劇場公開日 2025年2月14日

「情報を追う者もまた、情報に踊らされる。」セプテンバー5 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5情報を追う者もまた、情報に踊らされる。

2025年2月20日
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鑑賞方法:映画館

興奮

知的

1972年9月5日。ミュンヘンオリンピック開催中のイスラエル選手団の選手村を、パレスチナ武装組織「黒い九月」が襲撃。選手団とコーチを人質に立て籠もる。事件を中継したのは、ABC放送局のスポーツ部だった。事件発生から終結までの1日を、テレビクルーの視点からスリリングに描く。
監督・脚本にティム・フェールバウム。その他脚本にモーリッツ・ビンダー、アレックス・デヴィッド。

1972年ミュンヘンオリンピック。アメリカのABCチャンネル放送局(American Broadcasting Companies,Inc.)は、独自の機材を駆使した衛生中継による生中継を謳い文句に、スポーツ部のメンバーが日々中継を行なっていた。仮設スタジオは選手村のすぐ近くに設置され、目と鼻の先には世界各国のアスリートが宿泊する宿舎が見える。
9月5日、早朝。新米プロデューサーのジェフリー(ジョン・マガロ)が出社し、先輩のマーヴィン(ベン・チャップリン)やスポーツ局トップのルーン(ピーター・サースガード)らと共に、その日の枠で放送する競技の打ち合わせをしていた。放送の指揮を執る調整室のクーラーは故障し、ケーブルのトラブルでモニターも不調を来していた。そんな中、ケーブル修理に励む職員のジャック(ジヌディーヌ・スアレム)と、新しく入ったドイツ語通訳のマリアンネ(レオニー・ベネシュ)は、イスラエル選手団の宿舎から発せられた複数回の銃声を耳にする。
マリアンネが現地警察に確認すると、同様の通報が複数寄せられており、調査中だという。情報によると、パレスチナ武装組織「黒い九月」が選手村の宿舎を襲撃。選手団とコーチを人質に立て籠もっている様子。
かつてない特ダネを前に、ジェフリーは仮眠中のマーヴィンを起こし、ルーンを呼び戻す。本部からは本国の報道部に明け渡すよう要請が入るが、ルーンはこれを拒否し、現地に居る自分達が中継すべきだと前代未聞のスポーツ部のクルーによる世界初のテロリズムの生中継が行われる事になる。

ストーリーのほとんどが調整室内で展開されるクルー達の奔走で占められている。テロリズムの経緯は、調整室のモニターに映される当時の映像と、様々な場所から仕入れてくる不確かな情報のみ。何が真実か、何を報道すべきか?クーラーの故障した蒸し暑い調整室の中で、皆が額に脂汗を浮かべ、刻一刻と変化する現状に対処しながら行われる世紀の生中継。むせ返るような蒸し暑さまで伝わってくるかのような緊迫感溢れる様子に、こちらも緊張感を抱く。
また、情報を得る為、職員の身体にフィルムを巻き付け、偽のIDを胸に下げて現場に送り出す様子や、警察の巡回を掻い潜って選手村のバルコニーに潜伏する職員が居たりと、手段を選ばない様子には、緊張感と共に一種の嫌悪感も抱く。

警察が宿舎の電源を落とさなかったという落ち度もあるが、テロリストもABC放送によって現場の警察の情報を把握してしまう“平等に与えられる情報”という皮肉が効く。そして、そうしてなりふり構わず中継し続けた事が、最悪の結果を生む事に繋がるのだ。

【情報を追う者もまた、情報に踊らされる。真実を見極めたければ、冷静になれ。】
情報の速さがものを言うというのは、現代にも通じる問題である。しかし、情報源はどこからなのか。その情報が本当に確かなものなのか。それを見極めるのは、あくまで人なのである。

クライマックスでジェフリーは、空軍基地に搬送された人質が「全員無事に解放された」という不確かな情報を世界に伝えるべきかを問われる。マーヴィンは確証が得られるまで待つよう言うが、業界内の競争の激しさを知るルーンは“噂では”と付け足した上で放送するよう促す。ジェフリーもまた、新米である自分に訪れたチャンスを前に、「ドイツの公共放送局が発表したから」と、マーヴィンとの対立も厭わずに放送を決意する。直後に調整室に入った電報により、その情報が確かなようだと確認した一同は、長い1日が終わった事に安堵し、祝杯を上げる。

しかし、喜びつつもマーヴィンは自局のスタジオでインタビューに答えるドイツの報道官の発言に違和感を覚える。彼の発言は、何処か希望的観測によるものだからだ。直後、「まだ空港で銃撃戦が続いている」という情報が入る。マーヴィンは知り合いであるドイツの広報に連絡を取り、「人質が全員死亡した」という確定情報を得る。世界に向けて放たれた世紀の誤報は修正され、最悪の結果を報じて放送は終了する。

放送終了後、ジェフリーは自らの欲で先走り、誤った情報を世界に発信した罪悪感に苦しむ。しかし、ルーンに局長室に呼び出された彼は、「今日はよくやった。明日、追悼番組を放送するから指揮を執れ」と告げられる。痛ましい犠牲を前にして、尚もルーン達は翌日の放送について考え、悲劇性を強調するよう翌朝空港に赴いて、逃走用のヘリの残骸を映そうなどと話している。

ラスト、ジェフリーは調整室の電源を落とし、ボードに貼られた人質達の写真の方を振り返る。やるせなさに苦悶の表情を浮かべ、調整室を後にする。暗い駐車場で1人静かに車に乗り込む彼の横顔のアップで、本作は幕を閉じる。
全世界で9億人が視聴した初のテロリズムの生中継は、最悪の形で幕を閉じた。皮肉にもそれは、人質が無事だと放送した直後、電話越しで本部のボスがルーンに言った「放送史に残る」中継となって…。

限られた空間内で展開される緊迫のテロ中継に釘付けにされた。ロレンツ・ダンゲルによる音楽が素晴らしく、緊迫感溢れる本作を更に盛り上げてくれている。情報の信憑性については、現代でも度々取り沙汰される問題だ。本作で描かれている事は、決して単なる過去の出来事ではない。強烈な切れ味を持って、今日を生きる我々に突き刺さる。

画質の良さが強調される昨今において、本作はまるで“70年代の作品をリマスターして流している”かのような、綺麗過ぎないザラついた映像に仕上げている。アップで展開される登場人物達こそ綺麗に映されてはいるが、ふと背景に目を向けると、ザラついた質感を感じ取る事が出来るのだ。個人的に、この選択には大いに拍手を送りたい。綺麗過ぎない映像は、当時の映像との親和性が高く、相乗効果を持ってこちらの没入感を抜群に高めてくれるからだ。

惜しむらくは、本作のパンフレットが制作されていない事。こういった作品にこそ、内容の充実したパンフレットは必要不可欠だと思うのだが。

緋里阿 純