「この作品が配信のみなんて狂ってる」陪審員2番 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
この作品が配信のみなんて狂ってる
前半はニコラス・ホルト演じる主人公ケンプの表情を見ているだけで面白かった。この男はどうするのだろうかと。
徐々に自分が真犯人である事実を認識していく中で、一見すると無表情の奥にあるゆらぎが見え隠れする。
後半になると「十二人の怒れる男」のような様相になっていく。しかし「十二人の〜」と決定的に違うのは今の被告人が無実であることが観ている私たちとケンプには分かっていることだ。
言葉にはしないケンプの心情が揺れているのが分かる。ケンプにとってはどう転んだとしても覚悟が必要なのだ。その覚悟が中々決まらない心が遠くに見える面白さがある。
「十二人の怒れる男」は信念を持って正しい行いをしようとする男の物語だ。アメリカの正義などと言われたりもする。
中身をもっと正しく認識するならば、出自や環境、地位や人種、過去によって、その人物を決めつけるなというものだ。
本作でもそれと全く同じことが展開される。被告人は過去の行いによって有罪にされようとしているのである。
ここで重要になるのが主人公ケンプである。今の被告人が過去のことによって有罪になるのであるならば、ケンプもまたあの席に立てば有罪になるであろうことが確定していることだ。
確かに彼は被害者を轢いたが、酒は呑んでおらず、大雨により視界も悪かった。衝突のあと車を降り当たったものの確認もしている。
アメリカの裁判制度の場合、無罪となる可能性も高い。しかしそれは、しっかりした生活があり過去も綺麗な場合である。
「十二人の怒れる男」は1957年の作品だ。
その時から今までアメリカは何も変わっていないのだ。いや「人間」は、というのが正しい。
見た目が怪しいから、昔悪いことをしたから、それだけで「今」を罪人扱いしてしまう。
頭で考えず、イメージだけで物事を判断してしまう危うさは常にどこにでも存在する。
イーストウッド監督の最後の作品かもと言われている本作だが、ニコラス・ホルトの表情と脚本の功績が大きいように思う。
とても面白かった。