ドライブ・イン・マンハッタンのレビュー・感想・評価
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大人の小洒落た会話を期待していたけど・・
うーん・・。と思っちゃう内容でした。タクシードライバーと客の立場で考えると会話の取っ掛かりに無理があるような・・。大人の小洒落た会話を期待していたけど、かなり引くような内容もあったし、私がお客の立場だったらモメるかも・・エンディングは何のどんでん返しもなく終わっちゃうし・・実はドライバーが父だったなんぞ想像していたが・・。お昼に観ましたが、この映画はレイトショー向き。夜のドライブ、マンハッタンの夜景を味わいましょう。感想は低予算の映画だなぁ~と、ショーン・ペンも年取ったなぁ~で終わっちゃいました。
ドライブ・イン・マンハッタン(映画の記憶2025/2/14)
想像してたものより、割と下衆な話ではあったが、内容としてはすばらしい作品。これは映画館で観たほうが作品として没入できる。本題はDaddioだった。もともとはドラマ映画だったみたいね。
下衆な恋愛話をうまく話に引き込んでいくストーリー。
恋愛内容はほとんどの方は共感せんだろうが、マンハッタンには彼女と同じ境遇の方が以外と存在するのだろうか?そんな話でも引き込まれるのは会話の駆け引きがうまいからだろうね。
ダコタ・ジョンソンの演技は映画寄りに自然な雰囲気あったな。タクシーの中でほぼアップみたいなものだから演技が細かくやらんと無言シーンとかで心情を伝えるのが難しかったはず。表情を細かく変えてたのはすごいと思う。
ショーン・ペンは映画映えするわ。あんな感じのドライバーはアメリカにいそう。
(個人的評価6点/10点中)
しっとりとした大人向けの作品
タクシーの車内という密室で、ドライバーと客という見ず知らずの者どうしがずっと話をしているだけの、あたかも舞台の会話劇を観ているかのような作品だ。
他の誰かに知られることがない、ある意味、心理的安全性の担保された環境で知り合いには話しづらい自分の気持ちを吐露していくのは、あたかもカウンセリングを受けているかのようだ。
連絡先が登録された極々限られた相手としかやり取りをしなくなって、話し相手の範囲がどんどん狭くなってしまっている現代だからこそ、知らない人に問わず語りのように話をすることで得られるカタルシスの大きさは計り知れないのかも知れない。
原題の Daddio は、男性に対する呼びかけの、ちょっと時代がかった表現で、現代なら dude とか guy などで表現されるだろう。でも、作品を観終わると、監督・脚本のクリスティ・ホールがなぜこのことばをあえて選んだのか分かるような気がする。また、彼女が昨年公開された『ふたりで終わらせる/IT ENDS WITH US』の脚本を担当していたことを鑑賞後に知って、なるほど、女性の痛みに寄り添える監督な訳だ、と納得した。
ちなみに、聞き手は立派なシュリンク(精神科医)である必要なんかない。さぁ、もしあなたが自分でダメダメだと思っていても、若い世代に対して(初めはきっとウザがられるだろうけど)その失敗から学んだ人生経験を活かすチャンスだよ!
それにしても、ショーン・ペン、ふけたよなぁ……。でも、いい年齢の重ね方をしているように思える。
生涯に一度限りの会話という「ありえない」体験が二人の「生き方」を変えるーー「人生」さえも
ものすごく素晴らしい作品である。
(ネタバレは敢えて避けておりますので、ご安心ください)
先ず、脚本が秀逸だ。
ワン・シチュエーションでありながら多面的に「人間」を掘り下げるので、観る者はタクシー車内という密封空間に閉じ込めれることにすら気づくことなく、作品に没入していく。
一見、タクシー運転手と客が、こんなに密接かつ親身に話すのは「ありえない」と感じるだろう。
だが、ショーン・ペンの完全に足る完璧の演技で、ごく自然に「ありえない」会話にストーリーの流れの中で違和感を覚えなくなっていく。
ショーン・ペンは凄い。 声とセリフと表情! 更にちょっとした仕草でキャラクターを「人間」として成立させる。
ダコタ・ジョンソンも、女性ならではの控えめな表情(男を警戒)や言葉遣いや表情から、巧みにショーンの会話に惹き込まれていくのを見事に表現していく。
会話ばかりで「演劇」かと見る前は先入観があったが、まさに「映画」だった。「映画」でなければ、あそこまでの繊細な表情や微かな仕草、、、などを観客に見せるのは不可能だ。
見事な「脚本」と傑出した「人間」がコラボレーションを織り成す稀有な作品だ。
恐怖でしかない
驚愕の高額チップ
表情・目の動き・会話だけで魅せる圧倒的なショーン・ペンの演技がすごい!
いやあ、凄かったです!タクシー内の2人だけの会話劇。運転手役のショーン・ペン の目と表情と台詞のみで表現する演技が本当に素晴らしい。回想シーンも挟まず会話だけで魅了します。やっぱり流石のショーン・ペン!
そしてお客役の美しいダコタ・ジョンソン。問題を抱えた女性を上手く演じてました。
2人の演技だけで魅せる(見せる)100分間。
ワンシチュエーション映画で舞台のお芝居を見ているようだと思ったら舞台監督をされてる女性監督さんでした。
ショーン・ペンはアカデミー賞主演男優賞を取った『ミルク』以来17年間いい脚本に巡り会えなくてもうこのまま辞めてもいいかなと思っていたがこの脚本に出会って久々にやる気になったそう。見事な演技を披露しています。是非とも映画館で見て欲しいです
人生経験が物語る
名言の嵐よ。
名言の嵐だった。
謎な美女&千里眼のドライバーの夜のドライブは、密室の中で話が徐々に深まって行く。一期一会、二度と会わない仲だからこそ心の中まで見せられる不思議。
世の中は全て0か1かでできている。
自分の選択に任されているのだ。
名前も年齢も秘密の、賢くて美しい彼女の言葉にも、なかなか胸が締め付けられるものが多かった。
男女に関わらず(大体年齢の問題は女子の方が割に合わない責苦を負うことが多い気もするけど。。)年齢によって立場の理解のされ方が違うというのも本当。
対して良い人なのか下品な奴なのかよくわからない彼。でも言葉に彼の背負ってきた人生が見え隠れして、見た目に反して重みがある感じ。
二人は出会ったばかりなのに、彼女は彼に見せたくない内面をズカズカ踏み込まれて辟易しつつも、心の奥底に隠そうとしていた本当の自分をなんか突かれてる感じもして、嫌悪感もあるけど気がつくとポロリと本音を漏らしてしまう。
わかる。
いる。
こういう人。笑
彼の言葉は、彼女には今この瞬間には完全には届かなかったとしても、いつかふと降りてきて納得がいく結果にもなることだろう。
なぜなら彼の言葉には彼女への優しい思いやりの愛があったもの。
ショーン・ペンの映画にハズレはないなーと思いながら観ました。
人間臭いって言葉が出てきたけど、私にとってのショーン・ペンはまさにそれだわ。
悩める女子たちにおすすめ。
人を選びそうだがおススメ枠(オンライン試写会の類は全てネタバレ扱い)
今年26本目(合計1,568本目/今月(2025年1月度)26本目)。
結局、初動が遅かった割には月単位で見ると30本はいきそう(32本までは確定している)んですよね。
さて、オンライン試写会に招いていただいたfansvoiceさまには感謝を。
女性の主人公(タクシー運転手の男性を主人公に取る向きもありましょうが)がタクシーに乗って降りるまでの会話、それだけです。それ以外のシーンはまるで存在しないので(女性がスマホを使うシーン、それに伴ってテキストチャットのシーンはある)、解釈に混乱することはなくほぼ楽しめるかな、といったところです。
ただそのことは裏を返せばストーリーの起伏がどうしても平坦になりがちという部分は抱えているわけで、ここは好き嫌いあると思います。といっても、こうした「わかりやすい」作品も良かったかな、といったところです。
一方でこの映画は「妙なところ」で混乱させる部分があり、そこがどうかな…といったところがあります(後述)。
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(減点0.3/スペイン語に関してある程度の考察力を要する)
まず、ストーリーの99%は英語(アメリカ英語)の展開で、スペイン語は2か所(だったか)でしか登場しません。ただ、その2か所とも、英語を話す2者(この映画に2人以外の登場人物はそもそも存在しない)の中で登場するスペイン語なので、スペイン語と英語の混成言語のようになっており(だから、スマホ(iphoneのように見える)でタイプするときに、スペルミスを示唆する赤波線が引かれている。英語設定にしているとそうなる)、そこの理解がやや困難です。
> 「すまないけど、混雑していて(時間通りに)つきそうにない」
ここの lo siento, stuck in .... の部分、「混雑に巻き込まれて」の stuck in は英語表現ですが、「申し訳なく思う」の lo siento はスペイン語表現で( siento は sentir の直説法現在の1人称現在の活用。「感じる」「相手の感情を察する」等のフランス語他と共通する意味のほか、スペイン語では「申し訳なく思う」の意味がある。不規則活用)、ここはある程度配慮が欲しかったかなというところです(フランス語でも3群系不規則活用)
> 「スペイン語を流暢に話してみたい」
聞き取れる範囲では(オンライン試写会である以上、何度か巻き戻しはできる)、 I want to habla espanol perfectamente. と言っているように見えるところ、ここもスペイン語と英語の混合表現です(want toと、それ以外)。
ただ、want to は助動詞に準じるものなのでその後には動詞の原形(辞書形)がきますが、habla は、hablar((言語などを)話す)の「直説法現在の3人称単数」(辞書形でも1人称現在の活用でもない。後者は hablo になる)の活用なのですよね…。 want to hablar か、want to hablo なら理解できても、want to habla はかなり謎です(ただ、それ以外の解釈ができないし、ここで英語とスペイン語の混合表現が出てくることはスペイン語との混合表現に慣れてしまっているというようにとることはできるし(なお、スペイン語がどうこうという話はそもそも出てこない。このあと、「そして、南米に行って観光をしたい」といった話だけしか出ない)、この部分は結構謎ではあります。
※ 日本では、スペイン語を母国語とする方はほぼいませんが、スペイン語とある程度の互換性があるポルトガル語(ブラジルポルトガル語)は、愛知静岡ほかで当事者がいるので、その部分を援用するとそうした方たちも何を言いたいかわからず混乱する。
※ ポルトガル語(ブラジルポルトガル、イベリアポルトガル語)でも、「話す」はかなり違い falar という語ですが、英語とポルトガル語(世界の実態として、英語とブラジルポルトガル語との混合でしか通常生じない)の混成言語としても、want to の後には動詞原形が来るので、そのときでも want to falar (三人称単数現在の fala には当然ならないし、一人称単数現在の falo にもならない) になるはずなので(この点、英語「だけ」が動詞の活用を失った(実質、三人称単数の-sと動詞の過去形の-edルール以外が消滅している)だけであり、ここはポルトガル語でもスペイン語でも極論フランス語でも、一般的に助動詞(言語として助動詞とは言わなくても、その後に動詞の原形が来る、英語でいうところの助動詞)の概念がある言語(ドイツ語含む)ではかなり違和感のあるところです(特に、この例でいえば、want to hablo なら理解できるが、 want to habla だと「彼・彼女の誰かに願う」という意味になるので(英語でいえば、 want her/him to (動詞の原形) の形)、そもそも論として「スペイン語を流暢に話してみたい」という「自分の願望」からずれてしまいます)。
ダコタ・ジョンソン
飛行機の国際線にて鑑賞
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