるのだ( ん?) 諦めないで!?
子供の社会
終始身につまされる思いで見ていた。本作は意図的にそのように作られている。誰もが経験した子供時代、その時に味わった様々な苦い思い出をこの上映時間いっぱいに凝縮したような作品。
幼いころ家庭とは違う未知の学校が怖くて不安だった。教室であてられるとき、体育の授業で自分の番が回ってくるとき、その時感じた緊張や不安、そういったことが主人公のノラの視点を通して見る者に生々しくダイレクトに伝わってくる。そんな絶妙な演出がなされている。
残酷な子供社会、誰もが身に覚えのあるいじめや仲間外れ、自分がいじめられたり仲間外れにされないよう常に気を配ったことや、いじめられたらただ黙って耐えていたこと、虫を踏み潰すように相手の痛みもわからず面白半分にいじめていたこと。いじめる側の心理、いじめられる側の心理、それがよくわかるだけに見ていて本当に身につまされる作品。
そんな子供時代でしか味わえない体験を本作は再び味わわせてくれる。それはとにかくつらい。つらさが身にしみてわかってるだけにリアルにそれが伝わってくる。
大人は社会に出たら大変だけど、子供だって大変だ。学校は社会の縮図だ。子どもは大人の庇護下にあるようでその実、誰も助けてはくれない。この社会で何とか生き残るすべを子供らは自分で身に着けていくしかない。たとえ卑怯でもなんでも自分が生き延びるためには手段なんて選んではいられない。それが悪いことだとわかっていても。
ただ、本作はラストにかすかながら救いを与えてくれる。いじめられていたお兄さんが一転いじめる側に移り、ただ自分がいじめられたくない一心で他の子をいじめる。そんなお兄さんを妹のノラは優しく抱きしめる。もうそんなひどいことはしないで、そんなことしなくてもいいんだよと、優しく抱きしめる。そんな妹の思いに答えるようにお兄さんのアベルは抱きしめ返す。
どうすればいじめをなくせるかそれは本当に難しい。大人の社会にもいじめはある。どんな社会にも存在するいじめ。それに立ち向かうのは愛情しかないのかもしれない。いじめていたガキ大将も愛に飢えていたのかもしれない。アベルを抱きしめてくれるノラのように彼には抱きしめてくれる人がいなかったのかもしれない。彼を厳しく罰しても何も変わらないだろう、彼がいなくなってもまたいじめは起きるだろうし。それは永遠のいたちごっこなのかもしれない。でも本作はそんななかにかすかな希望を抱かせる。
本作はあの頃の自分へと引き戻させてくれる凄まじい体験型ムービーだった。
見たくない現実を突きつけて来る”問題作”
珍しいベルギー映画。小学校に通う兄妹の話でした。
引っ込み思案の妹・ノラが小学校に入学し、当初は同じ学校に通う兄・アベルに頼り切りだったものの、実は兄も壮絶なイジメに遭っていて、妹に構っている暇はないという地獄絵図に、正直嫌悪感すら覚えました。それでもどうにかこうにかクラスメイトと仲良くなった妹でしたが、兄は相変わらずイジメを受けており、妹が先生、父親に助けを求めてようやく学校側も対処することに。
ところが兄が原因で今度は妹がクラスメイトから嫌われる羽目に。行くも地獄、帰るも地獄。最終的には兄がさらに弱いクラスメイトをイジメるという無間地獄。そんな兄を必死で止めて最後は兄妹で抱き合ってエンディングでした。
母親がいないらしいシングルファーザー家庭、しかも父親は失業中らしいという設定も地獄。悲しさ、切なさの点では間違いなく今年No.1の作品でした。特に前半部で感じた嫌悪感は、潜在的に見たくない現実をまざまざと見せつけられたからだろうかと思いました。そして兄妹で喧嘩をしながらも、最後は家族の絆を見せられて、かろうじて精神の平衡を取り戻した感がありました。いずれにしても、観るのに覚悟がいる作品でした。
ストーリー以外の部分でも個性的で、基本妹の視野を映像化し、彼女の意識下にある物以外はピントを合わせない映像も効果的でした。また、兄妹がいずれも可愛い子役で、これまた切なさをマシマシにしていました。特に主人公ノラを演じたマヤ・バンダービークの自然な演技は、驚愕するほど上手でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.4とします。
喧嘩とイジメは違う!子どもにだってわかること。
強烈な描写。
これが学校で起きてるなんて、そしていじめ方は万国共通。
仲直りのさせ方も、同じなのか。
いじめられた側に、仲良くできるかを聞くなんて、ナンセンスでしかない。
できるか、ではなく「したくもない」だろうに。
大人よりも子どもの方がアンテナ立ってる。不安と恐怖が入り混じる校庭。
いったい、大人は何をやってるんだ?
子どもの世界
いきなり始まりいきなり終わる。
内容が私にとっては衝撃的で最後は呆気にとられてしまった。 細かい詳細や理由は何も語られません。
最初から最後まで学校の中だけでの出来事です。
兄が(多分小4が5くらいかな)いじめられていて妹が小さな胸を痛めるわけですが、だんだんとやり返さない兄に苛立ちそのうち兄さえいなければ自分はもっと楽しく学校生活がおくれるのでは?と思うようにまでなるわけで。
お父さんも心配して色々手を尽くしてくれるし(母親の存在は語られない、いないのか、病気で寝たきりなのか)
理解して優しく寄り添ってくれていた女先生も途中で学校を去ってしまい、これも理由は語られないのだか想像するに教師という複雑で特殊な仕事が自分の手に負えなくなってしまったのかもしれない。
ほんとうにやりきれない、目を伏せてしまいたくなるような映画でした。
無自覚な大人は、子ども世界のヒエラルキー要因になっていることに気づいていない
2025.3.11 字幕 アップリンク京都
2021年のベルギー映画(72分、G)
子どもの視界から見える世界を描いたスリラー映画
監督&脚本はローラ・ワンデル
原題は『Un monde』で「世界」、英題は『Playground』で「遊び場」という意味
物語の舞台は、ベルギーのとある小学校
7歳になったノラ(マヤ・ヴァンダービーク)は、10歳の兄アベル(ガンダー・デュレ)と同じ小学校に通うことになった
怖さからパパ(カリム・ルクルー)にしがみつくノラだったが、先生に引き剥がされて連れて行かれてしまった
ある日のこと、ノラは学校のトイレにて、便器に顔をぶち込まれているアベルを見てしまう
慌てて監視員を呼びにいくものの、監視員は目の前の怪我をした子どもの相手をしていて取り合ってくれない
仕方なくトイレに戻って兄に話しかけると、「構うな、誰にも言うな」と釘を刺されてしまった
その後も、アベルはアントワン(Simon Caudry)を中心としたグループにいじめを受けているようで、ノラは耐えきれずにパパに伝えてしまった
パパは学校を介さずに該当生徒に注意をするものの、それによっていじめはさらにエスカレートしてしまうのである
映画は、子ども目線による学校を描いていて、カメラの高さもノラの目線に近いまま固定されている
彼女が見ている世界は明確に再現され、大人は彼女と同じ目線にならないと視界に入ってこない
冒頭の連れ去る先生も遠くに行ってからようやく顔がわかるように描かれていて、授業中に注意をする先生もほとんど視界を合わせには来ない
ノラは水泳が苦手だったが、その授業を機にヴィクトワール(Elsa Laforge)とクレマンス(Lena Girad Voss)と仲良くなっていく
また、担任のアニエス先生(ローラ・ファーリンデン)は、彼女の目線にまで体を下ろして、同じ高さで接してくれる唯一の存在だった
物語は、兄を助けたい妹が動き、それに感化された父親が動くことで事態が悪化する様子が描かれていく
校内には監視員がいるものの、校庭で堂々と行われているゴミ箱に放り込む行為とか、イスマエル(Naël Ammama)がビニール袋で頭を覆われている行為などには気付けていない
トイレのいじめも複数の生徒がトイレの前に集まっているのに、大人はそこには寄ってこない
それが人員不足がゆえなのかはわからず、あくまでもノラが捉えた世界で知り得た情報のみが描かれていく
また、アベルがいじめられている原因はわからないし、彼もそれを語らない
ノラが介入し、ゴミ箱の事件が公になったことで事態は動いていくのだが、それでもいじめがなくなるわけではなく、別の子どもが犠牲になってしまう
子ども社会における「どちら側につくのか」と言う問題は避けられず、何かしらのコミュニティに属しないと、ストレスの捌け口になったり、単なる面白さの対象になったりしてしまう
この時に生まれるヒエラルキーというものは後の人生に大きく影響するのだが、それはこの時に大人がどう動いたかというところも起点となっていく
アベルたちのパパはいじめを辞めさせるために介入するものの、子ども目線だと「働いていない大人」なので、彼の言動には説得力も重みもない
子どもにとってのアイデンティティの構成要素の一つには「親の社会的地位」というものが付随し、それ以外にも「母親が美人である」とか、「兄弟が優秀である」というものもアイデンティティの中に組み込まれがちだったりする
それらが本人の評価とは無縁であることは理解できても、ヒエラルキーを作る要因になっているので、それを理解していない大人が首を突っ込むとロクなことにはならない
それは、アベルたちがパパを誇りに思えないのと同じで、それゆえにパパの介入は自分にとって不利益であることを感じている
頼るべき家族の質というものがそれに拍車をかけるので、今回のケースの遠因として、父親の無職状態というものが影響しているのは否めないのだろう
いずれにせよ、視界を重要視する映画で、ほとんどのショットがノラの目の高さで再現されている
見えている部分と見えていない部分があるのだが、ノラ自身はきちんと見るべきものを捉えている
問題は、見ないと決めたものでも見てしまうようになり、それが思考の全てを支配してしまうことだろう
これは大人でも起こり得るものだが、ノラの年齢だと「それが思考のすべて」になってしまう
そうした先にある感情の起伏というものがとんでもない行動を生み出すのだが、ノラの場合は「アベルと一緒にいて、彼を取り戻したい」というものだったので、それが最後の行動になっていた
その先に何があるかを考えることもないのだが、おそらくは自分とアベルの世界を守るためだけに動いていくと思うので、その原因を除去する方向に動くのかもしれない
もっとも、その前に大人がノラとアベルを排除すると思うので、このような対応をしている限り、同じようなことは続いていくのかな、と感じた
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