「放送は二度と同じではなくなった。」セプテンバー5 Paula Smithyさんの映画レビュー(感想・評価)
放送は二度と同じではなくなった。
まだテロが始まっていない時、ABCスポーツのチーフプロデューサーは、競技での勝者ではなく敗者を先に写すように指示をする... これはモチーフとしての意味なのか?
そしてその事の回答のメタファーがドイツ人臨時通訳に対しての言葉なのかもしれない。この話は、ドイツのチーフプロデューサーが会見で述べた言葉に対して放送責任者ベーダーに彼女が説明しているシーンより。
Gipa: He's saying that the games are an opportunity to
welcome the world to a new Germany to move on
from the past.
Bader: Yeah, sure.
Gipa: I mean it's what we all hope for, but as can we do,
but move on. Try to be better.
Bader: Are your parents still around?
Gipa: Yes.
Bader: Let me guess. They didn't know either, right?
Gipa: But I'm not them.
Bader: No, no, you're, you're not. I'm sorry.
I'm Marvin Bader.
当時、駆け出しで未熟だったプロデューサー・ジェフリー・メイソンはプッシュ式の電話の幕開けと共に世界的テロリズム、開催国の躍進と不安定さ、CBSとの衛星放送権の争いと衝突、そこには、ただ単に自尊心を含んだ報道の取り組み方を映像化している... それは以下のセリフより
テロ行為が目の前で起こっている緊張が張り詰めているスポーツクルーに電話口でニュース班からこんな事を言われている。
No offense guys, but you're Sports. You're in way over
your head. News should take over.
ABCスポーツの社長ルーン・アーリッジがそれに対して、クルーにゲキを飛ばす(※彼は後にABCニュースの社長に就任している。)
Okay, look, I know this isn't a responsibility that everyone wants.
But does it make more sense to have a talking head from News
take over from halfway across the fuc*ing world? Our job is to tell
the stories of these individuals, whose lives are at stake, 100 yards
away. And our job is really straightforward. We put the camera in
the right place, and we follow the story as it unfolds in real time.
News can tell us what it all meant after it's over. And I'm sure they're
gonna try. But this is our story. And we're keeping it.
もちろん、この前半のセリフで見ている側にも緊張感が伝わってくる。来るが、この作品『セプテンバー5』が今この瞬間にぞっとするような衝撃をもたらしているとは思わないし、言えない。それはサブ・コントロール・ルームというワンシチュエーションであり、時代が半世紀前の事でもあり、現実味がなく、そこには隔たりが第四の壁のように強く意識させ悲しいことに常に存在するイスラエルとパレスチナの緊張をアナログ的に思い出させるものと個人的には捉えているために... だから決してそれに対する過剰な反応は起きやしない。
2年前のハマスの襲撃が起こったとき、この映画はポストプロダクション中だったそうで、いずれにせよ、この映画のメインプロットは襲撃やそれに対する治安部隊の対応や制圧、あるいは襲撃が何故、起こった理由などを表してはいない。つまり『セプテンバー5』は主に、襲撃がどのように報道されたかについて焦点を当てている。
Bader: Black September, they know the whole world
is watching. If- I'm saying if- they kill a hostage
on live television, whose story is it? Is it ours, or
is it theirs?
ドキュメンタリー風映画が「真実の映画」との差とはどのようなものなのか?
アーカイブス映像と撮影された映像をシームレスに繋ぎ合わせることで映画から虚構上のトリックを排除し インタビューや録音の肉声などを多用するのことで、作り手の存在を意識させるとともに、ダイナミズムを感じさせないカメラワーク、編集技術 、当時のプッシュ式電話や持ち運びの不便なカメラなどの小道具などと組み合わせて、プレッシャーにさらされているニュースルームの混乱を強調するはずが、 16 mm スタイル映像が落ち着いて見えさえする。従来のニュースルームのドラマのような言葉による派手さは排除され、その慎重なセットアップによるペース配分が、リアルタイムでの意思決定の断片化と不確実性が強調されたことで、より真実味が生み出されそうに見えたが...しかしながら
機械のボタンのように、意識的または無意識的に、道徳や感情を簡単にオン・オフにすることもできないのは、そのような事が映画に限らず芸術において非政治的産物ではないと言い切れる夢遊病者が抱く幻想なのかもしれない。だから本作のような映画はこうした概念が真実味を見失ったために空虚化を招いている。
先ほど登場した Gipa こと雑用係のような通訳のマリアンヌがこのように語っている。
No... Innocent people died in Germany again. We failed.
Germany failed.
(※ "again" この言葉が何時の事を指しているのかで作品の重みが変わってくる。この言葉を発したマリアンヌを演じた女優さんは非常に評価が高い。)
3大ネットワーク、全盛時代。視聴率や宣伝効果というお下劣な勝者がいるとするなら... 多くの方が犠牲になっているのを知ったうえで、 その事を踏まえて不謹慎でもいえるのは、勝者は彼らパレスチナ武装組織「黒い九月」なのかもしれない!?