消滅世界のレビュー・感想・評価
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勝手に消滅してろ!コノヤロー!
下手なホラーより余っ程ホラーでしたよ。
エデンと云う名の楽園を築きし傲慢なヒトへのアンチテーゼ。
なんか…財団Xだっただろ、アイツら🤣
少なくとも私と云う人間には異様に映る彼らの常識も、
彼らからすれば私の常識こそ異常なのだろう。
妊娠の9割が人工授精となった社会に於いて、夫婦間の肉体関係…つまりはS〇Xは、最早…近親相〇と揶揄され忌み嫌われる程…忌避された世界。
その価値観社会での恋愛対象は、2次元キャラクターか、滾る性欲を発散させたい時は、夫婦公認でカジュアルに“外に恋人を作る”事が推奨・容認され、恋人相手に腰を振ると…
いやぁ~狂ってるねぇ〜😘
ほら!アイツ…えっと、オープンマリッジ大好きヒカルさんなんて狂喜乱舞でしょうよ😁
つか、ツイフェミさんも待ちに待った望んだ世界になるんじゃない?
クツの人👠とか桃色バス🚍️…笛🪈にドットとか…今作観て大層悦びそう。
家庭内ではピーはしないけど、外でするならOKとか、
性欲を拒絶する割りに…種の保存を盾にして、ヤるこたヤリたいその矛盾!
正に【人間】だぁねぇ😁
その昔…🔞作品に
【S〇Xのハードルが異常に低い世界】って中々にブッ飛んだ世界観のAVあったけど、
今作では露悪的な性的描写が無いだけで…
【】を哲学的に、社会的に描くと今作みたいになるじゃね?って正直思う。
気味悪く気色悪く薄ら寒い…でも、冷たすぎてカルト熱い作品でした、私には。
社会風刺は刺さるが、SFが空転
村田沙耶香さんの小説は、痛烈な風刺として刺さってくる部分と、SF的な思考実験が暴走してしまう部分があり、後者の部分は苦手。この映画も予想はしていたけれど暴走が目立つように感じた。
映画で描かれるのは性が家庭から追放されてしまった社会。夫婦間の性行為はタブーで、子どもを産むなら人工授精。逆に婚姻外の関係は推奨される。
確かに近代的な倫理では、性は夫婦の寝室だけに限定されてきたわけで、それをひっくり返すのは面白い。
でもそれなら人工授精で「自分たちの子」にこだわる必要あるのか、とも思ってしまう。もっと徹底するなら、夫婦それぞれが「子作り会社」に出勤して、家庭外で子育てする社会になるかもね。
実際、後半に描かれる「エデン」は、親子関係を問わず集団で子どもをつくる実験社会。主人公の夫婦は、そこで敢えて「自分たちの子」を産もうとするのだが、男性も妊娠・出産できるという設定が加わり、主人公の女性は取り残されていく。
これだけ勝手な設定が積み重なると何でもありでという感じで興味が持続しない。むしろ地味な場面に風刺が効いている。夫婦が着衣のまま風呂に入るのは現実のセックスレスを思わせて痛々しい(家族同士で性行為なんてできない、でも触れ合いたいという気持ち)。
そして「エデン」で「子どもちゃん」たちを可愛がる場面。「好きなだけ可愛がって家に帰るなら、猫カフェと同じ」というつぶやき。「子育ての社会化」がはらむ矛盾を突いている。
作者にとっては敢えて完成度を犠牲にしてでも詰め込みたいテーマなのだろうか。のどに刺さった小骨のよう思い出すことがある作品だと思う。
そして、この主人公に生命力を吹き込める蒔田彩珠さんには感嘆。5年前の「朝が来る」と重なる命や血の物語であり、今作も将来の名作に至る途中経過かもしれない。
イヴ
この世界観というか設定は面白そうとは思ったけれど、
実際作品を観てみると、自分の価値観にはあわない。
この倫理観崩壊的な世界はきつい。
生物として洗脳でどうにかなるものではないだろう。
狂っているとは思うが、こういう思想があってもおかしくはないと思った。
唯一まとも(洗脳されていない)なのは、雨音(蒔田彩珠)の母親なのだが、
実は雨音もまともなんだけど、この世界の常識との狭間で苦しんでいるように見えた。
ラストで雨音がイヴになる話だったんだなということがわかるが、
その伏線というかヒントは多々あったかと思う。
しかし、そこに至るまでが長いし、この世界をずっと見せられるのは苦痛であった。
たぶん蒔田彩珠じゃなければ観ていない。
蒔田彩珠は素晴らしい俳優だが、主演時の作品に恵まれていないと思う。
来年は飛躍してほしい。
エレクトラとエディプスの父は居たか
他のレビュアーさんの評をまったく読まずに映画館へ足を運び、鑑賞後もやはりそのまま書いてます。
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蒔田彩珠の主演ということで観に来た。
何とか最後まで観終わった、というのが正直な感想。
約2時間、一種独特の不穏さを醸し続けていたのは、原作が創り上げた世界線か。
ラストは、雨音(演: 蒔田)が母殺しのエレクトラになることでもあり(実際に殺してはいないが)、同時に母として「子どもちゃん」と交わり、彼をエディプスに創り上げているように思える。
ところが、そこにはエレクトラが愛すべき父親も、あるいはエディプスが殺すべき父親もいない。無味無臭の愛憎劇の舞台だ。
しかし性愛も恋も存在しない世界にエレクトラやエディプスの存在理由さえ思いつかない。原作者の村田沙耶香は、その瞳の中に何を見ていたのだろうか。
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映像のトーンとしては、ずっと暗い。
明るい陽の光のもとでのショットですら、役者の表情が曖昧なほど薄暗く暗鬱である。
そういう画が好きな監督なのかもしれないし、原作からインスパイアされているのかもしれない。ここは鑑賞者の好みが分かれるところだろう。
残念ながら私の口には合わなかった。
蒔田彩珠は清原果耶と同じ23歳。2人とも極めて芸達者で、しかもけっこうクセのある役が多いとも思えるが、清原果耶ほど出演は多くない。
もっともっと役に恵まれても良いと思うのだが、本人や事務所側の意向があるのだろうか。是枝裕和監督の秘蔵っ子と言われていたのに。
自分を正常だと思っている我々はこの世界にいちばん適した狂い方で発狂している? 「異性愛主義」や「家族主義」はこの世界でもっとも広汎に共有されている狂気の一種?
村田沙耶香の小説が映画化されるのはこれが初めてだそうです。確かに映画化が難しそうな作風で、この『消滅世界』も読者がひとりで小説と向き合って研ぎ澄まされた感性、知性とともに読んでゆかないと置いてきぼりを食らってしまう感があります。映画館という空間の中で人が演じたものを再生して観るという方式に、この原作小説が耐えられるかどうか、といった映画というメディアの可能性までも考慮しなければならない作品だと思っていました(ちょっと大げさですが)。
で、まあ大丈夫でした。ちゃんとした劇映画にはなっています(興行として成功するかどうかという点はさておき)。先行しがちな言葉や概念をどう映像化してゆくかというミッションはかなり難しいと思っていましたが、そこそこ健闘しているとは思います。
ここでは、近未来と思われる日本で、人工授精で子供を産むことが定着し、夫婦間の性行為が「近親相姦」としてタブー視される世界が描かれます。私は原作を読んだとき、この「近親相姦」という言葉の使い方が秀逸だなあと感服しました。なるほど「結婚」して夫婦となり、ひとつの「家族」のメンバーとなればもはや「近親者」か、夫婦はお互いの精子と卵子を人工授精で結合させて新たな近親者を作るのか、「近親相姦」ではない性行為は結婚の外側に存在していて相手が二次元アイドルの場合だってあるのかと、この「近親相姦」というパワーワードで「愛」だの「性」だの「結婚」だのの既存の概念を一気に吹き飛ばしています。まあでも、これは小説だからできるワザという気もして、映画でこの「近親相姦」の使い方に遭遇すると、観客は腑に落ちなかったり、居心地の悪さを感じたりするでしょうね。小説のほうでは、主人公の雨音(あまね。映画では成人してからの彼女は蒔田彩珠が演じています)は小学生時代に「正しい」性の知識を身につけようと図書館で調べ、「ヒトは科学的な交尾によって繁殖する唯一の動物である」から始まる、その世界で正しいとされる「性」や「恋愛」や「生殖」に関する内容に、事典を通じて触れることになります。このあたりで読者は小説内世界での概念や言葉の定義に馴染むことができ、安心して小説を読み進めることができますが、映画はそういったことを表現するのに不向きな感じもして、不思議な世界観に戸惑う観客が多かったのではないかと思われます。
映画が多少なりとも本領を発揮し始めるのは後半の実験都市「楽園」(“エデン”と読む。もともとエデンとはアダムとイブがいた楽園ですね。彼らは禁断の果実を食べてそこから追放になりましたが)が描かれるあたりからだと思います。エデンは千葉に作られた実験都市で希望者からなるコミュニティでメンバーの中の指定された人が人工授精に参加でき、誰が生物学的な父母がわからない形で子供を出産します。生まれた子供たちは皆「子供ちゃん」と呼ばれ、従来の「家族方式」ではない「エデン方式」という方法でコミュニティ全体で育てられます。コミュニティのメンバーは男女とも「おかあさん」と呼ばれ「子供ちゃん」の面倒をみることになります。主人公の雨音は以前いた場所で夫だった朔(演: 柳俊太郎)と婚姻関係を解消して(実験都市の規則に触れるので)エデンに参加します。雨音も朔も人工授精参加がかなうのですが、雨音は流産してしまいます。ところが、なんと朔は「人工子宮」を使って妊娠し、世界初の男性による出産者になるのです。それも裏でこっそりと手を回し、朔の精子と雨音の卵子で人工授精した赤ちゃんでしたので、彼は腹を痛めて正真正銘の自分の子供を出産したことになります。
こういったお話が白を基調とした画面で淡々と語られます(なんだかカルト宗教の宣伝フィルムみたい、とか言って、私、そういうのを観たことないのですが)。雨音も朔もだんだんとエデン方式に馴染んでゆきます。例外は雨音の母親(演: 霧島れいか)で、そもそも彼女は人工授精などではなく旧来の方式で雨音を身ごもり、出産しているのですが、エデン方式を否定し、あなたは洗脳されていると雨音に言います。それに対して雨音はその世界にいちばん適した狂い方で発狂するのが楽だと答えます。
そんなこんなで不思議な作品です。まあ、ディストピアを描いた映画なんでしょうけど(私は少し気味が悪かったです)、人によってはこれこそがユートピアだと言うかもしれません。私は専門家ではないのでわかりませんが、そもそも人類が「一夫一妻単婚小家族」で家族経営しながら親が子育てをしているという方式はそんなに長い歴史を持っていないように思われ、家族というものも時代によって変容していくかもしれないな、とは感じました。
考えさせられる部分の多い、興味深い内容だと思いましたが、小説だけでもよかったかな。あと、この内容なら、映画より演劇向きかなとも思いました。
素晴らしい演技、最後の30分は鳥肌もの
『消滅世界』(2025)
川村誠監督が言うように、これは紛れもない「思考実験」だ。
人工授精が当たり前になり、夫婦間の性行為が「近親相姦」として最大のタブーとされる世界。
性愛の対象は家庭外の恋人か二次元キャラクターのみ――突拍子もないと思うかもしれない。
だが、栁俊太郎が演じる夫・朔の言葉「家族とは人生における絶対的なパートナーであり味方」は、驚くほど理想的で、誰も異を唱えられない。
家族は刺激ではなく、ただひたすらに安定であるべきだ、という価値観だ。
現実では家族関係は絶対的な安定とは言えないこともあり、それは性愛が家庭内に持ち込まれること(性愛の延長線上に家族があること)により引き起こされることもある。
だとすれば、朔が求める家族の姿(性愛は家庭外として家族には絶対的な安定を求める)は「ありえないディストピア」ではなく、AIやロボット技術が進化した先に十分に成立しうる一つの理想郷なのではないか。
雨音(蒔田彩珠)と朔は、それぞれ外部の恋人に傷つけられた末に「エデン」へ移住する。
そこには二人と子供しかおらず、もう誰も自分たちを傷つけないはずだった。
しかし朔は最後に、雨音にとっての「家族の絆」を自ら断ち切る。
そして自らの信じる世界が崩壊し、狂った雨音(母親を動物扱いし、自らを進化した存在だと自認した)が最後に選んだ行為――原作の言葉を借りれば「セックスを作る」こと――は、一周回って今の私たちが当たり前にやっていることそのものだという皮肉。
蒔田彩珠の演技は今年観たどの映画よりも胸が締めつけられ、圧倒された。
常識を根底からひっくり返されたい人、
普通の映画では物足りなくなった人に全力で薦めたい。
原作を読んでいなくても面白い。でも読んだらラストシーンの仕掛けにハマりもっと面白い。
カルト系実験映画のような雰囲気だが、疲れ目にはキツいビジュアルでしたね
2025.12.4 アップリンク京都
2025年の日本映画(115分、G)
原作は村田沙耶香の同名小説
生殖と性愛が分離された世界に生きる一人の女性を描いた社会風刺風ファンタジー映画
監督&脚本は川村誠
物語の舞台は、日本のとある都市
この世界では、夫婦は子を産んで育てるものの、性交はせずに、人工授精によって授かる世界となっていた
夫婦は夫婦以外の人間と性交することを認められ、それぞれは恋人を持って、日常を生きていた
そんな世界にて、両親の性交によって生まれた雨音(幼少期:落井実結子、成人期:蒔田彩珠)は、その特異性が周囲にバレて、いじめの対象になっていた
母・雫(霧島れいか)は「雨音に真っ当に育ってほしい」という願いを持っていたが、夫には去られてしまい、雨音と二人で暮らすことになっていた
高校生になった雨音は、人と同じように二次元のキャラ「ラピス」に恋をするようになり、同級生の水内(結木流星)も同じ想いを抱いていた
二人はラピスに捧げるために交わり、その関係はそこで潰えていた
その後、大人になった雨音は、正信(清水尚弥)と結婚することになったが、彼は禁忌である性交を求めてきてしまう
雨音はそれに抵抗して相手を殴り、そのまま離婚することになった
そんな折、雨音は医師になった水内と再会し、彼が男性でも妊娠できるような研究をしていると聞かされる
そして、高校時代からの友人・樹里(常松祐里)の勧めもあって、マッチングアプリに登録することになった
雨音はそこで出会った朔(栁俊太郎)と夫婦となり、樹里の夫・水人(宮田健太郎)と恋人関係になる
そして朔は、深雪(杉浦りょう)と恋人関係になり、それぞれの人生は少しずつ進んでいくのである
映画は、近未来っぽい設定となっていて、雨音と朔は「実験都市エデン」へと居を移すことになった
そこは男性も妊娠をする研究が行われていて、そこで生まれた子どもたちは、そこにいる大人全員が親として接するという
子どもたちも彼らを親だと思って接してきて、雨音は戸惑いを見せるものの、朔は受け入れていく
そんな世界観は難しくはないものの、現実的とは感じられず、全く違う星に生きている人々を見ているような錯覚を覚えていく
少子化ゆえに起こったシステマチックな改革であると思うものの、人類のほとんどがその方向に向かっていけるのかは謎のように思える
物語は、母親と同じように生きようとする雨音が描かれていく
朔との夫婦関係の中で妊娠をするものの、樹里の事故の影響で流産してしまう
そこからは、朔が産んだ子どもの世話をすることになるのだが、不特定多数の子どもの精神的な親でもあり続けなければならない
言わば、この世界線における境界にいるのが雨音たちであり、二世たちは当たり前のように受け継いでいく
子どもは世界の宝であり、それを育てるのが親の役割となっているのだが、産み育てた子どもと同じように愛せるのかはわからない
そもそも、育てることに愛が必要なのかもわからず、精神的な支えとなれば良いという責任があった
ラストでは、そういった概念の世界で生まれた青年(岩田奏)が登場し、雨音の概念にふれるという結末になっていた
それがどのような世界線を生み出すのかはわからないが、反抗の芽は潰えることなく、静かに芽吹いていくのかな、と感じた
いずれにせよ、ほとんどが白の世界で展開し、それは無垢な無地に概念を植え付けるという意味合いがあるのだろう
その中で赤に塗れる雫と雨音は異質の存在であり、それが白に染まるのかどうかを見ていく映画だったのだと思う
ほとんどのキャラが同じような格好をしていて、画面がやたら暗いので、疲れ目には優しくない映画だったように思う
このような世界が訪れるのかはわからないが、ある種の思考実験としては面白いのかな、と感じた
PERFECT BLUE
夫婦間での性交渉がタブーとなった世界のお話という所が気になり鑑賞。
恋愛の形が多種多様なものになっている現代だからこそ描けるものだなーと思いましたし、二次元への恋というのも含まれていそうで、同性愛とはまた違うものが感じれるのではないかと。
世界観自体はとても興味深いものだったんですが、価値観のズレとかそういう問題ではなく、映画として淡々と進んでしまっているのでうまいことのめり込めず、展開もざっくりと行間空きまくりなのでツッコミどころも多くあってカオスな作品でした。
夫婦間での性交渉はダメで、外で作る恋人との性交渉はOKという浮気や不倫はという世界観がます掴めず、夫婦で興奮してしまったら瓶で思いっきりぶん殴ってみたり、キャラクターに好意を抱くもの同士でセックスしてみて体を捧げるだなんだ言ってるんですが、結局セックスはしちゃってるし、言葉は時代が進むごとに意味が変わるというセリフも「近親相姦」って兄妹や親と子とやるのがタブーなのであって、血は繋がっていない赤の他人である夫婦もその対象になるの?という疑問がどうしても拭えなかったです。
主人公と夫が施設に入る流れもイマイチ掴みきれず、セックスが嫌だからといって2人で入って、人工授精で産まれた子供をなんとかして自分たちの手で育てようね〜とか色々ぶつかりまくっていて大パニックでした。
そこから人工授精して夫側の子供が産まれたりもするんですが、出産のシーンとかが無いので苦労とか痛みとかが全く伝わってこずの虚無さが残念でした。
変に夫婦間の仲が悪くなる展開も、この施設で悪くなるならもう無理じゃんって呆れてしまいました。
途中で親友も施設に入る流れがあるのですが、階段際での会話中に子供達がワーっとお母さーんと言って走ってきたのに焦って階段から転落してそのまま死んだところで目がパキッと開きました。
この展開で死ぬことあるんだ…と思いましたし、子供たちも大人たちもそんなに悪びれず、ここで死んでしまった命は灰にして供養しようという流れはもうカルトな宗教そのものでドン引きでした。
地味に見知らぬ子供たちがお母さーんって飛び込んでくるの中々のホラーです。
自分の子供を見たいどすえ〜って感じで子供を見せにいく流れはまぁまだ良いんですが、脳裏に色々駆け巡ったのちに顔に血が飛び散った描写も謎すぎて、子供が死んだのか、それとも比喩なのか、何事もなく次の場面に飛ぶので置いてけぼりです。
ラストの展開は既存の性交渉の形を超え、新たな人類の始まり、アダムとイブをリブートしてやろうという衝撃的な展開という見せ方だったとは思うんですが、それまでの展開が中々にクレイジーだったので、一応は親子判定であっても血縁的には赤の他人なんだからセックスしたって良いんじゃない?となってしまってインパクトは取るに足らずでした。
14年後に時空が飛んだ設定も自分の子供とのセックスをするためだけの時空ぶっ飛びで、施設にいる子供が初っ端からある程度年齢ばらけているのも納得いかないですし、結局この施設は違法にならないのか?という答えにも繋がってなくてモヤモヤしました。
小説という形で読むと面白いのかな〜とは思いましたが、映画となるとツギハギだらけで首を傾げてしまいました。
原作には興味が湧いたので見てみます。
鑑賞日 12/1
鑑賞時間 12:40〜14:45
最適な狂い方
一つの“if”を元に世界を描く作品は好きなのだが、最後まで設定が腑に落ちなかった。
性行為自体がタブーなら、リスクを避けるという意味で理解はできる。
けど、“外の恋人”とはOKってむしろリスク増えてるし、そこに区別を付ける理由が分からん。
“夫婦になる前のパートナー”と“恋人”は別物?
友人との同居と大差ないし、結婚の意義がより失われて少子化が加速しそう。
性欲という本能が失われきれてない世界では無理筋すぎるし、案の定エラーは起きる。
この世界になる現実味がなさすぎて入り込めない。
中盤で“エデン”に移るが、「家族は続けるし子供は渡さない」なら、何故行く?
服やら建物やら全部白い理由も雰囲気だけだよね。
樹里の死因はシステム無関係だし、朔や雨音の心理の変遷もうまく掴めず。
その後もいくつか展開するが、前提がグラグラの思考実験をダラダラ見せられても…
室内のみならず屋外すら妙に暗く、登場人物もどこかダウナーで、ディストピア感が満載。
このテの作品で最初から「これは間違った世界ですよ」という雰囲気では、解釈を狭めるだけでは。
世界の状況はまったく描かれず、最後は千葉だけの話とスケールが小さすぎるのも難点。
正しさなんてその時の“常識”に左右される、というのは共感します。
しかし、正しさが無かったとしてもあの社会だけは正しくないと断言できる。
本来の意味での近親相姦オチだけはシニカルで好み。
究極の思考実験で、あなたは正常を信じられるか
村田沙耶香さんの禁断の世界観をスクリーンに叩きつけた『消滅世界』は、常識を反転させ、愛の定義を問い直す、まさに究極の思考実験でした。
本作が描くのは、「究極の少子化対策」として社会システムが再構築された世界。結婚は人工授精で子をなすための契約に過ぎず、驚くべきことに夫婦間の性交渉は「近親相姦」として最も汚らわしい禁忌とされています。その一方で、家の外での自由な恋愛は完全に許可されているのです。この倒錯した秩序こそ、藤子・F・不二雄先生のSF短編を彷彿とさせる、身の毛もよだつ「狂った正常」でした。
そんな世界で、主人公は恋に落ちます。相手は、社会制度上は恋愛しても何の問題もないはずの「親友の夫」。しかし、その感情は単なる自由恋愛の枠に収まらない、抗いがたいものでした。「皮膚の中を好きになるのが恋」——その本能的な気づきは、制度化された恋愛観との間で彼女を激しく引き裂きます。あらゆる恋愛が許される世界で、たった一つの「本物」を感じてしまった皮肉。便利なシステムを手に入れれば入れるほど足りなくなる人間としての実感。私たちもまた、本当は僕らはもう失っているのかもしれないのです。
そして物語の後半、この世界の歪みがたどり着く究極の場所が、その姿を現します。 それが、政府が作り、そしてこの新しい価値観を信じる者たちが自ら望んで入るという「実験都市エデン」でした。
エデンは強制収容所ではなく、理想を信じる人々がたどり着く“聖域”です。建築家が語る「建物をデザインするって、世界を作ってるって感じ」という言葉は、まさにこの理想郷の創造を意味していました。
しかし、その聖域の光景は、私たちの想像を絶するものでした。 子どもたちは、そこにいる男女の区別なく、すべての大人に向かって「おかあさん!」と屈託なく呼びかけます。さらに、そこでは男性もまた、特別な処置によって「出産」するという、生物学の根底すら覆す現実が、理想の実現として受け入れられていたのです。
性別すらも解体され、誰もが「おかあさん」という機能になることを自ら望む世界。それは、人間が自ら進んで入る、完璧に管理された「マウスを入れる箱」そのものでした。まさに、楽園を追われたのではなく、自らすべてを差し出すことで完成した、倒錯の理想郷――「アダムとイブの逆」の物語が、そこにありました。
前半で描かれた倒錯した恋愛観、そして後半で明かされるエデンの真実。バラバラに見えた価値観が、「ここの世界は全て繋がってる」という恐ろしい線で結ばれた時、観客は言葉を失うでしょう。
この映画は、ディストピアは強制されるだけではない、と教えてくれます。私たちが自ら選び取ってしまう未来の恐怖を描いた、今年最大の問題作です。
原作をそのまま映像化
原作・村田沙耶香で主演・蒔田彩珠なら観にいくしかないの。
これ、原作読まずに観るのは無理だね。
夫婦のセックスは『近親相姦』とみなされて忌避される世界を描いてるんだけど、まあ、そんな世界が存在するのは無理だよね。そこを、無理だと思わせない村田沙耶香の筆力がすごいんだけど、映像でそこを伝えるのはさすがに無理。
この話、「そうはいっても、最後は本能に抗えないってことになるんだよね」と思って読んでると、『不気味な発狂』を受け入れてその世界の正常なヒトになって終わるんだよね。
そのへんが「すげえな」って思うんだけど、それは観るだけでは難しいね。
恒松祐里が親友役で出てたね。それで実験都市で亡くなるよね。あそこ原作にはなかった気がするんだけど。その前後、ちょっとウトウトしてたから、見逃したのかも知れない。違ってたら教えて。
文章の全てを映像で描くことはできないものの、基本は、原作ママで映像化してるね。
「《消滅世界》を映像化するなら、こんな風にやるだろうな」っていう想像の範囲内でやってくる。
いまは、映像化にあたって原作を変更することが忌避されるから、こういうのがいいんだろうな。
でも、原作をそのまま移すだけなら、原作読むよね。
村田沙耶香は、小説でないと描けないところも描いてるはずなんだよ。
それを映画に移すなら、映画でなければ描けないことを描いて欲しいね。
概念と言葉遊び
家庭内での性交渉が異常とされ、恋愛は外で若しくは2次元とが正常とされ、子供は人工受精が正とされる近未来の話。
性欲とかそれに伴う快楽とか、妊娠出産とかが無く、子供は全て人工体外受精の体外培養とかで出来る世界ならまだわからなくもないけれど、これで言ったら結婚せずに恋人として交尾をするのは正常な訳で、そこで子供が出来たらどうなんの?それが約1割?となんだか良くわからないし、設定が無理スジ過ぎ。
その癖家事や子育ては女性がするもの、子供を育てる人は「お母さん」?なんだそれ?
ちなみに言葉の意味が変わっているみたいなフォローはしていたけれど、夫婦は血縁の無い家族だから近親相姦にはなりませんよ。
正常と異常がなんちゃらと言いたいのかも知れないけれど、それにしちゃあ理屈が通っていなくて残念。
「エデンに行こうと思ってる」への「チバに?」のわざわざの言い換えは吹き出しそうになった。
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