「「真実」という言葉の功罪」セプテンバー5 M.Nさんの映画レビュー(感想・評価)
「真実」という言葉の功罪
例えば、ベトナム戦争は、初めてテレビでリアルタイムで見る戦争だった、という話を聞きます。その時に流れていた、アメリカ側(所謂「西側」)の野蛮で凄惨な行為がブラウン管をとおしてお茶の間に流れた結果、アメリカのみならず世界中で反戦デモが起き、アメリカ国民のベトナム戦争への意欲はみるみるうちに減退していったと言います。それが、結果的にベトナム戦争からアメリカ軍を撤退させたとも言います。わたしは、その時代に生まれてもいないので、実際のところは知りません。
真実というものは、とかく、「真実のようなもの」ほど「真実」と言われるように思います。そしてもう一つ、真実を求めることは「正義」だと思われています。特に、ジャーナリズムにおいて、真実の追求こそが職業倫理の頂点であるかのように信奉されてきたのだろうか、と思うのです。
ですが、果たしてその考えは合っているのだろうか、とこの作品を見て考えました。
1972年9月5日。ミュンヘンオリンピックに湧くドイツは、第2次大戦での苦い傷跡からの復興(精神的な意味でも)を込めて、平和の象徴とされるスポーツの祭典に国の威信をかけていました。その気持ちがどれほどのものか、世界中に見てもらうためにと用意したのは、選手宿舎も見渡せる膨大な数のカメラでした。
一方、世界中の関心が向く平和の祭典で自分たちの気持ちを知らせようとしていた者たちが、その時、暴力という手段でもって命をかけた行為に及んだのでした。
わたしが、この事件を知ったのは、かの有名なスティーブン・スピルバーグ監督作品である「ミュンヘン」を子供の頃に鑑賞した時です。まさか、オリンピックという平和の祭典の真っただ中でテロが起きていたなんて、と思ったことを覚えています。また、その頃は第2次大戦後から今も終わりなく続いている中東情勢(イスラエルとパレスチナを中心とした情勢)のことなど知る由もなかったため、何の話をしているのかまったく分からず、スピルバーグ監督がユダヤの血を引く方ということなど知りもしませんでした。それから十数年の時を経て、再びこの事件について映画をとおして知ることができるという事実は、端的に知的好奇心が擽られました。
ところで、最近まであったイスラエル(というのかネタニヤフ首相の個人的怨嗟なのかは分かりかねますが)の徹底的ともいえるほどのパレスチナ自治区への容赦なき攻撃が、実際にどのようなものだったのか、そもそも今回の攻撃は、ハマスによる強襲に激怒したイスラエルによる報復だったと思っているのですが、それらについて、結局わたしは真実を知りません。わたしは、そこにいないからです。
このように、わたしにとってテレビの見せる所謂「真実」とは、「真実のようなもの」でしかなく、わたしにとっての「真実」を引き寄せるための道具のような感覚があります。それは、「真実」という言葉に危険な中毒的作用が含まれるからだと考えるからです。つまり、「真実」という言葉は時として「正義」の象徴のように祭り上げられるのですが、その実、真実を知ることで傷付くこともあるし、余計にパニックになることもあるという副作用が大きいということ、何よりも危険だなと思うことは、そもそも人間という欲求の権化のような存在である我々にとって、「真実を知る」という行為は、一種の支配欲に通ずる快感を引き起こす麻薬的作用があると考えるからです。そして、その欲求を逆手にとって情報を金に換えた(あくまで個人的見解ですが)のが、メディアという職種だと思っています。時には嘘を振りまきメディア王(「市民ケーン」のモデルになった人のことです。)になった者もいれば、上記の通り真実を振りまくことで戦争を終結に導こうとした者もいました。なので、情報を取り扱う職業人には高い倫理観が必要なのだと思います。
この映画では、その倫理観について考える場面が幾つもあります。テロ事件が勃発した際に、テレビの放映権を巡って幹部が争う場面、嘘を吐いてまで進入禁止区域にカメラを入れようとする場面、その中で、警察の突入をテレビに映してしまい、その後、突入が中止になってしまう場面(テレビに突入作戦の模様が映ってしまったせいなのかどうかは明瞭ではなく、あくまで主人公が自責の念に駆られるだけではありますが。)、空港での銃撃がどうなったのか不明瞭な時に主人公がどう決断したのか、その結果がどのようなものだったのか、など。
確かに、「真実」はその時、その場にしかなかったのだと思います。オリンピックの試合よりも命のやり取りに気持ちが傾くのは、一人の人間として当然の欲求だとも思います。正直、色々書いているわたしも、この映画は単純にテレビのお仕事ものとしてすごく見応えがありましたし、一種のスパイサスペンスのような臨場感すら終始画面の中に感じられて、ホラーでもないのに無意識で座席を握りしめてしまいました。どうして、主人公が「カット」と言うだけでこんなに緊張するのかと思うほどのスリルを感じられ、当時の(というより常に報道の最前線にあるであろう)緊迫感を少しだけ体感することができました。
しかし、一方でそのようなスリルやスパイアクションのような快感こそが、当時の現場に流れていた「真実を知っていち早く伝える」という免罪符(個人的に言えばですが)の裏に隠されていた一種の「罪」のように思えてなりませんでした。
結果的に人質にされたイスラエルのオリンピアンは全員死亡、警官も1名死に、パレスチナ人(恐らくテロリストかと思われますが)も死亡し、事件は「終わり」を迎えます。あまりに悲劇的な終幕に肩を落とす主人公ですが、その翌日には追悼のための番組を仕切るよう上司に言われ、車に乗り込んだところで、この映画は唐突に終わります。まるで、一連の報道番組の終了とも被るような呆気ない幕切れでした。
この映画では、敢えてなのかも知れませんが、当時の中東情勢やPLO(パレスチナ解放機構)、ブラックセプテンバーについて、詳細に語られることはありませんでした。もしかすると、あまりその辺の情報を流さないことで政治的恣意性を排除しようとしたのかも知れません。また、あまりバックミュージックも流れず、現場に流れる音で当時の緊迫感を出していました。だからこそなのか、わたしは上記のような面白さとともに、わたし自身も受け入れていた罪を、最悪な最後でもって罪悪感というかたちで思い知ることになったのです。もしかすると、主人公たち報道陣も、自分たちが行っている行為の裏にある「特ダネをどこよりも最速で流してヒーローになる」というような功名心に対する罪悪感を、人質の救出というかたちでなかったことにしたかったのかも知れませんし、だからこそ、最悪な結果を受け容れられずにいたのかも知れません。つまり、自分たちの行為を正当化できるだけの「奇跡」や「勝利」が欲しかったかも知れないということです。答えは分かりません。そこにいた人たちにしか分からないのです。
現代、上記のとおり中東情勢は変わらず、血で血を洗うような憎しみの連鎖が続いています。家族を殺された子供が、大人になって敵側を殺す悪循環から、抜けられそうにありません。1972年9月5日に起こったことにどのような意味があったのか、当時テレビをとおしてその様子を見ていたおよそ9億人の視聴者たちだけでなく、この映画を観たわたしも、考えなければならないのかも知れません。
メディアの倫理観については、最近の日本でも、事件の被害者に対する対応から始まり、加害者側への悪質で恣意的な報道の仕方、その割に自身の不正を正そうとしない上層部の在り方や誤情報の発信についても取り沙汰されていますが、一方でそれをSNSで無遠慮に叩く市井による、一種数の暴力とも思える動きも多く見受けられ、わたし個人としては、どうにも「真実を追求する」とか「真実こそ正義」という風潮が、そもそも人間の在り方として正しいのか分からなくなってきたため、このような感想を書かせていただきました。
色々書いてきましたが、この映画だけを取り上げてみれば、上記で書いたとおり所謂「お仕事もの」としても十分に面白く、このような大事件を、ほぼスタジオの中だけで完結させているという点でワンシチュエーションものとしても想像力を駆り立てられるエンターテインメントになっていると思います(事件の被害者にとっては何とも言えないとは思いますし、上記したとおり、このような気持ちになること自体が危険なサインなのかも知れませんが)。個人的には、もう少しエモーショナルでも良かったかな、と思ったため、☆一つの半分を除かせていただきました。