「前代未聞の報道で浮き彫りになる情報拡散のリスク」セプテンバー5 ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
前代未聞の報道で浮き彫りになる情報拡散のリスク
現場で起きていることを世界に伝えるという使命感と、スクープをものにしたいという欲求のもと、テレビマンたちは前代未聞のテロ中継映像を全世界に発信した。情報の拡散に潜むリスキーな側面に気づかないまま……
1972年のこの事件がはらむ報道のあり方への痛烈な教訓、国家間の対立にかかる問題は、2025年の今も全く色褪せていない。そのことに暗澹たる気持ちになる。
冒頭、オリンピック競技を中継するカメラのスピーディーなスイッチングがライブ感を印象付ける。特別な祭典を中継するABCクルーたちの晴れやかな緊張感が伝わってくる。しかしそれは、朝まだき選手村に響いた銃声によって一変する。
最前線の采配を任されたジェフリー・メイソンは、居合わせたクルーでの役割の割り付け、現場近くへのスタジオ機材の運び出し、放送枠の確保や警察無線の傍受など、未経験の状況ながらも的確に対応してゆく。メイソンは当時32歳(現在84歳で存命であり、本作についてのインタビューに答えている)。他のクルーも、20代から30代が中心だったという。
テロリストの不穏な動きと刻々と変わりゆく状況が、オープニングの競技中継のようなハイテンポで描き出され、最後まで緊張感が途切れない。
事件の前からその緊張感のそこかしこに、観客の気持ちを波立たせる要素が織り込まれる。ドイツ人通訳のマリアンネに見てとれる、第二次大戦でのドイツの罪とトラウマ。さりげなく言及されるアメリカとキューバの関係。時折他のクルーとは異なるスタンスが垣間見えるアラブ系クルーの言動。
描かれる事件はパレスチナとイスラエルの間の火種によるものだが、国家間の争いは最終的に悲劇を生むだけという点ではどこも同じなのだと言われているような気持ちになった。
そして、この物語が投げかけるもうひとつの重い問いは、やはりメディアのあり方だ。
テレビ放送の歴史自体がまだ浅い当時、報道部門のクルーでさえ経験がないであろうテロの生中継をスポーツ部門の若手クルーたちがやる。彼らには目の前の出来事を伝えるというテレビマンとしての使命があり、現場を任されたメイソンはその使命に対して最善の行動を取った。
クルーが選手の扮装をして選手村に潜り込んだり、犠牲者が出たのに人質解放のスクープ(結果的に誤りだったが)をものにして乾杯したりと、現代の感覚で見れば違和感を覚える場面もあったが、未来人の視点で事後諸葛亮のような批判をする気にはとてもなれない。今と比べると技術的にかなり限られた当時の情報収集手段、彼らが唐突に放り込まれた前代未聞の状況。現代のような細やかな(ある意味神経質なまでの)人権意識が醸成されていない半世紀前の時代の空気。同じ時代の同じ立場にもし私が立たされたなら、と考えただけで足がすくむ。
だが、中継によりテロリストに警察の動きが筒抜けになっていた点については、前例のない事態にぶっつけで臨んだ結果の痛恨の失態と言える。
報道の自由や知る権利はしばしば行き過ぎと見なされて批判を受けるが、本質的には守られるべきものだ。それらと背中合わせになったリスクを回避することの難しさをミュンヘンの悲劇は示し、その後の報道のあり方を考える上での貴重な礎になっているのではないだろうか。
90分続く緊張感に晒された後に最悪の結末を突きつけられ、エンドロールを見ながら言いようのない無力感に襲われた。だがそれは、良作を観たという手応えでもあった。ほとんどスタジオ内のみで完結する物語だが、単調さを微塵も感じないまま駆け抜けた実感があった。
本作のメッセージはそのまま、現代のメディアにも鋭く刺さる。加えて、50年前とは違いSNSというツールの魔力に振り回される市井の人間ひとりひとりも(もちろん私自身を含めて)そのメッセージを自分ごととして耳を傾けなければならない、という気持ちにもさせられた。
その発信で誰かの心身がおびやかされないか、その情報は裏取りをしたものなのか。情報は誰かを救うこともあれば、時に誰かの命をも奪い得るのだ。
わー、あの退屈なエンディングロールを我慢させてしまってすみません!あのインタビューも作品の一部だと思うのに、そこは手を抜かずに紹介していただきたかったです😩。
ぜひ公式サイトで全編流してほしいです!✊
共感ありがとうございました。この年の5月にテルアビブ空港乱射事件がありパレスチナ過激派の凶行はエスカレートの一途だったのですね。五輪で何らかの行動をとることは当然予想できた。でも選手村の警戒はゆるゆるで事件後の対応も本作の通りでした。
まさか平和の祭典でテロを行う者はいないだろうという油断が全関係者にあったのだと今になっては思います。
>メイソンは当時32歳(現在84歳で存命であり、本作についてのインタビューに答えている)
この情報、ありがたかったです。パンフが作られてなく、とても残念だったので、探してみたいと思います。
また、レビュー、しみじみと頷きながら拝読させていただきました。