「病的ギャンブラー・イーサン?」ミッション:インポッシブル ファイナル・レコニング Immanuelさんの映画レビュー(感想・評価)
病的ギャンブラー・イーサン?
人生は選択の連続です。
今日のご飯は何にするかに始まり、その後の人生を大きく変える選択もあります。また、自分の選択が他人に大きく影響することもあります。
イーサンは「選択」をします。初期の頃は組織の無茶な指示に強制的に従わざるを得ませんでしたが、このところそれは組織の指示を離れて、自分でどうするかを選択するようになりました。そしてイーサンの選択の指針は、「見知らぬ人を守るため」であり、それはイーサン自身は決して表に出ることなく自己犠牲的に成されるものでもあります。
しかしイーサンの「見知らぬ人を守る」という選択は、極めて「impossible(不可能)」な「mission(任務)」でありました。時には仲間の犠牲という苦い実も味わいます。
もちろんこの映画はいわゆる「ヒーローもの」ですから、結末的にはできそうもないことをスーパーマン的にやり遂げて人々を救う、という筋だてに決まっているわけです。爆弾の赤白のワイヤーのどっちを切ったら良いかわからないけど、時間ギリギリで勘で切ると切ったほうが正解で助かった・・・みたいな「お約束」です。
「ヒーローもの」のストーリーを続けていくと、段々その危険度・ギリギリ度が先鋭化してしまって、ついには「そりゃ、あり得ないだろう!」という具合に、あまりにも非現実的になってしまいがちです。バトル漫画の「力のインフレ現象」みたいなことがどうしても起きてしまうことが避けれられなくなります。この映画も「先鋭化」からは免れず、設定的に無理がある場面は多々あります。
もはやこれだけストーリーがimpossibleだと、イーサンは大義名分よりも危険そのものを生きがいとしている「病的なギャンブラー」なのではないかと疑ってしまいます。まあ、イーサンはヒーローなわけですからそう見えるのも仕方ないとしか言いようがないのですが、現実的には責任ある立場の人の「選択」は「ギャンブル」であってはならないはずです・・・例え大義名分があろうとも。
その点でいい失敗例が、この映画の中に出てきます。女性の大統領です。女性の大統領も「見知らぬ人を守る」という信条はイーサンと同じです。そこに責めを負わせるべきではないでしょう。でも、大統領の選択は明らかに間違いだったと僕は思う。
大統領は2つの選択を迫られていました。①アメリカの核兵器発射システムがハッキングされる前に他の国の核兵器を攻撃して核兵器を無力化するということ・・・ただ人的被害は甚大です。②はAIにアメリカの核兵器がハッキングされないように核兵器発射システムの電源を落とすというもの。・・・ただイーサンがAIをなんとかしてくれない限り、AIが他の国の核兵器を操作して人類大虐殺の危険は回避できない。
まあどちらもリスクがありますし、①も②もアメリカの優位を損なわない為という理由もありますが、どっちを選択するか、苦渋の決断です。大統領は「見知らぬ人を守る」ために(ついでに自分の息子も守るために)、②を選択します。もしイーサンがAIをなんとしてくれたら多くの「見知らぬ人を守る」最善の結果を得ることができます。
ところがどうなったかというと「手遅れ」になりました。アメリカの核兵器発射システムもAIがハッキングします。つまり、もはやイーサンがAIをなんとかしてくれる以外に人類大虐殺を止める手段がなくなったということです。
大統領はどうすれば良かったのでしょうか。たまたま結果的にイーサンがAIをギリギリなんとかしてくれたので一番良い結果になりましたが、成功する確率が極めて少ない「イーサンの働きに賭ける」というのは、これはギャンブルに他ならないでしょう。
責任ある大統領の立場としては、最善の結果をとりたくて「ギャンブル」をするのではなくて、手遅れになる前に例え犠牲が大きくとも「大を取って・小を捨てる」選択を責任を持ってしなければならないのではないでしょうか。あえて大きな犠牲を払った結果についての責任は、一人の政治家に負いきれるものではありませんが、あえて「泥をかぶる」矜持が政治家には必要と思う。
倫理の問題で「トロッコ問題」という思考実験があります。
詳細は避けますが、要は「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」ということです。僕は、もし「自分が責任のある立場でありその選択を行わなければならない状況である」と仮定した場合は「手遅れになる前に犠牲がより少ない方を選ぶ行動をするべき」と考えます。しかし「いかに善意であるとしても、倫理的・道徳責任及びその選択によって生じる結果の責任から免れない」とも付け加えます。
イーサンにも大統領と似たような傾向が見られなくもない。イーサンは、正義漢であり、博愛主義であり、常に最善の結果を病的に思えるほど選択し・挑戦し・行動します。結果的には、映画・物語ですから良い結果になるわけですけれども、そのために危険な賭けをいつもします。
イーサンは「病的なギャンブラー」?・・・あなたはどう思いますか。
人間は、人生において様々な選択をします。
しかし、例え善意であるにせよその選択の結果については責任を負わなければなりません。
・・・とまあ色々書きましたが、映画としては理屈抜きで(散々理屈を捏ねた後になんですが(笑))誰が見ても楽しめると思います。今後このようなスケールの、お金と時間をかけた大作はなかなか・・・もしかしたら最後?かもしれないとも思いますので、ぜひ映画館で!全ての人に見て理屈抜きに楽しんでいただきたいと思います。
Thank's, all Cast and Staff ! :‑D
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