神は銃弾のレビュー・感想・評価
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人物関係などのモヤモヤは原作を読むとほぼ解消される
本作については当サイトの新作映画評論の枠に寄稿したので、ここではトリビア的なことをいくつか紹介したい。
評では「もともと大長編の小説を凝縮した映画化なので、人物らの過去の関わりといった背景が割愛され説明不足のきらいがある」と書いた。私は映画版を観たあとで原作を読んだのだが、人物Aと人物Bには過去にこんないきさつがあり、だから現在のあの言動につながったのか、と腑に落ちる点がいくつもあった。もし本作を観て、人物関係などがどうもすっきりしない、もやもやしたという方で、550ページの翻訳小説を読むのが苦でないなら、ぜひ原作にあたってみてほしい。読書する時間がない、長編小説が苦手という方のために、ネタバレにならない範囲でそうした要素を少しだけ挙げておく。
・不動産業者アーサー(刑事ボブの元妻サラの父親)は地元の有力者で、保安官事務所にも影響力を持つ。所長ジョン・リーがボブに「お前はデスクワークの事務方だ」と言って捜査を牽制する台詞がある。かつてはボブも現場に出る刑事だったが、アーサーが裏で手をまわして娘婿になったボブを楽で安全な事務方に異動させた過去があった。
・ジョン・リーの妻モーリーンはアーサーの共同経営者で、既婚者のアーサーとかつて不倫していた。そのことがジョン・リーとモーリーンの冷めた夫婦関係の一因でもある。
・ジョン・リーが妻から少年ポルノ鑑賞を嘲笑される場面がある。だが彼の少年性愛癖は見るだけに留まらず、作中のある人物とかつて実際の行為に及んでいた。そうした過去が一連の事件ともつながっている。
原作小説からの補足情報はこれくらいにとどめておく。また、評でゴア描写に関して「原作にはない殺傷シーンまで含まれる」とも書いたが、ニック・カサベテス監督がどんな描写を追加して映像的インパクトを強めたのかも、原作との比較でよくわかる。
なお、ボストン・テラン作品の映画化第2段として、2010年刊行の「暴力の教義」を原作とする映画の製作がトッド・フィールド監督(「リトル・チルドレン」「TAR ター」)、ダニエル・クレイグ主演で進められていたが、コロナ禍の影響もあってかこの5年ほど進捗が伝わってこない。完成するにしてもまだ当分先になりそうだが、気長に待つとしよう。
ボブ某
パンフレットでも読んで人間関係整理しようかと思ったら、売ってなくて残念。
原作があるんですね、時間があったら読んでみたい。どこまでが実話なのかとかも知りたい。
ボブは不死身かよ。
まあ映画のご都合主義だってことはわかるし、アクションは楽しくて良かった。
悪を倒すためとは言え色々と法を犯してるけど、お咎めなしなんかな(笑)
ただ娘に起きたことを考えると…。
ミステリーというよりバイオレンス作品ぽい
2002年版「このミステリーがすごい!」の1位という事で期待して観ましたが、ミステリー要素はあまりなかったように思いました。
とにかく暴力描写がすごかったです。
序盤から悪いヤツらが本当に悪い。
カルト教団というより麻薬中毒の犯罪者軍団でした。
それと戦うのが娘を拉致された事務仕事の保安官のボブと、そのカルト教団から逃げ出したケース。
全体的には良かったけど、ボブが娘を想う気持ちが伝わってこなくて、もっと不安になったりするよねって思うくらいごく普通にしてたのに違和感があって残念でした。
娘を奪還するというよりカルト教団への復讐劇という方が強かったと思います。
ケースを演じたマイカ・モンローは美しさ封印で殴られ蹴られ鼻血は何回も出すしボロボロで、体当たり演技って感じで良かったです。
実話から作られた作品だそうで、どこまでが実話かわかりませんが、かなり重い勧善懲悪でスカッと感は全然なかったです。
成長するパパ。
「誘拐された娘を取り戻す父親」という『96時間』を連想するモチーフだが、相手は質の悪い狂信カルト集団。そのためディテールは生理的に嫌な気分になっていく。元秘密工作員のリーアム・ニーソンではなく、警察の内勤事務方のさえない役柄のニコライ・コスター=ワルドー。しかしカルト集団から離脱したマイカ・モンローとバディとなっての、娘追跡ロードムービーが展開されるなかでタフに変貌していく。結局は暴力でしか解決できないことがある、というキリスト教的正義をふりかざす欧米社会へのアンチテーゼになっているようだ。
それにしても途中で語られるから理解できるが、邦題はイマイチ腑に落ちない。というか乱暴な気がする。まあ、ボストン・テランの原作小説の原題を直訳した邦題がソレなのだから致し方ないだろう。だが、どれほど原作を読んだ者がいるのだろう。
強くなっていく様
が凄いですね。最初はタトゥーでさえも抵抗感があったのに、最後は狂った相手にも堂々と戦いを挑んでいく二人になりましたからね。これを乗り越えれば、ちょっと歳の差がありそうだけど、そういう関係になりますね。
ミステリーではなく、怖い映画かもしれない
お正月に見るモノが無かったので、本作品を見てきましたが、お正月から大変に重厚な作品でした・・・・
まずは、宣伝にある「ミステリー」と言うキーワードですが、正直、「ミステリー」と言う作風ではありません。
事実に基づいたノンフィクションなのですが、しかし、驚いたのは、この手の犯罪と言うか、心理集団、カルト集団がいると言う現実です・・・
カルト集団的な事でお話に描かれているけど、もはや犯罪組織で、犯罪組織の中でも精神的異常者の集まりと言った方がいいのかな・・・・何とも言い難い・・・・
とにかく、人が、次から次へと殺されていくと言うか・・・・
しかし、作風は重厚であっても、お話は淡々と出来ているので、正直、上映時間を考えると長いかな・・・
もう少し上手い脚本家に話を書いて貰えると、もう少しいい映画になったような気がするけど・・・・
しかし、何とも、お正月に見る映画じゃないね・・・・
ま、脚色はあるものの、大変に怖い世界ですね。普通の犯罪集団や、人をさらって身代金を要求する犯罪などが、正当な人だったり、正当なやり方なんだと勘違いしていまうよな・・・・
しかし、もう少し作りが上手いと良かったかな・・・・
PS
ここ最近のお正月映画の番組作りにがっかりするね。
私の子供の頃は、本当にお正月映画の公開やラインナップにわくわくして、お正月の三が日は、梯子したものだけどね。
映画の制作会社なり、配給会社には、困ったものだね・・・・・
まさにボストン・テランの「神は銃弾」
ボストン・テランの「神は銃弾」。
ゲーム・オブ・スローンのニコライ・コスター=ワルドウが主役。
観るしかない。
このミステリーがすごい第1位、に惹かれて読んだ原作。
あの読後感がありありと蘇ってきた。
スラスラと読める訳じゃない、ミステリーの謎解きがある訳じゃない、ストーリーの展開にハラハラドキドキする訳じゃない、爽快感もない。でもなぜか惹きつけられる魅力がある。
まさにこの映画はボストン・テランの「神は銃弾」だ。
(花火とぶっ飛び方は絵的にはいいけどちょっとやりすぎ)
ジェイミー・ラニスター役以降あまり見かけなかったけど、やはりニコライ・コスター=ワルドウはかっこいいなぁ。リーアム・ニーソンみたいに最ブレイクしないかな。
審判と愚者
宗教色が強い予感はしつつも、タイトルに惹かれて鑑賞。
正直、構成が上手くない。
ケースの誘拐シーンは冒頭に入れても分かりづらいだけで、導入のテンポを悪くしている。
途中で回想という形じゃダメなんですかね。
ジョン・リーとモーリーン、そしてアーサーの関係についても描写があまりに唐突。
そのくせ捜査パートは画面が暗く、ただ暴力が続くだけで平坦。
終盤の殺された老婆と(恐らく)幼少のサイラスのカットは、分かりづらい上に血縁だから何だという。
敵は「カルト教団」とのことだが、教義も理念も感じないし、ただのギャングでは。
取ってつけたように“儀式”の跡とか出してくるけど、そもそも誘拐の目的やターゲットの根拠は何?
腹の傷なんか無かったかのように動き回り、火炎放射もバットでの殴打もものともしないボブ。
ケースの丈夫さも大概で、顔の傷もすぐ消える。
立ち位置のよく分からないフェリーマンが何故か毒蛇の血清まで持ってたり、ツッコミが追いつかない。
最後のサイラスの吹っ飛び方もギャグだし、親子ほどのボブとケースに無駄に恋愛フラグを立たせる。
それに取られて、せっかく救出されたギャビは長いエピローグに登場すらせず。
ボブやケースは何の罪にも問われないの?
雰囲気は悪くないし、リアリティは別としてもショットガンで身体が吹っ飛ぶ描写も迫力がある。
序盤はモロに“事務方”だったボブの、タフなアウトローへの変化も素晴らしい。
いくつか良さげな花は付いているが、それを隠すほどに雑多な葉が生い茂っているような作品だった。
過激ノワールもの!!
めっけもののノワールアクション
鑑賞動機:原作の評判10割
原作はもう20年以上前なのに、今映画になるんだねえ。読んではいなかったはず。
ド直球ノワール一直線みたいな話と勝手に思っていたが、結構込み入った事情がある事件だったのね。ただそれでもやっぱり説明不足に思えるのに、上映時間はかなり長い。もうちょっと上手く整理して欲しかった。
とはいえ、ボブの話と見せつつ、最終的にはケースの話に収束していくのは、彼女が過去を乗り越えていくために必要だったのだろう。
顔面パンチ、ホチキス、下顎あたりはキツかった。
せっかくなので『その犬の歩むところ』映画化希望。
十分楽しめる!
聖母の頬にはLOVEが刻まれ、羊の頬には囚われのスパイダーが刻まれていた
2025.1.2 字幕 T・JOY京都
2023年のアメリカ映画(156分、R15+)
原作はボストン・テラスの小説『God Is Bullet(1999年)』
カルトに娘を奪われた保安官が元カルト団員と共に奪還を目指すミステリー映画
監督&脚本はニック・カサベテス
原題は『God Is Bullet』で「神は銃弾」という意味
物語の舞台は、アメリカ・カリフォルニア州の田舎町
保安官事務所の事務方として働くボブ(ニコライ・コスター=ワイルド)は、妻サラ(Lindsay Hanzl)との間に娘ギャビ(クロエ・ガイ)を授かっていたが、今では離婚し離れ離れに暮らしていた
サラはサム(Kola Olasiji)と再婚し、裕福な生活をしているものの、夫婦喧嘩が絶えなかった
クリスマスの日、サラの父アーサー(デヴィッド・トーンソン)と教会に訪れていたボブは、そこにギャビたちが来ず、家に連絡を入れても不通だったことに不信感を募らせる
二人で彼女らの家に向かうと、玄関は開けっぱなしで、物音ひとつしなかった
ボブは警戒しつつ中に入ると、そこにはサムが吊るされて殺されていて、胸元にはタロットカードの「審判」が打ち込まれていた
さらに、庭のプールには無惨に撃ち殺されたサラが発見され、ギャビの姿はどこにもなかったのである
そのニュースを知ったケース(マイカ・モンロー、若年期:エリーズ・グズオウスキー)は、セラピストのアン(ナンシー・デ・マロー)に手紙を書きたいと言い出す
ケースは元カルト「左手の小径」のメンバーで、今回の事件に何らかの類似性を感じていた
上司のジョン・リー(パール・ヨハンセン)に反対されるものの、ボブはケースに会って何かを掴みたいと考えた
映画は、ボブがケースと会い、二人で「左手の小径」へ接近しようとするところから動き出す
ケースは「戻る」という想定で、ボブは「入信」という設定のため、彼女の友人であるフェリーマン(ジェイミー・フォックス)を頼ることになった
彼は教団の信者っぽくボブにタトゥーを施し、教団のリーダー・サイラス(カール・グルスマン)と通じているバーのオーナー・エロル(ジョナサン・タッカー)を訪ねた
そのバーにはサイラスの手下たちも来ていて、ボブの目元にメンバーのレナ(Virginia Bassavetes、若年期:Carola Cuarón)の印が入っていることを訝しがる
報告を受けたサイラスはケースが何か企んでいると察知し、再入信を拒み、ボブ共々追い返してしまう
そこで、ボブたちは別の方法で彼らにメッセージを残そうと考えるのである
物語は、一応実話ベースとのことだが、ほぼフィクションのような内容になっている
人物関係の描写があまりにも少なく、初見でアーサーが何者かがわかりづらい
ギャビに対して「おじいちゃん」と自分を呼んでいたので、ギャビの祖父だとわかるのだが、ボブの父なのか、サラの父なのかわからず、サラの死体を抱き抱える際にようやく察することができるという情報量になっていた
実話に関しては、カルト関連と不動産詐欺関連が実話で、奪還のあれこれにはフィクションが多めという印象だった
原作はミステリーのベストセラーだが、映画からミステリーっぽさはほとんど感じられず、バイオレンスに重きを置いた改変がなされているように感じた
いずれにせよ、クライム&バイオレンスとしては面白いと思うが、さすがに長すぎると思った
中弛みがあるわけではないのだが、なぜか時計を気にしてしまう感じで、宗教的な論争が多くて馴染みがないからかもしれない
ラスト付近で、ケースが「あなたのマグダラのマリアになってあげる」というセリフも、ある程度聖書のエピソードに詳しくないと意味不明に思えるように感じた
マグダラのマリアはイエスが磔にあった後に彼の体を拭ったとされている人物で、死と再生のメタファーのような存在になっている
ボブは一度死んで、これから生まれ変わるという意味になると思うのだが、そう言ったことよりも、ボブの罪を前世に置いていく見届け人になるという意味合いの方が強いように思える
タイトルが「神は銃弾」で、それは「平等に死をもたらすから」という意味になっていて、信仰の対象に対する暗喩にもなっている
ケースは自分を助ける何かを探していて、その先でサイラスに出会ったが、そこには答えはなく、最終的には「銃弾こそが人を平等に裁くもの」という概念に辿り着いた
神が人に残した唯一の平等性がそこにあって、それゆえにケースの信仰はボブをも助けることができたのかもしれません
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