ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師のレビュー・感想・評価
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なぜ英語?
ヒトラー暗殺未遂の顛末を描いたサスペンスではなく、ボンヘッファーという殉教者の信念を貫いたものがたり。
最初のうちは、アメリカに留学してジャズに触れ、黒人の差別を目の当たりにした主人公だけがまとも、他のドイツ人はみなおかしいみたいな感じで違和感を覚えたが、途中からは教会や兵士の中でさえナチスに抵抗した者がいたので少し安心?した。それにしてもあの時代のドイツには生まれたくなかったとつくづく思う。
キリスト教徒ではないが終盤にパンを分け与えるところは少し感動した。
平和で豊かなこの国では、キリスト教があまり浸透しないのがわかる気がする。
言葉に重みのある内容なのに何故英語なのか、会話だけでなく壁の落書きやメモまで。
ドイツ兵士がソノバビッチ!って叫ぶの、なんだかなぁ。
not to speak is to speak, not to act is to actとか良い台詞がたくさんあったから脚本かノベライズがあれば読みたい。あ、英語や。
この時代の、ドイツの、ボンヘッファーだけではないが、国家の未来のために力になったであろう人たちが終戦間際に命を絶たれたのは実に悔やまれる。もう少し戦争が早く終わっていれば、そして戦争さえなければ。
今現在も失われている命がある。
この時代のこの国で暮らしていることに感謝しなければならない。
邦画によくあるエンディングの台無しソング🎵
ジャズとゴスペルだけでよかったのに。
関係ないけど、
サッチモ本人が出てるダニー・ケイの「5つの銅貨」は泣ける。
ボンヘッファー理解には全く役に立たない
ボンヘッファーの伝記映画ではなく、ボンヘッファーの人生におけるいくつかの出来事から想像を膨らませた完全なるフィクション映画でした。
それならそれでもいいともいえますが、この映画にはそれゆえに相当問題を抱えていますので記します。
まず背景として。ここ何年かアメリカではトランプ支持者がボンヘッファーの言葉を「悪用」し、自らの暴力行為などを正当化しようとする動きがあり、国際ボンヘッファー協会や遺族らがこれに対する警鐘を鳴らす声明等を発表しています。
この映画もまたそうした流れの中でかつがれ、主演俳優らがそうした動きへの反対声明を発表しています。
つまりまず、この映画が受容される状況が非常に問題含みなのですが、この映画は内容にも問題があります。
試写で観た知り合いのボンヘッファー研究関係者が、みなさん難色を示しており、戦々恐々と観に行き、難色を示していたわけがよくわかりました。
この映画はドラマチックに、わかりやすく、そしてボンヘッファーではなく製作陣のしたい話に沿わせるために、ボンヘッファーの人生史、人となり、なにより思想を理解するにあたって、誤解を招くような表現、あるいは「嘘」ともいえるレベルのものが大量に含まれています。
ドキュメンタリー映画ではないのですから、面白くするためにある程度脚色をするだとか、話を「盛る」だとかが全て悪いとは言いません。
ただこの映画は、ボンヘッファーを描きたいように描くために、ボンヘッファーの人生を理解するにあたって重要な人物や出来事、著作、情報を大量にオミットし、逆に映画自身が描きたかった(伝記には記されていないような)オリジナルの会話やシーンなどを盛り込んでおり、その結果、時系列などのおかしさだけに限らず、ボンヘッファーや周辺の人間の行動や発言がかなりおかしいことになっています。
何より、ボンヘッファーの反ナチ抵抗運動とそこに関連する神学的思索について不正確な理解・知識のもと進行していきます。
ボンヘッファーにそれなりに詳しい人間として、正直観ていて大変苦痛でした。おそらくボンヘッファーに詳しい人に限らず、ナチス・ドイツやドイツキリスト教史に詳しい人も苦痛なのではないでしょうか。
しかもその割に知識がないとなぜこのような流れになるのかわからないところがしばしばあるように思います。
細かい描写の不正確さは枚挙にいとまがありませんので全てを指摘することはしません。
アメリカ製作だからかアメリカ留学時代の経験による影響を強く描きたいというもくろみによってアメリカとの関係が多分に「盛られて」いるのももうこの際おいておきます。ナチス台頭直後にヒトラー批判がこめられたラジオ講演をおこなったことも全く言及されてませんがもうそれもおいといて。ボンヘッファーがいかに検閲逃れに様々な表現を駆使していたのかも気にしていないようだったのもおいておいて。あぁ、獄中での描写もおかしかったですね。(あまりにありすぎる!)
しかしボンヘッファーにとっても、当時のキリスト教界にとっても、非常に重要な人物であったカール・バルトが影も形もないのはなぜ?
ボンヘッファーは21歳で博士号を授与され、24歳で大学教授資格を認められた、若き天才「神学者」であったわけですが、ボンヘッファーの研究についてやドイツの大学関連のことを完全にオミットしているのはなぜ?
婚約者マリーアが全く出てこないのはなぜ?
こうした重要な出来事や背景情報、周辺の神学者・哲学者は、若く熱く反骨精神に満ちた孤独な抵抗者像に押し込めるために完全に切り捨てられています。それゆえにボンヘッファーの思想についてもろくに描かれないという仕様になっているわけです。
盛るのも、尺の都合もあるでしょうし登場人物を減らすのも一概に悪いとは言いませんが、描きたいボンヘッファー像に沿わせているだけなので、伝記とも著作とも乖離した行動や発言、演出を繰り返すのは流石に問題でしょう。
ボンヘッファーの人生を、親友でありボンヘッファー研究の第一人者であるエーバハルト・ベートゲ(非常に重要な人物であるにもかかわらず一瞬の登場でしたね)は、第一期神学者・第二期キリスト者・第三期同時代人と区分しました。この区分をどこまで念頭に置くべきかは後世の研究上議論がないでもありませんが、ボンヘッファー研究としては非常に重要な区分であり、つまりボンヘッファーの関心や立場は時代によって様々であったのです。この映画は描きたいボンヘッファー像に押し込めるために、そうした時代的変遷も完全に無視しています。(後期に初めて確立する思索を若きボンヘッファーに喋らせているところもあったなぁ)
ひとり若く反骨精神のある若者を描きたかったので、「告白教会」の名前がでてきて牧師研修所のことはでてきても、「告白教会」という組織がどういうものであったのか、どういう人たちであったのかは全く描かないところに全てがあらわれています。そうした他者との交わりや組織の中での役割を描いてしまうと、描きたい像からズレますものね。でもボンヘッファーは非常に他者との交わりも重視した人でしたよ。
ニーメラーの描写も本当に雑。
そもそもナチス・ドイツとキリスト教との関わりについての描写自体が大層雑ですね。
ボンヘッファーの反ナチ抵抗運動に関しては、草稿集『倫理』で示された「罪の引き受け」が非常に重要なわけですが、そこらへんもオミットです。神学や学問の話は多分製作陣はあまりしたくないから。
そもそもどういう著作を書いていたのかはほぼオミット。
ボンヘッファーは暗殺や暴力行為を全面的に肯定した人でもないし、敵を愛するとか愛さないとか、そういう話より踏み込んだところを問題にしていたわけですが、そこらへんを描く気もありませんでしたね。
行動、あるいは行為はボンヘッファーにとってはもちろん重要でしたが、とにかく何かしろということではなく、ボンヘッファーは考えに考え自身のキリスト教倫理を構築したわけですが、製作陣はそういうことにも関心がないみたいですね。
書いているとあまりに長くなってしまうのでそろそろ切り上げますが、題の通り、この映画はボンヘッファーの人生史、人となり、思想を理解するにあたっては全く役に立ちません。
このヒトラー暗殺は、何分の誤算だったのか?
ナチス関連の映画は何作も観てきたけれど、ユダヤ人迫害に関するものや、戦後の残党を描いたものしか観たことなかったかも。
同じドイツ人も対象だったことは知らなかった。
どうして教会が標的になったのか不思議だったけど、なるほどイエス・キリストがユダヤ人だったからなのか。
そしてヒトラーを暗殺しようとしていたのは、家具職人だけではなかったのですね。
またしても何かを察して暗殺を免れた、ヒトラーの悪運たるや。
ボンヘッファーのことは初めて知ったけど、一手間違えれば命が危ない、綱渡りのような極限状態でも我が身を顧みず、人々を救おうと奮闘する姿にハラハラした。
アメリカのホテルで経験した、人種差別も関係しているのかな?
絞首台で空を仰ぐ表情が、聖職者と呼ぶに相応しい人生を象徴するかのようなシーンだった。
現在と過去が行き来するので、はじめは少し混乱したけど、アメリカ時代のジャズシーンも素晴らしかったし、今まで観たことのなかった題材が新鮮で良かった。
しかしながら、よくもまあ毎度毎度、憎たらしい風貌のナチス親衛隊役を見つけてくるものだ。
今回の面長シャクレも腹立つ。
“神に喜ばれる生き方とはどういうことか!?”
日本のクリスチャンでない方がこの映画を観ると、宗教色が強く押し出されたチープな映画だと批判的に感じる方がいたり、単にヒトラーや戦争の悲惨さは伝わったとしても、作者が観てる側に何を訴えかけたいのかの真理が余り伝わらないかもしれないが、これはクリスチャンには是非観て頂きたい作品の1つであり、今の日本は当時のドイツのような宗教的迫害はないにせよ、今を生きるクリスチャンにとって、“神に喜ばれる生き方とはどういうことか!?”を考えさせられる良い作品だと思う!
ゲシュタポの指示は何だった?
WW2下、神より上のヒトラーとナチスを阻止する為に、手を汚そうとしたキリスト信者の話。
ゲシュタポに捕まって、移送、収容されるボンヘッファーが、幼少期の兄との思い出や米国の神学校への留学のことなどから回想する体で展開して行く。
ドイツに帰り、ナチスとヒトラーの台頭を知り、阻止するべく牧師として行動する姿や、葛藤する姿をみせていくけれど、ちょっと信仰に寄り過ぎな感じが。
ヒトラーも、えっとこれヒトラーですよね?なクオリティだし。
とはいえ、この方の存在は知らなかったし、正に暗躍しスパイやレジスタントの様に振る舞う様や覚悟はなかなか良かったけれど、エンドロール中の名言テロップラッシュで、またしても宗教プロパガンダを感じてしまった。
非人道的行いと宗教について考えさせられました。
「あなたの十字架はドイツにある」と諭したアメリカの牧師と
「神は神自身を与える」と言った英国の司教の違い。
それは人種差別が我が事であるか否かの違いだということが鑑賞後消化できなかった部分を反芻するうち閃きました。
若き日にアメリカで神学を学んだことが、多くのドイツ告白教会の牧師たちの選択とは異なるボンヘッファー牧師の決断に影響していたのだろうと。
戦争、人種差別といった非人道的行いと宗教との関わりについて深く考えさせられた作品でした。
宗教者のみならず一般の人々においても、心に神を持つということは「真の人間」になる難行の手助けになるのかもしれません。
翻って我国の宗教者たちは、古くは被差別部落、近代の朝鮮人差別についてどのような行動を起こしてきたのかを知りたくなりました。
心に神を持たぬ自分自身が、この先起こり得る破壊とそこからの再生にどのように立ち向かえるのだろうかという疑問を含めて。
更には、心に神を持っていたはずのアメリカの白人宗教者が人種差別に対してどのように行動したのかを。
また、浅学にして全く知らなかった、ヒトラーによるドイツの聖書書き換えの史実は衝撃でした。
エンドロールでスタッフロールの前にに流れる映像はおそらくボンヘッファーが残した名言です。
全ての言葉に日本語字幕が付いているわけではないので、最初は分かりませんでしたが、英語で記されているので気になる方は注意して見てみてください。
実は土曜日の最終回を鑑賞したのですが、疲れで意識が飛びすぎて全く理解できませんでした。
けれど、これはキチンと観なければいけない作品だとの直感に導かれ、勿体ないと思いつつ日曜日の初回を観直しました。
自分の選択に拍手です。
私はキリスト教者ではありませんが神のお導きかもしれません。
ボンヘッファー(映画の記憶2025/11/8)
勝手に聖書の中身を追加しちゃダメよ
そーゆーことがあったのかぁって、そんな感じで見てました。娯楽映画ではないですね。
ナチスやヒットラーとかの映画は、ドイツ全体が悪みたいなのが多いけど、抵抗しているドイツ人がいて…彼の信念や葛藤が伝わってなかなか面白かった。
ヒトラー暗殺といえば
あの爆破の暗殺未遂事件だろうと思っていたので、あれ?とはなった
そして、この人のことはよく知らなかったため、事前にある程度知っておいたほうがよいかと調べた内容だと、強制収容所に入れられ、他の関係者とともに裁判にかけられ、全員、翌日に絞首刑に処されたとあったため、あれ?とはなった
恐らく史実に忠実な映画化ではなく、ボンヘッファーという人物に着目し、史実をベースに作られた物語なのかなと受け止めた
処刑の日は史実どおり、1945年4月9日
映画を観る前、最初にその日付を見た時、やりきれない思いにかられた
あと少し、あと少しで、ドイツは敗北し、ヒトラーは自決する
あと少しでよかったのに、と
実際に映画を観たら、やはり、この人がなんとか生き延びていたら、その後どんな人生を生きただろうと思わずにはいられなかった
信仰と信念に生きた人
自分を犠牲にすることをいとわない人
何度か彼は自分の運命を変えるチャンスを得ていた
それでも彼は祖国に戻り、間違えた方向に進み続ける国と、命を奪われる人々を救おうとした
これは恐らくフィクションのセリフなのだろうけれど、
最後のチャンスを前に
「I'm ready to meet my destiny
覚悟はできている
自分の運命を受け入れる」
と穏やかな笑みで語る
残した言葉ではないかもしれないが、恐らく彼は本当にそういう人だったのだろう
やはり、彼が、戦後のドイツをどう生きたのか、見てみたかった
熱量を感じた。
20世紀を代表する神学者「ボンヘッファー」の反ナチス活動を描いた作品です。
実在のドイツ人牧師「ボンヘッファー」は、20世紀を代表する「神学者」として有名で、多くの書簡、論文等を残していますが、彼のもう一つの側面である「反ナチス活動」の方に特化して脚色し、彼の生涯を描いた感動的な映画作品に仕上がっています。
・20世紀のドイツでナチスの政治活動が活発になり、ドイツ教会の中でヒトラーをあたかも「神」のように崇める教職者(牧師たち)があらわれる中、「教会は聖域であり、権力の場ではない」と反発し、ボンヘッファーはヒトラーを神の「敵」として反ナチス活動を行っていきます。その中で、反ナチス活動としてのスパイ活動や、ヒトラー暗殺計画(といっても正犯ではなく、共犯あるいは間接的な関わりと言う感じ)に関わっていきます。
・牧師として、暗殺(未遂)に関わるという「罪」を犯す事が、結果として反ナチスという「正義」につながるという、一見矛盾する行為と思えますが、ユダヤ人がナチスによって迫害されている「事実」を把握している彼にとっては、それは「愛」であり、「正義」であったと確信していたのだと思います。また神(あるいは教会)の上に人(ヒトラー)を据える事は「偶像崇拝」であり、どうしてもできないという信念だったという事でしょう。
・ボンヘッファーの「悪の前の沈黙は悪であり、神の前に罪である」という言葉に、彼の姿勢が現れています。
・映画の中では礼拝の場面や、教職者相互の会話などで「教会用語」「聖書の聖句」が多数登場しますが、映画ストーリーはしっかりと追えますので、十分に鑑賞する事ができます。
・時系列が前後する場面や、ボンヘッファーが「ドイツ」だけでなく「アメリカ」「イギリス」に滞在しますので、そこは混同しないようにする必要があります。
・反ナチスをテーマとする映画は「白バラの祈り」「名もなき生涯」「ワルキューレ」など多数ありますが、この映画もその領域に属する新たな映画作品であると思います。
・公開初日11月7日に鑑賞しましたが、その時点で上映している映画館は少ない状況です。公開拡大を強く望みます。
今 多くの人に観てほしい映画
ナチスが選挙で何人か当選した時、「えっ こんな人達が?来年の選挙で落とせばいいね」という会話が居間で交わされていました。でも人々の不満と熱狂を餌に来年の選挙では3倍になってゆくのです。
怖さがあります。そうやって人々を次第に身動きできないようにしてゆく。人間は第二次世界大戦から何も学んでいないのかもしれないと思ってしまう昨今です。
是非今多くの人に観てほしいです。
誤りを誤りだと指摘できる強さ
ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師
第2次大戦終結後80年の年にこの映画が公開されることに、見えざる天の意図を感じる。このナチス支配下のドイツで極めて稀有な生涯をたどった牧師の生涯が、良く描かれている。とりわけ一(いち)クリスチャンとしてうれしかったのは、神学研究のためアメリカの神学校で学んでいた彼が、黒人牧師から初めて「イエスに出会ったか」と問われ、答えに窮したところから、真の意味でBorn again魂の新生を経験したクリスチャンになるところがきちんと描かれていたこと。恐らく彼は、その時から彼の内に生きている主キリストから、ドイツ国民への究極の愛の行動として、直接「悪の排除」に加担するよう促されたのでは、と思った。また彼が、7人のユダヤ人をスイスに脱出させるために大金を用意し、その出どころがもとで暗殺計画連座が発覚したわけだが、あのヒトラーを神と崇拝し、その狂気の支配のもとに600万のユダヤ人を殺害したナチスドイツにも、シンドラーや、ボンヘッファーのような人種偏見を持たず、彼らを命がけで救おうとした愛と勇気ある一握りの人々がいたことににも心を打たれた。世界的反ユダヤ主義思想が蔓延している現代、今こそ日本のクリスチャンもこの国の安寧のために行動による愛を示す時だと思わされた。
今こそ観るべき映画
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